▼ ▲ ▼



あの保健室での出来事以降、爆豪くんと過ごす時間がぐんと減った。というか、なくなった。
演習が終わったから当然と言えば当然なんだけれど、主な原因はそうじゃなくて、きっとわたしだ。


爆豪くんに声をかけられることがなくなった。
それは多分、わたしが返事をしていないからだ。
爆豪くんは待ってくれているんだと思う。


あの日からたくさん悩んだ。本当に悩んだ。
みんなに必死についていく毎日は変わらなかったけれど、ふと息をついた時に頭に浮かぶのはいつもあの日のことだった。そしてそのまま爆豪くんの姿を探しては目で追っていた。
授業中、椅子に凭れながら気怠そうに、でも静かに前を見る背中を見つめてしまう。演習中に爆発音と吼える声が響くと思わず振り向いてしまう。
その眩しい姿を捉えるたびにあの日のことは嘘なんじゃないかって思えて、信じられなくて、現実味が湧かなかった。でもそう思うと同時に真っ直ぐな赤い瞳が脳裏に浮かんできて、包むように握られた右手首の熱さが蘇ってきた。
そんな堂々巡りを悶々と続けていた。

そうしてやっと心が決まって、返事をしなきゃと思った。2週間くらい経った頃だった。

けれど、今度は爆豪くんに声をかけることができなかった。
周りに気付かれたくないから爆豪くんが1人のタイミングを狙っていたのだけれど、寮と校舎の行き来しかないからそんな場面が全くなかった。
爆豪くんから誰かの元に行く様子はあまり見なかったのに気がつけば切島くん達がそばにいて、そこから会話が広がって他の男子や女子と盛り上がることもしばしばだった。
仲が良くて居心地が良いクラスな分、2人きりになれるチャンスがなかった。

そんな感じでまた次の機会に…なんて思っているうちにまた1週間が経ってしまった。
さすがに遅過ぎ、この調子だと1ヶ月経ってしまうと自室で卓上カレンダーと睨み合ったわたしは、明日こそ声をかけようと決めた。


/////


そう決意して一夜明けた今日、わたしは1人で教室にいた。
結局今日も爆豪くんに声をかけられないまま学校が終わってしまった。

今日の日直が自分だったことをすっかり忘れていた。
それでも戸締りや黒板消しをして日誌を書くだけだと思っていたのに、今日に限って課題ノートを集めたり、ノートを職員室に持って行ったら今度は別の用事を頼まれたりと雑用が多かった。そうして気がつけば放課後になり、教室にポツンと1人取り残されていた。

「わたしのあほ……」

書いた日誌を閉じながら独りごちた。
机の上にスクールバッグを置き、そのまま倒れ込む。胸の中のざわざわを吐き出すようにわざと大きく溜息を吐いた。

意気地なし、と心の中で呟いた。
なんで声をかけるだけでこうもうだうだしてしまうのか。
爆豪くんが1人のタイミングがないのは本当だけれど、でもそれだって言い訳だ。結局のところわたしに勇気が足りないのだ。
相手の気持ちを知っているのに、それでも返事を伝えることができない自分が情けなかった。
爆豪くんは伝えてくれたのに。変わるって言ったそばから変われない自分が恥ずかしかった。

こうなったら今晩メッセージを送って約束を取り付けよう。
友達登録していない人にグループから辿ってメッセージを送るのはなんとなく気が引けていたけれど、そんなこと言っている場合じゃない。
どこかで時間を作ってもらって、そこでちゃんと返事をしよう。

そう心に決めながらスクールバッグに埋めた顔を左に向け、窓際の席を見つめる。
そこだけはっきり鮮明に映るような錯覚に息を吐く。右手首がどくんと脈打ったような気がして、そのむず痒さを掻き消すように左手で摩った。



「みょうじ」

右後ろから呼ばれた名前に目を見開く。
今まさに思い描いていた人の声が突然聞こえ、身体が硬直した。

「……寝とんのか」
「ねっ、寝てない!」

はずなのに、続いた爆豪くんの声に身体は瞬時に反応して立ち上がった。
頬にバッグの痕が付いていないことを素早く確認し、髪の毛を撫でつけた。
突然のことに早鐘を打つ心臓を自覚しながら顔だけ右後ろに向けると、教室の後ろ扉の横に立つ爆豪くんがいた。開けっぱなしにしていたから扉の音もしなかったんだな、と頭の中でどうでもいいことを思った。

久しぶりに見た爆豪くんの顔はとても新鮮に見えた。
あの日以降目を合わせることができなくて、遠くから目で追っていたのは爆豪くんの背中や横顔ばかりだった。近くを通り過ぎた時はその気配が遠ざかるまで絶対に顔を動かせなかった。気になるのに、爆豪くんを正面から見ることができなかった。

こちらを見つめたまま何も言わない爆豪くんにわたしも言葉を返せない。
はやく返事をしないと。今なら誰もいない。
そう思うのに声を出すことができない。引き結んだ唇の奥で喉が急速に渇いていく。

「無かったことにしろ」
「………え?」

わたしの右隣の席まで歩いてきた爆豪くんは、うまく反応できないでいるわたしを待つことなく言葉を続けた。

「別に困らせたかったワケじゃねぇ」

いつも通り皺の寄った眉間はいつもより切なそうに見えた。
その様子にはっとして慌てて首を振ったけれど、爆豪くんの表情は変わらなかった。

「返事どうこう考えんでいいからフツーにしろやフツーに」
「ご、ごめん、でも」
「テメェが謝んな」
「待って、」
「悪かった」

爆豪くんの口から出た謝罪に驚くと同時、目が細められより眉間の皺が深くなった。

「だから、避けんな」

辛そうな表情にわたしも泣きそうになる。
口を開きかけたわたしを見ずに身を翻そうとする爆豪くんに、咄嗟にその左手を掴んで引き止めた。爆豪くんの動きがぴたりと止まる。

「爆豪くんこそ、謝らないで」

わたしがぐずぐずしていただけで爆豪くんは一切悪くないのだから。
変わらない表情の爆豪くんにもう一度首を振る。本当にわたしのばか、と心の中で毒吐いた。


爆豪くんがじっとわたしを見つめる。無言でわたしの言葉を待ってくれている。
その視線から逃げるように少し下げた視界の端に爆豪くんの左手を掴んだままの右手が映り、慌てて手を離した。

「…避けてたんじゃないよ」

引き戻した右腕を左手で摩る。

「返事しなきゃって、思って。でも…緊張、して、声かけれなくて」

「ごめん」と呟いた。降りた沈黙に緊張して言葉が続けられないでいると、しばらくして「謝んなっつったろーが」と懐かしい静かなトーンで返事が返ってきた。その声色に少し肩の力が抜けた。
ざわざわする心臓を落ち着かせるように、もう一度息を吐いた。

「だって、爆豪くんなんだよ」

ここまできたら思っていること全部を伝えようと思った。

「爆豪くんに、その……、好きって言われたら、むしろそれを理解するのに時間がかかるのが普通だよ」
「んだそりゃ」

理解できないとでも言いたげな声が降ってきた。
それはそうだと思う。だって、爆豪くんとわたしは違う。

「卑下してるとかじゃなくて、実際わたしはクラスで下の方の成績だしパッとしない部類で。目を引くタイプじゃないのは自分が一番わかってて」

可愛かったり美人だったり、才色兼備とかクラスの中心にいるとか、そういう魅力的だと思われる要素はわたしにはない。
だから告白された日は本気で信じられなかった。しかも告白してくれたのは爆豪くんで、なおのこと夢なんじゃないかって思った。
でも、そう認識して改めて爆豪くんを見ると本当なんだと、わたしを想ってくれているのは事実なんだとわかった。
自惚れじゃない、爆豪くんの今までの行動のそこかしこに「わたしにだけ」が現れていたことがわかった。他の子には同じことをしていない。そう理解した瞬間赤面したし動悸も激しくなった。今まで気付かなかった自分の鈍さったらない。爆豪くんの言葉通り、よっぽど自分のことで精一杯で周りのことなんて全然見えてなかったんだと思う。

「でも……だから、そんな自分が良いって言ってもらえて…本当に、嬉しくて」

単純だと思う。好意を寄せられて嬉しくて好きになったなんて。
でもそう思ってしまったらもう止まらないし、勉強を教えてもらうとか自主トレにつきあってもらうとか、理由がなくても一緒にいたいなって思うようになった。話せなかったこの3週間、寂しかった。爆豪くんにそばにいてもらえたら、爆豪くんのそばにいられたら、すごく嬉しいだろうなって思う。

だから。

「なかったことには、しないで、ください」

無意識に口をついた告白同然の言葉に恥ずかしくなって俯くと、頭上から「引っ張りやがって」と悪態が降ってきた。
でもその声色は全く怒っていなくて、気のせいでなければ少し嬉しそうに聞こえた。


「……でもさ、悩むよ」

心臓はだいぶ落ち着いてきた。
顔の温度も下がったような感覚に前髪を直しながら顔を上げた先には、あの静かな表情をした爆豪くんがこちらを見下ろしていた。

「あの子爆豪くんの彼女なの、とか。そういうこと言われたくないし」
「は?」
「しんどいのはもう授業だけでいいというか…!」

そこまで言ってだいたいを察してくれたらしい爆豪くんが盛大な溜息を吐いた。訝しむように上がっていた右の眉尻が元の位置に戻る。
「っとにメンドクセーなぁ」と頭を掻いた後、今度は呆れたような表情を向けてきた。

「それが卑屈なんだろが」
「違うよ。だって爆豪くん告白されまくってるし」
「まくってねェわ両手で数えられるわ」
「お、多いよ…!」

何度か呼び出されているのは知っていたけれどまさかそんなにたくさんだったとは思っていなくて、改めて驚かされてしまった。
人生で告白されたことなんてこの1回だけなわたしからしてみれば信じられない数だ。
美人で有名な普通科の子に告白されたのだって知ってる。本当、なんで爆豪くんはわたしなんだろう。

「あるかもわっかんねェこと気にしてんなよクソが」
「そうかもだけど」
「ンなことで俺と付き合うか付き合わないか左右されとんのがムカツク」
「あくまで一例だよ」

言葉通り不服そうな表情の爆豪くんを見つめる。

「釣り合う人間になって隣に立ちたいって思うから、不安だし悩むんだよ」

わかってくれとは言わない。
けれどわたしはそう考えてしまう人間だと知って欲しい。これから爆豪くんといるのなら、きっとそういう場面はたくさんありそうな気がするから。

わたしの言葉に爆豪くんの表情は変わらなかったけれど、たった一言「そーかよ」とだけ返事が返ってきた。




爆豪くんと話した数分間でだいぶ日が傾いたようで、教室はいつの間にかオレンジ色に染まっていた。
吹いてくる風が少し冷たい。帰る時に戸締りしないと、と視線を窓の方へ向けようとした時だった。

「なまえ」

名字すらあまり呼ばれていないのに、唐突に名前呼びをされた。
驚きのあまり爆豪くんを凝視してしまい、一気に熱が上がっていく。
 
「返事」
「……え!」

さらに目を見開く。

「今聞かせろ」
「な、流れでわかるよね!?」
「わかんねぇ」

嘘だ。絶対わかってる。真っ直ぐわたしを見つめる爆豪くんの視線は確信している。
頭と両手を振ってみたけれど爆豪くんはたった一言「却下」と言っただけで、そのままずっとわたしを見つめたままだ。逸らされないまま一歩近づいてきた赤い瞳に恥ずかしさが募っていく。

「ちょ、ちょっと、待って」
「待たねェ」

せめて心の準備をしたかったのにそれすら許されないようだ。
絶対赤くなってる顔を見られたくなくて、これ以上近づいて欲しくなくて、顔を右に逸らして両手を爆豪くんに向けて開いた。

「どんだけ時間と労力割いたと思ってんだ」

落ち着いた声に身体が緊張で強張る。
爆豪くんの近さに耐え切れず、体勢はそのままで小さい声で頷くと「言え」となおも食い下がられた。

「うんって言ったよ!?」
「ちゃんと言えや」

爆豪くんの右手が動いたと思うや左手首を掴まれた。びくりと肩が跳ね上がるけれど、爆豪くんはそんなわたしのことなどガン無視のようだった。

「こっちは散々待たされた挙句ダメかと思わされたんだよ」

力の入った瞼に赤い瞳が少し細まり、眉間に皺が寄った。不機嫌な表情のはずなのに、そんな爆豪くんにドキドキしてしまう自分がいる。
ブレザー、シャツと2枚の隔たりがあるはずなのに、緩く掴まれた左手首は熱くて堪らなかった。いつかの右手首みたいに、どくどくと脈打っているのがわかる。

「これくらい良いだろ」

恥ずかしさのピークは人生最高潮なんじゃないかってくらい、顔だけじゃなく身体全体が熱くなった。そんな姿見られたくないのに、爆豪くんから顔を、目を逸らすことができない。目の表面が生理的な涙で濡れていく。


耳元でばくんばくん、と音が鳴っている。
意を決して開いた唇は乾いていて、そして震えていた。

「…………、好き、です」
「…おう」
「だから…その、よろしく、おね」

そこまで言って引き寄せられた胸板にわたしは声を呑み込んでしまう。掴まれた左手首も、胸板とぶつかったおでこも熱くて、その温度に告白をした実感とより一層の恥ずかしさが喉元までせり上がってきた。
それだけでもうわたしはいっぱいいっぱいなのに、「アーー、やべぇ、マジか」と頭上から聞こえる低い独り言に追い討ちをかけられ、わたしはそのまま固まることしかできなかった。


青く煙る森で芽吹くもの

ふるえる左手の温もりに実感なんて湧かなくて