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ちょっと休憩、とやってきた屋上でなまえは伸びをした。
少し安く買えるオフィス内の自販機で買った缶コーヒーのプルタブを開け、軽く口を付けた。


毎日これくらいの時刻に屋上で休憩することが日課だった。外の空気を吸った方が頭が冴えて、その後の仕事の効率がぐんと上がる。
「煙草休憩の免罪符感ってズルいよね」と同僚は愚痴を零すが、もちろん非喫煙者だって休んでいい。なんなら数回も席を立つ煙草休憩に比べてたったの1、2回だ。
「でもさ、『どこ行ってたの?』が腹立つってゆーか。うちらは休めないのかよ、って思わない?」とエンターキーを強く叩く同僚に、それはわかる、とチョコレートを差し出してから席を立ってきた。




今日は風が気持ちいいなあ、などと思いながらなまえは手摺に寄り、腕を凭せ掛けた。
すると突然、目の前のビルの屋上に空から人が降ってきた。本当に降ってきた。あまりの出来事に缶コーヒーを落としそうになるのをギリギリで堪えた。パチパチと何度も瞬きをするが確かにそこに人はいた。

一体何者かとなまえは凝視するが、その人がこちらに気付く気配は全くなかった。
しゃがみ込むように着地したその人は全身緑のボディスーツを着ていた。フードを外し黒髪を軽く触りながら立ち上がった後、右耳に手を当て口を動かし始めた。
どこか遠くを見据えながら立つ横顔は凛々しくて、その一方でぱたぱたと風に遊んでいるフードが少しかわいらしく見えた。


するとさすがに気付いたのか、視線がこちらに寄越された。不躾な視線を送っていたかもしれない、となまえは気まずさから視線を落とした。

「こんにちは」

なんでもないように聞こえてきた明るい挨拶に、なまえは視線を戻す。こちらに顔を向けたその人はニコッと笑っていた。なまえよりはるかに若そうな青年だった。

「今日は天気が良いですね」
「そ、そうですね…」
「お仕事の休憩ですか?」
「そう、です」
「お疲れさまです」
「ありがとうございます…」

何者だろう、と訝しみつつもにこやかな雰囲気につい返事をしてしまう。

「何かお変わりありませんか?ヴィランか出たとか、ちょっと事件か増えたなとか」
「………はい?」

平和な日常生活のなかではほぼ出てこない単語に思わず聞き返す。ポカンとするなまえの表情に青年はハッとしたかと思うと、「またやっちゃった!!」と慌てだした。激しく振れる手の動きが面白い。

「僕、今年からサイドキックやってるんです。それで、今はパトロール中で…」
「…ヒーロー?」
「そうです。すみません、いっつも名乗るの忘れちゃって」

頭を掻きながらペコリと頭を下げた青年は「デクって言います」と名乗った。変わったヒーローネームだなあ、と思いながら「お疲れさまです」と返した。

「特に変わりはないです。お陰様で毎日安心して遅くまで仕事ができます。ありがとうございます」
「いえいえ、僕なんてまだなにもできてなくて…!」

手を振りながら真面目な返答をする青年、もといデクの姿に青さを感じたなまえは思わず吹き出した。

「?」
「若いなあ、かわいいなって思っちゃって、つい」
「へ!?」
「ごめんなさい。でも悪い意味じゃないです」

初対面でこんな風に話してしまうのは彼の纏う優しく温かい雰囲気故だろうか。それとも歳下だからだろうか。
居心地が悪そうに視線を泳がせるデクに再度「ごめんなさい」と伝えた。

「…そ、そろそろ!次のパトロールに向かいます!」
「はい。お気をつけて」

フードを被りなおしたデクはなまえにペコリと頭を下げ、身体の向きを90度変えた。ぐぐ、としゃがむと彼の全身を青いような、緑のような光が走った。地面を蹴り出したデクは宙に躍り出、ビルからビルへ跳び移りながら去って行った。


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その日はなかなか面白い経験をしたなと思ったなまえだが、その後も何度かデクに遭遇した。

客先訪問がなく内勤の日はほぼ決まって屋上に行っていたから、時折隣の屋上に降り立つ姿を見つけては頭を下げた。デクも律儀に丁寧なお辞儀を返してきて、その腰の低さにヒーローっぽくないな、と微笑んだ。
そういうやりとりが数回続くうち、屋上に他に人がいない時は必ずデクがこちらにやってきて話すようになった。
あの雄英高校ヒーロー科を卒業したこと、見知らぬ土地で自分を成長させたいとやってきたこと、将来はあのオールマイトのようなヒーローになりたいこと。不安が混じった、でも明るく真っ直ぐ前を見つめるキラキラとした瞳になまえは話を聞くのが楽しみだった。

あまりにも毎回同じ時刻に現れるものだから、「もしかしてサボり?」と揶揄うと「違います!パトロールです!」と憤慨するデクがかわいかった。歳の離れた弟ができたようだった。
ヒーローなはずなのに良い意味でヒーローらしくないデクに、親しみは増す一方だった。


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「来週から、遠くに行くんです」

いつもと同じように話していた時だった。
そう言うデクは少し寂しげで、その様子に彼も割とこの時間を楽しんでくれていたのかもしれないと温かい気持ちになった。

「他の事務所とチームアップして、少し大きい事件に関わることになって」
「そうなんだ。気をつけてね」
「…でも、終わったら、またこっちに戻ってきます」
「じゃあその時はまたここで話そうね」

ヒーローとはいえ彼はまだ社会人1年目。そして新卒入社の後輩達より4つも歳下だ。そう考えるとまだ若い彼が危険だろう場所へ行くことが心配だったが、一般人の自分が心配したとて何にもならない。できることといえば彼の背中を押すことだけだ。なまえはデクを見上げ「応援してるよ」と言葉を重ねた。


返事のないデクになまえは首を傾げた。
眉根を寄せじっとこちらを見つめる緑色に、さすがに不安なのだろうかと心配になる。

「みょうじさん」
「うん?」
「…これ」

そう言ってポケットを探ったデクに差し出されたのは名刺だった。デクの名前と事務所の連絡先が書いてあった。

「…わ、ごめん。わたし名刺デスクだ」
「僕、緑谷出久って言います」
「え?」
「本名。言わなきゃ、って思ってて。みょうじさんは教えてくれたのに」
「そんな、気にしなくていいのに。ヒーローは一般人とは事情が違うんだから」

そう言うとまた寂しげな表情をしたデク──緑谷に、なまえは眉を下げた。

「…ありがとう、緑谷くん」

彼の真摯さにはいつも心が洗われるようだった。


「パトロール、してたんです」
「?」
「この時間、この辺り、本当にパトロールしてるんです」
「ふ、知ってるよ?どうしたの急に」
「他にも行かなきゃ行けないところ、あるのに。この時間だけは、ここに来るって決めてました」


「みょうじさんがいるから」

少し頬が染まった緑谷に、真っ直ぐな緑色で見つめられる。
フードと癖のある髪が風になびく。


「…嬉しい」
「…っえ!?」
「わたしもデク…、緑谷くんとお話しするの楽しみだったよ。ヒーローと話せるなんてそうないし」

一瞬、まさかと思ってしまった。
しかし冷静に考えて有り得ないと掻き消した。自分は7つも歳上のオバサンなのだ。しばらく姿を見せなくなることを伝えているだけだと思い直した。屋上でたまたま会ったなまえにすら伝える彼の真面目さはここ数回のやりとりで身に染みている。

「でもね、そういう挨拶って死亡フラグじゃない?やめときなよ」

そう言って笑うと、寂しげな表情のまま眉と瞼に力が入った緑谷と目があった。

「……挨拶、じゃ、ないです」
「え?」

ぎゅ、と唇に力を入れ唾を飲み込む緑谷の喉仏が上下する。

「裏に、僕個人、の連絡先、書いてあります」
「……」
「もし、いやじゃなかったら…、その、」


「みょうじさんさえ良ければ、連絡、ください」
「…あの、」


「僕的には、挨拶じゃなくて、こ、こくは、く、です」


その表情に、なまえは目と口を開いたまま固まった。
動かないなまえに耐えられなくなったのか、緑谷は「じ、じゃあ!」とパラペットに足を掛け、フードを被ることもせず逃げるように跳んで行ってしまった。




「うっそだぁ…」

なまえは手の中の名刺に視線を落とした。裏返すと、丁寧な筆跡でアドレスと電話番号が書かれていた。その文字をなぞりながら先ほどの緑谷の表情を思い出し、一気に赤面した。


顔を上げたなまえは、告白でも死亡フラグ立っちゃうよ…!、と跳び去って行った方向を見つめた。


恋する15時

1ヶ月後、市内のカフェで微笑みながら頭を下げる女性の前でアイスコーヒーを一気飲みする緑谷の姿があった