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体育館のドアをスライドすると、外まで聞こえていた爆発音がより鮮明になって飛び出してきた。
中では爆豪とみょうじが風と音を撒き散らしながら縦横無尽に飛び交っていて、みょうじが旋回しながら起こした風がこちらまで吹いてきた。横髪が持ち上がり、水分が持って行かれる気配に目を細めた。
どうやら今日は空中移動の練習らしい。

「もう時間だ。5分後には終われ」

声を張ると、爆豪から逃げるように逆さを向いて飛ぶみょうじから返事だけが返ってきた。どちらもこちらを向く素振りはない。
扉に背中を預け、飛び交う2人をぼんやりと眺める。


みょうじのような生徒は今まで沢山見てきた。

その時の集団の中で優秀だと「自分は出来る人間」だと錯覚するしそれは至極当然のことだ。雄英の入試をパスしているわけだし、その実力はある程度本物だ。
ただ入った先では自分と同じかそれ以上の者ばかり、全体のレベルも難易度も上がった集団に入って初めて自分の真の実力を知る。そしてそれまで努力ではなく、どちらかと言えば元々の素質で登ってきた人間はそこからが辛い。
大人からしてみれば高校からのリスタートなど当たり前のことで遅くもなんともないが、当事者はそうは思えない。人生で初めて現れた聳え立つ壁に絶望するのだろう。

みょうじが特段できないわけではない。中学までは優秀だったが故に「自分はヒーローになれる人間なのでは」と思い、ヒーローへのWそこそこのW憧れで入学する。
そういう人間は雄英にきて必ず躓く。そしてそれをフォローするのが大人の役目だ。

最も恐ろしいのは才能だけで結果が出ることだ。
努力の先にある結果にこそ価値がある。努力をせずとも得られた結果に「自分は出来る」と勘違いをしたまま大人になるより、失敗しても助けてやれるうちに挫折や後悔を経験し、努力をして結果を得る当たり前を知ることが大切だ。そうしていれば実力もつくし、大人になって失敗した時にも自分で立ち上がれる強さを持てる。努力によって築かれた自身の基盤がどれほどしっかりしているかで、その後の伸び代に差が出る。

みょうじのヒーローになりたい気持ちは本当だろう。嘘だなどとは思っていない。
ただ絶対にヒーローになるんだと、その一点しか見えていないがむしゃらな人間に比べると挫折しやすく、そして立ち直れなくなるケースも多い。
入試の成績はそこまで悪くなかったはずが、気が付けば追い抜かれ置き去りにされてしまうのだ。
根性論を説くつもりは毛頭ない。しかし気持ちの強い者に負けることも事実としてある。

みょうじはヒーロー科を辞めていった過去の生徒とよく似ていた。
退学とは云わずとも退科したいと相談してくるのも時間の問題かと思っていた。
そういった決断をした生徒は何人か見てきたし、それが甘いなどとは思わない。自分の弱さに向き合っているからこそ出せる勇気ある撤退だ。
努力が結果に現れるのには個人差がある。ある日突然コツを掴む可能性もあるし、それが卒業後か、5年後かもしれない。そんな日はこないのかもしれない。不確かな未来を見せて頑張れなどと無責任なことを言うつもりはなかった。


……そこまで考えていたのだ、俺は。

「バッドボーイは今日も相変わらずかよォ」
「何しにきた」
「あんな感じでも結局お年頃ってワケか」

どこからともなくやってきた山田が「甘酸っぺぇなァ!」と額に手を当て声高に笑う。下世話だ。

視線の先の2人はたった今着地したところで、こちらの会話は耳に入っていないようだった。
壁寄りに置いてあった2本のペットボトルとジャージを掴んだ爆豪がみょうじに歩み寄っていく。膝に手を当て肩を上下させるみょうじが顔を上げると、ペットボトル差し出しながら会話を切り出した。ペットボトルを受け取ったみょうじは上体を起こし、顔を手の甲で拭いながら頷いている。まだ息は整わないようだ。
軽いジェスチャーを交えながら話す爆豪と頷くみょうじは互いに見合ったままで、こちらを気にする素振りは皆無だった。
もはやこの光景にも慣れたが、意外な事実を知った時は正直驚きを隠せなかった。

爆豪とみょうじがペアになったのは単なる偶然だ。
演習前、実技成績の上位から中位を上半分、下位を下半分に書いた紙に縦線を引き、横線は適当にそこそこの数を書いた。所謂あみだくじだ。
だから爆豪とみょうじがペアになったのはたまたまで、俺の作為など一切入っていなかった。しかしみょうじから辿った線の先にある爆豪の名前に数秒止まってしまったのも、あみだの線を引いた自分の右手に柄にもなく責任のようなものを感じたのも事実だった。
爆豪とみょうじの性格の相性を考えたら他と入れ替えることも考えた。今でも十二分に低迷しているみょうじが不必要に凹まされる様子が目に浮かんだし、みょうじが特に成績上位者を遠巻きにしているのは知っていたからだ。
そうやって他のペアを決めながら頭の片隅で考えあぐねていたが、結局はそのままにしておいた。この先プロとしてやっていくのなら性格の相性など言っていられない。突然のチームアップにも対応できるコミュニケーション能力を培えるならばと、些か気になりつつもそのままにしておいたのだ。

「上手くいくならいい。放っておく」
「お!?まさかの堂々応援スタイル!?」
「授業が、だ。それ以外のことに口出しする権利、俺達にはない」

それがどうだ。なんだあの爆豪は。
そういう俺の狙いを……、まあ、それはある意味クリアしているわけだが、なんというか。

「そうじゃねぇよ!ってカオしてんのによく言うぜ!?」

ペアになれてこれ幸いというような空気を感じるような気がしなくもない。爆豪の普段がああだから気付きやすいのか、もしくは本人に隠す気がないのか。
演習では単独行動に走るのかと思いきや徹底してみょうじのフォローに回ったし、そのスピードも速かった。他のクラスメイトに向ける怒号もみょうじには一切吐かない。なんなら他のペアの演習中もみょうじと2人、モニターを見上げながら何かを話し合っていた。「ええと」「あの」「なんか」と要らない言葉を多数吐くみょうじに爆豪が静かに向き合う姿には目を見張った。
気を失ったみょうじを救け起こしただけでなく、「俺が連れて行く」とそのまま保健室に抱いて連れて行った時、ついに驚きは確信に変わった。


こちらを振り返ったみょうじが駆け寄ってくる。半袖の白いTシャツだけでなく、頬や額にも煤けた汚れが付いている。

「相澤先生、ありがとうございました」
「だいぶ安定してきたんじゃないのか」
「あ、でもまだひっくり返っちゃったりして、思うように飛べないです」

そう言って眉を下げつつも口許は少し緩んでいて、本人の実感は言葉の通りだけではないことが見てとれた。

「全然コントロールできなくて…」
「でも今日は失敗してないだろ?」

山田が口から舌を出し掌を仰ぐように前後させる。その姿をぽかんと見つめていたみょうじは数秒の後、慌てたように「その節はすみませんでした…!」と頭を下げた。
身体の後ろから持ち出された両腕が目に留まる。

「生傷絶えねぇなァ」

山田の心配げな声に、みょうじは乾いた笑い声を返してきた。「いつものことなので」と隠すように左手で押さえられた右腕には、顔同様に煤が付いている他に青い打撲痕や擦過傷が散らばっていた。庇う左腕も右腕に比べて数が少ないだけで、そこそこの傷が出来ていた。
みょうじの一歩後ろの爆豪は無傷で目立った汚れもなければ、疲れた様子も見受けられない。
手持ち無沙汰そうに他所を向いているが、黙って佇みみょうじを急かすような素振りは一切ない。

ふいに視線がこちらに向いた。
そんなつもりはなかったが不躾な視線だったかと思いながらそのまま受け止めていると、下瞼が微かに持ち上がった。

「はやく保健室行ってこい」と山田が促すとみょうじの視線がこちらに向いた気配がして、眼球を正面に戻した。

「あの、鍵、返してきます」
「…、いい。そんなことより怪我の手当てしてこい」

「あ、ありがとうございます」と会釈をしたみょうじが後ろを振り返ると、軽く頷いた爆豪が歩き出した。再びこちらを見上げる赤い瞳に視線を返すと、ついに左の口角がニヤリと上がり白い犬歯が覗いた。

「あざっした」

確信めいた表情で不敵に笑ったその顔は、「あ!ご、ごめん!ジャージと水…」と爆豪を振り仰いだ声に一瞬で引っ込んだ。歩む速度は変えず、それでいて「いい。はよ行くぞ」と返す声は努めて静かな声色を出しているように聞こえた。
そのまま連れ立って体育館を後にする背中が見えなくなった時、「どういう外堀の埋め方だよ」と山田が呆れたように笑った。


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扉の向こう側で聞き慣れた声がしたと思った直後、ドアがスライドする音がした。

「失礼します」
「やあ、みょうじ少女。…と、爆豪少年」
「また怪我したのかい?」

思った通りの人物の登場に正面の丸椅子を勧めると、俊典に会釈をした後小走りでこちらに向かってきた。傍らにいた男子生徒は俊典に声をかけられ、そのまま会話を始めた。

「診なきゃいけないのはどこだい?」

促し差し出された右腕には、今回も痛々しいものが無数に浮かんでいた。軽く水洗いをしたらしい肌は少ししっとりとしている。
前回診た傷や打撲もまだ治りきってはいない。
瘡蓋の上を横断して出来た10センチ程の切り傷に消毒液を含ませた脱脂綿を当てる。痛がる様子もなく私の手元に視線を落とす瞳の色を確認し、話しかけた。

「ここからの卒業はまだまだ先みたいだね」
「卒業までお世話になりそうです」

「いつもすみません」と困ったような笑顔が返ってきた。力こそ籠っていないが重く暗い雰囲気はない表情にこちらも肩の力が抜ける心地がして、軽い溜息と小言を返しておいた。
いつの日だったか、「卒業、できるかわからないですけど」と溢した低い声が思い出された。


保健室を訪れるこの子はいつも傷ついていた。
身体の傷もそうだが、その奥深くで日に日に消耗していく心が居た堪れなかった。

ヒーロー科に在籍していて、私をはじめ教師の世話にならずに卒業する生徒はいない。
一切の負傷をしないなど有り得ないし、多少の個人差はあれど誰しも一度は挫けるし落ち込む。
しかしこの子はそれだけではなかった。俯く背中が纏う空気は今までに何度も見た、夢半ばで道を変えた過去の子ども達に重なるものがあった。
だから1-Aで実技演習のある日は、壁の時計を振り仰いでは扉の向こうの足音に気を配っていた。特別扱いをするつもりはないが、受け容れるだけで癒えるものがあるならばと、そう考えていた。

力無く笑う顔は保健室を訪れる回数を追うごとに口角が下がっていき、瞳は翳りを増し、そうしてついに無気力な、色のない表情へと変わっていった。カーテンの向こうのベッドから抑え込むような啜り泣きが聞こえてきた時の方がまだ前向きなものを感じられたほどだった。
たまたま瞼を開けているだけといったような瞼と土気色の唇を認めた時は、ついにその時が来たのだと思った。溢れてしまったものを掬えたらと思うけれど、何を言っても傷付けることが目に見えていれば何をするわけにもいかなかった。

「はいよ。次は左だね」

入れ替わりで差し出された左腕は、右腕に比べて傷は少なく浅かった。

「痛々しいな」

包帯と絆創膏に包まれた右腕を心配げに見つめる俊典に顔だけを向けたこの子は、「もう慣れっこなので平気です」と微笑んだ。

「慣れて欲しくはないなあ」
「アンタが言っても説得力皆無だわ」
「はは、言うねぇ」
「ば、爆豪くん…」

あの少年なのはわかっている。
詳しいことは何も知らない。けれど、いつしか共に訪れるようになったあの子は言葉少なで、そしてその瞳と行動でこの子に多くを語りかけていた。長く生きてきたが故の勘が働いたのか、気付くまでにそう時間はかからなかった。

「いやぁ、でも知らなかったな」

3人の会話を耳に入れながら前腕に浮かぶ打撲に湿布を添えると、温度差に驚いたようにほんの微かに腕が動いた。

「爆豪少年とみょうじ少女は仲が良かったんだね」
「え?」
「………は?」

要らないことを言った。
2人の空気が止まる気配に全く気付かない俊典を心の中で叱責しながら、湿布の四辺にテープを手早く貼っていく。

「っあ!ああの、オールマイト…!」

吃る声に視線を上げると、青いような赤いような頬が慌てたように震えていた。
ソファに座る俊典の斜め後ろからはじわじわと、何か不穏な気配が漂ってくる。

「実技で、わ、わたしが爆豪くんのペアで」
「?ああ、知っているよ」
「その、あまりにも不甲斐なさ過ぎて…、色々教えてもらってて」

疑問を隠そうともしない表情で見つめる俊典から逃げるように視線がずれた。そうしてちらりとあの子を見やった瞬間、その眉尻がぐんと下がった。きっとこの子が考えているものとは違う理由でW不機嫌極まりないW表情で沈黙しているのだが、この子も俊典同様、気付く気配はない。
何とかしようと努める横顔に重い腰を上げることにした。

「その、仲が、っていう、のは」
「はい、終わったよ」

最後の一辺を貼り終えると同時に声をかけた。
普段通り、でもほんの少しだけ張った声を出すと、言葉を引っ込めこちらに振り返ってきた。礼を言ってくる顔にはまだ戸惑いと焦りの表情が残っている。

「明日の始業前か昼休みにおいで。取り替えてあげよう」
「わ、わかりました」
「極力濡らさないようにね」
「はい」

「早く寮に帰って休みな」と切れ目なく促すと、「ありがとうございます」と会釈が返ってきた。
丸椅子から立ち上がり半身を翻し、少年と共に扉をくぐる。再度小さく礼を述べスライドドアを閉めたのを見送ってから、俊典に顔を向けた。

「俊典」
「なんでしょう」
「余計なことを言うもんじゃないよ」
「……はい?」

老婆心のお節介も案外役に立つのかもしれないと思いつつ、しかし静観するに留めようと心に決めながら、道具の後片付けに取りかかった。


青夏のふたり

「言っとくが、」「うん?」「仲良し、なんざごめんだからな」「そ、そうだよね。その、なんというか、ごめんね」「…(ンでだよ、馬鹿)」