(※Dive to Deepの続編です)
壊れる前の姿に完全に戻るものはこの世にないのかもしれない。
傷を負い、そして癒える自分の身体を見て思う。
傷口は塞がっても跡は残る。見た目には綺麗に治る傷もあるけれど、その裏ではきっと体内の細胞やエネルギーが消耗され、失われていっている。
ゴミ箱へ投げ捨てた紙を拾うことはできても皺は残るし、壊れたものと同じ商品を買ったところでそもそも全くの別物だ。
インターン活動で幾多の死線を超え、傷を負った。
鋭く向けられる悪意や罵声を真正面から受け止めた。
そのたびに心臓は悲鳴を上げ、鼓膜の裏側を激しく打ち付けてきた。
そこまで身体と心を砕いても報われない結果の方が多かった。
取り逃したヴィラン、救えない命。
ヴィランだけじゃない。何故と問い詰めてくる市民の正論はもっと暴力的だった。
泣き叫び崩れ落ちる脳天、胸倉を掴みながら青筋を立てる顔。それらを目の当たりにするたびに自分はヒーローなんかじゃない、サンドバッグの間違いだろうとしか思えなかった。
小さく固く蹲りながら1人で咽び泣き、拳を握り締めた夜は数知れない。辞めてしまいたいと弱る心を止めることはできなかった。
そうしていつの間にか迎えた朝は眩し過ぎることもあったし、重たくのし掛かるような曇天の時もあった。
そんな日々のなかにあっても、なまえと爆豪の関係は続いていた。
学年が上がり最終学年となったなまえは一層多忙を極め、校内で会う機会はぐんと減ってしまった。人気ヒーローとなったMt.レディへの出動要請は日に日に増えていったので、当然なまえのインターン日数も2年生の頃の比ではなかった。
爆豪もエンデヴァーの元で積極的に現場に出ていて、その様子は傍から見ていて無理や無茶としか思えないほど激しいものだった。会うと以前あった傷は完治した代わりに新しい大傷を作っていることがほとんどで、生傷の絶えない爆豪になまえの眉尻は下がる一方だった。
傷の手当てをしてやるなまえが余程の表情だったのか、「すぐ治る。ンな顔すんな」と爆豪が心底困ったような顔をしたことも数回あった。
互いを取り巻く危険を感じながらも、それでも目標へひた走ることをどちらも引き止めたりはしなかった。傷だらけの姿を見て眉間に皺を寄せながらただ黙ってその身体を抱き締め、人肌の温もりに擦り減る心を満たしていた。
包まれる腕の中で、早く一人前にならなければ、この人を心配させてはいけないと誓っていた。
爆豪に求められる限り、その背中を送り出し、帰ってきた身体を受け止められる自分で在りたいと願っていた。
たったその想いだけがなまえの心を押し留め、身体を前へと突き動かしていた。
/////
そうして駆け抜けるように季節は去っていき、ついになまえは卒業の日を迎えた。
教室での最後のHRを終えなまえがクラスメイト達と校舎の外に出ると、わらわらと寄って来た2-Aの後輩達に囲まれた。
様々な表情で祝いの言葉をかけてくれる面々と会えるのもこれで最後かもしれないと思うと、少し落ち着いたはずの胸に再び寂しさの波が迫ってきた。それは隣の友人も同じだったようで、友人は既にぼたぼたと涙を流しながら芦戸や葉隠と泣き合っていた。
入学して2年が経とうとしている後輩達は身体つきも表情も逞しく成長していて、それでも1年生の頃と変わらない人懐っこさにかわいいな、と思った。
「来週も会えるってわかってっからイマイチ実感湧かねぇや」
寂しそうな女子達の横で上鳴がニカッと笑う。しんみりとした空気が漂う場に似つかわしくない軽さになまえは思わず微笑んだ。
視線を上鳴から瀬呂、峰田と流していく。
「3人は…、これからもよろしくね」
「こちらこそです。みょうじ先輩のフォローがあるからついてけてます」
「なまえ先輩いなかったら俺、今頃折れる心もねっす」
「そんなに?」
頭を掻きながら今度は苦笑いを浮かべた上鳴に、なまえはつられて眉を下げながら小さく吹き出した。
なまえの存在など関係なく活躍する3人を知っている。インターンの序盤こそ固さの見られた3人だったが、それから多くの現場を経験するにつれて躊躇いなく瞬発的に動くようになった。
「後輩だと思ってるとすーぐ抜かれちゃうね〜」と冗談めかして笑ったMt.レディに本当に、と頷き返したのは随分前の話だ。
お世辞が含まれている言葉だとわかっている。それでも瀬呂と上鳴の言葉が嬉しかった。
「俺ァ先輩の鉄壁防御のコスチューム破るまで食らいつくッスよ……!」
「ちゃんとした挨拶を秒で台無しにすんなよ」
ただ、こういった時の峰田にどう対処するのが最善なのかだけは卒業の今日に至ってもわからないままで、なまえは眉を下げたまま無言を返して誤魔化した。
「そろそろほんとに殺されるよ」と叱責する耳郎の言葉に、いつだったか「玉にだけはマジで気ィつけろ…」と冗談抜きの顔で忠告してきた爆豪の顔が浮かんだ。
その張本人はどこにいるのかと思いながら涙を流している友人の背中を摩っていると、ブレザーのポケットに入れたスマートフォンから全身に振動が伝わった。
「……ごめん、ちょっと行ってくる」
嗚咽が止まらない友人に声を掛けると、涙を拭いながらも無言で数度頷いてきた。
戻ってくるとはいえ泣いている友人を置いて行くことに気が引けたが、「それまで一緒にいますから。行ってきてください」と微笑む麗日に小さく謝罪をし、駆け足でその場を離れた。
校門から視覚になっている校舎のそばに爆豪は居た。
駆け寄るなまえに気付いた横顔がこちらを向いた。
そのまま歩いて来た爆豪の目の前で立ち止まる。軽く息を吐いたなまえに「歩いて来いよ」と気遣うような言葉が掛けられた。
「クラスの奴らに囲まれてたんだろ」
「うん。勝己が居ないからあれ?って思ってた」
「一緒に行くわけねェだろ」
眉を顰めて吐き捨てられた言葉にそれもそうか、と納得した。
クラスで浮いているわけではなさそうだが、なまえの知る範囲において爆豪は自ら輪の中に入って行くことはしないようだった。そんな爆豪を知ってか知らずか、後輩達は無理矢理誘うこともあれば放っておく時もあって、そんな様子になまえも特に気にはしていなかった。
乱れたかもしれない前髪を触っていると、爆豪の右腕が動いた。
「やる」
突然差し出された右手の近さに一瞬たじろぐ。
目の前には透明なフィルムと紺色のリボンで控えめにラッピングされた一輪花があった。なまえは思わず目を丸くした。
花と爆豪。あまりにも意外過ぎる組み合わせに視線を交互に向ける。
毎年、卒業式当日に園芸部が一輪花を用意していることは知っていた。なまえも昨年世話係をしてくれた先輩達に渡したから憶えている。
「……ンだよ」
「いや、あの…」
「いらねんか」
「い、いる!」
「ありがとう」と小さく呟いて両手で受け取ったスイートピーをまじまじと見つめる。
これを爆豪が園芸部に貰いに行った映像を想像してみてもなかなかピンとこない。嬉しいけれど、それ以上の驚きが実感を遅らせていた。
両手で優しく握りながら茎を回す。ひらひらと舞う蝶のような薄紫の花は春の陽光に柔く透き通っていた。
「俺がこんなことすると思ってなかった、か」
聞こえた言葉に顔を上げると、「シツレーだな」と微かに笑う顔があった。
「え、」
「流石に今日はするだろ」
いつもより表情の変化も言葉も多く、そのトーンも何処か冗談めいている。
今までと様子の違う爆豪になまえは戸惑う。嬉しいはずなのに、わざとらしいとも取れる態度に何か予感めいたものを感じてしまう。胸が微かに重くなった気がした。
付き合って1年は経ったが、始まりの頃の仄暗さはまだなまえの心に尾を引き、時折その影を落としてきた。爆豪からほんの少しでも変化を感じるたび、何かあったのかと気になってしまう。
「……ありがとう」
そんな思いを振り切るようになまえは改めて礼を伝え、微笑み返した。
爆豪もそのままじっとこちらを見つめてきて、その視線に耐え切れず「綺麗だね」と誤魔化した。
そのまま降りた沈黙に、遠く風に乗って聞こえる騒めきを感じている時だった。
「待つなよ」
落ち着いた、静かな声だった。
なまえはゆっくり顔を上げる。聞こえた声と同じ、静かで落ち着いた赤がこちらを見つめていた。
「俺を待ったりすんな」
「…、」
「いらなくなったら言え」
「か、つき…?」
「遠くに行くとかそういう野郎ができたとか…、もう別れてぇとか」
「勝己!」
「そうなったらすぐ言え」
寂しそうな表情すらせず淡々と告げる爆豪に、なまえの眉尻はみるみる下がっていく。思わず右手を伸ばし、だらんと下げられた左手を掴むも特に反応はなかった。
「勝己」
確かめるように名前を呼ぶもそのまま黙って見つめてくる爆豪にいよいよ不安になる。
なまえは緩く首を振り否定の言葉を探したが、予感が的中してしまった焦りに上手く声が出せない。
「なんで、そんなこと」
「………」
「……っわたしは「ただ」
被さってきた声に、爆豪の左手を掴むなまえの右手に力が入った。
「忙しいからとか、くだらねェ理由だったら許さねぇからな」
なまえは目を見開く。
「忘れんな」
耳から入ってきた言葉がそのまま胸に落ち、波紋のように広がっていく。全身に響いた言葉に腹の奥底から何かが迫り上がってくる。
付き合ってから初めて聞いた爆豪の欲だった。
欲と言うにはあまりに控えめかもしれない。それでも、なまえの言うことを優先し、自分の内に留めた想いを滅多に口に出さない爆豪が、自ら話してくれた。その事実はあまりにも大きく、そして嬉しかった。
流すなら離別を悲しむ故のものだろうと思っていたなまえの瞳から温かい涙が流れ出る。
爆豪の左手から右手を離し、慌てて手の甲で拭うも次から次へと溢れてくる。落ち着かない胸を押さえるように左手を胸元に引き寄せると、スイートピーの香りがふわりと鼻腔を撫でた。
「ンで泣くんだよ」
「だって、別れ話かと」
俯き気味に目元を拭うと「俺からはねぇよ」と頭を撫でられた。
その言葉にも吃驚したなまえは一瞬涙のことも忘れて顔を上げた。こちらを見下ろす赤い瞳はいつもの翳る素振りはなく、ほんの微かに笑みを湛えているようにすら見えた。
「ハ、なんつー顔しとんだ」
「っ絶対、泣かせよっ、としてるよね!?」
「アホか」
右手がなまえの頬に添えられる。
「泣くのはもう十分だっつの」
親指がなまえの目尻を優しく拭う。その温度に再び決壊したなまえが瞼を下ろすと、右頬にも掌が添えられた。
「な、んで」
「あ?」
「なんで、そんなこと、今日、言うの…」
「……前から思っとるわ」
「わかんないよ」
包まれる両頬の温度に誘われるままなまえが静かに泣き続けると、左の目尻が少し強く擦られた。合図のようなそれになまえが瞼を上げると、陽の光に照らされた赤い瞳と目が合った。
「ンなぼろぼろ泣きやがって。そんなんでヒーローできんのかよ?」
心配しているようで、でも煽っているようにしか見えない姿に心が軽くなっていく気がした。
その顔を、空を、霞んだ陽射しが撫でた。明るくて、でも眩しすぎない柔らかい光に、自然と頬が緩んでいく。
「せ、んぱいに向かって、生意気」
涙混じりに笑うなまえに、爆豪の顔に静かな笑みが浮かんだ。
金髪越しに見える空は高く晴れていて、まだ少し冬の名残を感じる薄い青色をしていた。
いつか一人
旅立つきみが
りこさま
はじめまして、うまこです。
「Dive to Deep」のその後とのリクエストありがとうございます。大変お待たせしてしまい申し訳ございません…。思い入れがあるおはなしなこともあり、納得のいく形になるまでかなりの時間がかかってしまいました。
色々あった爆豪くんが自分の欲を出せるまでには結構な時間がかかるような気がします。一歩踏み出せた瞬間を書きたいなと思いつつこれもやはり蛇足ではないか…と思っていたので、機会をいただき感謝です。
リクエストとメッセージありがとうございました。また遊びに来ていただけますと幸いです。