今回、善逸と紅は鎹烏より合同での任務を言い渡されこの山の中へとやって来た。
任務の嫌さと鬼への恐怖心で小心者と思われる善逸は泣き叫び、階級が善逸よりも上であり顔見知りでもある紅に何度も「守ってぇぇ‼紅ちゃん‼‼俺を‼‼守ってぇぇぇぇぇぇ‼」と地面に座り込みながら縋りついた。
そんな善逸に紅は無表情ながらにも不思議そうな表情で「そんなに恥を晒して我妻くんは恥ずかしくないんですか?」とオブラートに包むことなく直球で善逸に刺さる言葉を言い放った。
何処かで聞いたような既視感のある言葉は善逸の胸に深く突き刺さり、善逸は地面に崩れて落ちるとしくしくと泣き崩れた。
だが、先程まで紅に縋り付いていた手はキッチリと紅の紅い羽織りを握りしめたまま離すことは無く、その光景に紅は少し眉間に皺を寄せると「羽織が伸びるので離してから地面に転がるか、立って握ったままでいるか、腕を置いてくかの何れかにしてください」と言い放った。
「因みに私は三番目がお勧めです」
「お勧めって何⁉⁉それって腕斬り落とすってこと⁉⁉⁉いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁっ‼‼」
「煩いので私が決めますね。はい、三番で」
「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ‼‼‼」
ぎゃあぎゃあと泣き喚く善逸に紅は静かに己の耳を塞いだ。小さな子供で有れば紅もまだ我慢は出来た。だが、善逸は紅よりも一個歳上の十六歳である。しかも男の子なのにべそべそぎゃあぎゃあと泣き喚く善逸に紅は心の底から声を大にしてもう一度問いかけてやりたかった。
「私より歳上なのにそれで良いんですか?」
「ごめんんんん‼‼歳上だけど‼怖いものは怖いの‼‼」
いつもの善逸であれば女の子が共にいる時に此処まで泣き崩れることはない。
幾ら辺りが月明かりしかない山の中だとしても、いつ鬼が現れるかもわからない暗闇で膝がガクガクと震えていても相手が女の子であればカッコいいところを見せて褒められたい‼あわよくば、仲良くなれたら嬉しい‼と云う邪まな気持ちが無意識に働き、何とかこの場をやり過ごそうと奮闘するのだが、今回の任務の同行者が紅であったが為に男前を装うとする善逸は顔を見せるどころか気配すら無かったのである。
何故、同行者が紅であっただけでこんなにも駄目なのかには理由があった。
紅は影が極端に薄い。 自身から発せられる音や匂い、気配までをも隠すことが出来る体質である。しかもその体質に加えて感情を表に出すことが無く、常に無表情であるが故に他の隊士達の間では【幽霊】や【亡霊】【鬼殺隊風柱邸の座敷童子】などと呼ばれており、陰口とも取れるその言葉は紅本人の耳にも届いている。だが、当の本人は特に気にすることなく日々を過ごしている。
―――匂いも音も気配もない。自身が発する全てのものを隠す紅
人一倍聴覚の良い善逸は、そんな紅が怖かったのだ。
別に人柄や性格、顔つきが怖いと言うわけでは無い。唯、この世に生まれた時から【音】を頼りに生きてきた善逸にとって【音がない】と云うのが怖いのだ。
生き物には鼓動や感情の音がある。物でさえも使用したりする時に音を奏でるし木々だって風だって、どんな自然にも音がある。
聴覚が優れた善逸の感じる世界は寝ても覚めても様々な音に溢れている。
そんな音に溢れた世界の中でも音が無い物だってある。
【死を迎えた生き物の亡骸】か【この世に存在しないもの】だ。
故に自身の発する音を隠し、無音と化してしまう紅が善逸は生きているのか、それとも他の隊士達が呼ぶ様に本当に幽霊なのかと思ってしまい、それが心の恐怖を更に倍増させてしまっていたのである。
ふと目を逸らせば消えてしまう。それが恐ろしくて善逸はいつもより泣き叫び、紅が消えてしまわない様にと紅の羽織の袖を握りしめたまま離さないでいた。
幾ら紅が善逸のことを呆れた表情でめんどくせぇなっと思っていても握ったその手を離すことが出来なかった。
「そんなに音が無いのが不安ですか?」
紅が不思議そうに善逸に尋ねた。
善逸は己の黄色羽織の袖で己の涙を拭きながら地面から立ち上がると紅の言葉に「そりゃ、不安だよ」と返事をした。
「この聴覚で嫌な思いをしたことも沢山あるけど、頼りにしてるのは確かだし…その人から音がしないことでその人が今、どんな気持ちでいるのか、怪我とか体調とかに気を遣ってやれないからさ…」
善逸の言葉に紅は、きょとんとした表情を見せた。
「意外に考えてたんですね」
「紅ちゃん、俺に厳しくない⁉⁉俺のことなんだと思ってんの⁉⁉」
「そんなことはないですよ。唯、うるさい人だなぁっとは思ってます」
「ごめんなさいねぇぇぇ‼‼」
それでも騒ぐ善逸に紅はバレない様に小さくため息を吐いた。
自分の体質がここまで善逸を煩くさせているのであれば、少しは改善した方が今後は静かに円滑に事が進むだろうかと紅は内心思ったが、直ぐにそんな考えはめんどくさいのでやめた。
「ところで人の音ってどんな感じなんですか?」
「え?気になる?」
「えぇ、少し。 みんな同じ音なんですか?」
唐突な紅の問い掛けに善逸は鼈甲の様な瞳をまん丸とさせると紅の問い掛けに少し考える素振りを見せた後、自身の感じる人の音について語り始めた。
「人の音は其々、違うんだ」
――風が吹く様な音の人も居れば、雷の様な音を奏でる人もいる。
「硝子が割れる様な音を奏でる人もいれば、ぽんぽんって感じの可愛い音を奏でる人もいるんだ」
「へー。 嘴平くんとか獣が唸る音とかですか?」
「あー、そんな感じなのもあるなぁ。あ 後、偶にホワホワした音も聞こえる時もある」
へーと言いながらきちんと善逸の話に耳を傾ける紅に善逸は更に言葉を続けた。
何だか面白いなぁ。何て思いながら紅は善逸の言葉を聞いていたのだが、不意に一人の少年の姿が紅の脳裏に浮かんだ。
妹思いで穏やかな人。優しい笑みを浮かべ、自分の姿を見かけるといつも声をかけてくれる暖かなお日様の様な少年の名を紅は口にした。
「炭治郎くんってどんな音がするんですか?」
炭治郎の名前を口に出した瞬間、紅の耳にカランッと云う炭治郎の耳飾りが揺れる様な音が聞こえた気がした。
紅は聴覚は一般人並みしかない。時折、炭治郎の耳元で揺れる花札の様な耳飾りがカランと鳴る音が紅にとっては【炭治郎の音】だった。
そんな紅自身には分からない炭治郎の音が善逸にはどの様に聞こえるのだろうか。
多分きっと、自分には無い音を奏でいるだろう。そして、その音色はきっと人の心を揺さぶる様な音なのだろう。
なんて思いながら紅は不意に夜空を見上げた善逸の姿を紅い瞳で見つめていると善逸は少しの沈黙の後にゆっくりと口を開いた。
「炭治郎からは泣きたくなるような優しい音が聞こえるんだ」
キラキラと月光が反射して輝く金色の髪を風に揺らしながらぽつりと呟いた善逸を静かに見つめていた紅は善逸の言葉を聞き、不思議そうな表情を見せた。
――泣きたくなる様な優しい音。
確かに心優しい彼が奏でている音がこの様な音なんだと言葉にされると納得することが出来た。
彼にとても似合っていると紅自身も思ったぐらいだ。たが、其処で紅の中で別の疑問が思い浮かんだのである。
――優しい音ってどんな音なのだろうか。
そよ風が吹く音?風鈴が鳴る音?木々が風に吹かれた音?
わからない。どの様な音が優しい音なのだろうか。
紅の知識では答えを導き出すことが出来ず、ちょっともやもやとしたものが心の中に広がる。
紅だって人である。知りたいことがあると知りたくなる。理解したくなる。目の前の善逸の泣き顔が一瞬穏やかになるぐらい、炭治郎の音は凄いのかも知れない。そう思ってしまったが最後、普段は消極的な紅の好奇心は変な風にスイッチが入ってしまい、ややこしい方へと向かい始めた。
紅は、ずいっと紅い瞳を善逸へと近づけ、善逸は突然近づいてきた紅の顔の近さに驚き、少し顔を後ろに下げると戸惑いながら紅の名を呼んだ。
だが、紅は紅玉の様な瞳をじっと善逸に向けたまま艶やかな唇をゆっくりと開いた。
「泣きたくなる様な音ってどんな音なんですか?」
「へっ?」
「川のせせらぎの音?それともそよ風が木々を揺らす音ですか?」
「えっ?え?紅ちゃん?」
「ねぇねぇ、どんな音なんですか?教えてくださいよー」
無表情で善逸に詰め寄る紅に善逸は訳が分からず、握っていた紅の羽織から手を離すと一歩、また一歩と後ろに下がっていくが、紅は善逸が下がれば下がるほど、ずいずいっと詰め寄ってくる。
月明かりで照らされた紅い瞳がきちんと理解出来るまでしつこく聞いてやると物語っており、善逸は己の腹の底から湧き上がる恐怖に思わず、紅に背を向け走り出した。
「何で逃げるんですか」
「怖い‼‼怖いから‼‼何かめっちゃ、紅ちゃんの目が怖いの‼‼」
「怖く無いですよ。唯、先程のことをわかりやすく、丁寧に教えてくれたらいいだけです」
暗い山の中を善逸は駆け抜けるが、紅も善逸の後ろをひょいひょいとついて行く。
無表情で善逸を追いかける紅の表情に善逸の中の恐怖が更に増した。
「何で‼⁉何でそんなにいきなり詰め寄ってくるの⁉⁉」
「他人が感じてることって矢鱈と知りたくなる時ないですか?今、私はそれです」
「ない‼‼そんなの俺には無いもん‼‼あぁぁぁぁ‼やめてぇぇぇ‼‼来ないでぇぇぇぇぇぇ‼‼」
「煩いです。大人しく捕まってください。大丈夫怖いことはしません。理解するまで質問攻めにするだけです」
「やぁぁぁぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁ‼‼」
善逸の叫び声が夜の空に響き渡った。
♦♦♦♦♦
結局あの後、雷呼吸の使い手である善逸の脚力に紅は叶わず、逃げられてしまい泣きたくなる様な優しい音がどの様なものなのかを聞くことが出来なかった。
どうせ逃げたとしても戻る先は蝶屋敷だろうと思い、其処でもう一度聞いてやろうと思った紅だったが、善逸はあの後、別の任務を言い渡された為に蝶屋敷には居ないことを己の鎹烏から聞くとむぅっと頬を膨らませながら無表情ながらにも不機嫌そうに朝焼けに照らされた鬼殺隊本部近くの道を歩いていた。
「あれ?紅?」
不意に背後から呼ばれた自身の名を呼ぶ聞き覚えのある優しい声に紅は歩いていた足をぴたりと止めると静かに声がした方へと視線を向けた。
紅い瞳の視線の先、その先には同じように朝焼けに照らされた市松模様の羽織を纏った炭治郎がきょとんとした表情で立っていたのである。
禰豆子が入った箱を背負いながら、こんな明け方にこの道を歩いている炭治郎の姿に自身と同じく任務帰りなのだと悟った紅は小走りで自身に駆け寄ってくる炭治郎に「お疲れ様です、炭治郎くん」と声をかけた。
紅の言葉に炭治郎は、にこっと人の良い笑みを浮かべると同じく紅に「紅も任務お疲れ様」と言い返した。
「善逸から紅と一緒の任務だと聞いてたんだけど、善逸は居ないのか?」
不思議そうに炭治郎は辺りを見渡すが、善逸の姿は無く、紅だけがいることに首を傾げると紅は炭治郎の問い掛けに「あぁ、彼は次の任務だそうですよ」と答えた。
その言葉に炭治郎は納得した様に返事をすると紅に「俺、朝御飯がまだなんだ。良ければ一緒に何か食べに行かないか?」と紅を誘った。
確かに任務を終え、自身も朝飯がまだだったことを思い出した紅は炭治郎の誘いにコクリと頷くと嬉しそうに微笑む炭治郎と共に朝早くから開いている定食屋へと向かうべく、二人は歩き始めた。
向かっている途中は今回の任務についてだったり、自身たちの身に起きた話などをしていた。 主に話すのは炭治郎ばかりであったが、炭治郎は特にそのことを気にした様子も無く、紅自身も気にしている様子も無かった。
そんな中、不意に風がふわりと吹き、二人の間を吹き抜けていった。
二人の髪がふわりと揺れ、そして炭治郎の耳飾りが風が吹いたことにより、カランッと音を鳴らしながら揺れたのである。
紅は、その音にフッと善逸の言葉を思い出した。
――炭治郎からは泣きたくなる様な優しい音が聞こえるんだ。
自身には聞こえない、泣きたくなるような優しい音。それってどんな音なのだろうか。
一旦、治っていた紅の好奇心がムクリと顔をあげた気がした。
目の前には炭治郎が居る。泣きたくなる様な優しい音を奏でる張本人がいるのだ。このことを本人に聞いてみようか。なんてことを思ったが、これは善逸にしか聞こえない音だ。故に炭治郎本人に聞いてみたところで炭治郎は困った表情を浮かべるだけであろうと自身の中で納得すると少し残念そうに炭治郎にバレない様にため息を吐いた…のだったが、ハッと一つの考えが紅の頭に浮かび上がったのである。
――心音であれば、自身に聴こえるのではないか?
善逸は耳が良い。人の血が巡る音なども聴こえると言っていた。つまり人の音=心音では?と云う考えが紅の脳裏に浮かんだのである。
そう、心音で有れば心臓のある胸に耳を当てたら聴こえるではないか。私って天才ですね。なんて心の中で自画自賛した後、紅は直ぐに行動に移した。
「炭治郎くん」
「ん?なんだ、紅」
紅が炭治郎の名を呼ぶと炭治郎は優しい笑みを浮かべながら紅の方へと顔を向けた。 紅は炭治郎を紅い瞳でじっと見つめた後「炭治郎くん、じっとしててくださいね」と言うと炭治郎は突然のことに不思議そうに首を傾げながらも紅の言う通りに大人しくじっと立っていた。
すると、紅は炭治郎にゆっくりと近づき、戸惑う炭治郎の胸に己の右耳をそっと当てたのである。
「へっ⁉⁉え、あ、べべべべ紅⁉⁉ 幾ら人が居ないからって、こ、こここここんなところで‼‼」
「しー。静かにしてください。聴こえないです」
「うぅぅっ…はい…」
突然の紅の行動と紅の近さに炭治郎は戸惑うと同時に自身の体温が上昇するのがわかった。
頬はじわじわと熱を持ち、吐く吐息は何とも言えない熱さが込められていた。
それもそうだ。想いを寄せている相手が唐突に自身の胸の中に飛び込んできたのである。
いつもならあり得ない展開が今、唐突に起こり、しかも紅との距離は零だと言っても良いほどだった。
思わず反射的に紅の身体を抱き締めてしまいそうになった炭治郎であったが、恋仲でもないのに流石にそれは駄目だ‼後、紅にじっとしているように言われただろ‼‼我慢っ‼我慢だ、俺‼俺なら出来る‼大丈夫だ‼が・ま・んっ‼‼と炭治郎は口をむんっ‼と噛み締めながら心の中で己を鼓舞した。
心なしか背中に背負った禰豆子が兄の異変に気づいたと同時に何か面白い展開が行われていると察したのか、何処か「おにいちゃん‼いいぞー‼やれー‼」と興奮している様にも感じられた。
そうこうしている内にも更に炭治郎の体温は上がり、紅に抱きつかれたことにより鼓動は己の耳にも届くぐらい、ドコドコドコドコッと善逸で有れば耳を押さえ震え上がるほど高鳴るばかりであった。
紅は、そんな炭治郎の様子など知ること無く、ぴとっと炭治郎の胸に己の耳を寄せ、静かに音を聞くかのように目を閉じた。
――どんな泣きたくなる様な優しい音が聞こえるだろうか。
なんて期待しながら耳を澄ませた紅だったが、炭治郎の胸からは異常な迄に和太鼓がドンドコと鳴り響く様な音しか聞こえず、思わず紅は閉じていた瞳をぱちくりとさせると「えっ?祭りの最中??」とぽつりと呟いた。
予想していた音とはかけ離れた、炭治郎の心音に紅は不思議そうな顔をしながら炭治郎の胸から顔を離し、寄せていた身体も少し炭治郎から間を開ける様に離した。
そして炭治郎へと視線を向けると紅の視界にはギュッと目を瞑りながら、唇を噛み締める真っ赤な顔をした炭治郎が立っていた。
「顔、真っ赤ですけど大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ…っ、唯、ちょっと辛かった…かもしれない…」
そう炭治郎は呟くと何故か荒くなっている息を整える為に紅に背を向け、紅はそんな炭治郎の背中をぼーっと見つめていた。
泣きたくなる様な優しい音
自身が聴いたことのない音に好奇心を擽られ、どんな音なのかを知りたくて行動に移したのに実際に聴こえてきた音は和太鼓をドンドコと鳴らす音だったことに残念に思いながらも紅は「人間ってあんな音も出せるんだなぁ。一人祭りみたいで楽しそうですね」なんて何処かズレたことを考えながら、炭治郎が落ち着くのを待っていたのであった。
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