08

女子の連絡先ゲットしたからって調子乗んじゃねェ


「二人とも瞳孔開いてんぞ。」

俺がそう言うと、漸く総悟と名前は腕の力を抜いた。総悟のやつは、邪魔が入って少し怒ったような表情をしていた。確か、小さく舌打ちでもしてやがったか。まあ、あの野郎に関してはどうでもいい。いや、上司としてはどうでも良くはないが……。
それよりも、名前の方だ。
腕の力は抜けても、強張った手は竹刀に張り付いたままだった。えらく額に冷や汗を浮かべていて、目も泳いでいた。いつものアイツからは想像もできねェ。名前じゃねェような気さえした。誰か他人がコイツの身体を乗っ取って、棲みついてるような。そんな不気味さを覚えたのを今でも思い出せる。俺が名前の指の一本一本をゆっくり剥がしてやると、漸く竹刀が、道場の床に鈍い音を立てて転がり落ちた。




すぐに近藤さんと、名前を一日休ませることに決めた。と、言っても、罪悪感やら気まずさから、もう二度と戻って来ねーんじゃねェか、と、危惧していたのだが、それは杞憂に終わった。今、アイツは俺の目線の先で、拍子抜けしちまうくらいに、綺麗に笑っている。しかも、大勢の隊士たちに囲まれて。
他人のように見えたアレは何だったんだ。まさか、アレが本当に他人で、今俺の目に映ってるアイツが一昨日とは別人なんてこたァないよな。ないない。そんな心霊じみた話は俺ァ信じねェんだ。
ていうか、あの野郎どもは、何群がってやがんだ?どいつもこいつも、へらへら、にやにや、しやがって。
「名前ちゃん、俺にも携帯番号教えてよ〜」だと?気色悪ィ。
休憩中だからっていい加減にしねェと、士道不覚悟で切腹させるぞコラ。

そういや、聞くところによると、名前は昨日の夜中には帰ってきていたらしい。昨日丸一日休みを与えて、加えて、今日の朝も担当の仕事が無ェのに、だ。責任感か?人一倍責任感はあるヤツだと思ってはいたが。確かに此処に戻ってきたことは、それで説明はつく。だが解せねェのは、あの吹っ切れたような顔だ。一昨日、あんなことがあって、迷惑をかけてしまった、と、意気消沈していたあの顔が。たった一日で吹っ切れるもんなのか?名前がよっぽどの馬鹿か、休みの間によっぽどの馬鹿に嗜められたとしか思えねェよ。だとしたら、後者であってくれ、と願うと同時に、そのよっぽどの馬鹿は、俺の知ってる白髪侍しか思い浮かばなくて、心底胸糞悪ィ。

「オラオラ、てめーら、全員切腹だァ!もう休憩時間はとっくに終わってんだよ!さっさと仕事に戻れ!」
俺が近づいていって、隊士たちにそう声を掛ければ、散り散りに野郎どもが捌けていく。

一人残された名前は、目を丸くして俺を見つめた。それから、控えめに、だが、にっこり微笑んで俺に朝の挨拶をした。携帯番号を本当に教えていたのか、片手に小さな携帯を握っていた。

「俺にも教えろ。」

言っておくが、決して卑しい意味は無い。知っておいた方が、業務の連絡などに便利だと思ったからだ。最初は何のことかと、きょとんとしてやがったが、名前はすぐに合点がいったようで、手に持つ携帯に目を移した。差し出された携帯を開くと数字の列が並んでいた。

「これに掛けて、コールが鳴ったらすぐ切ってください。あたしも、登録しておきます。」

言われた通りに、携帯を操作して、無事に番号を交換した。
名前は、返された携帯を懐に大事そうにしまうと、また俺に向き直って、携帯を購入した経緯や、最近になって漸く、操作方法を理解しつつあることを話し始めた。何やら、総悟のヤローに無理矢理買わされたとか、総悟の連絡先が“総悟様”で登録されていたけど、ついこないだ名前の変更方法が分かって、“バカ総悟”に変更できたとか、そういった旨をつらつらと喋る様を見ていると、年頃の何処にでも居る女にしか見えない。

「土方さん?聞いてます?」

どう考えてもコイツが一昨日のアイツには見えねェんだが……
剣を握ると人格が変わるとか、そういう可能性もあるし……
うん、そうだな。多分それだ。間違いなくそれだ。

「ひーじかーたさーん。どうしたんですか、さっきから。」
「アァ?」
「アァ?じゃないですよ。全然人の話聞いてませんでしたよね?いや、別にあたしの話なんか興味ないでしょう。そうでしょう。鬼の副長が、一女中の他愛もない無駄話を聞いておられるお暇なんかありゃしませんものね。」
「お前、なんか怒ってる……?」

「いえ、怒ってないですよ。怒られるべきは、一昨日のあたしの行動です。……あの、本当に、大変失礼いたしました。」

ああ。確かに一昨日のアレは、目の前のこの女で間違いなかったんだ、とホッとしたような、そうであって欲しくなかったような、複雑な気持ちになる。

「……別に、俺と近藤さんは、そんなに怒ってるわけじゃねェよ。どうせ、総悟がけしかけたんだろうって察しはついてるし。ただ……」
「驚きました?よね?」
「いつものお前からは、かけ離れすぎてたからな。」

俺が本音を吐露すると、名前は困ったように笑った。
それから、剣道場の師範代である父の教えを乞い、幼い頃から剣を嗜んでいたこと。その昔、天人に父を殺され、感情的に天人を斬ってしまって以来、剣を握るのが怖くなってしまったということを、つらつらと話してくれた。
竹刀の握り方、構え方からして、習っていたのはまず間違いねェ。
しかも、俺の記憶が正しければ、総悟の剣を受け止めて押し返そうとしていた。総悟と一太刀交えることすら敵わねェ野郎共も居るってェのに。実は相当な腕を持っているんじゃねェのか。ニコニコと誰にでも愛想を振りまく、何処にでもいるような女が、まさか剣も振れるとは誰も想像しねェだろう。人間、見た目じゃねェな。

まあ、それはともかく、剣を握ることと関連して、父親の死を思い出すのだとしたら、一昨日のあの動揺ぶりにも納得がいく。

「辛いことを話させちまって悪ィな。」

「いえ!あたしが勝手に話したんですから、土方さんは謝らないでください。」

名前は、少し驚いた顔で手を左右に振ってみせた。それから、人懐こい笑みを浮かべて続ける。
「あたし、昼から買い出し担当なので、そろそろ準備に向かいますね。」

軽くお辞儀をしてパタパタと駆けて行った。
俺はその後ろ姿を見えなくなるまで眺めていたが、ふと、背後に気配を感じた。
バッと振り返ると、案の定そこには総悟の野郎が。しかも、バズーカを構えて。
……いやいやいやいや。おかしいだろ。何バズーカって。いや、いつものことだけど?なんなら見慣れた光景だけど?何もしてねェのに、いきなりバズーカ向けてるって馬鹿じゃねェの?しかも、ここ何処だと思ってんの?

「オイ、解ってんだろうな?テメェは、当分謹慎だ。バカ総悟。」

「俺のことを馬鹿って呼んでいいのはアイツだけでィ。死ね、土方ァァ!!」
「オイ待て!!こんな所で撃つんじゃねェ!!落ち着け総悟。謹慎ってこたァ、サボり放題ってことだ。言わばテメェの天国みてェなもんだろ?そんな処遇を与えてやってる俺に向かって、おま、そりゃねェだろ!」
「それを決めたのは近藤さんでィ。さっき聞きやした。嘘吐いてんじゃねーや!二度死ね土方ァ!!」

ああ、ダメだ。このままじゃマジで殺られる。いや、それどころじゃねェ。こんな所でバズーカなんか放たれてもみろ。屯所が粉々だ。
誰かッ、誰かこの馬鹿を止めれる奴ァいねェのか。


「何してんの、バカ総悟!!」


ああ。居た。
今にも引き金を引きかねない総悟に向かって、“バカ”と呼べるのは、確かにアイツだけかもしれねェ。


「こんな所でそんな物騒なもの振り回してんじゃないの。今すぐ降ろしなさい。……あたしが引き取ります。土方さんはお仕事に戻ってください。」

名前には、恐怖心ってもんがねェのか。
いや、はたまたよっぽどの馬鹿はコイツなんじゃねェのか、と、俺は内心で苦笑いを携える。

「悪ィな、名前。この借りは必ず返す。」
「え、いいですよ。いやあ!でも土方さんがそう言うなら。んーじゃあ……高級寿司で!」

遠慮のねェ言葉と、人懐こい笑顔と、総悟を宥める手際の良さ。
これは、名前の今後の女中ぶりに、期待せずにはいられねェな。






2022.08.28

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