「…あー、そういうことか」
「やっとわかった。なまえちゃん天才!」
「いやいや。わたしも全然わかんなくて、先週先生に聞いたとこだったから」

学年末試験期間中の午後、なまえは友人2人とテスト勉強をしていた。
今日の試験が終わり一緒に下校しようと誘う友人達に「先生に質問したいし居残りする」と断ると、そのまま勉強会をする流れとなったのだ。
試験は午前のみで部活動もないからか、教室には3人以外の姿はなかった。

「これで明日の数IIはなんとかなりそう…!」
「ありがとなまえ」
「ううん、全然」

解法を書いたルーズリーフを揃えていると、伸びをしていた友人が「そろそろ帰ろっか」と声を上げた。教室前方の掛け時計を見ると、昼を挟んで4時間が経過しようとしていた。
そのまま顔を窓の方へ向けると、雲が覆う空の向こうにオレンジ色の気配が微かにあった。少し日が長くなったとはいえまだ冬、日暮れは早かった。

「そういえば、最近彼氏さんとは会ってるの?」

立ち上がったなまえを見上げる友人の言葉に首を振ると、「やっぱヒーローインターンって忙しいんだあ」と、もう1人の友人が気遣わしげな表情を返してきた。

「さみしいね」
「まあ…。けど、電話はしてくれるから」

あのエンデヴァーの事務所でのインターンなどかなり大変だろうに、それでも爆豪は欠かさず電話をくれた。5分も話せず終わる時もあったが、それでも気にかけてくれているという事実がなまえの胸を温かくしていて、周りが慮るほどの寂しい思いはしていなかった。

外していた視線を戻すと2人の顔には笑みが浮かんでいて、その生温かいような視線の意味する所になまえは一気に赤面した。

「惚気だあ」
「き、聞いてきたのそっち…!」
「そうだよ?で、幸せそうななまえの顔見てよかったなーって思ったの」
「からかわないで……!」

反論するも2人の表情は変わらない。微かに睨み返した後、なまえは戸締りの確認をしようと窓の方へ向かった。

「ほんと、テレビで見た彼氏さんからは想像つかないわ」
「ね。あんな荒っぽくて怖そうなのに」

後ろの窓から順番に流し見ていく。最前の窓のクレセント錠が下がっているのを見つけたなまえはそこへ歩み寄った。

「なまえちゃんの彼氏さんが話すとこ見てみたかったなあ」
「仮免事件のあれ?」
「そー。全然話さないんだもん」
「エンデヴァーの息子ばっか話してたね」
「あーーー、轟くん!!イケメンだった…まさに眼福……」
「結局そこに落ち着くんじゃん」

友人2人の会話に苦笑いを浮かべながらクレセント錠を上げた。
爆豪のことだ。仏頂面のまま何も話さなかったのか、もしくは暴言を吐き続けてカットになったのか、そのどちらかなのだろう。不自然なくらい見切れていた金髪になまえが耐え切れず吹き出してしまったことは本人にも言っていない。


──……、すごかったな。

インタビューとセットで流れていた、爆豪がヴィランと対峙する映像が浮かぶ。
コスチューム姿は勿論ヴィランと闘う姿を見たことはなかったなまえにとって、たった数秒の戦闘シーンは衝撃的なものだった。
中学を卒業して一年も経たないうちにあんなふうに動けるようになるのかと驚いた。爆豪から話には聞いてはいたが、実際に目にして改めて圧倒された。

そしてそれと同時に恐怖も感じた。

ヒーローが闘う姿はネットやニュースで何度も目にしているのに、いざそれが知っている人となるとその危険が本当なのだと、胸が騒ついてたまらなかった。
父が闘っている姿も見たことはなかった。一介のサイドキックで無名だったらしい父の映像など何処にも残っておらず、「チャチャっと一般人避難さして、後はあの人に任せるんが今の俺の仕事」と笑っていた通り、群衆の前で表立って闘うことはあまりなかったようだった。実家や親戚に見つかりたくなくて目立つことを避けていたのかもしれない。
だから、初めて目にする身近な存在の闘う姿はなまえに不安を与えた。日常生活の中で流れてくるヒーローの姿に強い、かっこいいと思うばかりでその危険さにあまり意識が向いていなかった。本当はあんなにも危険なのだと、そんな当たり前のことを今更ながらに理解した。

ああやって市民を庇いながら闘うなかで父は亡くなったのだろうか。そんな父が心配で、母も逃げ遅れたのだろうか。爆豪は大丈夫なのか。言わないだけで、電話の向こうの彼は毎日傷だらけなのではないか。
そんな思いが巡ってしまったのだ。


「なまえ?」

ハッとして振り返ると、こちらを見つめる2人がいた。机の上に広がっていた教科書やノートは既に仕舞ったようで、マフラーや手袋の準備も終わっていた。
リュックを膝に抱えてスマートフォンを弄っていた友人が微かに首を傾げた。

「どうかした?」
「ごめん、ぼーっとしてた」

窓から離れ2人の側まで来たなまえは隣の机に置いていたストールを首に巻き、スクールバッグを肩に掛けた。

「明後日テスト終わったら速攻カラオケいこ!遊びたい〜〜!!」「なら残り2日頑張りなよ。赤点取ったらそれどころじゃないでしょ」と会話しながら立ち上がる2人と共に前扉に向かう。
教室の電気を消した後、なまえは静かな教室を後にした。


/////


インターン中、爆豪が市街パトロールをしているとエンデヴァーのスマートフォンが鳴った。
電話を受けたエンデヴァーは2、3受け応えをした後、「出動要請が入った」と振り返ることもなく赫灼で飛び立った。爆豪も緑谷、轟と共に赤く燃える背中を追いかけた。

ビルの屋上を伝うように飛び続け5分ほどした頃、突然炎を鎮めたエンデヴァーは重量に逆らうことなくビルとビルの間に吸い込まれていった。爆豪達も倣い、暗く狭い隙間に飛び込んだ。
着地した路地は埃っぽく翳っていて、曇りの日であってもその明るさの差にほんの微かに目が鈍った。
既に薄明るい通りに向かって進んでいた背中に小走りで追いつくと、その先の通りに事故処理車のようなバンが停まっていた。路地にぴったりと寄り沿うように開けられたスライドドアのそばには警察官が1人立っていた。

「ご協力感謝します」

警察官の一礼にエンデヴァーが軽く頷くや「とりあえず中へ。向かいながらお話しします」との言葉がかけられた。無言で車に乗り込むエンデヴァーに爆豪達も続く。
後部座席の前方にエンデヴァー、その後ろに轟と緑谷が座り、爆豪は通路を挟んで1人掛けの座席に腰を下ろした。
乗り込んだ車内では無線と思しき音声が控えめな音量で流れていた。

「わざわざ申し訳ございません」

運転席の男が振り返り謝罪をしたが、その顔はすぐ正面に戻った。エンジンは既にかけられていて、ドアを閉めた警察官が助手席に乗り込むや車を発進させた。

「俺に直接かけてくるなりの理由があるのだろう」
「個性の相性もあって、どうしてもエンデヴァーさんのお力をお借りしたく」

サイレンを鳴らし始めたバンは速度を上げ、減速し道路の両端に避ける一般車両の間を縫うように走っていく。
2回目の右折の後、バンは高速道路へ続く橋を登り始めた。爆豪は眉間に皺を寄せ、窓の向こうを流れるビル群を横目に見やった。

「何人だ」
「2人です。合成樹脂を放出する個性の男が壁を作り、大通りで立て篭もっています。熱可塑性があるのですが、あいにく炎熱系のヒーローが現地にいません。もう1人は瞬間的、部分的に筋肉を増強する個性持ちです」
「5人組のヴィラングループを追跡中、二手に分かれた内の片方です。他は別の班が対応しています」

ヒーロー仮免許の取得帰りに市街で応戦した日の情景が爆豪の脳裏に蘇る。大通り、野次馬が居たら面倒だな、とごく小さく舌打ちを零した。

「場所は?」
「二木町の駅から2kmほどです」
「…」

高速道路に入った時点で違和感は感じていたが、警察官が口にしたのは予想の通り、少し離れた町の名前だった。
そんなに距離があるならば飛んで行った方が早いだろうと思ったのは爆豪だけでなく他の3人もだったようで、そして警察官もその考えを察知したように言葉を続けた。

「あなたが飛んで行く姿を見て市民がフォローしないとも限らない。犯人を刺激せず、かつ即座に壁を壊したいのです」

助手席の警察官の言葉に爆豪が片眉を上げたと同時、エンデヴァーが落ち着いたトーンで尋ねた。

「人質でもいるのか」
「……我々の手落ちです」

眉根を寄せる運転席の男の表情がバックミラー越しに見えた。

「女性2名と幼児1名です。女性は高校生と、あと………恐らく、妊婦」

視界の右端で深緑の癖毛が揺れたのがわかる。

「姑息な手を使う」
「逃げる算段がお粗末というか考えていなかった様子なので、恐らくたまたまです。だとしても分が悪い」
「ヴィランが人質ごと立て篭もってはいますが…、今時点で危害は加えていないようです」

樹脂、壁、爆破の熱で壊せるのか、それともエンデヴァーや轟の炎でなければ溶けないのか、ヴィラン、2人、人質、3人。
与えられた情報を頭の中で巡らせていると、「現地の状況がわかるものはないか」とのエンデヴァーの声に助手席の警察官が動いた。

「現場から中継させます」

警察官がダッシュボードから線が繋がった端末を操作すると、後部座席前方に取り付けられたモニターが起動し映像が映し出された。
パトカー数台と大勢の警察官、その中に数名のヒーローがいる。それぞれが画面中央の四角い大きな箱のようなものを取り囲んでいた。磨りガラスほどではないが透明ではない壁を透かし見るように凝視すると、壁から離れ中央に立つ人影が2つ、そしてそのそばに座り込む人影が見えた。
映像が拡大され、箱の中の人物が見えてくる。




そうして数秒見つめた後、焦点を合わせた先に映るものを捉えた爆豪は言葉を失った。




「嘘だろ……!!」
「オイ、爆豪」

気付いたのは爆豪だけではないようで、緑谷と轟から声が上がった。
たった一度しか会っていない轟も気が付いたのは彼女が制服を着ているからだろうか。

モニターの中央には、女性と子ども、そして2人の隣にしゃがむなまえがいた。

「これが東側からの映像です」

話し声と空気の騒めきが聞こえてくる。会話の内容まではわからない。

「妊婦と子どもの様子が特に気になります。女子高生が励ましているようにも見えますが」
「四方全て映せるか。あと壁のサイズと内部の距離も知りたい」
「承知しました」

警察官とエンデヴァーの会話を耳に入れなければと思うものの、全神経がモニターの映像に集中していては内容を正しく理解できている気がしなかった。

「ッあの!!あとどれくらいで着きますか!?」
「緑谷」
「10分、です」
「……っ」
「どうしたデク」

明らかに空気の変わった3人の様子にエンデヴァーが振り返ったのがわかるが、狭まっていく視界を占める映像を処理することに爆豪の脳内は精一杯だった。


モニターの中の横顔から目を逸らすことができずにいる爆豪の耳に、昨晩スピーカー越しに聞いたなまえの笑い声が蘇ってきた。






心を覆う灰色を、誰か嘘だと言ってくれ





巻雲




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