鬼化炭治郎の話
出逢いは少し前に遡る。
紅の師範である風柱・不死川より鬼を連れた隊士がいると言う話を聞かされた。紅は無表情ながらも『へー、そうなんですか』と対して興味ない話だったが無言でいるのは師範に失礼かと思い、棒読みで一応、聞いてますと言う反応をしたのだが、師範である不死川はそんな紅の考えなどお見通しだっと言うように紅の頬をぶにゅーっと引っ張り「きちんと聞けやァ、ゴラァ」と自身の前で正座をしている紅を何処かの輩のように叱った。
紅は「しはん、ぼうひょふはんはいれす(暴力反対です)」と無表情ながらにも不死川に抗議したが不死川は紅の言葉など聞いちゃいないかのように頬を引っ張ったまま話を続けた。
不死川の話によると鬼を連れた隊士と言うのは今年の新人隊士の中の一人の事らしい。家族を鬼に殺され、生き残った兄は傷口から鬼の血が入り鬼となり、妹は鬼になった兄を人間に戻す為に鬼狩りの道を選び隊士になったのだと言う。
しかも鬼でありながらこの二年間、兄は人を喰らうどころか人の血すら摂取した事がないと言うではないか。この間の柱会議は、その事について審議をするためであり、希血である不死川が鬼化した兄の前で血を流したが、ソッポを向かれ、人を襲わない事を柱とお館様の前で証明したのだと言う。
だが、お館様の公認であるとは言え、鬼は鬼。
階級が甲である紅もその鬼を連れた隊士と任務を共にする事が多くなるかもしれない。しかも、今は人を襲わないにしても何かのきっかけで人を襲うことがあるかもしれないので気を抜くな。
そう、不死川は紅に遠回しに告げたかったのだが、親の心、子知らずならぬ、師匠の心、弟子知らず…遠回しに心配する不死川を他所に紅の頭の中は昼は天婦羅うどんにしようと言う事しかなかった。
その話を何となく聞き流した数日後、紅は師範から聞かされた鬼を連れた隊士と出会ったのである。
己の鎹烏から告げられた任務先と其の先に一人の隊士がいるので其の者と共に任務を遂行すべしと言う言葉により、紅は任務を共にする者と落ち合う為に待ち合わせ場所へと足を向けた。
待ち合わせ場所として指定された近くの古びた神社の鳥居の下に一人の木箱を背負った少女が立っているのが確認出来た紅は静かに少女へ近寄った。
少女は気配無く近づいて来た紅が見えたのか驚いた様な表情を見せたが、直ぐにふわりと笑顔を見せ「竈門禰豆子です‼宜しくお願い致します‼」とペコリと元気良く頭を下げた。
紅は少女の名前を何処かで聞いたような気がしたのだが、自分の気のせいかと自己解決するとニコニコと笑う禰豆子に「初めまして、壱師 紅です」といつもの様に表情筋を動かす事無く、無表情で挨拶をした。側から見れば、愛想の無い奴だなっと思うかもしれないが禰豆子は、そんな事など気にも止めていないのか、笑みを浮かべたまま「紅さんとお呼びさせていただきますね!」と言い、紅は禰豆子の勢いに押されるかように静かに頷いた。
任務地へと向かった紅と禰豆子は一旦、近くの藤の花の家紋の家へと向かい休息を取り、日没後に屋敷を出て鬼が出没すると言われている場所へと移動した。
到着直後、すぐに鬼と遭遇し戦闘となったが禰豆子の【水の呼吸】の攻撃と紅の使う【影の呼吸】で己の姿を鬼に悟られないように戦った結果、大きな怪我は無く何とか無事に鬼の頸を狩る事が出来た。
その後は、禰豆子の質問に答えたり話をしながら再び藤の家紋の屋敷へと戻り、禰豆子と紅は夕食と湯浴みを終えると其々の本日の宿泊の部屋へと戻って行った。
特に何も無く一日が終えようとしていたのだが、耳鳴りがしそうな程、静まり返った薄暗い部屋の中で紅は布団に横たわって目を閉じたが、一向に眠気が訪れなかった。何度も寝返りを打ち。目をギュッと閉じても眠気が訪れず、唯、時折気温差などで家の柱が軋む音を聞くしかなかった。
それでも眠れない紅は小さく溜息を吐くと横たわっていた身体を起こし、静かに立ち上がると廊下へと続く襖を開けた。
襖を開けた先の廊下を足音を出さない様に呼吸を使いながら進み、月の光に照らされた縁側へと腰を下ろした。
ふっと見上げた夜空には美しい満月が浮かんでおり、紅は少し眩しそうに目を細めたが、じっと月を見上げていた。
それから然程、時間が経たずして月を見上げていた紅の耳にすぅーっと言う音が聞こえたのだ。その音は障子や襖を開けた音に似ており、誰かが厠にでも行こうとしているのかと思い、紅は特に気に留めることはなかったのだが、其の足音が段々と此方に近づいて来ていることと足音がとてとてと可愛らしい音を奏でている事に気がつき紅は、はて?この家にはお年を召された老夫婦しか居なかった筈だと思い、紅は静かに足音が聞こえる方へと視線を向けると視線の先に見えたものに紅は、きょとんとした表情を見せた。
紅の視線の先には赫灼の髪と瞳を持ち、つるつるの肌の額には大きな痣が刻まれ口には竹筒を咥え、其の身体には不釣り合いな大きさの羽織と袴を纏った幼い男の子が立っていたのである。
紅は元々、影が薄くまた、呼吸により存在感や匂い・音など自身から出る全てのもの自在に隠す事が出来る。日常的にこの呼吸を使用していることが多いため、多分、この幼い男の子も紅の存在に気づけていなかったのであろう。
幼い男の子も紅を見て驚いたように目を見開いていたのである。
幼い男の子を見て、竹筒を咥えた姿と微かに感じる鬼の気配…禰豆子の眠る部屋の方角から現れた事と何処と無く、顔立ちが禰豆子に似ている事から紅は聞き流していた師範の話を思い出したのであった。
【鬼を連れた隊士がいる】
【兄は鬼で兄を人間に戻す為に妹が鬼狩りの道を選んだ】
そこまで鈍くない紅の頭には一つの答えが浮かび上がった。
鬼を連れた新人隊士は今日、任務を共にした竈門禰豆子なのだと。それと同時に紅は目の前の小さな存在が本当に禰豆子の兄なのかと言う疑問が浮かび上がった。
「君が禰豆子さんのお兄さんですか?」
紅は紅い瞳で幼子を見つめながら問いかけると幼子は、ぱぁぁ‼と笑顔になり「むん!」と嬉しそうに頷いた。どうやら、この姿で他人に禰豆子のお兄さんと言われたのが嬉しかったようだった。
幼子は、とてとてと紅に近づくと紅を観察するかのように紅の周りをうろうろとしては匂いを嗅いでいるのか鼻をくんくんとさせていた。だが、紅の匂いが感じ取れなかったのか不思議そうに首を傾げると更にずいっと紅の肩から掛けている羽織に顔を近づけた。
「??何がしたいんですか?」
紅自身も目の前の幼子が何をしたいのか分からず、首を傾げていたのだが幼子は更にくんくんと匂いを嗅ぎ、無臭過ぎる紅に対してまたしても首を傾げた。
紅は静かにその光景を眺めていると不意に幼子が紅の羽織から顔を上げた。
顔を上げた視線の先には紅の顔があり、紅の紅い瞳と目が合うと幼子は赫灼の瞳を驚いたようにまんまるとさせ数秒、ピタリと身体の動きを止めた。
そして数秒の停止後、ズズズズズっと言う音を奏でながら小さな身体がみるみると紅と同じぐらいに成長していくではないか。
「え?え?な、なんですか…?え?」
「むー」
いきなり大きく成長した幼子に紅は珍しく無表情を崩し驚いた表情を見せた。
紅の紅玉を思わせる紅い瞳が月の光に鮮やかに光り輝く光景に目の前の成長した幼子は目を逸らすことができず、もっと近くでその美しい宝石が見たいと言う衝動に駆られ、幼子は優しい手付きで紅の柔らかな両頬へと己の両手で触れると紅の顔に己の顔を近づけ、その紅い瞳を食い入る様に見つめた。
紅い瞳と赫灼の瞳の視線が重なり、何故か幼子も紅もお互いに時が止まったかの様に動けなくなった。
耳に届く鈴虫の鳴く声と時折、風が木々や縁側に咲き誇る花を微かに揺らす音が響くばかりであった。
それから間もなくして、幼子がやって来た方から襖が開く音が聞こえた。
「お兄ちゃん…?何処、行ったのー?」と目の前の人物を探しているのであろう禰豆子の小声が聞こえ、突然目の前の成長した幼子兼禰豆子の兄は禰豆子の自身を探す声にぴくりと反応すると名残惜しそうに紅の頬に触れる手で紅の目元と頬をするりと優しくひと撫でしてから名残惜しそうに離れた。
紅と同じ歳ぐらいに見えた身体は、しゅるしゅると音を立てながら小さくなると禰豆子の声の方へとてちてちと歩いて行ったのであった。
「あ、お兄ちゃん!どうしたの?お散歩してたの?」と言う言葉が微かに聞こえる中、一人ぽつりと残された紅は幼子が消えた先を見つめながら先程の事を思い出し、不思議そうに首を傾げていた。
不思議な形で竈門兄妹と接触をした紅は、この後、何故か竈門兄妹と任務を共にすることが多くなった。
任務先で落合い「こんにちは!紅さん!」とにこにこと嬉しそうに挨拶する禰豆子に紅も無表情ながらにも「こんにちは、禰豆子さん」と挨拶をすると禰豆子の背負った箱の中からごんごんがんがんと激しい音が聞こえた。
初めて任務を共にした次の日の朝、紅が夜に禰豆子の兄に会ったと言ったにより禰豆子は自身の背負う箱の中身が鬼であり、自身の兄だと不安そうに告げた。
鬼殺隊の隊士の中には肉親や大切な人を鬼に殺された者も多く、紅も両親を鬼に喰われた隊士の一人だ。
だが、紅自身が恨んでいると言うか、追っている鬼はただ一人であり、それ以外の鬼には対して興味がないのが本心であった。
だから、別に禰豆子が鬼である兄を連れて居ようが別に紅に対しては気にする事でもない。その事を紅が禰豆子に伝えると禰豆子はハラハラと美しい瞳から涙を流しながら「ありがとうございますっ」と嬉しそうに礼を言い、「良かったね、お兄ちゃん」と自身の隣にあった木箱を撫でたのであった。
その後からだ。木箱の中の鬼・禰豆子の兄である炭治郎は紅と禰豆子が一緒の任務の際は挨拶の時に箱の中からごんごんがんがんと主張してくるようになったのだ。
毎度の事に困った笑みを浮かべる禰豆子に兄である炭治郎は止まること無く、ごんごんがんがんむーむーうーうー!と騒いでいる。
紅は静かに禰豆子の背後へと回り、禰豆子の背負う木箱の扉を指先でコンコンと二回、優しく叩き「こんにちは、炭治郎くん。今日も元気そうで何よりです」と告げると木箱の中の音は大人しくなり、紅の言葉に答えるかのようにカリカリと箱を引っ掻く音が聞こえた。
「紅さん、すいません。お兄ちゃんに紅さんと任務だよ!って伝えたら喜んじゃって…」
「大丈夫ですよ。良くわかりませんが、喜んでいただけたならなによりです」
では、行きましょう。と羽織を翻す紅に禰豆子は大きな声ではい!と告げた。
今回の任務も無事に終わった禰豆子と紅は、いつもと同じように藤の紋の屋敷へと訪れていた。
今回、禰豆子と紅は同じ部屋に通され身体の汚れを落とし夕食を頂いた後、部屋の隅に置かれていた木箱がカタンと音を奏でた。
どうやら、炭治郎が目覚めたらしく炭治郎は静かに木箱の扉を開けると己の体より大きい服を引き摺りながら木箱の外へ出るとキョロキョロと辺りを見渡し、紅の姿を確認すると小さな身体のまま嬉しそうな表情でてちてちと紅の元へと駆け寄り、ぽふんっと紅の腹に縋り付くかのように抱きついた。
その光景に禰豆子は「あらあらまぁまぁ‼お兄ちゃん大胆!」と楽しそうに笑い、炭治郎は紅の腹にさらにぐりぐりと額を押し付け「むー‼」と嬉しそうに声を上げ、紅は慣れたように自身の腹に擦り寄る炭治郎の頭を優しく撫でた。
「本当、お兄ちゃんは紅さんが大好きなのね」
「前から思ってたんですが、炭治郎さんは異様に懐いてくれますよね?私の事を親の様に感じているのでしょうか?」
「いえ!其れは無いと思います‼」
にっこりと楽しそうに禰豆子は紅の言葉を否定した。次いでに紅の腹に額を擦り寄せていた炭治郎もちょっと怒った様な表情でぶんぶんっと否定するかのように頭を横に振っていた。
「お兄ちゃんが紅さんに対して思っている感情は、もっと特別な感情ですよ」
禰豆子の言葉に紅は訳が分からず首を傾げ、禰豆子は、更に楽しそうに笑みを浮かべると「お兄ちゃん!頑張って!」と両手で拳を作り、応援する様な仕草を見せると炭治郎も片手で拳を作り「むー‼」俺は長男‼頑張るぞ‼と言う様に声を上げた。
(また、眠れない…)
静かな薄暗い部屋に隣で眠る禰豆子の吐息だけが聞こえている。
元々眠りが浅い紅は夜にふっと目を覚ます事が多く、其れでも再び目を閉じれば眠れることはあった。だが、今日は眠れない日なのか再び目を閉じても眠気が紅を誘うことはなかった。
このまま布団の上でごろごろしていても駄目だと思った。かと言って暇つぶしに本を読もうかと思っても隣に禰豆子が寝ている為、灯りを点ける訳にも行かず、紅は小さく溜息を吐くと近くにあった自身の羽織を肩に掛け、眠る禰豆子を起こさないように襖を開けて部屋の外へと出て行った。
再び静かになった部屋の中、隅に置かれた木箱の扉が小さな軋む音を立てながら開いた事を部屋から去った紅には知らない。
少し肌寒さを感じながら紅は月光に照らされた縁側へと腰掛けると暇を潰すかの様に欠けた月を見上げた。
星は、いつもと変わらず美しい光を放ち欠けた月を際立たせている。
静かに見上げた空は何処となく己の運命を変えたあの日と同じような空に見えて、紅は少しやるせない気持ちになり、空から顔を逸らし自身の太腿の上に置かれた手をぼーっと見つめていると横から小さな温もりがそっと紅の左手を握った。
紅はハッと自身の左隣を見るといつの間にか幼子の姿の炭治郎が立っており眉を八の字にしながら少し不安そうな表情をしていた。
「炭治郎くん、いつの間に…」
無表情のまま、気がつきませんでした。と呟く紅に炭治郎は空いている片手で紅の頭を優しく撫でた。
紅は一瞬、キョトンとした顔をすると少し目を細めて「恥ずかしいです、炭治郎くん」と言った言葉に炭治郎は嬉しそうに頬を染め、赫灼の瞳をスッと細めるとズズズズズッと音を立てながら初めて会った時の様に小さかった体を紅と同じぐらいの大きさに戻したかと思うと更にズズズズズと音を立て、成人男性程の大きさへと姿を変えた。
伸びた髪と大きくなった体型に紅は驚き、座ったまま身を引こうとしたところを阻止するかのように炭治郎は紅の細い腰をしっかりと筋肉の付いた腕で引き寄せたかと思うと自身の膝の上に向かい合わせになるように抱き寄せた。
片手は紅の腰に回したまま、もう片手は戸惑い、紅玉のような紅い瞳をこぼれ落ちそうな程見開く紅の頬に触れると熱を込めたかの様な赫灼の瞳で紅を見つめた。
鈴虫の鳴き声が静かに響き、月の光で紅玉の瞳は輝く。
その瞳には顔を覗き込む炭治郎の姿が見える。
今、この瞬間…この目の前の美しい紅い二つの宝石には己しか映っていない。その事が炭治郎は堪らなく嬉しくて、腹の底から熱くて甘くとろりとした感情が込み上げてくるのが分かった。
最初は偶々、妹の禰豆子と任務が一緒になっただけのことだった。
炭治郎は昔から嗅覚が優れており、鬼となった今でもその嗅覚は変わる事無かった。故に共に任務をする人の感情などを木箱の中に居ても読み取る事ができ、鬼である炭治郎を連れた禰豆子を良く思わない隊士もいた。
そんな中、初めて会った紅からは匂いがしなかった。
何度も匂いを感じ取ろうと箱の中で鼻を動かしたが何も匂いが感じられず、それがとても不思議に思っただけだった。
其れが、その日の夜に出会った彼女の瞳に恋をした。
月の光によって紅く輝く宝石の様な瞳に炭治郎は目を奪われたのだ。
紅い紅玉の瞳をもっと近くで見たくて近づいた。
その瞳に自身が写っているのを見て、更に胸が高なった。
初めての感情と胸の高鳴りに当初こそ、炭治郎も戸惑い困惑したが、これが恋だとふとした拍子に気がついた。
目を閉じれば目蓋の裏には黒髪で美しい紅い目が浮かび上がる。
口枷できちんと呼べやしないのに彼女の名前を呼ぶだけで心が満たされる。
でも、目の前の紅には炭治郎のうちに秘めた熱い感情など届いておらず、戸惑った様な瞳をしているだけである。
炭治郎は少しでも目の前の少女に己を意識して欲しくて、ずいッと顔を近づけた。
ぷちゅっ
満月の光で明るく照らされた静かな縁側に可愛らしい音が小さく響いた。
紅は自身の唇に感じる、硬い竹筒越しの温かな温もりと吐息に目を見開くと目の前にいっぱいに広がる、うっとりと蕩けた赫灼の瞳に目を奪われた。
紅も此処までされて分からないほど鈍い女では無い。
だが、どうしたら良いのか分からず、唯、炭治郎が離してくれるまで炭治郎の腕の中で固まるしかできなかったのであった。
この時の紅は知らないのである。
此れがきっかけで炭治郎は会う度に必要以上に紅に触れようとしてくる事を……
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