「やっぱり羊羹は最高です。断然、おはぎなんかより良き食べ物です」

「此れは小豆は羊羹にするのが最高だって意見の勝ちですね」と紅は一人、うんうんと頷きながら二皿目の羊羹を食べ終えた。
 そんな紅の横では炭治郎がその光景を優しい笑みを浮かべながら見つめており、時折手に持った湯飲みの茶を飲むと再び紅へと視線を向ける。

 つい数刻前に落ち合わせた二人は藤の家紋の屋敷へと向かう前に紅が「糖分を摂取したい」と言い出したので炭治郎はその提案に頷くと町中にある小さな甘味処を訪れていた。
 炭治郎の嗅覚で甘い匂いを辿り、見つけた甘味処へ足音を立てずに素早く向かう紅の足は驚くくらいに早く、炭治郎は呆気取られた。
 そして暖簾の中を覗き、先程まで炭治郎を脅かした人物とは違う人物では?と思うほど、全くもって無かった存在感を醸し出し無表情ながらにも嬉しそうな雰囲気を纏っていることに気がついた炭治郎の胸は何故かきゅんっと不思議な音を鳴らした。

 其れを誤魔化す様に炭治郎は勢い良く茶を啜り、紅はそんな炭治郎を不思議そうに見つめるとチラリと炭治郎の横に置かれた木箱へと視線を向けたが、直ぐに自身の手にに持った小皿へと視線を移した。
 紅の視線になど気づいていない炭治郎は茶を飲み終えると手に持っていた湯飲みを腰掛けている長椅子へと置き、今の雰囲気は紅とゆっくり話をする絶好の機会だ‼と言わんばかりに紅へと話しかけようとした。

「お、俺の名前は竈門炭治郎だ‼」
「?知ってますよ。 この間、自己紹介してくれたじゃないですか」

 たが、いざ話しかけようとしたところ炭治郎はハッととあることに気がついた。

 任務とは言え、何故か気になる存在である紅と二人で任務だ。
 実際は禰豆子も居るから三人なのだがその禰豆子は現在、炭治郎の横に置かれた木箱の中で静かに眠っている為、二人きりと言えなくもない。
 その事を意識してしまった炭治郎は変に緊張してしまい、話し掛けようとしたのに口が思うように動かず言葉が出て来なかった。
 つい数十秒前には羊羹をもぐもぐと食す紅を熱を込めた眼で見ていたにも関わらず、【二人きり】を意識してしまった炭治郎は紅へと視線を向けることが出来なくなり手に持った湯呑みに視線を落としながら手の中で轆轤を回す様にくるくると回す仕草を見せた。

 そんな事など知らない紅は、いきなり挙動不審になり始めた炭治郎を見て、顔を真っ青にさせたり真っ赤にさせたりと血圧の上げ下げが忙しい人だなぁっとズレた事を考えていたのを隣でもじもじとしている炭治郎は知らないのだった。


     ♦♦♦♦♦

 数刻後、甘味処を出た炭治郎と紅は近くにあった藤の家紋の屋敷へ向かうべく再び歩き始めた。
 陽はまだ高く、鬼が活動する時間帯迄にまだまだ刻はあり、町中は商人や住人が行き交ってはいるが鬼の仕業を祟りだと思い込んでいる町人達の顔は暗く、怯えている様に炭治郎の眼には映って見えた。

「子供の姿は一つも無いな…」

 炭治郎は町に足を踏み入れてからずっと気になっていた事をポツリと呟いた。
 人通りも昼間故に多くの人が行き交う町中。だが、幾ら見渡しても町の中に子供の姿が人っ子一人として見当たらないのだ。
 先程から日常生活を送っている町人達の光景を見る限り、大人の姿か若しくは炭治郎や紅と同世代ぐらいの少年や少女の姿しか無い。

「子供を失う事に怯えた親が子供を家の奥に隠しているのかもしれませんね」

 何処かぼんやりとした表情で告げる紅の言葉に炭治郎の心の奥がずしっと重くなったような気がした。

「そうか…小さい子なら外で遊びたい盛りだろうにな…」

 亡くなった炭治郎の弟達も外に出て遊ぶことが好きだった。炭治郎が町に行こうものなら「自分達も行きたい‼」と言い、自身の引っ張る荷車に乗せてあげたこともあった。
 あの時は鬼の存在なんて知らずに幸せに暮らしていた。ここの町の人達だって少し前の自分と同じだ。
 幸せだった日常がある日を境に壊れ、そして不可解な怪奇現象と共にひとり、また一人と消えていく町の子供達に親達は愛しい我が子を失いたく無いと思うが自分達には抵抗する術が無い。
 それ故に子供を祟りによって奪われないように子を家の奥に隠すことしな出来ないのだ。
 鬼を殺す術を持ち合わせていない町の人達からすればどれほど恐ろしいことであろう。
 そんな事を考えながら炭治郎が歩いていると紅がぴたりと足を止め、何処かをじっと見つめていることに炭治郎は気がついた。

 炭治郎が無表情の紅の異変に不思議に思い「紅?」と紅の名を呼ぶが、紅は紅い瞳をある一点に向け、じっと見つめるばかりで炭治郎の呼び掛けに反応を見せないので炭治郎は紅の視線を辿るようにして赫灼の瞳を向けた。

 そして紅の紅い瞳の視線の先には石で出来た古びた井戸がポツンと存在していたのである。

 如何やらその井戸は現在は使用されていないのか、井戸側の周りに青々と苔が生え、また、井戸の汲み取り口の所は蓋がされているため、底が見えない状態となって放置されていたのである。
 その特に変哲も無い光景に紅は静かに紅い瞳を井戸へと向けたまま「あの井戸は、いつから使われていないんでしょうか」と己の中に浮かび上がった疑問を口に出した。
 炭治郎は紅の言葉に「蓋もされているし、結構なカビの匂いもする。苔も生えているから長いこと使用されていないんじゃないか?」と答えると紅は紅い瞳を静かに細めた。

「確かに苔が生えていますが、ほら、あそこ。井戸の一部分だけ苔が生えてない箇所がありますよね」

 紅が井戸のある部分を指さし、炭治郎は其の指先に視線を合わせると確かに一部分だけ苔の生えていない箇所があったのである。
 紅に指摘されなければ分からないほどの位置にあり、其れはまるで――

「子どもが足を掛けそうな位置にだけ苔が生えてないんですよね」
「⁉⁉」

 紅の指差す場所を見て、炭治郎も紅と同じ考えが浮かび上がり、その考えを先に言葉にした紅に炭治郎は思わず、ハッと息を飲み込むと視線を紅へと向けたが、紅と視線が合うことは無く、紅の紅い瞳は井戸に向けられたまま、他に何かないかと観察するかの様に瞳が動いていた。
 だが、特にそれ以上の不審な点は見つからなかったのか「あくまで私の考え過ぎなのかもしれませんが」と告げると紅は再び藤の家紋の屋敷の方角へと歩き始めた。
 自身より小さな紅い羽織の揺れる背中を一瞬、茫然と見つめていた炭治郎であったが、ハッと我に返ると慌てて自身から遠去かる紅の後ろ姿を追いかけるように小走りで紅に駆け寄り、隣に並ぶようにして再び歩き始めるとチラリと横目で紅の方へと視線を向けた。
 見た目は、ぼんやりと無表情で周りの事など気にしていないように見えるが、その観察力は炭治郎と同じ歳とは云え、鬼殺隊に所属している年数と任務経験の多さから紅の方が矢張り上で凄いと思ったと同時に同じ鬼殺隊の隊士でもこうも違うのかと差の広がり様に炭治郎は少し悔しく感じ、無表情で歩く紅にポツリと呟いた。

「紅は凄いな。 あんな小さなことに気がつくなんて…」

俺なんて紅に言われなかったら気づかなかったよっと苦笑いを浮かべる炭治郎の横顔を紅は数秒見つめた後、炭治郎から視線を外し再び前へと視線を戻した。

「私、観察するのが好きなんです」
「へ?」

 突然の紅の言葉に炭治郎は驚いた様な声を上げ、赫灼の瞳を丸くさせるが紅は炭治郎の表情など特に気にすることも無く、言葉を続ける。

「歩きながら辺りを見渡し観察する。 そして得た情報などを基にある程度の事を考察すると同時に対策などを考える。 そうすることで少しでも鬼を狩る効率と生存率を上げることにも繋がります」
「成程…」
「後、私は町の人の顔色も見ています。 鬼殺隊に長いこと所属していると偶に出会うことがあるんですよ」

――脅されて、鬼に協力している人とか――

「そう云う人を見極めるのも大切だと思います。まぁ、炭治郎くんには立派な【お鼻】が付いているそうなので、その点は大丈夫だと思いますけど」

 そう云うと紅は自身を見つめる炭治郎の鼻先を自身の指でぷにゅっと押し潰すかの様に突いた。
 突然の紅の行動に炭治郎は一瞬、呆けた様な表情になったが、自身の鼻先に触れる紅の白く柔らかな指先に一気に炭治郎の鼓動は壊れそうな程、速くなり 顔は首迄まで染まるほど真っ赤に色付いた。
 炭治郎は紅に声を掛けようと口を開くが言葉が出ず、はくはくと息だけが口から漏れた。
 身体は金縛りにあったかの様に動かすことが出来ず、数秒間固まってしまった炭治郎であったが、ゆっくりと大きく深呼吸をすると炭治郎は頬を赤く染めたまま少し視線を逸らす様に目線を紅の襟巻きへと向けながら「その、俺が鼻が良いと、誰から聞いたんだ?」と紅へ問い掛けた。
 すると紅は炭治郎の鼻を最後にもう一度ぷにゅっと突くと手を離し「すみちゃん達がこの間、言ってたんです。 炭治郎さんはお鼻が良いんですよーって」とその時の光景を思い出すかの様な仕草を見せた後、何事もなかったかの様に炭治郎の名を呼ぶと「行きましょうか」と声をかけた。

     ♦♦♦♦♦

「ようこそ、鬼狩り様」

 数分も経たない内に町の外れにあった藤の家紋が掲げられた屋敷の門を見つけた炭治郎と紅は、トントンと門を叩き、声を掛けた。
 すると中から小柄な老夫婦が現れ、炭治郎と紅の姿を確認すると優しく微笑み、屋敷の中へと招き入れてくれた。
 老夫婦は炭治郎と紅を其々の部屋へと案内すると「ごゆっくり」と声を掛け、その場を後にしようとしたのだが、去ろうとした老夫婦に紅が「すみません」声を掛けた。

「はい。どうされましたか、鬼狩り様」
「ここ最近、あの町で夜な夜な子供が消えると云う話はご存知ですか?」

紅の問い掛けに老夫婦は頷くと不安そうな表情で「えぇ、知っております。町の者は皆、祟りだなどと言っていますが…多分それは…」と夫が言葉を濁しながら云うと紅は「はい。私たちはその為に来ましたので」と頷いた。

「ところで町で子供が消えた以外に、誰かが消えた…なんて、噂など耳にしたことなどないですか?」

 「例えば、この怪奇事件が起きる前とかに」と付け足す様にして老夫婦に問い掛ける紅の行動を静かに見守っていた炭治郎は不思議そうに首を傾げた。
 何故、そんなことを聞くんだ?と言いたげな炭治郎を横目で見つつ紅は老夫婦の言葉を待っていると老夫婦は何かを思い出したかの様に「あぁ、確か…」と紅の問い掛けに答えた。

「数ヶ月前ですが…若い夫婦が突然、姿を消したんですよ」
「夫婦が…ですか?」

 老夫婦の言葉に炭治郎は不思議そうに呟くと老夫婦は話を続けた。

「とても仲が良い夫婦でね。町では、ちょいとした有名なおしどり夫婦だったよ」
「それがある日、突然姿を消したんです。 姿を見かけなくなった近所の人が心配になり、その夫婦の家を訪ねると中は……夥しい程の血で壁や床などが赤く染まっていたと…」

 遺体も何もかも残っていないことから、手慣れた下手人が手を掛けたのでは、と噂されておりますが…と老夫婦の妻が心を痛めたような表情をしており、その表情に心優しい炭治郎もきゅっと胸が痛んだ。

「その夫婦は、どの様な方々だったんですか?」

相変わらずの無表情で紅は淡々と尋ねた。

「お嫁さんは気立の良い美人さんで旦那さんは仏頂面で見た目は怖そうだったけど優しい人でね…あぁ、後」

――笛を吹くのがとても上手だったんですよ――

「町外れの神社で祭りが有った際は必ず、笛の担当を任されるぐらいに上手で優しい音色を奏でる人でしたよ」

 老夫婦の口から出た【笛が上手かった】と云うその言葉に炭治郎はハッと息を飲んだ。

 今回、炭治郎達がこの町を訪れたのは夜な夜な笛の音が響いたかと思うと子供が消えると云う怪奇事件を聞き、其れが鬼による被害だと考えたから派遣されたのである。
 消えた夫婦 笛の上手かった夫 笛が響くと子が消える。 その言葉が脳内で結び付いた炭治郎は咄嗟に紅へと視線を向けると紅は炭治郎の事など気にすること無く、老夫婦に「ありがとうございます。 参考になりました」と礼を告げた。
 老夫婦は紅と炭治郎に微笑み「また、何かありましたらお声掛けくださいませ」と会釈をするとその場を去って行った。

 二人は老夫婦の背中を見送り、姿が見えなくなると炭治郎は「紅」と紅の名を呼んだ。
 名を呼ばれた紅は炭治郎へと向き直ると「良い情報を得ることが出来ましたね」と言い、自身に充てがわれた部屋の襖に手を掛け、少し開けた。

「取り敢えず、夜までまだまだ時間はありますし一旦、自由時間にしましょう」

 自由時間ですから、畳の上を転げ回るのも仮眠を取るのも自由ですよ。あ、暖かいからってお腹を出して寝ちゃ駄目ですよ。と先程の真剣な表情とは打って変わったかの様に本気なのか、其れとも戯けているのか分からないことを云う紅に炭治郎が苦笑いを浮かべていると紅は紅い紅玉の様な瞳で炭治郎をじっと見つめた後、一瞬だけチラリと炭治郎の背負う背負い箱に視線を向けた。

「ずっと箱を背負うのも大変でしょう? 此処なら未だ陽の光は直接入りませんし、この自由時間で」

――中身の確認でもしてみたらいかがですか?――

 箱の中身が何が入っているのか、炭治郎は紅に告げてはいない。
 だけど、【箱の中身が何か】を勘づいているような紅の言葉に炭治郎は赫灼の瞳が零れ落ちそうな程、見開いた。
 その炭治郎の表情に紅は何も告げず、唯、静かに炭治郎を見つめていた。
 無表情で匂いも感じとることの出来ない紅の感情を読み取ることの出来ない炭治郎は戸惑った。

 炭治郎の背負う木箱には鬼となった妹・禰豆子が身体を小さくして入っているのである。
 本来ならば人を喰らう鬼が幾ら兄妹とは云え、鬼殺隊である兄と共に居ることなど許されない。
 だが、禰豆子は他の鬼とは違い 人を喰らうことをせず、その強靭的な忍耐力で耐えている。また、炭治郎の師である鱗滝の【人間は皆家族】と云う暗示のお陰でもあるだろう。
 人を食らわない、人の為に戦う鬼としてお館様から認められた禰豆子だが、前々から禰豆子の境遇を知っている仲間達から炭治郎は言われていることがあった。

【極力、他の隊士の前では禰豆子を箱から出さない方が良い】

 そう言われた時、炭治郎は一瞬理解が出来なかったが、様々な人と関わる度にその理由を理解していった。
 鬼殺隊の隊士の多くが鬼により大切な人を亡くしている。鬼は憎むべき対象であり、悪しき者だ。そう云う考えの者が多いのだ。
 現にお館様と顔を合わせた際、柱達の多くは禰豆子が鬼であると云うことに嫌悪感や憎悪を抱いている様にも感じられた。
 特に其れは禰豆子を身体中に傷のある稀血の男、風柱である不死川実弥から感じられたのである。

 その様な匂いは藤の家紋の屋敷で出会う隊士や任務で共にした隊士達からも同じような匂いがすることも多かった。

 皆、鬼は憎むべき対象なのだと。

 故にお館様から認められたとは云え、大切な人を失い絶望を見た隊士達、全ての者が人を襲わないとは云え、受け入れられる訳では無い。
 その事を理解した炭治郎は自身の境遇をあまり知らない人の前には禰豆子の姿を出さないようにしていたが、紅は何処で箱の中の存在に気がついたのであろうと炭治郎は不思議に思うと同時に少し切ない気持ちが込み上げてきた。

 炭治郎は以前から紅が気になっている。
 出来れば、もっと紅を知りたいし紅と禰豆子が仲良くしてくれたら良いなと思ったりもしていた。
 普通の人なら自身の鼻でその人の感情を嗅ぎ取り、対応することが出来るが紅には出来ない。
 紅からは匂いがしない。歩く足音も羽織が触れ合う音もしないのだ。
 紅は自身から発する全てのものを消し、隠しているのだ。

 だから、紅が箱の中身に対して嫌悪感や憎悪を抱いているか、なんて炭治郎には判らないのである。

 戸惑い、如何声を掛ければ良いのか、判らない炭治郎の姿を紅は紅い瞳でじっと見つめるとスッと目を逸らし「では、また陽が沈んだ頃ぐらいに落ち合いましょう。 何かあれば声を掛けてください」と炭治郎に云うと自身に充てがわれた部屋の中へと入って行ったのだった。