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恋する15時の続きです)
「同い年に相手にされないから歳下に手出してんじゃない?」
肘を突いた左手に顎を預ける同期のジトリとした視線を真正面から受けて、なまえの眉根と喉に力が入った。
憶えていない。そう言えたらと思いながらも、それは憶えていることの裏付けでしかないことは思考力が少し鈍った脳でも理解できていた。
言葉を探そうと天井に向けようとした視線は、「みょうじ」との呼び声によって呆気なく引き戻された。
「前の飲み会でそう言ってたよねぇ?」
「はい…」
「しかもアイツよりさらに年の差あんじゃん」
「うっ」
「普通こんなキレーにブーメラン刺さんないわよ」
高揚感の一切篭っていない声で3杯目のグラスワインを煽る姿になまえは何も返せなかった。
何時ぞやの飲み会で「女子大生と付き合っている」と鼻の下を伸ばした男の同期に不必要な言葉のナイフを色々と投げつけたのは紛れもなくなまえだった。酒の勢いと侮蔑がほとんどだったが恋人がいることへの僻みも少々混じっていたことを思い出し、居心地の悪さが増した。
「ついこの間まで男子高校生かあ」
「ごめんなさいやめてください」
「デジャヴだわーデジャヴ過ぎて笑えるわー」
わざとらしい呆れ顔はどこか悪戯めいたものが含まれていて、微かに持ち上がった頬はほんのり上気していた。テーブルに視線を落とした瞼を縁取る睫毛は軽やかにカーブしている。オリーブのピンチョスに伸びた白く細い指先はテラコッタを纏っていて、そのてらりとした滑らかなフォルムにふと素を晒した自らの爪がなまえの脳裏を過った。
「確かに10代だけど社会人だし、結婚もできる歳だし…」
「え、なに、そこまで話進んでんの?」
「進んでません!」
「当然。もしそうなら焦るわ」
完全に彼女のペースで進む会話にぐうの音も出ない。素早く口に入れた彼女は爪楊枝を持ったまま、「20代半ばで結婚はガチに聞こえがち〜」となまえを指し示すように手をひらひらと振った。
なまえは視線を外し、数センチ残っていたアルコールを飲み干した。ジントニックの気配がする液体に顔を顰めたなまえは、彼女の後ろ向こうにあるホールを窺った。
「その子さ、」
他のテーブルへ料理を運ぶホールスタッフを追っていた瞳を彼女に戻す。首を傾げる動作で肩から落ちたセミロングの横髪が、絶妙にゆるいカールを主張するように控えめに揺れた。
「もしかしてみょうじが初カノ?」
「………さあ?」
「知らないの?」
「わたし何人目?なんて聞かないでしょ」
「そりゃそうか」
落ちた横髪を左耳に掛けると、彼女の左手首で光る腕時計と同じ金色のピアスがゆらりと顔を覗かせた。
手首から肩のラインは白く細く伸びていて、ノースリーブがよく似合っている。肩に掛けた黒いカーディガンが額縁のように彼女の美しさをより引き立たせている。
「もしそうならさあ、」
悪戯めいた声色が漏れた唇からは鮮やかな赤はすっかり消え失せていた。彼女が手を掛けたワイングラスにルージュの色は移っていなかった。
「責任重大だねぇ」
いよいよはっきりと笑った彼女を無言で見返すも表情は変わらず、言葉も続かなかった。
なまえは肩を落とすように軽く息を吐いた後、何か飲むかと尋ねた。「んー、そろそろ甘い系かなあ?」とメニューを手繰り寄せた彼女を横目に、タイミングよくそばを通り過ぎた店員の後ろ姿に声を掛けた。
「みょうじさんってお酒飲まないんですか?」
軽く一礼した店員がなまえ達のテーブルから離れてすぐ、緑谷が尋ねてきた。
店内は明るいBGMと賑やかな声で満たされていた。カップル、女子高生のグループ、家族連れ。発せられる様々なトーンの会話が空中で混ざり、店内に広がっている。
「飲むよ?なんで?」
「行くお店、いつもそういう所じゃないから」
「緑谷くん未成年だし、そういう所やめたほうが良いのかなって」
ラミネートされたメニュー表をスタンドに立て、緑谷に視線を戻す。
ぱちぱちと数回瞬きした後、大きな瞳が柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
蛍光灯の光を受けた瞳はペリドットのように透き通っている。
遠慮がちにも聞こえた声色にもしかして、と過ぎったなまえが「洋食は嫌だった?」と問い返すと、歯切れの悪い否定の言葉が返ってきた。沈黙し視線を落としてしまった緑谷に首を傾げながら、なまえも視線を落とした。
家を出る前に塗ったモスグリーンを纏う指先を眺めていると、人差し指の先が少しよれてしまっているのを見つけた。久しぶりにやっつけでやったら駄目だな、などど考えていると「あの」と躊躇いがちな声が聞こえてきた。
視線を上げると、不安げな緑色がこちらを見つめていた。
「もう、言うまでもないと思うんですけど…」
「うん」
「みょうじさんといると、すごく緊張しちゃって。今日こそはって、毎回思ってるんです、けど」
「……うん?」
「結局いつも、みょうじさんに色々してもらってて」
話が見えない。
再び首を傾げながらも言葉を待っていると、ハッとしたように目を見開いた緑谷が慌てだした。
「ああの、その!!」
「うん」
「みょうじさんの選ぶお店が嫌とかじゃないんです!」
「う、うん」
「ただ、ええと、なんて言うか……っ!」
少しずつボリュームの上がっていく声になまえは周囲を気にしながら「聞いてるから落ち着いて」と制すると、緑谷はさらに目を見開き、そして項垂れるように謝罪を口にした。その後説明を続けることはなく、ブツブツと口の中で何かを呟きながら両手で顔を覆い、俯いてしまった。
丸まった背中から発せられる淀んだ空気に戸惑いながら、なまえも必死に頭を捻り、そうして冒頭の緑谷の発言をはたと思い出した。
合点のいったなまえが「ごめんね」と伝えると、ブツブツと呟く声はぴたりと止まった。俯いた顔がゆっくりと両手から離れ、窺うようになまえを見上げてきた。
「歳上だからって考え過ぎてた、かも」
「え?」
「緑谷くんに合わせよう、無理させたくないなって。だから緑谷くんも入りやすそうなお店選んで、行きたいって言ってたの」
「……そう、なんですか?」
「気にさせてたんだね」
緑谷と次の予定を決めるたび、なまえは自分が高校生や大学生の頃に友人とどういった場所に行っていたかを思い出しては、「ここに行こう」と言っていたのだ。
まだ高校を卒業したばかりの歳下の恋人の誠実さを知っているからこそ、気疲れを起こさせたくないと先手を打ってきたことが、かえって緑谷を悩ませていたようだった。
お互い気を遣ってたんだなあと反省しながら、それでも同じ想いであることを知り胸の中が温かくなる心地がした。
「今度は一緒に決めようね」と笑うと、安心したように微笑みながら「みょうじさんが行くお店に行きたい、です」と返ってきた。
店に入った頃は明るかった外も、今はすっかり夜に落ちていた。
「危ないです!送ります!」と頑なに言い張る緑谷に甘え、賑わう繁華街を並んで歩く。生温さを纏った夜風は梅雨の終わりを告げていた。
ふと緑谷を見上げると、傷跡だらけの右手で瞼を擦っていた。食事中、なまえが化粧室から戻ってくる時も同じ動作をしていたことが過ぎった。
疲れているような様子をなまえが見つめていると、軽く肩を上下させて緑谷がこちらを振り返ってきた。
「みょうじさん?」
「あの……、うち、来る?」
「え?」
「疲れてるんでしょ?寝てくれていいから、ちょっと休んだら?」
「…」
「電車で寝過ごしちゃったら大変だよ」
微笑むと、緑谷は肩を揺らしぴたりと立ち止まった。緑谷に倣ってなまえも足を止める。見上げたまま「どうする?」と続けると、瞬間、緑谷は右手の甲で口許を押さえてしまった。
頬を赤く染め眉根を寄せながら不自然に視線を逸らした緑谷に、なまえはあれ?、と思った。
「緑谷くん?」
言葉を返すこともなく沈黙しただただ赤面する緑谷の顔に、ふと先日の同期のニヤついた表情が蘇ってきた。
悪戯っぽい笑顔と言わずもがな過ぎる目の前の姿が結びついた途端、しまった、と思った。
「ご、ごめん!その、変な意味じゃないの!」
「…」
「眠そうだし、疲れてるのかなって思っただけで!」
「……」
「……っこ、ここでいいよ!緑谷くん、駅あっち!早く帰りな!?」
滑り出てしまった言葉を掻き消すべく言い募るも、初心にしか見えない反応は変わらない。なまえの脳内は焦りと後悔で埋め尽くされていく。
まさか本当にそうだとは思っていなかったのだ。だから何の気なしに伝えたのだ。
勿論そういうことをしても良いとは前々から思ってはいるが、先ほどの発言は休んで欲しいという気遣いが全てだった。
初めて社会に出て、知らない土地で一人暮らしをしている。その上ヒーローという責任の重い仕事をしている若い恋人の体調やメンタルを心配しない日はなかった。
下心は微塵もなかったなまえとしては説明しなければと思うが、言葉を募らせるほど言い訳がましく聞こえ、やましい気持ちがあると言っているようにしか聞こえなかった。
未だに無言で赤面する緑谷に、今度は申し訳なさも募ってきた。
「ごめん、ほんと、そんなつもりじゃないのに。無神経だった」
わたしのばか、と反省しながら、なまえは逃げるように視線を下げた。穴があったら入りたい、と切に願った。
「そう、なんですか?」
やっと返ってきた言葉になまえがあれ、と思うと同時、右手が柔く握られた。分厚い皮膚の感触に、今度はなまえが身を強張らせた。
「僕は、その、」
「緑谷くん」
「一瞬、びっくりはしました、けど」
「だからごめ「でも」
遮る声に心臓が一拍どく、と揺れた。なまえは恐る恐る視線を上げる。
「かなり、期待、しちゃいました」
「……っ」
「みょうじさん、今日、いつもと違いますし」
「そういうことなのかなって」と呟き、緑谷はなまえの右手を持ち上げた。俯いた緑色の睫毛はなまえの指先を捉えていて、慈しむように指先を撫でてきた。
初心な反応とのギャップになまえは困惑する。
「でも、嫌なら言ってください」
「緑谷くん」
「気を遣わないでください。…今の僕も、遣って、ませんから」
ゆっくり緑谷の顔が上がり、目元を赤くした瞳とぶつかった。必死な様子で「と、とにかく。送るのは、ちゃんと、送ります」と頬や耳朶までも真っ赤にしながら見つめてくる瞳は、眩しくて真っ直ぐが過ぎた。
引かれる右手に逆らうことなく付いて歩きながら、まるで生娘じゃないか、しっかりしろ、と緑谷につられる自分を心の中で叱責したが、上昇を続ける鼓動と体温は一向に落ち着く気配はなかった。
せめぎ合う20時
白玉さま
温かいお言葉ありがとうございます!動作や心の描写は丁寧に書こうと心がけているので、「映像が流れてくる」とお褒めいただけて嬉しいです。
「頑張りすぎて空回り、かわいいけど男らしい所が見れてきゅん」と、頂いたメッセージを読みながら私も想像が巡り、結果全部詰め込んでしまいました。でっくんのかわいかっこいいは本当ずるいと思います…。白玉さまにもきゅんしていただけたら幸いです。
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