愛し子脱兎


囚われの籠の鳥。鉄に囲まれて大した身動きも取れず、パタパタと力なく羽を動かして周囲の人に「ここから出たい」とアピールすることしか許されない。

鳥ポケモンの保護に尽力している施設をチラ見しに来たのだが、現状はこんなものらしい。餌はちゃんと食べているし、生活もしっかりしているようで身体は元気なようだが、心はどうだろう。死にきっていないだろうか。手を伸ばすしかできない、抱き寄せることも出来ない私には口を出す資格はないけれど。こちらを見つめる鋭い瞳。さながら、私のよう。

鞄の中で携帯のアラームが小さく鳴り響いている。もう帰る時間か、外の空はこんなに明るいのに。でも早く帰らないと彼がうるさいし、出かけてたのがバレる前に帰ろう。何もすることなく建物から出て、駆け足で家に帰る。私の家がどこだったかはもう覚えていない。今は彼の家にお世話になっているからだ。もう何年も、家族とも顔を合わせていない。彼がそれを許してくれないからだ。

少し寂しいとは思うけど、そこまで嫌でもないのは事実だった。





「どこへ出かけていた?」
「……ちょっとそこまで」

さっさと帰ってきたと言うのに、こういう時だけどうして。玄関を開けてすぐ、そこには仁王立ちで私を見下ろす恋人がいた。普段は日付が変わる頃に帰ってきて、既に眠っている私にキスをしてまたすぐ仕事に出向いてしまう人なのに。私の運がないのか、それともGPSでも付けられているのか。いずれにせよ不気味だし、恥ずかしい。

「そことは?」
「近くのポケモンセンター。鳥ポケモンの保護に力を入れてるとこ。私もポケモン欲しいなあって思って」
「……要らないだろう。植物もすぐに枯らしてしまう君には」
「ぐぬぬ、正論」

フラワーショップで購入した花は一週間経たずに枯れ、私が育てていた家庭用プランターのミニマトマの木は身をつけることなく成長もしなかった。これほど育成が下手な私には、ポケモンを育てる資格がない。そう彼に言われ続けて、私はポケモンをもたないがゆえに自由に外に出ることも叶わず。いつもこの籠城にひとりぼっちなのだ。

「俺がいるだろう。なにか不満か?」
「不満はないけど〜。お家は退屈なの」
「ふむ……じゃあこういうのはどうだ」

靴も脱がずに立ち尽くす私に彼が提案したのは、彼のポケモンを一体家に出した状態にしておくというもの。彼はたくさんのポケモンを育てているので、手持ちに収まらない子はいつもボックスに居るらしい。どうせなら家で放してやった方がポケモンも喜ぶだろう。それでいい、それがいい! そう力強く言葉で押してきた彼に手を捕まれて引っ張られる。履いていた靴を雑ではあるがなんとか脱ぎ捨て、引かれるがままついて行く。

「そうしたら、一人とは言わせないぜ」

彼に連れてこられた私の部屋。薄暗い明かりとベッドの近くに繋がれた鎖、枷、様々な玩具。今日の私はあそこから抜け出して遊びに出かけたのだ。あの枷の鍵は彼の手の中にあるので、外すのはなかなか骨の折れる作業だった。

「それにしてもどうやって鍵を外したんだ?」
「勝手に外れたの。脆かったんじゃない?」

嘘でーす! 後ろ髪を留めてる自由自在に形を変えられる柔らかいピンを差し込みぐるりと回して外しましたー! けどそんなこと言ってしまっては彼は私の髪を切るだろう。この長い髪はお気に入りなのだ。彼が褒めてくれたから。そうか、次買う時はもっと頑丈なのにしよう。そんなことを言いながら私の両足首に鉄の輪をはめなおす彼の目があまりにも怖くてヒュッと息が漏れて声が出なくなる。

「俺に、ポケモンたちを置いていかせたりさせないでくれ」

身体から力が抜けてぼふっと勢いよくベッドに腰掛けた私の前に跪きふくらはぎをするりと左の掌で撫でながら、彼がそんなことを言う。彼はポケモンが好きだ。私よりポケモンのが好きなのかもしれない。愛してるなんてものでは無いのだろう。それに対しては嫉妬したりしたことは無いけど、他の女だったらヤキモチ妬くレベルに。そんな彼が、私が居なくなったら、ポケモンたちを置いていくというのだ。

「俺は君を殺したくなんてないんだぜ」
「…………そんな言葉、普通は出てこないんだよ」

恋人を殺すなんて言う人間はいないだろう。普通なら。そう、普通なら、だ。

結論からいえば私たちは頭がおかしい。溺愛されてもなんとも思わない……むしろ、喜んでいる自分がおかしい自覚はある。でも死にたくはない。まだ彼と、息をしていたいから。私の膝に顎を置き、じっと見つめてくるその蜂蜜色のとろけそうな瞳を見ないふりして彼の髪を撫でた。私より少しだけ太くて、でも綺麗で、長くて、ふわふわの髪。

「…………ねえダンデ」
「なんだ、」

撫でられて気持ちよさそうだ。私の名前を呼ぶ彼の表情が心做しかふんわりとしていて、綺麗な弧を描く口から覗く綺麗な歯に指を添えたいと思った。

「死んだらキスもセックスもできないよ」
「できるかもしれないだろう?」
「できなかったら寂しくない?」
「まあ……うん、確かにそうだな」

それだけが全てじゃないが、こう言うのが一番わかりやすいだろうと例えに出した。恋人として当然の営み、愛情表現、私の好きな彼とのキス。それができないのは嫌だ。それは多分彼も同じなのだろう。脚を撫でていた手は止まり、立ち上がった彼が私に覆い被さってきた。

「いつ何があってきみを殺してしまっても後悔しないように、今、しっかりと、抱いて愛し合おうか」
「…………ぁ〜、うん、しよっか」

失敗しちゃったかな、でも多分、これで私の寿命は二日くらい延びたはず。重なった唇から伝わる彼の吐息は切り傷から血が溢れる時のように熱くて、思わず呼吸を求めて彼の肩を叩いた。


「ダンデくんさ、そんなんで彼女ちゃんに嫌われないの?」
「全く。むしろ彼女は喜んでくれるぞ?」
「変わったカップルだな〜、私に被害が無きゃなんでもいいけど」

壊れてしまった彼女の携帯のGPSの機能を直してもらえないかとソニアのところへ来たのだが、「私ポケモン博士であって科学者とかじゃないので」と言って断られてしまった。仕方が無い、顔を隠す必要が出てくるが店に行くか。ついでという訳では無いがお茶を出して貰えたので、思う存分惚気けてから帰ろうと思う。綺麗なティーカップに注がれた透んだ紅茶。食に頓着しないのでこれがなんというお茶なのかは知らないが、彼女が好きそうな味なので貰って帰るのはアリかもしれない。

「彼女ちゃん、今どこに居るの?」
「家。だと思いたいがな、どうだろう。最近逃げ出す癖がついてしまったようで鍵を開けられてしまうんだ。どうするべきだろう?」
「何回かやられてるなら鍵の形変えればいいのに」
「しかし、絶対に逃げられないものだと面白くない。彼女が外そうとヤケになる様子も見たいし」
「うっわこわ」

今朝、仕事だと言って出てきたが今日の仕事は実は昨日のうちに終わらせていて、夕方頃には帰れるのだ。早く帰る日は大抵彼女は家に居ない。ポケモンも連れていないのに、愛らしくて無防備で情欲をそそるような格好で外へ飛び出してしまう。それが気に入らなくて、でも可愛くて。いっそ地下にでも監禁して飼いたい気持ちと、抗うフリをする彼女を観察したい気持ちで喧嘩し、現時点では後者が勝っている。

「今日私と会うって言ってあるの?」
「言ってない」
「大丈夫? なんかこう、ヤキモチ妬かれたりとか」
「ヤキモチか……」

そういえば、彼女がそういった事を俺に言ってきたことは無かったな。いくらポケモンを優先しようと、仕事を優先しようと、彼女は怒りも泣きもしない。ただ笑顔で俺を見送り、帰ってきた俺に笑いかけ小さくキスを強請るような毎日。それが可愛くて、なるべく彼女の起きている時間に帰ろうと努力しているが最近は深夜に帰っては眠る彼女にキスをしてまた仕事に向かう事が多かった。そうだな、今日は玄関でキスをしよう、出迎えてくれる彼女の頭を抑え、逃げられないように強く。ああ話が逸れた、なんだったか。

「妬かれたことはない」
「へ〜〜」

大して興味が無いのか、頬杖をついて曖昧な返事をしながらブラウニーに手をつけるソニア。

「珍しいというか、ポケモンとか優先しがちなダンデくんが妬かれないなんてすごいね」
「……それは、たしかに」

彼女が「ポケモン欲しいなあ」と俺に強請るのは、ポケモンと仲良くしている俺を見てるからだろうか。家では彼女を最優先に動いているつもりだから、そんなに気にしていないか? 考えても彼女の気持ちはわからない。

「俺はおかしいことを自覚しているが」
「マジ? 自覚してたんだ」
「彼女も相当おかしいからな」
「だろうね。ダンデくんと付き合えるなんてよっぽどでしょ」
「彼女の気持ちはわからないが、おそらくソニアに対して嫉妬したりはしないだろう」
「どうして言いきれるのよ」
「彼女は、俺が彼女以外に興味が無いことを知っている。誰よりも」

朝から昼間で、おはようからおやすみまで、おやすみからおはようまで、すべての時間を使って彼女だけに愛を囁いてきたのだ。だから彼女も自覚してくれているのだと思いたい。死ぬ時は一緒だと何度も伝えてきたから。

「お前が死んだら俺も死ぬとか言ってそう」
「言っているが?」
「うわ重っ……そりゃ彼女ちゃんも嫉妬とかしてる暇無いわね」

呆れたような目で見られても何も思わない。俺にとってはこれが普通だからだ。彼女曰く普通ではないらしいが、それでも拒否はしない。そんな彼女が大好きで、愛おしくて、たまらない。

「ソニアはそういう相手は作らないのか」
「いらな〜〜〜い、彼氏作るならルリナとショッピングしてるほうがたのしい」
「へえ、で? 本音は?」
「彼氏欲しいけど作ったところですぐ振られる……っ!!」

本気で悔しそうにしながら恨めしそうに俺を睨んできた。聞いたはいいが割とどうでもいいことなので、いい相手がいるといいな、と小さく言い残して席を立つ。空のティーカップもそのままに、入口の扉を開く。

「帰るならこれくらい片付けてよね」
「すまないな、彼女が家で待ってるから」
「待ってるといいね。いなかったらどうするの?」
「そうだな……」

地の果てまで追いかけて捕まえて監禁する。というのも脳裏を過ったが、それよりはまだ幸せそうに笑う彼女を抱きしめたい気持ちがある。では何をする? 何をして、彼女に俺を意識させる?

「…………玄関で出迎えて、キスをして、そのあとは」
「ああうんわかった、わかったから帰っていいよ」
「聞いたのはそっちじゃないか」

遠ざけるように甲を俺に見せて手を振り、ガチャガチャと音を立てながら食器を片付けるソニア。俺が彼女の事を話しても文句を言わないのはソニアくらいだ。キバナに話したりなんかしたらおそらく叱られるだろう。

彼女が出迎えてくれないのなら俺が出迎えてやればいい。俺に意識して欲しくてキスをする彼女のように俺もキスをして彼女に意識してもらうのだ。




当然というか、期待通りというか。彼女は家に居なかったし、荒らされた部屋とボロボロの枷を見て怒りを通り越して愛しさが湧く。かわいいかわいい俺の彼女。明日からはナンバーロックにしよう。そうだな、数字は記念日にしようか。俺が彼女を見つけた記念日。彼女も知らない、俺だけの特別な日。

なんて考えていたのだが、愛し合うことに夢中になりすぎて結局忘れてしまった。翌日、案の定逃げ出した彼女を見て笑ってしまう。飼い慣らされてるのはどっちなんだか。