(※#はつけていませんが一部流血等の描写があります。苦手な方はご注意ください)






サイレンを鳴らしながら一般車両の間を縫うように駆け抜けていても、その速度は一向に上がっていないように感じられた。


緑谷からなまえの存在を聞いたエンデヴァーの眉間に微かに力が入ったが、「いつも通り動け」と言い放った。落ち着かない様子の3人に向けて「俺の指示通りに動けないならここで放り投げる」と続けた。
特に爆豪には目線を合わせてきた。爆豪も焦りは隠さないまま、燃える眼光を力の限り睨み返した。

そうして暴れる心臓を必死で抑え込んでいる時だった。ヴィランがなまえ達に近付く映像がモニターに写った。

「行く。人命第一だ」

警察官も事態が変わったとなれば話は違うようで、「お願いします」とだけ返した。
車両が左車線に寄る。防音壁が途切れた所を見計い、エンデヴァーがスライドドアを開き飛び出した。爆豪達も続く。
高速道路から飛び降り、遥か向こうに見えるビル群を見据える。眼下の一般道を走るどの車両よりも速く、ただひたすらに飛び抜けていった。




やっとの思いで辿り着いたそこは野次馬でごった返していた。
野次馬の上を飛び越え、50mほど向こうの巨大な箱を目指す。規制線を飛び越えた時だった。

透明の壁の中になまえが見えた。
何かを纏うように白く光る姿に無事を確認したのも束の間、ヴィランと思しき大男がなまえに拳を振り上げた。
爆豪は一直線に飛び出した。エンデヴァーの大火炎で壁がみるみる崩れていく。何かを叫んだ大男がなまえに拳を振り落とそうとしている。

────なまえ。

最速力で飛んだ爆豪は最後に大きく爆発を起こした。推進力に任せるまま2人の間に飛び込んだ爆豪はなまえを掬い上げ、抱き込むように転がった。
すぐに起き上がり大男を見据えたが、直後に飛び込んできた緑谷と轟が取り押さえた様子を捉え、爆豪はすぐ腕の中に視線を戻した。

変わり果てたなまえの姿に爆豪は愕然とした。
白いはずのブラウスは半分以上が黒く汚れていた。赤黒い血が左の脇腹を染め、ぼたり、とアスファルトに落ちた。右腕は無残な姿になっていて視界に入れることすら躊躇われるほどだった。
触れた瞬間は熱いくらいだった身体がみるみる冷えていくのがスーツ越しでもわかる。瞼の下りた真っ青な顔に慄き思わず首筋に手をやったが、震える指先では脈を感じ取ることは難しかった。

ヴィランを警察に引き渡した緑谷と轟が駆け寄ってくると同時、すぐそばにドクターカーが停車した。爆豪はなまえをその場に下ろし、上がったリアゲートから降りてきた救急隊に場所を譲った。処置をされつつストレッチャーに乗せられたなまえがドクターカーに運び込まれる。
救急隊の一人が振り返り、こちらを見回す。「どなたか付き添いいただけますか」との声に迷わず飛び乗った。

「待って!!!」

閉まりかけた扉の向こう、必死に走ってくる女子2人の姿が見えた。その制服姿を捉えた爆豪が救急隊に待って欲しいと伝えドクターカーから飛び降りると、息を切らした2人が爆豪のそばまでやってきた。

「っ、なまえの鞄、です。スマホとか、入ってると思うから」

そう言って差し出された見慣れたスクールバッグを受け取る。
ただただ泣いている女子と、眉に力を入れ耐えるようにこちらを見つめる女子。肩で息をする2人の顔には見憶えがあった。なまえが写真を見せながら話してくれたのを憶えている。

「あの、」

泣いている女子の方へ顔を向けると、涙でずぶ濡れの顔がこちらを見上げていた。

「なまえちゃんのこと、お願いします…っ」

それ以上は言葉を継げないのか、両手で顔を覆い俯いてしまった。嗚咽で激しく揺れる肩をもう1人が支えたが、そちらの口角も小刻みに震えていた。

「行け。親父…、エンデヴァーには伝えておく」

轟の声に顔は向けないまま、爆豪は2人の女子高生を見つめていた。

「……WデクW、Wショート"」
「っなに!?」
「この2人、任せた」
「わ、わかった!」

緑谷が応答するのを待たずに身を翻した爆豪は再びドクターカーに飛び乗った。リアゲートが下り発進した車両はサイレンを鳴らし始めた。

爆豪はなまえに視線を戻した。
酸素マスク越しに眠る顔を見つめる。生気のない顔に焦燥が募り、堪らず投げ出された左手を握った。いつも以上に細く感じられた指先は冷たくて、握り返されることはなかった。




ドクターカーが止まりリアゲートが上がるや否や救急搬送用の玄関で待機していたストレッチャーに乗せられたなまえは、そのまま手術室に運び込まれていった。

扉の上部の赤いランプが点いて5分ほどした後、爆豪はようやく籠手を外した。
近くのソファに置いた代わりになまえのスクールバッグに触れ、外ポケットからスマホを取り出した。画面にメッセージ通知があったが一旦無視し、アドレス帳を開く。彼女の名字で検索すると10件強ヒットし、その中の一番上に出た連絡先をタップした。
数コールの後『もしもし。なまえ、元気にしとるか』と嬉しさを滲ませた老人の第一声に喉が引き攣った。細く息を吐いて名乗ると、電話の向こうの空気が変わった。なんとか用件を伝えると、老人はこちらに向かう旨と礼を言い残しすぐ電話が切れた。

先ほどのメッセージを開く。何かわかったら連絡して欲しいと書かれたメッセージには名前と電話番号、メールアドレスが書かれていた。恐らく先ほどの女子高生のどちらかだろうと思われた。
爆豪のスマホにも緑谷から状況を問うメッセージが来ており、どちらにも簡潔に返信をした爆豪は近くのソファに腰を落とした。


膝に肘を預け祈るように指を組み暗い廊下の一点を見つめていると、静かな廊下に駆け足の音が響いた。顔を上げると、オールマイトがこちらに向かってきていた。

「話はエンデヴァーから聞いたよ。あとは私に任せて、爆豪少年は事務所へ戻りなさい」

心配げな視線を寄越してくる翳った目元をじっと見つめ返した後、爆豪は俯き頭を振った。

「明日もインターンだ。ずっとここにいるわけにもいかないだろう」
「アイツの親戚に連絡した。来るまでは待つ」
「すぐ来るのかい?」
「3時間くらいっつってた」
「…なら、やはり私が待つよ。君も疲れているだろう」

爆豪は再度頭を振り、その後は無言を貫いた。
その頑なな様子に折れたのか、「相澤くんとエンデヴァーに連絡してくるね」と残したオールマイトが廊下の角に消えていった。


そのまま2時間程経った頃、自動ドアの開く音に爆豪は弾かれたように顔を上げた。青い手術着を纏った人物が真っ直ぐ爆豪達に向かってくる。

「ご家族の方でしょうか?…て、え?オールマイト!?」

驚く医師に親類ではないと伝えたオールマイトが「彼が私の生徒でして。その付き添いです」と続けた。壁に掛けられた時計を見上げるオールマイトに、医師もつられて顔を向ける。

「ご家族の方はあと……、1時間はかかるようです」
「遠いなぁ」
「なまえは、無事なんすか」

爆豪を振り返った医師がじっと見つめてくる。数秒後、首を捻った。

「居合わせたヒーロー、ですよね?」
「違う。彼氏」

身動ぎしたオールマイトに対して、特に表情を変えず「そっか」とだけ答えた医師はそのままオールマイトに向き直った。

「大きな怪我で意識を失ってはいましたが命に別状はありませんでした。今は麻酔で眠っています。詳しい容体はご家族にしか話せませんが…」
「勿論です。ありがとうございます」

礼を伝えるオールマイトに倣い、爆豪も微かに頭を下げた。

「しばらくは面会謝絶になると思うけど、でも大丈夫だからね。傷もなるべく残らないよう最小限に留めたし」

安心させるような声に爆豪が顔を上げると、和らいだ視線と目が合った。

「ご家族が来たらそこの受付に声掛けてもらって」と爆豪に微笑んだ女性は、再び自動ドアの向こうに消えていった。
オールマイトもエンデヴァー事務所と雄英に連絡してくると言い残し、その場から歩き去った。




1人になった爆豪は待合いのソファにどかりと沈んだ。
身体に力が入らない。霞がかかったように頭が怠い。身体は自覚している以上に疲弊しているようだった。
アイマスクを付けたままだったことに気付き、ぐい、と右手の親指で額まで引き上げた。

医師が言うなら大丈夫なのだろう。
それでも最後に触れた時の冷たさが鮮明過ぎて、手放しに安堵は出来なかった。
目を覚まし、こちらを見て話す姿を見るまでこの感覚は収まりそうになかった。

ふと、なまえの笑顔が過った。

突然両親を失った時、爆豪がヴィランに攫われた時。
彼女の心にのし掛かった不安は幾許だったのだろうか。
今の爆豪とは状況がまるで違う。彼女は両親を完全に失い、爆豪の安否がわからないまま数日を過ごした。
無事だと知らされていてもこれほどに不安だ。それ以上の心境を想像した爆豪は思わず両手で顔を覆った。


守ろうと思っていた。
自分は男で、なまえは女だ。彼女は両親を失って辛いはずだと思った。隠している弱さや辛さがあると思った。身近な寄る辺がなくて、きっと誰かに甘えたいはずだと思っていた。

違った。
自分が思う以上に、もしかしたら自分以上に強かった。
不遇を嘆くこともなく、出来ることに直向きになり、生きることに真面目だった。弱った人に寄り添う心を持つ人だった。
それらは辛さを隠した仮初めの姿ではなく、本当の彼女だったのだ。
「お父さんとお母さん、そういうとこ厳しかったから」と笑う彼女の心は死者に引っ張られてなどいなかったのだ。

きっと目が覚めた彼女は泣いて、震えて、そして笑うだろう。
無理して笑っているのだと思っていた。本音を隠して我慢をして、取り繕っているのだと思っていた。
違う。
ちゃんと泣いて、整理して、そして前を向いていたのだ。

────こんなの、

前々から感じていた。静かに灯る灯火のような芯があると。
それをこんな形で知るなど。


──こんなの、要らねんだよ。


俯き歯を食いしばる爆豪の肩は小さく震えていた。






空が白む頃には雲は何処かへ消え失せていた




天泣




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