自室に入った爆豪はスクールバッグを投げると、軽く息を吐いた。
ガシガシと頭を掻いた後、制服を脱ぎはじめた。


なまえが鈍すぎる。
最初こそなまえからの反応の無さに苛立っていた爆豪も、最近はその気力すら失っていた。

卒業式で声をかけた時点でばれているだろうと覚悟していたし、その後頻繁に会いに行っていれば十分気付いているだろうと思っていた。
勿論すぐ打ち明けるつもりはなかった。そこそこ話す程度では断られることはわかっていたから、爆豪の気持ちに気付いたなまえがこちらを意識しだしてから行動を起こそうと算段を立てていた。
こんなまどろっこしいことをしている自分に嫌気が差すこともあったが、確実に手に入れるためにはそうするしかないと思った。

ところが、なまえからそれらしい反応が一切ない。

最初はかなり警戒された。目が合ったとしても怯えた表情を向けられるばかりだった。
多少の不満はあったが、年単位で話していないうえ自分が周りからどう思われているか知っているから、ある種正常な反応かと気には留めていなかった。
会ううちにその反応も薄くなっていったが、今度はこの状況を「普通に」受け入れてしまったような、本当に「爆豪が勉強しに来ている」と思っているような態度に変わってしまった。


アホかよ、と毒吐かずにはいられなかった。
しばらく話していなかった異性から突然連絡先を聞かれて、急に会いに来るようになって、なぜ恋慕的な意味合いを疑わないのか。

恋愛対象として「ない」から、それとなく伝えているのかもしれない。
爆豪にしては珍しく弱気な思考も過ぎったが、そういう作為的なものは彼女から感じ取れなかったし、少し匂わせる発言をしても本気で気付いていないようにしか見えなかった。


部屋着に着替えた爆豪は、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

あまりの進展の無さに痺れが切れそうになったことは何度もある。でも断られたら元も子もないと、その度になんとか耐えていた。
ただこのままでも何も変わらない。どうにかして気付かせたい。

────マジでねぇわ。引く。

たった一人のことを考え思い悩む自分が信じられないし、そんな自分への嫌悪がなくなったわけでもなかった。

眉を顰めた爆豪は左腕で瞼を隠した。右手の中で数発、軽い火花が散った。


/////


この日も図書館で勉強していたなまえの隣に座った爆豪は自身の課題を片付けていた。お陰様で勉強だけは順調だった。

爆豪は視線を横にやった。
シャーペンで軽くノートを叩きながら問題を見つめるその姿は困っている様子だった。かれこれ10分はそのままな気がする。なまえの手元に視線を落とすと、数学の文章問題があった。
教科書を手に取りページを捲る横顔に視線を戻す。集中しているのか、爆豪の視線に気付く気配はない。

なまえが落ちていた横髪を右耳にかけた。予想した通りの困った横顔が現れ、爆豪は微かに目を細めた。

無言で問題を手元に寄せると、弾かれたように顔を上げたなまえが爆豪を見た。その視線は無視して問題文を目で追う。
次いでなまえのルーズリーフを1枚取り数式を書いていく。シャーペンを走らせている間、なまえの視線を左半身に感じた。

シャーペンを置いた爆豪は無言でルーズリーフをなまえに差し出す。
おずおずと受け取ったなまえは視線を手中に落とした。文字を追って動く瞼が次第に見開かれていく。
顔が晴れたような雰囲気に爆豪は手元に顔を戻し、自分の課題に目を向けた。


机を音もなく叩く人差し指が視界に入ってきた。
顔を左に向けると、こちらを向くなまえの口が動いた。

『ありがとう』

そう言った口許が弧を描いた後、なまえは顔を戻し手元の文字と向き合い始めた。
少し遅れてから、爆豪も手元に顔を戻した。




それ以降、なまえの手が止まると自然と助けるようになった。
そのたびに口パクで感謝を伝えてくるなまえは律儀だと思ったし、爆豪自身この無言のやりとりが満更でもなかった。時折筆談も交えたりもして、なんだか秘密めいたものを感じていた。


「…あの、今日もありがとう」
「あ?」

なまえの髪の表面を夕陽が滑っていく。

「課題。多分当てられるから助かった」
「そーかよ」
「爆豪くんって、ほんと頭良いよね。いつも助けてもらってばっかりで申し訳ないけど」

眉を下げるなまえを見て、少なくとも彼女より勉強が出来て良かったと思う。
雄英の授業のペースで勉強していれば彼女に追いつかれることはなさそうだが、それでもたまに難しい課題を解いている様子にうかうかしてられねぇな、と思った。

「爆豪くんのこと、誤解してた、かも」

呟くように落とされた言葉に視線を左にやると、こちらの様子を窺うなまえと目が合った。

「……怖い人、だと思ってた。中学に上がってからは特に。その…………、ごめんね」
「ハァ?んだよそれ」
「最初、態度悪かったかも…って」
「……いちいち謝ることじゃねェだろ」
「いや、………まあ、そうかもなんだけど」


「わたしも、爆豪くんに誤解されたくないな、って思って」


その言葉と少し表情の変わった瞳に目が逸らせないでいると、何かを勘違いしたのか、なまえは慌てたように謝罪を重ねた。
「無意味に謝んな」と言葉を投げると困ったように唇を曲げ、「ごめん、変なこと言ったね」と俯いた。そんな彼女に心の中で溜息を吐いた。


────そこじゃねェわ。

一番解いて欲しい誤解はまだまだ解けそうにない。それでも少しは進展したかもしれない予感に、爆豪は微かに口角を上げた。


まどろっこしくて、苛立ちすら越えて、それでも気付く素振りは未だなくて。
早く気付け、こっちを向け、と心の中で呟いた。






絶対、その気にさせるから





鵲瑞




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