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死ぬということは、何と強大で恐ろしいことか。何もかも無になるのか、今までの自分はどこに逝くのか。解らないから恐ろしい。恐ろしくて堪らない。

────いや。
死ぬということは、本当に恐ろしいのか。
人は生まれた瞬間から、死に向かっているという。生きた時から死に向かっていたのだから、死など怖くないのではないか。私たちは死ぬために生きているのではないか。

────ああ。
落ちる。堕ちてゆく。
深く暗い沼の底。
あたし、死んだんだっけ。

聞こえる。何か、誰かの声。
呼ばれている。
あたし、死にたかったんだっけ。

胸騒ぎがする。
心を落ち着かせろ。耳を澄ませ。手を伸ばせ。
目を開けろ─────


死より怖いことなんかいっぱいある



「…………なに諦めた面してんだァァァァァアアアアア!!!!」

今まで息を止めていたのに、急に空気が押し寄せる。大袈裟に言えば、あたしの身体から離れていた魂が戻ってきた、とは言い過ぎだろうか。でも、本当に魂が離れていたような変な感覚。
耳を澄ませば、銀さんの声。
手を伸ばせば、銀さんの腕。
目を開ければ、銀さんの髪。
銀さんのすべてが、あたしを落ち着かせてくれる。
夜の暗闇の中、銀色の天然パーマは、天然パーマかなんなのかよく分からないくらいに、急速な速度であたしたちは落ちていた。
でも、怖くない。
不思議と怖くなかった。
あたしは死なない。
死ぬために生きてるんじゃない。

あたしは、あたしの為に生きてるの。


「銀さん、銀さんっ!」
「名前。ぜってー離すんじゃねェぞ。」

建物の屋上から突き落とされたあたしを追いかけて、向こうの建物から自ら飛び降りてきたのは、あたしのヒーロー。
紛れも無く銀さんだ。
銀さんの着物をぎゅっと握ったら、その人もあたしの身体をぎゅっと抱き締めてくれた。

「銀さん、天パーがストパーになってますよ!」
「バカヤロー。これで治るんだったら……俺ァ一生、天パーで結構だコノヤロー!!!!」

地面に近づいてゆく感覚がする。
ああ、でも、このまま銀さんの腕の中で落ちるのも悪くないかもしれない。
そんな馬鹿なことを思っているとは、この人は想像もしないだろうな。そう思ったら、急に可笑しくなってしまって、銀さんの胸に顔を埋めた。
銀さんの腕の力がさらに強くなって、息ができない。けれど、それすらも、生きている感覚がして、嬉しくて、可笑しくて、悲しくて、なんだか泣きそうになっ───


ボフッ。

───あり?



「おーい、雌ブタァ!!!生きてやすかィ!!」


瞬時に涙が引っ込んだ。
あたし、生きてる。
銀さんも生きてる。
地面とあたしたちの間には、ふかふかの大きいクッションのようなものが存在していて、遥か頭上からは総悟の声が降ってくる。
周りをくるくる見渡してみると、真選組らしき人たちがバタバタしているのが見えた。どうやら真選組に助けられたようだ。
総悟も心配してくれているみたいだし、どさくさで雌ブタと呼んだことも許してやるか。

「大丈夫ー!!!生きてるよー!!!」
暗いし遠いし、姿は見えないけれど、上を見上げて総悟が居るだろう辺りに見当をつける。腹の中から思いっきり声を上げると、暗闇の中にあたしの声が溶けていった。

「死んでたら承知しねェぞー、お前まだ俺にお礼してねェだろィ!!」

ああ、そっか。クソ沖田ってこういう奴だった。そうだった。忘れてた。前言撤回。雌ブタ発言は、やっぱり許してやらない。
「チンピラ警察が。また逃してんじゃねェよ。」

今度は近くから声が聞こえて、目線を地上に戻すと、銀さんが高杉たちを取り逃がした彼らに対して愚痴を溢していた。
改めて見た銀さんが此方を向く。目が合って、何故かすぐに逸らされた。
もしかしたら、昨日の夜のことだろうか。もしかしなくても、きっと昨日の夜、あの、アレ、ちょっと気まずい空気になってしまったことだ。

“無かったことに”なんて、絶対にできないのは解っているし、
“無かったことにしたい”と思われててもそれはそれで哀しい。
でも、銀さんが何も無かったような顔で、またあたしの前に現れようが、そうでなかろうが、銀さんはいつだってあたしを助けるために来てくれる。
なら、あたしはあたしで、何も無かったような顔で居よう。
「銀さん。ありがとう。」

上手く笑えているだろうか。
驚いた顔で見つめられたまま、しばらく沈黙が続く。

「……最近、敬語抜けてきたよな。」
「え。…………そ、そんなことですか?」
「いや、いいよ。俺だけ敬語ってなんか違和感あったんだよね。ほら、神楽も新八もタメ語じゃん。銀さん嬉しいわ。拾ってきた捨て猫が初めて手に乗せた餌を食べてくれた、みたいな。」
「はあ。捨て猫……」

少し納得がいかなかったけれど、銀さんのほっとした表情を見たら、何だかどうでもよくなってしまった。何も無かったことに、なんてできないけれど、しばらくは何も無かったような顔で、銀さんのそばに居れればいい。

「そんなことより、怪我してねェか?」
「は、……うん。大丈夫です。」

“はい”と思わず言ってしまいそうになった口を閉じて、“うん”と答えれば、銀さんは満足気に口角を上げて立ち上がる。それから、片腕を此方に伸ばした。あたしを起こしてくれるらしい。躊躇うことなくその手を取り、引っ張り起こして貰った。そこまでは良かったのだけれど、その流れで、銀さんの腕がするりとあたしの膝裏に廻って、驚いている間も無く、そのまま横抱きに抱き上げられてしまった。

「ぅえ!!?ちょっ、何やってるんですか!?」
「ナニって……お姫様抱っこ?」
「わあああ、ああ、それは、その、解りますけど……!ちょっと、銀さ、きゃっ!」

触れ合う身体の熱と、匂いと、真選組の人たちに見られている恥ずかしさで、頭が可笑しくなりそうだった。
有無を言わせない銀さんの言動に微塵も逆らえず、あたしは成されるがまま。
あたしを抱えながら、銀さんはクッションの上から地面に器用に降り立った。
クッションの上から降ろす為に、抱き上げてくれたんだ、とそう思った。でも、どうやら違ったみたいで、その後も銀さんはあたしを降ろす素振りを見せず、疑心の目で彼の顔色を窺うけれど、これっぽっちも痛くないというような顔をしていた。

「ギャアギャアギャアギャア煩ぇなァ。黙ってろ。」

あたしには目もくれず、まっすぐ前を見つめて、そんな横顔がとても綺麗で見惚れた。
見惚れている内にも歩みを止めない銀さんは、一体どこに向かって歩いているんだろう。一体どこで降ろしてくれるんだろう。
どこまでこの体勢のままでいればいいのか、訊ねようにも何だか躊躇われて、あたしは口を噤んでしばらく黙っていた。銀さんが歩く度に伝わる振動と、息遣い。夜の風が頬を掠めた。


「……帰ェるぞ。」

突然、ぽとり、と落ちる雫のように呟く声が聞こえた。
短い言葉とぶっきらぼうな言い方で、でもそれがとても銀さんらしくて。
どこに帰るか、なんて、あたしが住む白壁荘で無いことくらいすぐに解った。
今の一瞬に、どれほどの意味が含まれているのかを想像すると、あたしの胸はそれだけで満たされてしまう。

「銀さん。あたし、ずっと、」
「何も言うんじゃねーよ。黙ってろって言ったろ。」

ずっと、万事屋に帰りたかった。

胸の内に秘めた言葉は、悔しいけれど、きっとこの人にはもう伝わっている。





2018.7.4

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