※炭治郎くんの恋は上手くいかないシリーズ4

――六月と云えば…何を思い浮かべるだろうか。

 梅雨 それによって起こる湿気のベタベタ感に対する不快感。暑いのか寒いのか分からない中途半端な気温…
 思い浮かぶものは人それぞれであろう。だが、夢見る女の子であれば六月と云われれば思い浮かぶものがある筈である。

「そう。それがジューンブライドなんだよ‼‼」

 桜が咲き誇る春も終わり、夏へと季節が移り変わり始めた六月のとある昼休み。中高一貫であるキメツ学園の筍組の教室に我妻善逸の大声が響き渡った。
 突然のことに筍組に居たクラスの者達は一瞬、何があったんだと声の主の方へと顔を向けたが、大声の主が叫んだり泣いたりと日頃から忙しない善逸であると分かると特に気に留めること無く、直ぐに皆、何事もなかったかの様に其々の昼休みを過ごし始めた。
 そんな中、善逸と話していたのであろう、友人である竈門炭治郎は善逸の姿に「また、何か始まった」と苦笑いを浮かべた。

「っと言うわけで俺はジューンブライドを詳しく調べるために教科書を買った」
「いや、教科書がゼ●シィって云うのは如何かと思うぞ、善逸」

 善逸がずいっと炭治郎へと見せつけるかの様に差し出した本にはテレビのCMでも放送されている某結婚情報雑誌の名前が印刷されていた。
 因みに今月の付録は【乙女過ぎる鍋掴み】らしく、乙女過ぎると云う意味は分からないが、そろそろ家の鍋掴みが痛んできているなぁと思っていた炭治郎は純粋に鍋掴みだけほしいと思ったが、口に出すことはしなかった。
 善逸は、そんな炭治郎の心境など知る由も無く、ゼ●シィの封を開封すると鼻歌を歌いながら雑誌の頁を開いた。

「あ、付録は炭治郎にやるよ」
「本当か?ありがとう!」

炭治郎は善逸から乙女過ぎる鍋掴みをもらった。

 机に拡げられた雑誌の中では華やかなドレスを着た女性たちが笑みを浮かべ、その頁を彩っている。中には綺麗な形のドレスも有れば、ふわふわな可愛らしいドレスなど色とりどりの様々なドレスに炭治郎の視線も善逸の読む雑誌に釘付けとなった。

「あ、これ。めっちゃ可愛い‼‼ふわふわのやつ‼‼」
「確かに可愛らしいな」
「禰豆子ちゃんにきっと似合うよ、これ。そして、これを着て…俺の隣に…うふふっ」
「確かに禰豆子に似合いそうだが、まだ結婚は早いからな」

 善逸の言葉に炭治郎は雑誌から視線を逸らすことなく、しっかりと釘を刺した。横で善逸が何かをぶつぶつと呟いていたが炭治郎は、そのまま雑誌を見続けてた。
 そして色とりどりのドレスの中、ひとつの色のドレスが炭治郎の目に止まった。

 善逸が先程可愛いと言っていた、ふわふわのデザインでは無く、シンプルなデザインで腰に大きなリボンが付いたワインレッドの生地で作られドレスは、とても美しかった。
 想いを寄せるあの子にとても似合いそうだと思い、炭治郎は思わず、その姿を脳内で思い浮かべると優しい笑みを溢した。
 そして、その隣の頁に目をやると其処には如何やら神前式などの【和式】と呼ばれる結婚式の特集記事が洋式特集の頁と対になる様に掲載されていた。

――あぁ。あの子は和式も似合いそうだなぁ。

 白無垢や色打掛と炭治郎の頭の中で何方も纏った一人の少女の姿が思い浮かぶ。
 恥ずかしそうに袖で口元を隠す少女の仕草(妄想)に胸がぎゅんっと変な音を奏でる。 俺が一生守るっとぎゅっと硬く拳を握り、強く決意したのだが、突然、ハッと我に返ると炭治郎は妄想を掻き消すかのようにぶんぶんっと頭を左右に振った。

――俺の馬鹿‼ 恋仲でもないのに何を考えているんだ‼

 炭治郎は緩んでいた口元をムンッと紡ぐと自身の両頬をパチンッと叩いた。

 炭治郎は同じ筍組のクラスメイトである少女・壱師紅に想いを寄せている。
 長い黒髪を緩いハーフアップで結い上げた紅瞳を持つ少女は常に無表情と云う感情表現が苦手な少女であった。影が薄く、また、炭治郎の人よりも優れた嗅覚であっても匂いを嗅ぎ取ることが出来ず、耳の良い善逸曰く、紅からは音が聞こえないと云う程の特異体質の持ち主である。

 そして、驚く程にズレた感性の持ち主であったのである。

 紅に一目惚れをしてしまった炭治郎は、その恋心を自覚してから紅に対して己を意識してもらう為に色々と努力した。
 元々優しい性格の持ち主である炭治郎は紅には一等優しくしたし少しでも長く紅の隣に入れるように接したりもした。紅と仲の良いカナヲが時折り、不満そうな表情をしていた時もあるが、炭治郎は積極的に紅へと声を掛け、名を呼んだ。
 側から見れば、誰もが炭治郎が紅に想いを寄せているのが分かるほどに炭治郎は紅へと猛アタックしていたのだが、その努力も虚しく、紅は、そのズレた感性で悉く炭治郎の勇気をぶち壊してきたのである。

 もう、恋なんてしない。何処かでありそうな歌の歌詞の様にそう言って仕舞えば楽である。
 だが、炭治郎は紅への気持ちを諦めて捨てる処か、ズレた感性を持った紅に対し益々、その想いが深まるばかりである。
 そんな大好きで愛おしい紅のウェディングドレス姿を炭治郎は不意に思い浮かべてしまったのである。
 別にやましい破廉恥な妄想をした訳では無い。
 ただ、好きな子との未来を想像しただけである。
 ただ、其れが我に返った炭治郎は気恥ずかしかったのである。

「なに? 紅ちゃんのウェディングドレスでも妄想した?」
「うぐっ…」

 今迄の行動を見ていた善逸に図星を突かれた炭治郎は口を紡ぐと気不味そうに顔を逸らしたが、善逸は気にすることなく「紅ちゃん、和式も似合いそうだよねー」と態とらしく炭治郎に声を掛けると炭治郎はパッと赫灼の瞳を輝かせながら「そうだろう‼そうだろう‼」と嬉しそうに声を上げた。

「紅は洋式も似合うと思うが、やっぱり和式が一番だと思うんだ‼ あ、でも 善逸に紅は譲らないぞ?」
「分かった、分からない。 だから、笑顔で俺を見ないでくれよぉ」

 にこにこと笑う炭治郎に恐怖を感じた善逸は直ぐに紅に気がないことを告げると再び、自身が持ってきた雑誌へと視線を向けた。

「まぁ、結局、どっちにするかは嫁さんになる人の意見に沿ってやりたいよなぁ」
「女性にとっては一生に一度だからな」

 女性にとっては一生に一度の華やかな夢見るもの、それが結婚式と云うものである。
 好きなウェディングドレスを着て、愛する人と共に生きることを大切な両親や友人などに祝福してもらう大切なひと時である。
 そんな大切な日を自身の愛しい人には最高な日にしてほしい。少ながらず、旦那となる人は殆どがそう思っているはずである。

 和式、洋式 何方も愛しい人を更に美しくさせる素敵な式となるであろう。

――ならば、紅は何方が良いんだろうか…

 炭治郎のポツリと心の中で呟いた言葉の感情が耳に届いたのか、善逸はピクリと耳を動かすとちらりと炭治郎へと視線を向けた。
 「聞いてみたらいーじゃん。将来の為に」と言った善逸の言葉に炭治郎は自身の頬が熱を持つのを感じた。そして再び、脳裏を過ぎる白無垢姿の紅とウェディングドレス姿の紅の妄想に炭治郎は口をきゅっと結んだ。
 沸騰したヤカンの様に湯気が出そうな程、頬を赤く染める炭治郎に善逸はニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべている。

「しょ、将来って‼‼ 俺は紅と付き合ってないからな⁉⁉ そんな勝手なことを言ったら本人に失礼だろ‼」
「いやいや。いつかは付き合って結婚したいって思ったから妄想してたんだろぉ〜?」
「善逸‼‼」

にやにやと笑う善逸に炭治郎は声を荒げるが、善逸は何時もとは違い、余裕そうな笑みを浮かべながらペラペラとゼ●シィの頁を捲る。そんな善逸に炭治郎は、きゅっと結んでいた唇を少し不貞腐れたかのようにむんっとした表情へと変えると頬の暑さを冷ます様に手で風を送る様に仰いだ、そんな時だった。

「如何したんですか。炭治郎くん、暑いんですか?」

 不意に炭治郎の背後から静かな声色が聞こえ、炭治郎と善逸は驚いた様に肩をビクリッとビクつかせた。
 善逸はバッと雑誌から視線を上げ、炭治郎は素早く自身の背後を振り向いた。
 すると其処には黒髪を緩いハーフアップに結い上げた髪を風に揺らし【おいしさ、ぶっ飛び級✩塩バター小豆みるく】と云う、飲む人を選びそうな紙パックジュースを手に持った、炭治郎の想い人である壱師紅が立っていたのである。

 驚く炭治郎達に紅は手に持っていた紙パックジュースをズッーと飲むと不思議そうに首を傾げた。
 炭治郎は急に現れた紅に対し、数秒間唖然と見つめた後、ハッと我に返り紅の問い掛けに「大丈夫だ‼ ちょっと暑かっただけだから」と苦笑いを浮かべた。

「紅は、お昼済んだのか?」

 炭治郎と問い掛けに紅はコクリと頷いた。

「はい。今日の学食のFランチは美味しかったです」

 好物の茄子の煮浸しがあったので大満足です。と無表情ながらにも嬉しそうな表情で紙パックを持っていない方の手でピースをする紅に炭治郎の胸は、ぎゅんっと高鳴った。
 可愛い。とてつもなく可愛いっと心の中で何度も呟きながら心臓をドンドコと鳴らす炭治郎に善逸は慣れた手つきで自身の両耳を押さえた。

 いつもは真面目でしっかり者の心優しい炭治郎なのだが、壱師紅と云う存在が関わるといつもの真面目でしっかり者の炭治郎がポンコツに変わってしまう時があるのである。
 恋は盲目、人を変えてしまう。正しくその通りであるっと善逸は深く頷くことが出来るほどだった。

「ところで何の話をしてたんですか?すごく盛り上がってたみたいですけど」

ズーッと美味しいのか不味いのか分からない飲み物を無表情で飲みながら紅は炭治郎と善逸に問い掛けた。その問い掛けに炭治郎は「え?あ、その、其れは…」と先程の自身の妄想を思い出して一人頬を赤く染め、気不味そうに紅から視線を逸らした。
 そんな炭治郎に紅は再び不思議そうに首を傾げるていると自身の両耳から手を離した善逸が炭治郎と紅に交互に視線を向けた後、焦ったいなぁと心の中で呟きながら小さく溜息を吐き、ゆっくりと口を開いた。

「あのさ、紅ちゃんてさ。和式と洋式何方が良いと思う?」

突然の善逸の問い掛けに紅は目をぱちくりとさせた。
 善逸の視界の端では炭治郎が善逸の名を呼び、焦った様な表情を浮かべている。だが、善逸は炭治郎の方など見向きもせず、目の前にいる紅へと視線を向けたままであった。
 善逸の質問に対し、紅は目をぱちくりとさせたまま「洋式ですかね」と答えた。

 その紅の回答に一瞬にして炭治郎の脳裏に再び、ウェディングドレス姿の紅の姿が浮かび上がった。
 そうか。紅は洋式が良いのか‼ 矢っ張り女の子はウェディングドレスが着たいんだな。と炭治郎は密かに自身の記憶の回路に忘れない様に叩き込んだ。

「へー。紅ちゃんは洋式なんだぁ」
「大概の人がそうなんじゃないですか? 和式なんて最近、少ないですし」
「そう? この間、近くの神社で見かけたよ」
「そうなんですか?」

 善逸と紅の会話を聞きながら炭治郎の脳内の妄想は様々な方向へと広がって行く。あの色も似合うと思うし、この色のドレスも似合うと思うんだ。 だけど一番は、さっき見かけたワインレッドのウェディングドレスが良いなと一人でうんうんと納得しては頷く炭治郎の姿に紅は不思議に思いながら善逸との会話を続けた。

「和式って毎回、行く度に屈んだりするの面倒じゃないですか?」

 紅のその言葉を聞いた瞬間、炭治郎の妄想はピタリと止まった。
 炭治郎は、その言葉を不思議に思い、善逸の方へと視線を向けると善逸も意味がわからないと言いたげに不思議そうな表情を浮かべていた。
 確かに和式は畳のある場所で行ったりすることもある。重い白無垢を着ながら屈むのは、窮屈でしんどいかもしれない。だが【毎回】と云う言葉で表現するには何だか違う気がするのだ。

――何だ。紅は何をそう思って面倒くさいと言っているんだ?
 
 炭治郎の頭の中を今度は妄想では無く、紅の理解できない言葉がグルグルと駆け巡る。
 訳がわからず戸惑う炭治郎に対し、向かいに居た善逸は何かを悟ったのか、ハッとした表情を見せると大きく溜息を吐いた。

「紅ちゃん。俺が尋ねた、和式と洋式って話は【トイレ】の話じゃ無いからね⁉」
「あ、なんだ。そうだったんですか」

 善逸の言葉に炭治郎は思わず、自身の額を押さえた。
 そう、炭治郎達は【結婚式】の和式と洋式の話をしていたのに対し、紅は最初から結婚式の文字など頭に無く、唯【トイレの話】を振られていたと思っていたのである。
 つまり、先程の会話を振り返ると和式トイレに行き屈むのがめんどくさいと紅は言っていたのである。
 そうとは知らず、善逸と炭治郎は話を進め、妄想していたのであるが、全て紅はトイレの話をしていたのだ。その事に気がついた善逸は再び、大きく溜息を吐くと横で額を押さえる何とも言えない表情を浮かべる炭治郎に「ごめんな…」と何故か謝った。

「結婚式の話だったら最初からそう言ってくださいよ」
「あ、うん。すまない…」

疲れた表情の炭治郎が紅に謝るが、善逸は内心「いや、誰が女の子にトイレの便器の話を振る男が居るんだよ‼」とツッコミたかったが、グッと堪えた。
 そんな炭治郎と善逸の心など知らぬ紅は善逸の持っていた雑誌・ゼ●シィに視線をやると少し考える素振りを見せた。
そして、炭治郎へと視線を向けるとゆっくりと口を開いた。

「私は仏前式が良いなって思ったりしてます」
「へっ?」

 突然の紅の言葉に炭治郎は驚いた表情を見せた。
 先程のズレた様な言葉ではなく、しっかりとした言葉に炭治郎と善逸は一瞬唖然としたが、ハッと我に返り「仏前式ってお寺でする結婚式のことだよね?」と善逸が尋ねると紅は静かに頷いた。

「この間、読んだ本に書いていたんですが…」

――仏教では「結婚した二人は生まれ変わってもまた結ばれる」という教えがあるそうです。

「これってとても素敵なことだと思いませんか?」

 紅い瞳を細めて無表情ながらにも柔らかな雰囲気を纏う紅に炭治郎は思わず見惚れ、頬がじわじわと熱を持つのがわかった。静かになっていた筈の鼓動は再び大きく高鳴り、身体中の血液の巡りが早くなる。
 少し息も浅くなった様な気もして、炭治郎は己の突然の体の変化に戸惑いながらも何処か心地良さを感じた。
 今すぐに紅に好きだと叫びそうになりそうなのをグッと堪えながら紅の言葉に「とても、素敵だな」と答えると紅の表情は相変わらずの無表情だが、雰囲気が更に柔らかなものになった様な気がした。

 紅い瞳が炭治郎を射抜く様に見つめる。
 唐突に紙パックを持っていない手を炭治郎へとスッと伸ばし、人差し指を立てるとぶにっと炭治郎の鼻を押した。

 そして艶やかに濡れた唇をゆっくりと開いた。

「今の言葉、覚えててくださいね。炭治郎くん」

 その言葉に炭治郎の赫灼の瞳は大きく見開かれ、唇からは暑い吐息が無意識に漏れた。
 紅は炭治郎の表情に満足そうな顔を見せると鼻を突いた指を降ろし「紙パックのゴミ捨ててきます」と云い、炭治郎達に背を向け教室の外へと出て行った。

 残された炭治郎と善逸の間に沈黙が広がる。

 さて、果たして紅は、どの様な意味で先程の言葉を言ったのだろうか。

とても素敵だな。と答えた炭治郎の言葉に対してそう、言ったのか。

 其れとも己が告げた言葉を参考にしろと云う意味でそう言ったのか。

――それとも…

 赤くなった頬と炭治郎な声にならない叫びが筍組に響いた。

 色んな意味で上手な想い人の所為で炭治郎の恋は未だ未だ上手くいかないのである。