「こんばんは、壱師です」
陽も沈み、静かになった蝶屋敷の中。任務の無い炭治郎は己に与えられた部屋にて眠りから覚めた禰豆子と共に過ごしていると突然、トントンと扉を叩く音と共に聞き覚えのある声と名が聞こえてきたのである。
炭治郎は扉を開け、その声の人物を確認すると先程、名乗った通りに炭治郎の想い人である壱師紅の姿が其処にはあった。炭治郎は驚いた表情を浮かべながら「どうしたんだ?」と尋ねると紅は相変わらずの無表情のまま「禰豆子さんに用事があったんですけど、禰豆子さんは起きてますか?」と言った。
炭治郎は不思議に思いながら、自身の言葉を待つ紅に「禰豆子なら起きてるぞ」と答えると身体の向きを変え、部屋の奥でごろごろと畳の上で転がる幼子の姿の禰豆子へと視線を向け、名を呼んだ。
すると禰豆子は直ぐに畳から起き上がると着物と羽織を引き摺りながら、炭治郎達の元へとやって来た。そして桃色の瞳に紅の姿を映すと嬉しそうに「ムーッ‼︎」と声を上げて紅の足にしがみついた。
「こんばんは、禰豆子さん。今日もお元気ですね」
「紅に会えて嬉しいんだよな、禰豆子」
俺も嬉しいし…とポツリと呟く炭治郎であったが、禰豆子に気を取られている紅の耳には届いていない様で何も反応がなかった。そのことに苦笑いを浮かべていると紅が静かに己の羽織の袖の中に手を入れたのである。羽織の中でカサリと何かの袋の様なものが擦れる音がした。
紅は静かに羽織の袖の中に手を入れたまま、自身の足元にいる幼子の姿の禰豆子へと視線を合わせる様に蹲み込むと禰豆子へ「手を出してください」と言った。禰豆子は素直に紅の言葉に従い、小さなぷにぷにと柔らかな両手の平を紅の前に出した。——すると紅は羽織の袖の中から小さな袋を一つ取り出したかと思うと禰豆子の手の平にポンッと置いたのである。
炭治郎も禰豆子もきょとんとした表情でその手に置かれた小さな袋を覗き込むときらきらと輝く彩豊かな金平糖とあられが中に入っているのが見えた。
「今日は雛祭りでしょう?だから、雛あられです」
「——っ何故…」
「?何故って禰豆子さんも女の子ですし、お祝いしないといけないなーと思いまして」
——食べれないかもしれませんが、目だけでも楽しんでもらえたらと思ったんです。
「だから作ってみました」
あ、金平糖は違いますよ。買ったものです。雛あられだけ作りました。とぶいっと両手でピースをする紅に炭治郎は喉の奥がきゅっとして言葉が出なかった。
実はさっきから珍しく紅から仄かに揚げ物の匂いがすることに気がついてはいた。焦げ臭いとかじゃなく、香ばしい様な匂い。晩御飯でも食べた時についた匂いなのかな?と思っていたのだが、まさかその匂いが禰豆子に渡すための雛あられを揚げた際に染み付いた匂いだとは思わなかったのである。
しかも、なによりも炭治郎の心が震えたのは紅が禰豆子を思ってくれたと云うところである。炭治郎の大切な唯一の家族である禰豆子。鬼となってしまってから人間の食べ物を食べることが出来ない身体となってしまった禰豆子。そんなことなど炭治郎立ち寄りも長く鬼殺隊に在籍している紅は知っているはずなのだ。なのに、面倒くさがり屋な筈の紅が其れでも目で楽しめたらと用意してくれたのである。
きっと紅にとっては単なる気まぐれな思いつきなのかもしれない。だが、その気持ちが炭治郎は嬉しかったのだ。
その優しさが禰豆子にも届いていたのだろう。禰豆子も紅から受け取った雛あられを大事そうに腕の中に抱えながら嬉しそうに紅へとすり寄った。
「喜んでいただけたみたいで安心しました。あ、そうそう。関西と関東では雛あられは雛あられでも少し違うそうですよ」
「ムー?」
「私は関西の生まれなので今回は関西風で作りました」
——今回、禰豆子さんは食べれませんが…
「いつか、一緒に食べましょうね」
そう言った紅に禰豆子は嬉しそうに頷いた。
炭治郎は、その言葉に胸の奥からぐっと込み上げてくる熱いものを感じた。思わず目が潤み、涙が流れ落ちそうになるのを隊服の袖で拭うと紅の名を呼んだ。
「紅」
「?なんですか、炭治郎くん」
禰豆子に撫で撫でと頭を撫でられながらも紅は自身を呼ぶ炭治郎へと紅い瞳を向けた。炭治郎は、もう一度紅の名を呼ぶといつもの明るい笑顔ではなく、長男であると云う思いも何もかもを置いた、年相応の笑みを紅へと向けた。
「ありがとう」
ふにゃりとした笑みでそう言った炭治郎に紅は、きょとんとした表情をみせると少し照れたように顔を逸らしたのだった。
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