30
ただいまとおかえり


なんて寝苦しい夜なんだと思った。
息が詰まって、喉が苦しい。バタバタともがきたいのに、身体が思うように動かない。かと言って、怖い夢を見ているわけでもなかった。だが、やっぱり苦しい。このままだと息が出来なくなって…………

死ぬ……!!!

「ぶはっ……!!」

慌てて目を開けると、隣には神楽が居た。
愛くるしい表情に、口元はだらしなく半開きになっていて、脚は大胆に掛け布団を蹴り飛ばしていた。神楽の小さく白い、それでいて華奢なようには見えない腕が、先ほどまであたしの首に乗っかっていたのだ、とそう理解するのに数秒掛かった。
酷使していたのだろう、少しだけ痛む肺を身体の上からそっと押さえた。

「んんー。名前ー」

目の端に涙が溜まっていることに気づいたところで、神楽が身体に巻き付いてきた。腕までホールドされないように、咄嗟に万歳のポーズを取る。のそのそと身体を捻って神楽の方を向き、胸の中にその愛らしい顔を掻き抱いた。起こさないようにゆっくり頭を撫でた。シャンプーの香りが鼻をくすぐる。この匂いは、あたし専用シャンプーの匂いだ。万事屋のお風呂に入らせて貰うことは滅多に無いのだけれど、万事屋にあったものとは別に、お気に入りのシャンプーを買って置かせて貰っていたのだった。
神楽にだけは、「使ってもいいよ」とこっそり言ってはいたけれど、なかなかこの距離でないと解らないものだな。
自然と口角が上がった。とても嬉しくて、ああ、帰ってきたんだ、と改めて感じた。

神楽の向こう側には新八だろうか。壁の方を向いて寝ている人影が見えた。規則正しく肩が上下している。

「ただいま」

そう呟いた声は、しんと静まり返った部屋の空気に溶けていった。











ふたたび目が覚めると、明るい光が部屋に差して、湿気を含んだ温い風が肌を撫でた。

「起きたアルか?」

まん丸い大きな瞳は、まるで宇宙のようで、ぼんやりとそれを見つめていると、怪訝な顔をされてしまった。

「もう銀ちゃんも起きてるアルヨ。今何時だと思ってんのよ!早く起きなさい!」
「……母ちゃんか。」

薄い掛け布団をガバッと剥がされた。あたしがたまに銀さんと神楽を起こす時にする、“実家の母ちゃんごっこ”を真似しているらしい。新八に見られていたら怒られてしまいそうな、緩いツッコミを辛うじて入れながら、身体を捻って枕元にあった時計を見た。11時半だ。こんな時間まで寝てしまうなんて。

さっと起き上がって布団を押入れにしまってから、神楽の後を追うように和室から出た。すると、リビングにはソファにだらしなく寝転がる銀さんが。それを叱りつけるお母さんのように、新八が銀さんの傍らに立っていた。

「なんでもう食ってんスか!」
「え?だって腹減ってんだもん。昨日の夜何も食ってねェんだよ俺。」
「だからって、名前さんも揃っての久しぶりの食事で先に食う奴があるか!あの神楽ちゃんだってちゃんと我慢してんですよ!?」
「なんだよ、ギャアギャア喧しいなァ。お前は俺の母ちゃんか。神楽はアレだろ。朝飯食ってんじゃん。俺は朝飯すら食ってねェんだよ?」
「お前は今起きたんだろーがァァァァ!!!!」

むしゃむしゃと口を動かしながら、ソファに寝そべる銀さんは器用に何かを食べている。対して、新八はエプロンを身につけてまさしく“実家の母ちゃん”みたいに、銀さんを咎めていた。
どうやら、銀さんがフライングしてつまみ食いをしたところ、新八にバレてしまってお咎めを喰らっているところのようだ。

「おはよう新八。ごめんね爆睡してて。あたしもう起きたから。食べよ?」

背後から新八の肩を軽く叩いて、顔を覗き込むと、何故か大袈裟に驚かれた。
アレ?何これ?あたしはオバケですか。そんなに酷い顔してますか。

「名前さんッ!お、おおおおはようございます!!」
「あははっ。距離感可笑しいよ、煩い。」
「ぱっつぁん煩いネ。早く座れヨお前ら。名前は私の隣ヨ!」

寝起きから大声で挨拶してくる新八を「煩い」と一蹴し両耳を両手で塞ぎながら、神楽が「早く早く!」と、バンバン叩いているそこに腰を下ろした。
向かいのソファに寝そべる銀さんも、待ってました、とでも言うように身軽に身体を起こして、それから、新八もそれを見て小さく溜息を吐いてから、銀さんの隣に腰を下ろす。
みんなで手を合わせて、さあ。

「いただきます!」

みんなで揃ってのご飯は久しぶりで、炊きたての白米のように、あたしの心もほくほくと暖かかった。新八の作ったお味噌汁は具は質素だけれど、味噌加減がちょうど良くてあたし好みだ。ずずっと啜って飲み込んで、息を吐いた。しばらく、むしゃむしゃと必死に食べていると、肩に何かが乗っかる感覚がして、驚いて箸を置いた。

「ワン!!」

定春だ。
定春のぷにぷにの肉球があたしの肩を叩いていた。定春に会うのは本当に久しぶりだ。舌を出して規則正しく息をしている彼に、あたしは堪らず抱きついた。

「おーい。全部食ってからにしなさい。」と、もぐもぐしながら銀さんがお母さんみたいなことを言うのを、耳の端に捉えながら、もふもふの毛の中に顔を埋めた。とてもじゃないけれど、これを後回しにできるわけがない。
ふっわふわ……しあわせ…………。

「おーい。」
「んー」
「……おーい。」
「んもう。何ですか銀さん。あたしの癒しタイムを邪魔しないでください。」
「俺は?俺が居るでしょうが。」

何度も気怠げな声があたしを呼ぶので、しょうがなく定春から身体を離して正面を向く。へらへら笑う死んだ魚の目と目が合った。

「なァ名前。お前いつの間にそれ置いてたの?」

相変わらず、寝起きだと余計に目が死んでいるよなぁ、とぼんやり思いながら見つめていれば、死んだ魚の目が、可笑しな質問をしてきた。

「え?何ですか?どれですか?ボケてんですか?」
「いやいやいや、ボケてんのは君でしょーが。昨日の夜のこと、やっぱ覚えてねーのな。」
「え?なんの……」
「銀さんンンン!!ちょ、何言い出すんですか!名前さん、銀さんなんかに耳傾ける必要無いですからね!!忘れてるままでいいですからね!!つーか、むしろ忘れててくださいィィィ!!」
「何、新八。どうしてそんなに慌ててるの?つーか、煩い。」
「名前ー。昨日、帰って来てからのこと本当に覚えてないアルか?」

冷や汗すら流しながら急に慌て始めた新八を不審に思いながらも、神楽に昨日の夜のことを聞かれて、とりあえず思い返してみる。
昨日は高杉に建物の屋上から放られて死ぬところだったのを、真選組の人たちと銀さんに助けられて、それから、銀さんに横抱きにされた。今、あたしがここに居るということは、そのまま連れて来られたということだろう。銀さんに抱えられた後の記憶が無いので、「ううん。」と首を横に振った。

「昨日、たまたまぱっつぁんも泊まりの日だったから、二人で銀ちゃんの帰り待ってたアルヨ。でも全然帰って来なくて、待ちくたびれてたネ。そしたらもう半分寝かけてたところに銀ちゃんが名前連れて帰って来て……」
「そうしたら、お前がいきなり『着替えたい』って言い出して……」

あたしは自分の身なりを確認した。
パジャマだ。寝巻きという表現の方がそれっぽいだろうか。上下に別れたネイビーのこの間セールで安くなってたのを買ったやつ。もしもの時の為に万事屋に置いてたんだ。

「あ、これ?こないだセールしてて買っ……て、どうしてあたし着替えてるんですか?まっ、まさか銀さんがっ!?」
「いや、俺はそんなことしねーよ。俺は脱がす専門だから。」
「銀ちゃんキモイアル。」

神楽の辛辣な秒速ツッコミにも負けずに銀さんが続ける。

「いや、脱がしてねーって!名前が自分で脱ぎ出したの。マジで覚えてねェの?」
「マジで一ミリも記憶にございません。」
「いやーアレはヤバかったな。止める間も無く紐しゅるしゅる解き出して、あっという間に襦袢だけになって、『確かここにパジャマ置いてて……』とか言って箪笥の中漁り始めたところで、新八が鼻血垂らしたんだっけ?」
「だァァァァ!!!!ヤメろ!!!!マジでヤメろ!!!!」

銀さんの本当か嘘か解らない話を真剣に聞いていたら、また新八が騒ぎ始めた。そんなに必死に止めに入るってことは、本当なのか?
ていうか、鼻血?なんで?いきなり?
銀さんに掴みかかっている新八を見ると、まるで蛸のように顔を真っ赤にさせていて、あたしはそんな彼を初めて見たものだから何だか新鮮だった。
いや、でも、あたしの襦袢姿で鼻血って……。

「眼鏡キモイアル。」

あたしの心の代弁をするように、辛辣な言葉がまた矢の如く放たれたので、さすがだなと、神楽の方に視線を移せば、炊飯器を抱えてそのまま胃の中に白米を流し込んでいるところだった。食べる、というよりは、飲む、という表現が合う。いや、彼女の場合は比喩では無く本当に噛まずに飲み込んでいるのだけれど。
そんな彼女に、心をズタズタにされた新八は、ソファにめり込むくらい見るからにへこんでいて、それにはちっとも興味が無さそうな銀さんは、一心にご飯を貪っている。

ああ。帰ってきたんだ。
じわり、とまた実感する。暖かい空間。気怠い雰囲気。ずっとずっと昔から、ここに住んでいたみたいに、居心地の良すぎる場所。

「ふはっ。まあでも、白壁荘には負けるかなぁ。」

呟くように漏らすと、銀さんが目ざとく突っかかってくる。
「なにが?」
それもやっぱり心地良くて、また笑えば、子どもたち二人の笑いの連鎖が生まれた。

「あははっ。お腹苦しいっ!もうっ!みんな、ただいま!」

「何なんだよてめーら揃って笑いやがって。気色わりぃな。つーか、みんなただいま、って何ソレ流行ってんの!?おかえり!!これで満足かコノヤロー」





2018.8.30

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