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(※受け主です)
誰もいない体育館で、なまえは半身を覆う黒に抗うように唸っていた。
身体を低くし歯を食いしばるその姿は、さながら敵を威嚇する獣のようだった。
新月の夜になると、決まってなまえの個性は暴れた。
そしてただ暴れるのではなく、なまえの身体を喰らうように包み込み全く違う姿に変えてしまう。
雄英のヒーロー科を受験したのはヒーローになるためだけではなかった。
中学2年の冬以降、感情が昂ぶった時に何度かバケモノになってしまったことがあった。
新月の夜以外でも個性が暴れてしまう──。
その事実になまえは恐怖した。
感情の昂りなど予測できるわけもない。誰かを、そして自分を傷付けてしまう前に、どうにかしてこの個性をコントロールし黒に呑まれるのを防ぐ術を手に入れる必要があった。
なまえは異形型の個性に寛容的かつ制御できない個性持ちに対してのフォローも行っている学校を探した。そうして辿り着いたのが雄英だった。
独力で制御を試みても上手くいかず、何度も夜の街に飛び出しては怯えられ、ヴィランが出たと通報された。子どもにとっては辛すぎた経験に、校長は表情を変えずに声をかけた。
「そんな思い、本当は経験しなくて良かったことだ。『糧になった』なんてもんじゃない。でもね、経験してしまった事実は変えようがない。糧にしよう。君は優しいヒーローになれるさ」
その言葉になまえの辛い15年間はほんの少し軽くなった。
その後は新月の夜になるたび校長に体育館を開けてもらい、暴れる個性と闘っていた。
時折相澤も同席し、どうやって制御するか共に悩んでくれた。この恐ろしく醜い姿を知っても自分を自分として見てくれる家族以外の存在に、なまえはなんとか報いたいと思っていた。
「みょうじ、開けろ」
突然後ろから聞こえた声に、なまえは身体ごと振り返った。
────爆豪。
なまえの頭は一気に冷え、反対に心臓は蠢く真っ黒同様に激しく暴れ回った。唸り声を抑えようとするが上手くいかない。
「そこにいんだろ」
ガン、と揺れた扉に思わずビクつく。
今夜は1人で頑張ってみると言ったなまえに、校長も相澤もいなかった。こんな深夜に誰も来ないだろうと思ったが「でもあった方が安心できるだろう?」と、扉の内側には捕縛布と似た材質のテープが頑丈に貼られていた。だから、たとえ爆豪が爆破したとしても破られる心配はなかった。
それでも、今、なまえはバケモノの姿になろうとしている。
万が一がないとも限らない。爆豪に見られるわけにはいかない。
「テメェ、たまにコソコソどっか消えとると思ったら。こんなとこにいやがったんかよ」
「…お願い。帰って」
「ハァ?なんで」
「なんでも。…爆豪、お願い。一人にして…っ!?」
ドロドロと暴れる真っ黒だけに集中してもコントロール出来ないのに、人と話しながら抑え込むなど不可能だった。次第になまえの呼吸は荒くなっていく。頭が割れそうに熱くなり、その一方で身体はどんどん冷えていく。蠢く黒は勢いを増し、食いしばる口許から血が滴り落ちた。
「…オイ。マジで開けろや」
なまえの苦悶に満ちた唸りに気付いたのか、焦りが混じったような鋭い声が扉の向こうから発せられた。
「ほんと、にっ!だい、じょ、…か、ら」
「オイ!!!」
──お願い。爆豪、行って。
「開けろ!!!」
「お、まえ、にだ……し、らっ、たく、な…ッ!!」
──見ないで。
ついに耐え切れず金切り声を上げた瞬間、黒が一気に立ち上った。天井付近でうぞうぞと暴れた真っ黒は、なまえの身体に一直線に落下した。
────また、勝てなかった。
なまえの身体は完全に呑み込まれた。
こうなってしまうと皮肉にも身体は楽になるし、頭の痛みもなくなる。包まれることに抵抗している時間が一番苦しいのだ。
6本の細く長い脚、ギョロリと光る瞳、粘膜に覆われた不揃いな牙。
蠢き腐臭を放つ真っ黒を身に纏うその姿は、獣ですらなかった。
「…爆豪、ごめん。もう大丈夫」
「……みょうじ…?」
扉の向こうから問いかける声は彼らしくない、酷く戸惑ったものだった。それはそうだろうと思った。なまえの声も醜く変わってしまっていた。
「大丈夫、なんだけど。ごめん、会えない」
後は夜が明けるまでじっとしているしかなかった。
「このこと、誰にも言わないで欲しい」
無言で様子のわからない爆豪に一抹の不安はあったが、信じるしかなかった。
「…頼む」
どうかこのまま去ってくれ、と願いながら極力穏やかに声を出した。
しかし、再びドアが振動で揺れた。
扉の向こうから聞こえる音や声に、爆豪がなんとかしてこじ開けようとしているのがわかる。なまえは恐怖で全身を揺らした。それに合わせるようにざわざわ、と黒も揺らいだ。
「お願い。ほっといて…」
「開けろ」
「いやだ…」
「開けろってんだ!!!」
「やだッッ!!!」
何度言っても離れない爆豪の気配に、なまえはその場に蹲った。ボタリ、と落ちる涙すら真っ黒で、濡らしたそばから床を腐らせていく。
「頼むから…!構うな……っ!」
よりにもよってこの姿を一番見られたくない相手に、なまえの唸るような嗚咽は止まらなかった。
爆豪が好きだった。
夢に向かって真っ直ぐで、ストイックで、強くて凛々しい、その姿が好きだった。あんな風になりたいと憧れ、いつしか友人以上の感情も抱くようになった。
ただその一方で、爆豪の恵まれた個性や能力、容姿に劣等感も抱いていた。醜く悪臭を放ち、ヴィランだと指を差される自分とは違うのだと、卑屈な気持ちで見つめてもいた。
彼が持つヒーロー性はなまえには眩しすぎた。
「ウジウジウダウダしてんじゃねェ。とっとと開けろ!」
「いやだって言ってんだろ!?ほっとけよ!」
「ンな声上げられてほっとっけっかよ!!!!」
「 しつけぇっ!!」
なまえの声に反応するように、ゾア、と黒が立ち上った。
まずい、と思った時には遅く、四方八方に勢い良く放たれた黒は壁や天井にぶつかった。所々崩れ腐った煙を昇らせるコンクリート壁に、「気にしない気にしない」と笑う校長の姿が脳裏を過ぎった。
突然の衝撃音にさすがの爆豪も大人しくなったのか、扉の向こうから音が消えた。
「っこんなのに関わっちゃ…、ダメなんだ…!」
「は…?」
「爆豪は、真っ直ぐ、明るいところを進むんだから…」
夜の闇に泣き叫び、水面に映った自身の姿に戦慄した。
こんなバケモノと関わらせたくなかった。こんな醜い姿を知られたくなかった。
「…こっち来い」
「もう開けねェから」と扉の向こうから聞こえる声に、なまえは顔を上げた。
「こんな夜中、フツーは寝てんだよ」
「…?」
「わざわざ探してやったんだ。感謝くれぇしろや」
「!?た、のんでない…!」
何の話だと思いつつ、なまえは声を荒げた。
「テメェは決まって月一、朝からヒデェ顔晒してんだよ」
「……バレてたのか」
「まあ、俺くらいのもんじゃねぇの。他の奴らは気付いちゃいねぇよ」
爆豪はそう言ったが、なまえは不安になる。
誰にも知られたくない、こんな姿を知られたら、早くコントロールしなければ。そんな思いがぐるぐるとなまえの頭を回った。
「みょうじ」
水を打ったように静かな声が聞こえた。
「待ってる」
「………え?」
「テメェが、扉、開けてもいいってなるまで、待つ」
少し掠れた声に、なまえは目を見開く。
「いつまででも待つ。…から、早く諦めやがれ」
「…んで、だよ…」
「帰れっつっても無駄だからな」
「なんで…」
────やめて。
開けてしまいそうになる。縋りたくなる。
その静かな、普段の爆豪からは想像がつかないほど穏やかな声に、わかってくれるんじゃないかと期待してしまう。
そんな自分を振り払うようになまえは激しく頭を振りながらたたらを踏んだ。
「俺は、モブの相手しねんだわ」
「え、」
「テメェの目、うるせぇんだっつの」
「は、え…?」
「あんなもん気付くわ」
「…っ」
「んで、テメェも気付けや、アホなまえ」
「ほっとけねェっつってんだろ」
その言葉になまえのギラつく瞳から黒い涙が溢れかえった。泣く声も醜かった。
「…いいから。こっち来い」
コンコン、と叩かれる扉に、なまえはゆっくり近付く。
この扉の向こうに爆豪がいる。優しい声をかけてくれる。その表情はどんなだろうか。
「人じゃ、ないんだ、よ…?」
「ハァ?」
「絶対、ひく」
「ふぅん」
「…ッ、きらわれ、たく、ない…!」
縋るように扉の向こうに向かって叫ぶ。
こんな自分から早く離れて欲しい、爆豪の中の自分は人型の普通な姿だけ残していて欲しい。
さめざめと泣くなまえの周りは零れ落ちる涙で腐り、所々に穴が空いていた。
「見たことねぇからわかんねェ」
「……、」
「けどな、これだけは言っとく」
「離れようとか、考えんじゃねぇぞ」
「ば、くご、う」
「無理に見せんでいい。でも、1人になんな」
「……ッ、ふ、ぅ…!!!」
「諦めねぇからな」
溢れる声と涙に任せるしかなかった。
扉の前に蹲り、なまえは泣き続けた。時折呼ばれる名前が冷えた身体に温かく響いた。
いつの間にか眠っていたらしい。
窓から差し込む朝陽に照らされたなまえは上体を起こした。記憶にある限りでは初めて眠れた新月の夜だった。身体を見回すが、いつも通り黒は消え去り人の身体に戻っていた。
────いるの、かな。
目の前の扉を見上げたなまえは、ゆっくり立ち上がった。
1枚ずつテープを剥がし、取手に右手を掛けスライドさせた。ガコン、と開いた扉の隙間から窺うと、左の扉に背中を預け、腕を組んで眠る爆豪が足元に見えた。
その姿に、なまえは唇を引き結んだ。
爆豪の前にゆっくり屈み、恐る恐るその肩に触れた。
「爆豪、起きて」
ピクリと痙攣した瞼がゆっくり開き、無防備な赤い瞳と目が合った。
寮や学校で見る鋭い視線とは違う瞳に心臓が揺れた。
「…ごめん。俺、寝ちゃってた」
「…」
「部屋戻ろ。少しでも横になって」
眠たげな爆豪に再度「ごめん」と呟くと、右手が頬に伸びてきた。優しく頬を撫でる指先になまえはたじろぐ。
「テメェは大丈夫なんかよ」
「…う、うん。寝れたから。いつもより楽、だよ」
「そうか」
「なら良い」
そう言って後頭部に回った掌に、なまえの頭は爆豪の肩口に引き寄せられた。
「ばくご…!!」
「次からは声かけろ」
「…っ」
「外で待っててやるから」
「…なまえ、1人になんな」
ポンポン、と頭を撫でる掌に、なまえの肩は震えた。
堪らず縋った背中も、なまえを包み込む腕も逞しかった。
その温もりに止め処なく溢れかえる透明な涙は、爆豪の肩を濡らし続けた。
朔にひとり佇むきみへ
扉を開けて、いつか会いに行くから