▽あまえる


「うぅ〜〜……」
「よしよし、ほら早く飯食って風呂入って寝るぞ」
「……まだ、こうしてたい」

外の空気を入れ込み冷えた玄関。散らばるよう脱ぎ捨てられた可哀想な靴たち。帰ってくるなりバタバタと騒がしくされては気になってしまうに決まっている。様子を見に来ると、目が合ってすぐに大きな子どもが俺に抱きついてきた。胸に顔を埋め、背中に回した手で服を強くつかみ、ぎゅうっと強く、確かめるように抱きしめられる。疲労が溜まっているらしいその身体を労わるようにさらさらな髪を撫で、頭を撫で、その頭頂にキスを落とせば彼は恥ずかしいとでも言うように腕の力を強めた。

「はは、痛いよ、ダンデ」
「…………キミが悪い」

耳まで真っ赤に染っているのは外の寒さかそれとも恥じらいか。どちらでも可愛いと思うが、それをからかうように言えば彼は怒るだろう。

「ほら、飯冷める前に食って」
「ん…………今日は何を作ったんだ?」
「ハンバーグカレー。お前好きだったよな」
「ああ、好きだ」

……そんなにまっすぐ、俺の目を見ながら言われるとなかなか照れてしまうのだけれど。





俺と元チャンピオンの彼は、別に付き合っている訳では無い。一緒にいることに理由があるかと聞かれれば答えは出せないだろう。同じ歳にジムチャレンジに挑戦した、一時的なライバルのような存在だった。歳下の彼に負けるのが悔しくて悔しくて、何度もバトルを挑んだ覚えがある。草試合の中で数回ほど勝てた記憶はあるものの、勝率はわずか3%と言ったところだろうか? つまりめちゃくちゃ挑んでめちゃくちゃ負けたわけだが。その年にチャンピオンになった彼を見て、俺は支えたいと思った。ただそれだけ。

彼が何故俺と居てくれるのかは分からない。わからないけれど、好かれているようなのでそれで十分かと思う。有名人に好かれるのは気分がいい。今では小さな王様にチャンピオンとしての王座を奪われてしまったようだが、当時の彼より今の方が数倍輝いて見えるので俺は何も言わない。負けた日は凄かったな、今までに見たことの無いほど感情を俺にぶつけてくれた。

「ダンデ」
「む?」

リビングのローテーブルにできたての食事を並べた。テーブルを挟んで向こう側に座る彼は頬袋いっぱいに肉と米を詰め込んでいて、まるでヨクバリスのようだと思いつつゆっくりと話を進めていく。

「今日なんかあったのか?」
「……あー、まあ、いろいろな」

恐ろしく疲れているようだったので気になっていたのだ。帰ってきて早々、玄関に立ち尽くす彼は酷く気の抜けた表情をしていて、もしかして仕事で嫌なことがあったのかもしれない。誰かに何か言われたのかもしれない、と保護者のような心配をしてしまう。

「いろいろって?」
「キミに話すようなことじゃない。心配してくれるのはとても嬉しいが、すまないな」

そんな虚ろそうな瞳で、視線を下げながら言われてしまっては……。優しく聞いて、癒してやれるようなアドバイスをしたいと思っていてもこの態度では難しいだろう。さすがの俺もムッとはするが、一番辛いのは彼であろうから必死に感情を抑える。

「俺ってそんなに頼りないかな」
「っ! そんなことは、」
「じゃあ話して。聞きたい。お前のこと」
「っあ、それ、は」

自分の食事など置いて、向かいの彼の頬に手を伸ばす。そのままぴたりと掌を付け、するりと撫でる。触れた頬は熱を持っているようで、少し汗をかいているよう。しょんぼりしながら問えばちゃんと否定してくれたが、内容を話す事はできないらしい。それがなんだか悔しいのか面白くないのか、いろんな感情が渦巻いて腹が立ってくる。

「話せないならいい。無理に聞いてごめんな」

ああまただ。また俺はこいつを前にして、俺の感情を表に出せない。怒れない、泣けない、悔しがれない。この強く脆い男を見ている間だけは、笑顔でいなければならないと思ってしまう。いや違うな、こいつに情けない姿を見せたくないのかもしれない。

本当は「ああそうかよ、じゃあ勝手に苦しんでろ」とか言ってしまいたい。しかしそんな酷いことを彼に言えやしないのだ。俺はまだ、存外彼に嫌われたくないという思いが強いらしい。

「ありがとう。……キミのことが嫌いになったわけじゃないんだ。全くそんなことは無い。落ち着いたら……話したいと思ってるよ」

諦めたように笑うダンデの目に涙が浮かんでいるように見えた。実際、触れてみた指先は濡れたりしなかったのでただの幻覚だったらしい。

窓を雨が打つ音がポツポツと響き続ける。そんな日の晩御飯の出来は、個人的には花丸だった。





________


今日はついていない。バトルタワーでのポケモン勝負で相手の繰り出したポケモンに彼の影がチラつき集中できなかったり、ライバルであるキバナにちょっかいを出されたり、帰り道に現チャンピオンに会ってバトルをするも負けてしまったり。さらには雨に降られ服も濡れ、相棒であるリザードンもこの雨の中では元気が出ないらしく大人しいせいで妙に静かに時間が過ぎていった。挙句の果て道に迷い、家に帰るのがさらに遅れた。ああ、せっかく彼が作ってくれているであろう料理も、また温め直して食べるしかないのかもしれない。

彼とふたりで過ごす家。この小さな一軒家の持ち主は彼である。俺は居候といったところか。忙しい時は何日も帰らなかったりするけれど、それでも彼は文句一つ言わずに俺を受け入れてくれる。それが嬉しくて、珍しくて堪らない。そんな甘ったるい空気をくれる彼に甘え過ぎている自覚はあるが、何をしても、何を言っても笑顔で聞き流してくれる彼にこんなにも惹かれ、愛情さえ芽生えてしまえば今更止めることなどできない。




「俺ってそんなに頼りないかな」

そう聞いてきた彼は、相変わらず笑っていた。口元は弧を描き、目は優しく細められている。しかし悲しそうだ。瞳の奥で揺らいでいる感情はいとも簡単に読み取れる。彼は案外不安症で、なにかと心配してしまうタイプのようで。それを表に出さないのは彼の内向的な性格のせいだろう。

頬に触れている彼の手が熱い。その体温を意識しだしたらもう止まらなくて、もっと、もっと触れて欲しいと身体が疼き出す。そんなことはないと否定はしても、今こう落ち込んでいる内容は話せそうにない。彼に話すには少しばかり勇気がいる。ほんの少しでいいだろうが、その欠片分の勇気など振り絞れるわけがない。


1番頭の中をぐるぐると回り続けているのは、ちょっかいを出してきたキバナの言葉だった。

『お前さ、別に付き合ってないんだろ? じゃあオレさまにもチャンスはあるわけだ』

付き合ってなどいない。お互い愛を囁くような関係でもないし、そんな感情を持ち合わせてすらいないのかもしれないのだから。

それでも、あの人を他人に取られるのは気に食わない。ただそれだけ。


……こんな事で悩んでいるなんて、本人には相談できないだろう?




________


「……起きてるか?」
「ん……どうした、ダンデ」

就寝の途中。深夜0時はとうに超えたこの時刻にドアが開いたかと思えば、パジャマを纏ったダンデがそこに立っていた。

「話したいことがあって」
「そか、こっちおいで」

身体は言うことを聞かないので、ベッドの端に寄り空いたスペースをぽんぽんと叩く。するりとそこへ潜り込んできたダンデは、ちらちらと俺の顔色を伺っている。

「どうしたどうした。怖い夢でも見たか?」
「その、さっきの話なんだが」
「お」

俺のパジャマの裾を掴みながら小さく震える彼の背中を、子をあやす様にとんとんと軽く叩きながら耳を傾ける。

「その、言われたんだ。俺たち2人のこと。付き合ってないならまだキミを狙えるなと言われて焦ってしまったんだ」
「…………なんだ、そんなことだったのか」
「そっ、そんなことじゃ____」
「俺は狙われても今はダンデ以外見れないな」
「え」

1番長く時間を共にしてきたコイツをそうそう離したりはできないし、コイツのいない生活に満足いくとは思えない。多分ダンデだって同じだろう。俺にしかあんなに感情を露わにしないのに、そんな俺がいなくなってしまったら彼は壊れてしまう。

「ダンデがいればいい。お前は違うか?」
「俺は……俺も、キミだけでいい」
「ん、じゃあお互い様ってことで」
「ああ。……なあ、」
「どした」

か細い声で小さく名前を呼ばれた。

「キスを、してくれ」

俺の目だけを見て、俺にそうお願いする男。

なあダンデ、知ってるか?
キスってのは、恋仲の2人がするものなんだぞ。

「しょうがないなあ、ダンデは」

そんな彼の無知を利用して彼を繋ぎ止めておく俺は、多分相当悪いやつだろう。



庭に咲いたたんぽぽが黄金に輝くまで、あと数ヶ月。