——竈門炭治郎 十五歳には前世の記憶がある。
唐突に何を言い出すかと思いかもしれないが、妄想とかでは無く、確かに竈門炭治郎には大正時代を生きた前世の記憶がハッキリとあるのである。
それに気がついたのは炭治郎が五歳になった年の秋のことであった。
その日は家族と共に近くの山の広場へと遊びに出かけたのである。
心地良い風が吹く中をまだ、幼い禰豆子や歩き始めたばかりの竹雄と優しい両親と草木が生い茂る広場を走り回ったり、咲き誇る花を摘んで花輪を作るなどして楽しい時間を過ごしていた。
そんな楽しい時間の帰り道…陽が傾き、夕焼けに照らされていた道の隅に紅い何かがゆらりと風に揺れているのが幼い炭治郎の視界に入ったのである。
炭治郎は父親に手を引かれながら歩いていたのだが、その視界に入ったモノに目を惹かれるようにピタリと脚を止めると赫灼の瞳をその揺れる紅い何かへと向けた。
するとそこには少し寂しげに秋の風に揺れる一輪の紅い彼岸花が地面に根を生やし、凛と咲き誇っていたのである。
その彼岸花を目にした瞬間、炭治郎の脳内に【前世の全ての記憶】が稲妻の様に駆け巡った。
鬼舞辻無惨の手により家族を失い、鬼となった妹を人間に戻す為に鬼殺の道を選んだこと。そこで出会った仲間と数々の想い。——そして、彼岸花を纏った炭治郎が一番愛しいと思った存在のこと。
痣者は二十五歳迄生きられないと言われた短い時の中で愛しい人と愛し合えたこと。
——何処に居ても、何してても…私が見つけてみせます。
自身の死に際に言ってくれた愛しい人からの想いと言葉。
その愛しい人の想いを連れて黄泉の国へと旅立つことが出来ると云うことが、なによりも嬉しいと思った最後だったと云うことも全て、全て…幼い炭治郎は思い出したのである。
大切な記憶と溢れる感情。
そして愛しい人への想いに幼い炭治郎は涙が止まらず、大声で泣いて両親と禰豆子と竹雄を困らせたのを覚えている。
今世でもしっかり者の面倒見の良い、手の掛からない長男である炭治郎が、この時ばかりは前世からのお得意である長男論では我慢することが出来ずに盛大に泣いてしまったのであった。
べにっ、べにぃと愛しい人の名を呼びながら泣き、彼岸花を引っこ抜いて持って帰るぅと普段は言わない我儘を言った炭治郎が珍しくぐずった姿はしっかりと母親が写真に収め、アルバムに貼られているのは内緒である。
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そんなことがあった炭治郎も今ではキメツ学園高等部に通うまでに成長していた。
炭治郎の通うキメツ学園には前世で鬼殺隊に関わりがあった者が多く在籍している。
学園長は産屋敷耀哉 前世では鬼殺隊を率いるお館様と呼ばれていた人物である。他にも教師や生徒として鬼殺隊に属していた人間が多く、また炭治郎と関わりのあった隊士達の多くは前世の記憶を持っていたのである。
それは友人であり、共に時を過ごした我妻善逸と嘴平伊之助もそうだったのである。
二人と炭治郎が再会したのは、このキメツ学園に入学した時であった。
桜が咲き誇るキメツ学園で炭治郎と伊之助と善逸は再会を果たしたのである。
前世では若くしてこの世を去った炭治郎に対して善逸と伊之助はやっと会えた大切な友人に思わず、涙を泣きそうになるのを堪えながら思わず炭治郎に飛びついてしまったのは言うまでもなかった。
そう、前世と同じ年齢である十五歳の歳に炭治郎は【とある人物以外】の前世で関わりのあった人物達との再会は果たせたのである。
たが、その【とある人物】が本当は炭治郎にとって何よりも誰よりも会いたかった人物なのである。
その【とある人物】は、いつも人と感性がズレていた。その癖、人がズレたことをすると「何だ、こいつ」と言いたげな表情で人のことを見つめてくる。慣れた人には悪戯を仕掛けたり、負けず嫌いなくせに面倒くさがりやで、でも人のことは良く見ていて、困ってる時はスッと手を貸してくれる。
出会った時は無表情だったけど、結婚してからは二人の時だけゆるりとした笑みを見せてくれたり、最後の時には大粒の涙を流してくれた。
そんな炭治郎の愛しい人…——竈門紅。基、壱師紅と今世では未だに再会出来ていないのである。
そのことに炭治郎は今日、何度目か分からないため息を吐いた。
他の人々には再会出来たのに愛しい嫁にだけは再会出来ていないのだ。
目を閉じれば、すぐに出会った時から自身が死ぬ最後の時までの愛しい嫁の姿が鮮明に思い出せる。今世でも嫁を嫌いになどなるわけがなく、寧ろ会えないことにより愛しさと好きと云う感情が募りに積もって爆発しそうなくらいである。
一層のこと、ビラとか作って配りまくって全国を探し回りたいぐらいである。
それくらい炭治郎は紅に会いたくて仕方がなかったのである。
紅の師である不死川実弥や友人であった栗花落カナヲや神崎アオイに紅の存在について尋ねたこともあった。だが、返ってきた返事は「皆、紅を探している」と云う言葉だけだった。
「何処に居ても、何してても見つけてみせますって…紅が言ったんじゃないか…」
実家のパン屋の厨房でパン生地を捏ねていた手を止めると炭治郎はポツリと呟いた。
だが、その呟きは誰にも拾われることなく、空気に溶けて消え、虚しさを感じた炭治郎は思わず少し顔を伏せた。
頬を伝い、ポタリと一雫の涙が捏ねていたパン生地へと落ちる。売り物にならなくなってしまった生地で焼いたそのパンは、とても塩っぱい味がした。
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それから数日後、炭治郎は弟と妹を連れて、近所の公園へと訪れていた。
いつもなら忙しい実家のパン屋である、かまどベーガリーも本日はお休みである。
しかも炭治郎達の学校の休みと重なっており、沢山遊べるぞー!と意気込む幼い弟と妹達の姿に炭治郎と禰豆子も顔を見合わせて笑った。
「荷物もあるし、そこのベンチで交互に荷物番しよう」と言い出した禰豆子に炭治郎も頷き、交互に番をしていた時であった。
炭治郎が座るベンチの少し先に設置されている同じ公園内のベンチに炭治郎と同じ歳ぐらいの男女が仲睦まじげに寄り添いながら座っているのが見えた。
しかも優しい花の様な香りと共に漂う甘い匂いに二人はお互いを思いやり、そして途轍もなく幸福な時間を過ごしているのだと云うことが窺え、炭治郎は思わず前世での紅との幸せな時間を思い出して、一人胸が締め付けられるほど苦しくなったと同時に寂しくもなった。
大切な愛しい嫁…大好きで離れたくなかった。
神に願って叶うかなら幾らでも願っただろう。あの幸せな時間が続くように何百回、何千回と祈っただろう。
もし、お金で命が買えるなら幾らでも払っただろう。泥だらけになってもボロボロになっても働いて、お金を集めて、支払ったと思う。
だけど、そんなのは無理な話なのはわかっていた。
愛しい人を置いて逝かなければいけなかった。
一緒に逝けたら…誰にも彼女を取られずにずっと一緒にいれたのにな、なんて物騒なことを考えてしまったこともあった。
結果的になにも出来なくて、彼女の想いだけを連れて逝ったのだが、それが彼女を縛ってしまい、それが自身の罪となり罰となったのかもしれない。だから、紅と会えない様に神様が仕向けているのかもしれないと悪い方向へと炭治郎は考えてしまったっていた。
視界に入る男女の寄り添う姿が、羨ましい。そして妬ましい。
自分も愛しい嫁と寄り添いたい。笑い合いたい。手を重ねたい。触れ合いたい。もっとしたいことだって沢山あったのだ。見たい景色もあった。
それなのに神様はいつも意地悪だなぁ。なんて炭治郎は心の中で悪態つきながら、大きな溜息を吐いた時だった。
「ためいきをはくとしあわせがにげちゃうのですぐにおおきくいきをすいこんだほうがいいですよ。はい、ひっひっふーです」
何処かで聞いた静かな声色。
そして少しズレた言葉…
突然、自身の座るベンチの左側から聞こえてきた声に炭治郎は一瞬、呼吸をするのを忘れた。
なにが起こったのか分からず、でも心臓はバクバクと高鳴り、瞬きをするのも忘れてしまったかの様に目を見開いたまま、炭治郎は恐る恐る声がした方へと赫灼の瞳を向けた。
するとそこにはサラサラの黒髪を肩で切り揃えた、小学二年生ぐらいの少女がちょこんと炭治郎の座るベンチの横に音も匂いも気配も無く、静かに立っていたのである。
少女は目を見開き固まる炭治郎に視線を向けており、その瞳は懐かしい紅い色をしていた。 炭治郎はその瞳と視線が重なり合った瞬間に全てを悟った。
——あぁ、この少女は自身の会いたかった愛しい嫁なのだと…
そう思った瞬間、炭治郎は立ち上がり、その小さな身体を力強く引き寄せて抱きしめた。
すっぽりと腕の中に収まる少女に炭治郎は込み上げる愛しさと今まで我慢していた感情が涙と共に溢れ出た。
胸が苦しくて、息が上手くできない。会いたかった。好きだ。置いて逝ってごめん。愛してる。ずっと今も、これからも…ずっとずっと…
「べに…っ、べにぃ…」
その言葉しか知らない子供の様に何度も何度も炭治郎は紅の名を呼んだ。その度に涙が溢れてしまい、炭治郎の視界が涙で滲んでゆく。
折角会えた愛しい人の姿が見えなくなることに不安になり、また涙が溢れた。
「はい。あなたのべにです。ぜんせでは、あなたのおよめさんだった、かまどべにですよー」
少女を抱きしめながら泣く少年とそれをよしよしと受け止める幼い少女と云う異様な光景が広がるが二人は気にしている余裕などなかった。
「なんで、いままで…どこに」
何故ここに、何故今まで来てくれなかったんだ。てか、何故小さいんだ?沢山聴きたいことが炭治郎にはあった。
それを察したのか紅は炭治郎の腕の中から顔を出すと少しずつ今までの経緯を話し始めた。
紅はアメリカで働く日本人の両親の間に生まれ、つい先日までアメリカに住んでいたこと。
記憶は五歳の時に戻り、なんとかして日本に戻らなければと思っていた時に丁度、両親が日本で働くことになったこと。
そして数日前にこの街に引っ越して来て、炭治郎達を探していたのだが、まさか自分が生まれるのが遅かったとは思ってなかったと云うこと。
紅は全てを話し終えると前世と変わらぬ紅い瞳を炭治郎へと向けた。
「たんじろうくん」
「何だ?紅」
「わたし、きちんとたんじろうくんをみつけましたよ」
えらいでしょう?と相変わらずの無表情だが、そう言いたげな表情の幼い紅に炭治郎の心臓がきゅんっと鳴った。
可愛い。前世でも可愛いと思っていたが、今世の幼くなった紅もとても可愛いと炭治郎は紅を腕の中に閉じ込めたまま、きゅんきゅんと胸を高鳴らせた。
年齢を聞くと紅は小学二年生であるらしく、キメツ学園の初等部に編入予定だそうである。
つまり、今の紅は八歳で炭治郎の年齢が十五歳なので年齢差は七歳だ。つまり幼女なのである。ロリなのである。
前世では同じ歳だったので特にこれと言った二人を隔てる障害はなかったが、今世では歳の差がある。
流石にべたべたと気軽に触れるのはいけないかもしれないと思い、炭治郎は紅を自身の腕の中から解放しようとしたのだが、それに気がついた紅が炭治郎が動くより先に動いた。
「たんじろうくん」
「へ?ど、どうしたんだ?」
紅は炭治郎をじっと見上げると炭治郎の胸元の服をぎゅっと掴んだ。
そして自身の方へとぐいっと引っ張り、顔を近づけると言葉を続けた。
紅の紅い瞳と炭治郎の瞳が重なり合う。幼い紅は前世と変わらぬ艶やかな唇を開いた。
「たんじろうくんのこと、だいすきなのでこんせでもわたしをおよめさんにしてくださいね?」
そしてそのまま炭治郎の頬にちゅっと可愛らしい唇を寄せた。
頬に感じる柔らかな唇の感触と紅の言葉を理解した炭治郎は思わず声にならない声を上げた。
「〜〜〜っっ⁉︎⁉︎⁉︎」
「しんこきゅうしてください。ほら、ひっひっふー」
その呼吸の仕方は違うぞ⁉︎⁉︎と叫びたかったが、それより先に無意識に身体が可愛い未来の嫁を抱きしめてしまい炭治郎は何もいえなかった。
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