急な運動場の修繕のため演習が延期になった爆豪は、なまえにメッセージを送った。
以前電話をした時アルバイトがないと言っていたのを覚えていた。

『バイト先に遊びに来てる。そっちに向かうよ』と返事がきたが、こちらが迎えに行く旨を告げ、スマートフォンをズボンのポケットに仕舞った。



『じゃあ外で待っておくから、着く時間わかったら連絡ください』と言うなまえには返信せず、爆豪は店の前まで来ていた。
中に入ろうとしたその時、店のドアが開いた。初老の男性が中から出てきた。
ポスターのようなものを抱えた男性は爆豪に気付くと「お!おつかれ」と微笑んだ。爆豪は小さく挨拶と会釈を返した。

アルバイト終わりのなまえを何度か迎えに行ったことがある。その時にたまに顔を合わせるこの人が「今もたくさんお世話になってる」店長だと知っていたが、まともに話したことはなかった。

「…おいで。なまえちゃん、今日はバイトじゃないから」

ふっと笑ったその人は開けたドアを手で押さえ、爆豪を中に誘う。声を掛けられると思っていなかった爆豪は少し驚きつつ、誘われるまま店内に入った。試し弾きをする音が聴こえる。
扉を閉めた男性が「こっちだよ」と爆豪の横を追い抜く。
その背中について楽器の間をすり抜けていくと、店の奥の地下へ向かう階段を指差された。

「そっと入ったら気付かないから」

悪戯っぽい目線に沈黙していると、「今日はライブないし好きなだけ居ていいよ」との言葉が続いた。
男性はポスターを持った左手を軽く上げ、店外へ出て行った。


階段に向き直った爆豪は、ステッカーやポスターが乱雑に貼られた階段を降りて行く。電気が点いておらず全面真っ黒な階段は、まるで奈落へ続いているようだった。

簡単なバーカウンターやロッカーのある踊り場のような所に降りると、視線の先に重そうな臙脂色のカーテンがあった。隙間から大きなレバーハンドルが見える。
そこへ近づいた爆豪はカーテンの間に身体を入れ、ハンドルを掴んだ。その重みに自然とゆっくりドアを押し開くと、隙間から青白い光が漏れ出た。弦の音と歌声も微かに聴こえてくる。


半身を出して中を窺うと、階段同様一面真っ黒のライブハウスは点々と明るいライトに照らされていた。その壁寄り、ステージに向かい合うようにして椅子に座るなまえの姿があった。


何かに合わせるようにアコースティックギターを爪弾き歌う背中に、爆豪は微かに目を見開いた。

母親がプロを目指していた、ギターを教えてもらっていた、とは聞いていた。母親の影響で音楽が好きになったと言うなまえはよく音楽を聴いていたし、そんな彼女のことが知りたくていつも爆豪が切り出すのは音楽の話題ばかりだった。

だが、実際に弾いて歌う姿は初めて見た。
表情は見えないが、いつもの穏やかな雰囲気とは違う空気を纏うなまえの後ろ姿を見つめる。確かめるように弾く弦の音は強すぎず弱すぎず、リズムもきっちり一定だった。空気を含ませて届くその声は耳に心地良く、普段のなまえのトーンより少し低い。たまにくる高音は柔らかだった。どこか控えめな声量にもっと声を出せば良いのに、と思う。

中に身体を滑り込ませ音を立てないよう扉を閉めた爆豪は、壁に背中を預けなまえを見守った。



音が止んだ。
キュイ、と弦を掠る音が鳴り、なまえはネックとボディから手を離した。右耳にイヤフォンをしていたようで、その線を取り頭を振った。髪を耳にかける仕草をする。
譜面台に置いたスマートフォンを操作し椅子から立ち上がった姿に、爆豪は壁から背を離しなまえに近づく。

「……えっ!?」
「よぉ」

足音に気付いて勢いよく振り返ったなまえは、これでもかと言うほど目を見開き爆豪を見つめた。みるみる頬が朱に染まっていき、瞳に青が差した。
なまえが抱えるアコースティックギターには年季が入っていた。

「い、いつからいたの…?」
「5分くらい前。入れてもらった」
「こ、声かけてよ…!着く時間、連絡してって言ったのに…」

そう零しながら赤い顔を扇ぐなまえは無視し、「それ、誰の歌だ」とイヤフォンとスマートフォンに目線をやる。

「…、お母さん。耳コピしてた」

その言葉に無言でいると、「…聴く?すごい音悪いけど」と未だ青い瞳のなまえにイヤフォンを差し出された。鞄を床に下ろし、渡されたイヤフォンを右耳にだけ差し込む。
なまえが再生ボタンをタップすると、ザー、と空気の音が流れてきた。そのうち話し声や軽いハウリング、チューニングの音が薄い膜を張ったような向こう側から聴こえてきた。

「店長がライブ音源残してくれてて、この前もらったの」
「…」

数秒後、エレキギターの音が鳴った。騒めきが止む。
ドラムとベースも加わった前奏の後、女性の歌う声が響いた。力強く広がるような歌い方は先ほどのなまえとは正反対だったが、ハスキー混じりの落ち着いたトーンには親子を感じた。

写真ではわからない、初めて聴くなまえの親の生きている様子に静かに耳を傾けていた。




一曲が終わり、イヤフォンを返した。

「…もっと声張れや。全然ちげぇ」
「だから、耳コピしてたんだって。思いっきり歌ったら聴こえないよ」

眉尻を下げて笑うなまえに、爆豪はステージに視線を移した。少し沈黙した後、おもむろにブレザーを脱ぐと鞄の上に置いた。
袖を捲りながらそのままステージに上がり、ドラムセットに近付く。位置と高さを軽く直してから座り、スネアドラムに置かれたスティックを手に取る。くるり、と一回ししてスネアを叩く。

きょとん、とした顔でこちらを見るなまえに向き直り「もうできんだろ」と言うと、意味を察したのか、身体の前で大きく両手を振った。

「というか、爆豪くんドラムできるの!?」
「ア?言ってなかったか」

頭を左右に振るなまえに軽くリズムを叩いてみせると、「すごい…!」と呟いた。

「ほんと、なんでも出来るね」
「いいから。はよしろ」
「む、無理だよ…!まだ完璧に覚えてないし」
「そこはアドリブ効かせろや。流れでわかんだろ」
「爆豪くんは今のでわかったの?」
「だいたいな。…グダグダなげぇ」

一向に始める気配のないなまえに痺れを切らした爆豪はバスドラを踏む。
肩を揺らしこちらを見上げるなまえを視界の端に感じながら、スネア、タムタム、ハイハットとどんどんリズムを進めていく。
軽くクラッシュを叩いた時、なまえを真っ直ぐ射抜くように見つめた。


ぐ、と力が入ったようなブルーグレーにニヤリと笑う。


ギターを抱え直したなまえは、頭の中を辿るように視線を泳がせた。
次第に始まった旋律に心持ち音を下げる。次いで聴こえ出した控えめな声に耳を傾けた。

──だから、声が小せえっつってんだろ。

見慣れない向きのギターを器用に弾きながら歌う姿に、思わず口角が上がった。
リズムを取るふりをして顔を伏せた爆豪に気付くことはなく、なまえは歌い続けた。




その後他に出来る曲を尋ねるも「こ、これで終わり…!」と赤面するなまえに若干不機嫌になりながら、爆豪はドラムセットから離れた。

一人で弾くばかりだったと言うなまえはステージから降りる爆豪に目を輝かせた。

「人と合わせる勇気なかったけど、気持ちいいね」
「ヘタクソだったらイライラするだけだけどな」
「……」
「誰がテメェだっつったよ」

ブレザーを手に取りなまえを見やると、嬉しそうな俯き加減の顔が見えた。
顔を逸らしながらブレザーを羽織ると、その様子になまえもギターや譜面台を片付け始めた。

壁に向かい、立て掛けてあったエレキギターを手に取るなまえを見ていると、「…これ、さっきお母さんが弾いてたやつ。アコギもお母さんのなの」と返ってきた。
2本ともギターケースに仕舞ったなまえはケースを抱え、バックステージ裏に消えて行った。



階段を登ると、レジ横にいた男性が「あれ、もういいの?」となまえに笑いかけた。
むくれながら小さく抗議するなまえをあしらったその人は、爆豪の方に顔を向けた。
「ドラム上手いじゃん。また遊びにおいでよ」と言う声に口を開きかけたが、「ちょ、聞いてたんですか!?」と声を上げたなまえに奪われてしまった。




店を出た2人は家路に着く。

「恥ずかしかったけど、でも楽しかった。爆豪くんのドラム聴けたし」
「もう終わりっつってたじゃねーかよ」
「それは。…ちゃんと練習してからがいいなって、思って」
「…そーかよ」

次を匂わせる言葉に満足した爆豪はなまえの右手を奪う。
指を絡ませるとごく僅かに握り返してくる細い指の感覚に、先ほどの音が耳に蘇った。




もっとその声を聴かせて欲しくて、久々に練習するか、と柄にもないことを考えた。






ただ、きみのことが知りたいだけ





初音




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