もし、列車に乗車していたら…(if話)

——其れは必然では無く、偶然の出来事だった。

 ただ、今回言い渡された任務先が自身の住まう屋敷から列車に乗らなければいけない程の辺境の地であっただけ。しかも、夕方の列車には間に合うだろうと近くの街をぶらぶらと徘徊した後、甘味処で好物の羊羹に舌鼓をうつと云う、調子に乗った行動をしまったが故に本来、乗車予定だった夕方の列車に乗り遅れてしまうと云う愚かな行動を起こしてしまっただけである。

 駅に着き、無表情で時刻表を見つめ、内心物凄く焦りながらもこの事を己の師範に告げ口しないでほしいと自身の鎹烏に頼み込み、その直後に素早く駅員を捕まえ、どうにか明日の朝には任務先の地に辿り着きたいと奮闘した結果、運良く乗るはずだった列車の後の列車に空席が出来たらしく、その列車の切符を手に入れることができた。
 それに安堵していた為、用意された新しい切符が隊士が何人も行方知れずになっている噂の列車の名前が印刷された乗車切符だと云うことには全く気づいておらず、また、その列車に炎柱である煉獄杏寿郎が既に大量の駅弁を購入して座席に座っているなんて知るよしもなかった。

 偶々、本当に偶々乗り合わせた車両にて煉獄を見かけ、其れで初めて知っただけなのだ。
 しかも、最初は自身の師範と同じ階級である煉獄が同じ車両に居ることに気がついた瞬間、めんどくさがり屋の性格から煉獄のことを無視しようと思った。
 美味い‼︎美味い‼︎と大声で叫ぶ様に云う煉獄に近づき、声を掛けたとする。唯でさえ、他の乗客の目線は煉獄へと向けられているのに其れが自身にも向けられることになるだろう。考えただけで面倒くさいと溜息を吐いてしまうほどだった。
 だが、その見ないふりをした行為がもし相手にもバレた際、相手である炎柱はその行動に対して気にはしないだろうが己の師範にバレた際に更に面倒くさいことになりそうだと思い、意を決して炎柱へと声を掛けた。
 駅弁の美味さを表現する炎柱である煉獄は気配も音も無く現れた紅に対し、何処を見ているのかわからない瞳をパチパチと瞬かせた後、食べていたものを飲み込んだ。

「君は確か不死川のところの…いちのへ少女じゃないか‼︎」
「炎柱様、私は壱師です」
「いちのへ少女‼︎取り敢えず、此処に座ると良い‼︎」
「だから、壱師ですってば」

 挨拶を済ませたら別の席へと座るつもりだったのだが、煉獄に向かいの座席を指差されてしまった紅は自身の名字を間違い続ける煉獄に何度も名前を間違えられながらも座席に座り、もぐもぐと駅弁を食する煉獄を静かに見つめることにしたのであった。

 煉獄の前に向かい合う様にして座ってから数分後、美味い美味いと弁当を食す煉獄の元に見覚えのある三人が現れた。
 三人は当初、紅の存在に気づいておらず、炭治郎と我妻善逸は唯、弁当を食す煉獄を見て唖然とした表情を浮かべていた。炭治郎が声をかけても振り向くことなく、美味い美味い‼︎と声を上げる煉獄に炭治郎はしどろもどろになりながらもめげることなく、何度も煉獄へと声を掛けた。
 その声が煉獄の耳に届いたのか煉獄は最後の最後に更に大きな声で美味い‼︎と叫ぶと炭治郎へと視線を向けたのであった。
 その光景にまた唖然とした後、三人は食事を終えた煉獄に自己紹介を行い、煉獄は三人の言葉を静かに聞き終えると炭治郎に向かって己の隣の座席をとんとんと叩き「此処に座ると良い」と声をかけた。
 炭治郎は煉獄の言葉に嬉しそうに笑うと妹・禰豆子が入っている木箱を自身の向かいの座席に優しく置き、自身も煉獄の隣に座るとやっと其処で紅の存在に気がついたのであった。

「…えっ…??」

 ぱちっと斜め向かいの席に座る紅と目が合った炭治郎は驚いた様に赫灼の瞳を眼孔から零れ落ちそうなほど見開いた。
 それもその筈である。炭治郎には今まで空席だった所に紅がぽんっと音も匂いも気配も無く、静かに現れたかのように見えたのである。数秒前には紅が座っている隣には禰豆子が入った木箱を置いたのだ。その時も何も居ないと思っていたし、今の今、炭治郎自身は己が座席に座るまで紅の存在に気がついていなかった。
 突然のことに炭治郎は口をあんぐりと開け、自身を見つめる紅に掛ける声が出てこなかった。そんなことをしていると炭治郎の次に紅の存在に気がついた善逸が声にならない叫び声を上げ、それに対して紅は眉を顰めながら両耳を静かに両手で押さえたのであった。

    ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

「…っと云う理由で私はここの席に座っていたんです」
「そうなのか‼︎ 俺はてっきり煉獄さんとの合同任務だから一緒に居たのかと思ったぞ」

 壱師紅の乗車から現在までの経緯を聞いた竈門炭治郎は向かい合う様にして座る紅の言葉に納得した様に頷くと優しく微笑んだ。
 紅の向かいには煉獄と炭治郎、そして通路を挟んだ隣の席には善逸と伊之助が座っている。善逸は初めての汽車に興奮する嘴平伊之助を必死に宥め、紅の現在までの経緯を聞き終えた炭治郎は背筋をぴんっと伸ばしながら何やら煉獄に話しかけているのを横目に紅は、ボーっと流れてゆく暗い窓の外を見つめていた。
 そんな時、不意に紅の存在に気づいた禰豆子が「むー?」と言いながら紅の居る方向の木箱を自身の爪でカリカリと引っ掻く音が紅の耳に届き、紅は静かに視線を隣の木箱へと向けた。ゆっくりと指先の無い黒い手袋を嵌めた自身の手を伸ばし禰豆子の入る木箱をこんこんと指で弾いた。
 そして、禰豆子の「むー」と言う声を真似してか、紅は「めぇー」とやる気の無い山羊を連想させるような声を出した。
 その声に禰豆子は箱の中から「む⁉︎」と驚いた声をあげ、炭治郎は紅のお茶目さに思わず、胸がぎゅんっと変な音を奏でたが、慌てて首をブンブンと横に振り、煉獄との会話に再度集中するように気を引き締めたのであった。
 その間も紅は禰豆子に対し「めぇーめぇー」と鳴く。紅なりの禰豆子への気遣いに煉獄と話しながらも炭治郎の胸は更にぎゅんぎゅんと変な音をたて、禰豆子は箱の外から構ってくれることが嬉しいのか、きゃっきゃと喜んでいる声と共にカリカリと木箱を引っ掻いた。

    ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

「俺の継子になると良い‼︎ 面倒を見てやろう‼︎」

 炭治郎にそう告げる煉獄の声に紅は驚き、ビクッと肩を上下に揺らすとチラリと煉獄の方へと視線を向けた。
 元々熱い男である煉獄の背後に燃え盛る炎の幻覚が見え、その横では炭治郎が「何処を見てるんですか⁉︎」と声を荒げていた。
 確かに煉獄の眼は何処を見ているのか分からない目つきをしている。目の前に座っている紅ですら目の前の煉獄と目が合っているのかわからない。
 己の師も眼光が凄いが炎柱様も炎柱様で眼光が凄いななどとボーッとした思考で紅は煉獄を見つめていると煉獄の口から出た「鬼が出るぞ」と云う言葉に鬼殺隊の隊士である紅の思考は一気に冷たく冴え渡った。
 思わず隠した日輪刀の位置を確かめるかの様に日輪刀に触れ、其処にきちんとあることを確認するとそのまま静かに煉獄の言葉に耳を澄ませた。
 煉獄曰く、この無限と呼ばれる列車内にて行方不明事件が多発しており、多くの隊士を送り込んだが皆、消息を絶ったと言うではないか。その件については紅も己の師を通して知ってはいたが、まさか己が乗り遅れた代わりに乗り込んだ列車がこの例の列車だとは思いもしなかったのである。
 ゆるゆると緩んでいた紅の緊張の糸が煉獄の話によりピンと張り詰められ、紅い瞳が列車内を見渡す。
 取り敢えず、現在自身がいる車両の乗客の人数を数え、前後の別の車両へと続く扉を目視で確認する。
 多くの行方不明者を出している列車だ。幾ら柱が居るとは云え、いつでも日輪刀に手が掛けれるようにと紅は気を引き締めた。

 そんな時だった。

 煉獄達の背後の車両の扉が開き、車掌が現れた。
 心なしか顔色の悪いように見える車掌は乗客達の切符をぱちんぱちんと音を鳴らしながら改札鋏で切符に切り込みを入れて行く。
 炭治郎が煉獄に対し、何をしているのかと尋ねると煉獄は炭治郎達にわかりやすくそのことについて説明をした後、順番で回って来た車掌に懐から出した切符を手渡した。ぱちんと音が鳴り、車掌は切った切符を煉獄へと返却すると伊之助・善逸と次々に切符を切って行った。
 紅も自身を見落とされ無いようにと車掌の横からスッと切符を渡すと車掌は紅の存在に気づいていなかったのか、突然現れた紅に驚き、肩を上下に揺らすと少し戸惑いながらも切符を受け取り、切り込みを入れた。

——…パチンッ

 その音が自身の切符から聞こえた瞬間、紅は突然、強烈な眠気に襲われ、目の前が真っ暗になった。

     ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎





「紅、そんなところで寝てたら風邪を引いてしまうわよ」

 暖かな日差しと心地良い風が吹く中、紅は自身の名を呼ぶ声に意識がふっと浮上するのを感じた。
 閉じていた瞼をゆっくりと開け、紅玉の様な瞳でぼーっと目の前に広がる光景を見つめる。

 風に揺れる庭に生えた紅い彼岸花に青い空と白い雲。 何かに背預けるようにして眠っていたことに紅は気がつくとぼんやりとしていた意識のまま、己の胸元へと視線を落とした。
 紅と黄色の糸で彩られた菊と萩の刺繍が施された着物を纏い、腹の上には読み掛けと思われる本が伏せられる様に置かれているのが紅の目に映った。
 その光景を数秒、ぼんやりと見つめていた紅はハッと弾かれる様に寄り掛かる体制から身体を起こし、今着ている自身の着物の袖を広げたりなどして突然、己の姿を確認し始めた。
 【先程】とは違うその服装と光景に紅は無表情ながらにも戸惑い、今の自身の置かれた状況を必死に把握しようとしていたのだが、何故か【先程まで自身が何をしていたのか】が思い出せないのである。
 大事なことであった筈なのにそれが思い出せない。
 そのことに紅は焦り、戸惑いを見せていると不意に先程、瞼を開ける際に聞こえて来た声に紅は再び名を呼ばれた。

 自身の名をその声で呼ばれた瞬間、ドクンッと心臓が痛み、紅の背筋に冷たいものがツーっと伝うのがわかった。 全身の肌が鳥肌になり、血の気が引いていく。手足は震え、歯がカチカチと鳴りそうになるのをグッと堪える。
 自身を照らす日の光は暖かいのに紅の周りだけは何故かどんどん冷たくなっていく気がした。
 無駄にバクバクと高鳴り、喉がカラカラに乾いていく。息をすることも苦しくなり、無意識に呼吸が浅くなる。目眩さえも起こってる様な感覚に陥り、紅は震える手足に力を込め自身の名が聞こえた方へと恐る恐る、その紅玉の瞳を向けた。
 そして、その視線の向こう側に見えたものに紅は一瞬、息をすることさえ忘れ、眼孔から紅い瞳が零れ落ちそうな程見開かれた。

 自身の黒髪とは異なる、茶髪に黒い目。青い生地に映える様に白い夾竹桃の花が刺繍された着物を纏う女性の姿が其処にはあった。
 その姿を目にした紅の脳内を、全身を一瞬にして恐怖へと塗り替える。無意識に止まっていた呼吸に肺が限界を迎え、はっはっと全力疾走をした後の犬の様な呼吸を繰り返すことしか出来なかった。

「紅、どうしたの?」

——…寝ぼけているのかしら?っと紅の表情を見てクスクスと上品に笑う目の前の女性に衝撃を受けた。
 思わず、身体がピシッと固まり先程の恐怖が一気に吹き吹き飛ぶ。だが、それと同時に紅の中にあった戸惑いが更に大きくなり、思わずいつもの無表情が崩れて呆気に取られた表情を見せる。
 そんな思考が混乱している紅に気づいていないのか、目の前の紅の【義母】と呼ばれる関係にある女性は笑みを浮かべたまま、ゆっくりとその白い腕を紅へと伸ばした。
 紅は、ゆっくりと自身へと伸びる腕にビクッと肩を上下に揺らし思わず身構えると自身の頭に触れようとした手を思わず、ぱしんっと力強くはたき落とした。
 「あっ…」とやってしまったと云う表情を見せる紅に手をはたき落とされた義母は浮かべていた笑みをスッと真顔へと変化させた。そのことに紅の腹の奥底から冷たい感覚が湧き上がってくる。
 落ち着いた筈だった恐怖と言う感情が再び、紅の心を支配する。
 義母は叩かれた手を見つめた後、真顔のまま再び紅へと手を伸ばす動作を見せた。そのことに紅は思わず、歯を食いしばり目をぎゅっと閉じると来るであろう衝撃に対して身構えた。

 義母は己に対して腕を伸ばすときは、良くないことをするのだと紅は知っていた。
 幼き頃から何度も何度も振り上げられては赤く腫れ、ボロボロになるほど叱りつけられた。
 悪さをした訳でも反抗した訳でもない。何もしていないのに義母の機嫌が悪い時、そして義母の機嫌を損なった時、自身は強く【躾け】をされるのだ。
 血が繋がっている当主である父も壱師家の使用人も誰も己を助けない。唯、義母の気が済むまで【躾け】は繰り返されるのである。
 そのことを誰よりも理解していた紅は【いつもの様に】大人しくして居ようとしたのである。

 手が伸びてくる感覚が段々と近くなる。あぁ、あの頃と同じだ。なんて不思議なことを思いながら、衝撃を待っているとその待っていた衝撃は訪れず、代わりに紅の頭にぽんっと柔らかな温もりと感触が乗せられた。
 突然のことに紅はパッと目を開け、恐る恐る目の前の義母へと視線を視線を向けた。
 目の前に居る義母は怒った顔でも真顔でも無く優しい笑みを浮かべており、紅の頭を優しく何度も何度も撫で続ける。

「うふふ、怖い夢でもみたのかしら? 大丈夫よ。母様が居るからね」

聞いたことの無い優しい声色で紅の名を呼び、何度も頭を撫でる義母に紅は目を見開いた。
 
それと同時に【何かが違う】と本能的に察したのである。

 義母は己の名を呼ばない。
 義母は己の頭など撫でない。
 義母は己に微笑まない。
 義母は…

——…己が生きていることを喜ばない。

 そのことに気がついた紅は目の前に居る義母の手を再びはたき落とした。

 あぁ、気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
 何なんだ、今更。何なんだコイツは…っと紅の中で怒りが湧き上がる。
 触れられた部分がゾワゾワと虫が這っている様な感覚がして不快感を覚え、思わず触られていた部分をはたき落とすかの様に何度も払う動作を見せる。
 目の前の義母は、その紅の行動に目を見開き戸惑ったように紅の名を呼ぶが紅は血のように紅い、瞳孔が開き光が無い瞳をじろりと義母へと向けると己の腹から湧き上がる感情を口にした。

「気持ち悪いんですよ、アンタ」

——散々、人のことを罵り、存在否定してきた癖に今更優しくしないでください。

——そう言うの虫唾が走るんですよ。

「嫌な奴なら最後まで嫌な奴のままでいてくださいよ」

 そう言うと紅は静かにゆらりと立ち上がった。
 義母は紅の態度にふるふると身体を震わせながら、何度も紅の名を呼ぶが、紅はその態度が気に入らなかった。

「私の知ってるあの人は恐怖に震えたりしない」

 ゆらりゆらりと一歩一歩、紅は座り込んでいる義母へと近づく。

「私の知ってるあの人は死に際まで私に呪詛を吐き続ける女です」

——…そう、死んでからもずっとです。

 そう呟いた瞬間、ぶわりっと強風が紅を纏う様にして吹く。 菊と萩の刺繍が施された紅い着物が紅い彼岸花の羽織と黒色の襟巻き、そして隊服へと変わり、降ろされていた髪は緩く結われ、紅い彼岸花を模した髪飾りが揺れる。
 突然、変わった己の服装に紅は戸惑うことなく、スッと紅い瞳を細め、自身の腰に刺してある日輪刀の柄に手を掛けた。鯉口がカチャと音を鳴らし、消炭色に染まった刃が鞘から抜かれる。

 義母は紅に対し、静止するように言葉を投げかけているが、紅には全く持って届かない。

 唯々、静かに義母を見つめた後、紅は日輪刀へと視線を向け、大きく溜息を吐いた。

「本当、解釈違いは勘弁してほしいですね」

 そう、ぽつりと呟くと紅は刃を己の首へと滑らせた。

——面倒くさいことは、相手を排除するより自分が消えた方が早いのでね。

「あ、でも、一発蹴りぐらい入れれば良かったなぁ」

再び、薄れ行く意識の中…紅はそう呟いたのであった。







※萩は花札で七月を表し、菊は九月を表しています。
 九月は紅の誕生日月…じゃあ、七月は…
ちなみに夾竹桃は枝・葉・花に毒があります。