(※戦闘シーン(流血、暴力表現あり)、オリジナル要素強め、爆豪くん出てきません。大丈夫な方のみお読みください)






閉じ込められてどれくらい経ったのか。なまえは親子に寄り添いながら考えた。
時間を確認できるわけもない。空の明るさから時間の経過を想像するしかなかったが、冬の空は雲に覆われ太陽を感じることはできなかった。
余計なことを考えて消耗しないよう、壁の向こうで深深と降る雪を眺めているしかできなかった。




突如市街地に現れたヴィランの集団に人々は逃げ惑った。
下校中に巻き込まれたなまえも逃げた。茫然とするハルとユキの腕を引っ張り、大通りをひたすら走った。
人混み、爆音と衝撃音、飛び交う物、叫ぶ声。全てを振り切るように遠くを目指した。

途中、大きなお腹の女性と小さな男の子が視界に入った。
人々が激しく交錯していて動くことが出来ないのか、女性が男の子とお腹を守るように蹲っていた。混乱の中で誰も気付く様子はなかった。

親子を追い越して数秒後、なまえの瞳が青く灯った。

「後で行く!走って!」

両腕を前へ投げるようにしてハルとユキを押したなまえはスクールバッグを投げ捨て、180度反転した。
「なまえ!?」「ダメだよ!戻って!!」と呼ぶ声も聞かず、なまえは親子の元に駆け戻った。

「立てますか?一緒に行きましょう」

膝をつき声を掛けると、弾かれたように顔が上がった。泣きそうな2つの顔がなまえを見つめてきた。
無言で微かに頷く女性を支え親子が人にぶつからないよう気を付けながら、可能な限りの速度で進んだ。

それでも迫ってくるヴィランの速度には到底敵わず、3人はヴィランに捕らわれてしまった。




なまえと親子はヴィランと共に透明で大きな箱のような空間に閉じ込められた。片方のヴィランの個性らしい。
時折聞こえてくるヴィランの会話を拾うと、なまえ達は人質としてここに入れられたようだった。大人しくしていれば危害は加えられないかもしれないと、ほんの少しだけ安心した。
しかも白昼堂々の犯行だったため、警察やヒーローが駆けつけるのに時間はかからなかった。透明な壁の向こうには多くの姿が見えていた。

「ごめんなさい」

声に視線を戻すと、翳った表情でなまえを見る女性と目が合った。

「私達に構わなければ逃げられたでしょう」
「やめてください」

歳の頃はわからないがまだ小さい男の子を抱え、お腹の中にも守る者がある女性の不安は幾許だろう。男の子も母親の腕に巻きついてはいるが、声を上げて泣くことをしない。小さい身体で必死に耐える様子に胸が苦しくなる。
逃げ切ることはできなかったが、なまえがしたことに間違いはないはずだった。

「きっと助かります」
「…ありがとう」

静かに応えると、女性の目尻にうっすら光るものが浮かんだ。

「おかあさん、さむい…」

白い息を吐いて震える男の子の声に、なまえは首元に手を掛けストールを解いた。視界の端でヴィランがこちらを向いた気配を感じて一瞬身体が強張ったが、なまえはそのまま淡々と動き、ブレザーも脱いだ。
ブレザーを男の子に着せ、大きく広げたストールで女性を包んだ。真冬の格好の上から着せてもあまり意味はないかもしれないが、無いよりましだろうと思った。

「お腹、冷えてないですか?」
「そんな、あなたが寒いから…」
「平気です。カーディガン着てますし。…これで少しはあったかい?」

白い息を吐きながら男の子に声を掛けると、小さな頭がゆっくり頷いた。

「……っ、本当にありがとう」

お腹を抱え込み肩を揺らした女性の背をなまえはゆっくり撫でた。
気を紛らわせたくて、なまえは親子に話しかけ続けた。




そのまま時間だけが過ぎていく。
次第に言葉数も減り、一時浮上したように見えた親子の表情も今はまた沈んでしまった。顔色もどんどん悪くなっている。
寒空の下、身重の女性と小さい子どもが恐怖に耐えるにはもう限界が近いようだった。早く逃げなければと思うのに好転どころか一切変わらない状況に、なまえも不安で胸が騒ついていた。
なまえ達が中にいるため警察もヒーローも手出しができないことはわかる。なまえ達が逃げることができれば良いのだが、この壁が、例えば衝撃を与えれば壊せるものなのかわからない。それ以前に下手に動けば危害を加えられるだろうことは容易に想像がついた。

ヴィランの声も当初より苛立ちの色が濃くなっていた。この中にいれば捕まる心配もないが、包囲された状態で逃げることもできないのだろう。

「クソッ!アイツら見捨てやがって」
「マジでどうすんだよ。このままでも捕まるだけだぞ…」
「わかってるっつてんだろ!!!」

中にいるヴィランは2人、他のヴィランの姿は壁の外には見えなかった。自らの脱出手段を用意していないような発言に、この状況はヴィランにとっても計画外なのだと思われた。

苛立ちと不安と恐怖が空間を満たしていき、糸がギリギリと引っ張られるような緊張感が漂ってきた。

──逃げなきゃ。

そう思いぐるりと視線を巡らせるも、ひびや穴のようなものは見えない。
下手に動いてヴィランを刺激してはいけないと思いつつも、どうにかして逃げられはしないか、なまえは必死に頭を働かせた。




「パパにあいたい」

突然、男の子が零した。
その声色に、まずい、と慌てたなまえは目を潤ませる男の子の手を握った。

「大丈夫、ヒーロー達が、助けてくれるよ…!」

励ますはずが、なまえの発した声は震えきっていた。
それが引き金になってしまったのか、男の子はぼろぼろと涙を流しながら大声で泣き始めた。その声に女性が男の子を抱き込み声を掛けるが、その叫びは堰を切ったように続いた。

米神を流れる汗がぞわりと肌を撫でる。なまえが恐る恐るヴィランのいる方を盗み見ると、こちらを見る無表情な視線が見え、背筋が凍った。

────もう、無理なんだ。

この空間にいる全員の糸が切れた瞬間だった。
ヴィランの目が暴力に染まっていくのがわかる。
構わず泣き叫ぶ声とこちらに近付く姿に、止まれ、止まれ、と念じるも届くわけもない。

「うるせぇ餓鬼だけ始末するわ。女2人いりゃ十分だろ」

その言葉になまえは目を見開いた。
女性はびくりと肩を震わせ、がばりと男の子を抱き込んだ。

「馬鹿か!?人質に手ぇ出したら突入されるに決まってんだろが!」
「んなすぐには壊れねぇだろ。人質抱えて逃げるにしたって3人は要らねぇしよ」

無言で頭を振り続ける女性の呼吸が上擦るように浅く、そして速くなっていくのを左半身で感じながら、なまえは言い争うヴィランを凝視した。
自分達を手段としか捉えていない発言に、首筋から背中にかけて一気に冷や汗が吹き出た。わかっていたはずなのに、それでもまさか、と思ってしまう。壁の向こうの警察とヒーローがどうにかしてくれると心の何処かで思っていたのかもしれない。

「片してる間に逃げる算段考えとけ」
「はあ!?ふざけンな!!」

壁を発現した男が筋肉質な大男の肩を掴んで引き止めるが、「イライラしてんだ。少しくらいスッキリさせろ」と無表情で言う言葉に身を固くした。そして数秒後、舌打ちを零しながら手を離し「知らねぇぞ」と返してしまった。

鼻息を鳴らした大男がどんどん近付いてくる。
薄く開いた唇から入り込んだ冷気に喉が引き攣った。




「……、なんだテメェ」

なまえは親子の前に立ち、ヴィランの行く手を塞いだ。
自分でも何をしているのかわからなかった。
目を合わせることができず、首元を見るので精一杯だった。食いしばる口許から細く白い息が流れ出る。一方で顎は震え、カチカチ、と歯がぶつかる音がした。

「どけや」

ドスの効いた声に肩が跳ね上がったが、なまえはその場から動かず、ただ首を左右に振った。

「な、にも、し、ませ……」
「……ハァ?」
「だから、おねが」

その瞬間、なまえに向かってヴィランが飛んできた。そしてそう認識する間もなく、なまえは天を仰いでいた。
背中から走る衝撃に息が詰まり、踏まれた蛙のような声が出る。

「ッッ!!!」
「殺してぇのが2人に増えたわ」

脇腹に蹴りを入れられ転がされたなまえは、あまりの痛みに大きく咳き込んだ。胃の中のものが飛び散った。むせ返るような吐瀉物の臭いに次の吐き気を催しそうになる。
遠ざかっていく足音になんとかしなければと思うも、痛みに支配されたなまえが冷静に思考できるはずもなかった。
微かな期待を込めて上げた視線の先に、ヒーローと警察が見えた。

────おねがい、たすけて。

壁の向こうで動かないその姿を捉え、なまえの青い瞳から涙が溢れた。



「ッいってぇ!?」

恐怖に満たされた閉鎖空間にいて動く気配のない助けを待つことなどもう出来なかったし、抵抗してはいけないと耐える理性もなまえには残っていなかった。

翳した手から飛び出した黒狼がヴィランの前を駆け抜けざま、親子に伸びかけた太い腕に青い電撃を食らわせた。

なまえの側に控える白狼が唸る。ヴィランの向こうにいる黒狼も威嚇するように身を低くした。
なまえはゆっくり立ち上がる。身体が熱くなる感覚にカーディガンを脱ぎ捨てた。

「…、ハッ。いいぜ、殺してやる」

愉快そうに歪めるその顔は、完全になまえを捉えた。
ヴィランがこちらに飛び掛かってくると同時、なまえの身体に白狼が飛び移った。




なまえとヴィランが交錯して初めて、ヒーロー達が壁の破壊に動き出した。しかしどうも壊せないようで、なまえはヴィランからの攻撃を風圧で往なして耐え、躱し続けた。
もう1人のヴィランは壁を作ることしか出来ないのか、大男となまえを避けつつ立っているだけだった。


憑依にも限界がある。

元々身体に備わっていない力を身体に取り込むのが憑依だ。モノの能力を借りることができる器があるだけで、憑依に耐え得るには器である身体を鍛え上げるしかない。さらにはモノの能力によってはどれだけ鍛えても憑依はできない。
黒狼を憑依させ電撃を使うと全身に電流が走り、その瞬間意識を失ってしまう。化ける能力を持つ狐も、身体を組み替えることが出来ない人間へ憑依させるのは不可能だった。
だからなまえが憑依できるのは風を巻き起こす白狼だけ、それにもやはり限界はあった。
父は黒狼も憑依させていたようだがどうやって耐えていたのかは勿論知らなかった。

前に父の実家で試した時、ただ憑依させるだけでも5分と保たなかった。
「練習したらもっと長く扱えるで」と伯父達には言われたが、今のところその必要は感じなかったから特に何もしていなかった。
だからこうして風を出しながらの憑依に自分がどれだけ耐えられるのか、なまえ自身わからなかった。
今わかるのはたった数分しか保たないこと、既に身体中に痛みが走り耐えるだけで必死だということだった。

なまえにこの大男を倒せるわけがなかった。風を起こして壁を作り、親子を背に庇うことで精一杯だった。
壁を壊すことができればヒーローが来てくれる。わかってはいるが、迫ってくる大男を差し置いて他に意識を向けるなどなまえに出来るわけがなかった。そんなことをしてここから動きでもしたら、きっと親子に危害が及ぶだろう。

──どうしよう。

憑依には相当の集中力が必要だ。普段から個性を使っていないなまえにとっては特に困難で、そのため白狼が憑依した瞬間に黒狼と狐は消えてしまった。
白狼の憑依を解き黒狼を呼ぶとしても、その瞬間なまえは大男から逃げる術を失ってしまう。そうしたらなまえが殺され、あとの2人もどうなるかわからない。

歯を食いしばるなまえの顎から嫌な汗がぽたり、と落ちた。
止めに入らなければ良かったのか。でも止めに入らなければ男の子は殺されていた。間違ってはいない。何が出来る。ヒーローが来るまで持ち堪えるために自分に何が出来る。脚が、腕が、脳が、引き千切れそうに悲鳴を上げている。

「うざってぇ」

厚い風の壁に為す術がなかったと思われていた大男が、増強したように盛り上がった腕をなまえに向かって放ってきた。それに怯んだなまえに呼応するように風の壁が弱まってしまう。

「ヒーローの真似事してんじゃねぇよ」

見透かしたように嗤う大男の右腕がなまえの左腕に向かってくる。
思わず身体を捩り、右腕を突き出す。風を起こして壁を作ろうとした。




冷たいアスファルト、霞む視界、力の入らない右腕だけはわかった。
それ以外は何が起きたのかわからなかった。痛む身体に呻きながら辛うじて顔を上げた先には、女性と男の子、そして大男がいた。そこになまえもいたはずだ。拳に殴られて飛ばされたのだろうか。

男の子の泣き叫ぶ声が聞こえる。男の子を抱き締めている女性に、大男が腕を回しながら近付いていく。はっきりとは見えないが、ぼやけた視界でも動きだけはなんとか捉えられた。


涙が止まらなかった。
強烈な痛みや恐怖は勿論だったが、それだけではなかった。悔しさがなまえの胸中に広がっていった。

──なんで、こんなに弱い。

こんなことになるなら、祖父や伯父、伯母に教わればよかった。父がどうやって個性を使いこなしていたのか聞いておけばよかった。ヒーローになるとかならないとかではなく、身を守る術として習い鍛えればよかった。

自分は一般人だからと、ヒーローの邪魔をしないようにすることだけ考えていた。

両親が亡くなったあの日を消化できた頃から、子どもながらに考え続けた。一般人がやるべきことは何なのか。そうして行き着いたのが「逃げる」だった。
混乱せず、冷静に、確実に逃げる。当たり前のようで難しいそれをできるようになろうと、日々心掛けていた。

でもそれだけでは逃げることすら叶わなかった。
逃げられなかった時のことを考えていなかった。
あの経験を越えて、考え続けられていたと思っていた。違う。逃げればいいと、そこで思考が止まっていた。

『ヒーローが正しいんやない。ヒーローは正しいことをする責任があるんやと、俺は思う。やから考え続けんと。自分のやってることが正しいのか、常に問い掛けなあかん』

父の笑った顔が浮かんだ。なんでもないことのように笑えるその強さが欲しいと、なまえは今心底思った。


闘ってはいけない、逃げる。それはきっと正しい。
では、それが叶わない時は。

──どうしたら、いいの。




肺に刺さるような冷たい空気のなか、なまえは唇を噛み締める。
親子と大男の距離が縮まっていくのをただ見つめるしかできない。


なまえの耳に、男の子が助けを叫ぶ声が届いた。


白狼を憑依させて無理矢理身体を起こしたなまえは、よろよろとふらつきながら大男に向かって風を投げた。
風圧に2、3歩後退った大男がぐるりと顔をこちらに向け飛んで来た。無感情に睨む形相に怯みながらも大男を風で往なしたが、その際に脇腹を掴まれた。増強した筋肉に包まれた指先がなまえの脇腹に食い込む。ブチブチ、と肉が千切れる音がする。あまりの痛みに声も出せず意識が飛びかけたが、大男越しに見える光景になまえは歯を食いしばった。

──たお、れるな。

「怖い力やと思う。意識があって呼び続けられればさ、それこそ両手足が捥げてもまだ闘えるんやから」と言った伯母の声が蘇る。
今はその言葉を信じ、ただ耐えるしかなかった。


大男が脇腹を掴んでいた右腕を勢いよく引いた。痛みに叫ぶなまえに反応を示す素振りはなく、引いた勢いのまま拳を放ってきた。
さらに膨れ上がった二の腕に押された拳が風の壁を破ってくる。風が薄くなる。足が滑り、右膝が抜ける。瞼を開けていられない。意識が遠退く。

それでも。


──おね、がい。


もう一人の自分に懇願した。せめて助けがくるまで立っていられるよう、消える意識の最後の一掴みに縋った。




辺り一面が赤く光った。

消えていく壁、目を見開く大男、爆音と熱風、クリアになった叫び声や怒号。
崩れる視界と聴覚でそれらを拾ったなまえは、もう大丈夫なのかもしれない、とだけ思った。


一直線に飛んでくる黒い影を認識する間も無く、なまえの意識は闇に消えていった。






君の叫ぶ声を聞いた気がした





凍曇




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