※if柱の話 炭治郎くんと紅が柱となっている軸の話

 壱師紅は自身の身体を拘束する腕の中から必死に手を伸ばした。
 届きそうで届かない。もどかしくて腹立たしい微妙な距離に紅は思わず口から出そうになる舌打ちを耐えながら、何度も手を伸ばした。
 あと少しで触れる…っ、そう思う度に伸ばした己の手は、背後から伸びた自身よりも大きな傷だらけの温かな手に阻まれる。そのまま紅を阻んだ手は柔らかなその手の感触を堪能するかの様ににぎにぎと優しい手つきで握るのだ。
 そのことに紅は不機嫌そうにむっすりとした表情を見せると己の身体を背後から拘束するように抱き締める人物の顔を見上げた。

 紅の視線の先…其処には鬼殺隊の日柱である、竈門炭治郎が顔を赤らめながらゆるゆるとした表情で嬉しそうに背後から紅の腰に鍛え上げられた太くて硬い腕を回して抱きしめている姿が其処にはあった。
 まるで小さな子どもが少し大きめな人形を抱き締めるかのような光景は側から見れば面白く、また微笑ましくも見えた。
 そんなご機嫌な炭治郎がくふくふっと笑い、背後から紅を抱きしめたまま、紅の後頭部に擦り寄る度に仄かに香る酒の匂い。それに加えて普段はしっかり者である炭治郎が絶対に見せない、ゆるゆるに緩みきった表情に此れは相当、酔っていると言うことが窺えた。

「くふふー、べにはかわいなぁー‼︎すきだぞぉー‼︎」
「はいはい、わかりました。わかりましたから、私に焼き鳥を取らせてください」

 酔っ払いの言葉を軽く流しながら掴んでいる炭治郎の手を振り払い、再び目の前の卓に置かれた焼き鳥に手を伸ばそうとした。だが、炭治郎も再び「おれのては、きみのてをにぎにぎするためにあるんだ‼︎」と焼き鳥を掴もうとする紅の手を掴み、まるで小さい幼子と手遊びをするかの様に「よよいのよーい!」とにぎにぎと握り始めたことに紅は思わず「このクソ酔っ払いめ」と呟き、更に頬を膨らませた。

 事の発端は紅と炭治郎の前に座り、今の二人のやり取りを爆笑しながら見ている元音柱・宇髄天元にあった。

 遊郭での騒動の後、柱としては引退した宇髄であったが、鬼殺隊に席を置き続けることを選び、現在は下級隊士などに対して稽古をつけるなどの育手の様なものを行っていた。
 一方、炭治郎や紅達も其々成長し柱となった。炭治郎は日柱を、紅は扱う呼吸から影柱としての名を頂き、炭治郎と同期である我妻善逸も育手の想いを受け継ぎ、兄弟子・獪岳と共に鳴柱を襲名。同じく同期の嘴平伊之助も獣柱を襲名したのであった。 
 因みに炭治郎と紅は柱として襲名される数年前から恋仲と云う関係になっていた。
 そのこと知ったお館様のご厚意により、柱として屋敷を与えられる際に二人が共に住める様にと大きな屋敷を与えられ、炭治郎の妹である禰豆子も含めて仲睦まじく暮らしている。
 そんな様々な変化もあり、柱となった者達は皆、更に忙しさが増した。
 平隊士の時とは違い、柱としてやることは多い。鬼を狩り、任務がない時は自身に与えられた地区の見回りをする。そうしてる間にまた、鎹烏から任務が言い渡される。増える仕事に比例して気の知れた仲間達とも昔よりも顔を合わせたりするのも難しくなり、毎日を忙しなく生きている炭治郎達の少しの息抜きになればと気の知れた仲間を集め、宇髄が宴を開いたのである。

 「ド派手に飲め‼︎ド派手に騒げ‼︎」と豪華な料理と大量の酒を並べ、豪快に笑う宇髄に気の知れた仲間達は大いに喜んだ。

 そんな中、紅は任務があった為、少し遅れて飲み会に参加したのである。
 逃げ足だけ矢鱈と早い鬼を追いかけ回して狩り、休息も無しに急いで帰ってきたことにより腹が減っていた紅は宇髄達への挨拶もそこそこに宴に参加していた花柱となった栗花落カナヲと神崎アオイに声をかけられ、二人の間に腰を下ろした。
 そして卓に並べられた料理へ手を合わせると宇髄の嫁三人が腕に寄りをかけて作った料理を昔よりは幾分かわかりやすくなった表情を見せながら美味しそうに食べ始めた。
 一方の炭治郎は恋人である紅が宴の席にやってきたのを確認しながら自身の隣に来てくれなかったことに少しの残念さを感じながらも宇髄に酒を飲まされて酔った善逸と伊之助、そして善逸達を酔わせた犯人である宇髄に絡まれていた。
 炭治郎は酒は嗜む程度で浴びるほど飲むような方ではない。強い方かと聞かれたらそこまで深酒をしたことがないのでわからないと云うのが炭治郎の答えだった。
 だから今回の宴も炭治郎は嗜む程度しか飲んでいなかったのに対し、宇髄に飲まされ酔っ払った善逸と伊之助が目敏く炭治郎のお猪口の中の酒が減っていないことに気がつき、炭治郎に無理矢理酒を飲ませたのである。

「おらおらおら‼︎‼︎親分の酒が飲めねぇのかぁ‼︎‼︎」
「お前だけさらっとした表情してんじゃないよ‼︎‼︎‼︎醜態さらしてみな‼︎‼︎」
「ちょ、二人とも‼︎‼︎落ち着け‼︎‼︎おちつく、むぐっ‼︎‼︎」
「だはははははははは‼︎‼︎‼︎」

 炭治郎の身体を羽交締めにする伊之助と炭治郎の口に酒瓶を突っ込む善逸。それを大爆笑して見ている宇髄。
 なんとも言えない光景にカナヲとアオイは呆れながらも困った様に笑い、紅は腹が求めるまま食べ進めていた。

 そして数分後、善逸達に無理矢理飲まされたことにより完全に酔った炭治郎に食事中の紅は突然、背後から抱き締められたのである。——…それが、炭治郎の絡み酒の始まりであった。

「べにー!べにー!」
「はいはい、壱師紅ですよ。なんですか?」
「んふふっ…よんだだけだぞぉ!」
「……何だ、この酔っ払い」
「よってないぞぉ!おれはよってないからなぁ!」

 そう言って後ろから抱きしめた紅の後頭部に顎を置き、ぐりぐりと擦り寄る炭治郎に紅は焼き鳥を取れなかった苛立ちと後頭部に感じる地味な痛みに心の底から面倒くささを感じた。
 紅は炭治郎と共に屋敷に住んでいる。そこでも夜、暇な時に二人で酌を交わす事はあった。だけど普段は炭治郎も紅も浴びるほどは飲まないので二人ともほろ酔いぐらいはあっても、ここまでベロベロに酔っ払う姿を見たことがなかった。
 普段であれば、もしかしたら炭治郎くん可愛い。なんてことを紅も可能性は低いが思ったりしたかもしれない。だが、今はタイミングが悪かった。
 紅は腹が空いていた。それをこの酔っ払いの手により食事の時間を邪魔され、不機嫌になるのも仕方のないことだった。そんな紅の心境など知らない酔っ払い炭治郎は唯、背後から紅の腹に腕を回して抱きしめては片手を握り、嬉しそうににぎにぎとする。
 いつもズレた言動で炭治郎を振り回す側である紅がなすがままとなっているその光景を宇髄の嫁達の手伝いをしていた炭治郎の妹・禰豆子が台所からひょっこりと顔を出した際に見て「お兄ちゃんと紅ちゃん、とっても仲良しね‼︎このまま、紅ちゃんが本当のお姉ちゃんになってくれないかなぁ」とにこにこと笑みを浮かべ、そう呟きながら酔い潰れた善逸を回収して行く程、普段は見られない二人の寄り添う姿は微笑ましい光景となっていた。

 それが面白くて仕方がないのが宇髄だった。

 背後から抱きつき愛を語る炭治郎と取り敢えず、腹が空いているから目の前の焼き鳥を食べたいと手を伸ばす紅の攻防戦。腹を抱えて笑う夫・宇髄に三人の嫁達も集まり、にこにこと笑みを零す。
 その和やかとも取れる空気の匂いを感じとったのか、また炭治郎が紅を抱き抱えて幸せそうにくふくふと笑い、焼き鳥のお預けを食らったままの紅は不機嫌さが更に増した。

「おれはちょうなんだ!べにはしってたかぁ?」
「えぇ、存じ上げておりますよ。何度も聞きました」
「むふふぅ、しってたかぁ!そうか、そうか!ぞんじておりますよ、かぁ!」
「そんな長男さん、私は焼き鳥が食べたいので手をにぎにぎするのやめてくれませんかね」
「嫌だ」
「何でそこだけ食い気味に否定するんですか」

 手を離せと言う紅に対し炭治郎は先程のゆるゆるとした表情から、すんっとした真顔を見せた。
 先程とは打って変わった炭治郎の表情と紅のツッコミに更に宇髄がひぃひぃと腹を抱えて笑う。その姿に紅は心の中で「あの筋肉ド派手野郎、今度覚えてろよ」と悪態ついた。

 それでも炭治郎は紅を離すことなく、紅の手を握る。にぎにぎとと止まらぬ温かくて優しい手。本気で振り払おうと思えば振り払えるはずなのにそれをしない紅を酔っ払っている炭治郎も何処か理解しているのか、離れようとしない。それどころかとろりと甘さを含んだ瞳で自身の腕の中にいる紅を愛おしげに見下ろす炭治郎の姿は誰よりも幸せそうだった。
 きっと逃げることは出来ない。諦めて炭治郎の気が済むまでじっとしているしかないなと悟った紅は大きく溜息を吐くと炭治郎の腕の中で大人しくしていることにした。
 炭治郎に手を握られ、頬擦りされながらも目の前の焼き鳥を恨めしげに見つめることしか出来ず、それは炭治郎がその場で眠りに付くまで紅の口に入ることはなかったのであった。