口づけは媚薬

きらびやかなシャンデリアが眩しい程に、大きな広間を照らしていた。
タキシードやイブニングドレスに身を包んだ紳士淑女たちで賑わっている。
その顔触れは豪華なもので、主宰者の権力の巨大さを誇示するものだった。

何で私はここにいるんだろう?
かなり場違いではないのか?

シャンパングラスを片手にナーナは溜め息をついた。
広間にいるのは、有名な俳優や女優。政財界の著名人たち。
皆それぞれに地位のある人ばかりであっる。

部屋の隅に用意されている椅子の一つに腰をおろし、ナーナはボンヤリと広間を眺めていた。

「バージルはまだかな」
先刻まで一緒にいたのだが、主宰者に挨拶をしてくると行ったきり帰ってこない。辛うじて見える彼の後ろ姿が遠い。
タキシードに身を包んだバージルの物腰は優雅で、気品すら感じる。
類い稀な美貌と才能に恵まれたバージル。
こんな豪華なパーティーに招待されるって事も凄いけど、こういう場所にいてもバージルは堂々としていて人目を引く。
つい見惚れてしまう。

それにしても、どうして今回パーティーに出たのだろうか?
いつもなら面倒くさいと、どんな地位のある人の誘いも断っていたのに何故?

ふと湧き出る疑問にナーナは首を傾けた。だがいくら考えても答えは出ない。
「後でバージルに聞いてみよう」
手にしていたシャンパングラスを傾けた。

「お一人ですか?」
新しいシャンパンを貰おうと立ち上がったナーナに、言葉とともに差し出されるシャンパングラス。
驚いた表情で声の主を見ると、グラスを片手に立っていたのは、金色の髪の長身の男性だった。

どこかで見た事がある人なんだけど?

「先程から貴女がお一人でいられるのを見ていまして、少しお話しをしたいと思いました」
整った顔立ちに高身長。まるでモデルとか俳優のような人だ。
俳優?
「失礼ですが貴方は俳優の……」
彼はナーナの言葉に頷きニッコリ笑う。
「貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
彼は優雅にナーナの隣の椅子に座った。
「ナーナと言います」
思わずその動作に見とれてしまう。
「ナーナさんか。いい名前ですね」
エメラルド色の瞳に見つめられて、ドキッとした。
初めはぎこちなく始まった二人の会話も、彼の話術か人柄のせいか自然とスムースに会話が運んだ。


バージルはこの上なく不機嫌だった。
主宰者に挨拶をする為にナーナの側を離れた。
直ぐにナーナの側に戻るはずだった。
それが現実はどうだ?
俺の周りには香水の匂いをプンプンさせた女ギツネばかりだ。
この主宰者は俺にしろダンテにしろには出来ない男だが、いい加減我慢の限界だな。

主宰者がバージルを離さないのもあるが、彼を更に不機嫌にさせていたのはナーナに近寄る男たち。
バージルが側を離れたら、ここぞとばかりに寄ってく行く。
最初ナーナは適当に遇っていたみたいだったが、今ナーナの隣にいる男はナーナと意気投合しているのか、とても楽しそうに見える。

「Mr.Vergil? How did you do?」
「There is nothing.……I am sorry, I must be going.」
「Mr.Vergil?」

バージルは早口に主宰者に言葉を掛けると、足早にその場から離れた。
これ以上ナーナに男達が近づくのを、我慢する事が出来なかったのだ。
大股で人込みを擦り抜けて行く。
バージルの心中は穏やかではなかった。

ナーナが彼の異変に気が付いたのは、彼の表情だった。
今まで楽しく談笑していた彼の顔色が一転、何かに怯えたような表情をしている。
ナーナは何だろうと思いながら振り向いた。
「バージル!?」
「ナーナ……」
そこに立っていたのは、青白い冷気を全身に纏い鋭い目つきで男を睨んでいるバージルだった。
物凄い威圧感。青い瞳が凍っている。
「パ、パートナーが帰って来て、よかったね!!」
「あ……」
彼は逃げる様に去って行った。
ナーナは溜息をつく。
「……あいつは誰だ!?」
瞳に怒りを宿しナーナを睨むバージル。
「バージル!彼に失礼でしょう!?」
余りにもバージルの態度が威圧的でナーナは腹が立っていた。
勝手にいなくなったと思ったら、勝手に戻って来ては怒られる。
「もう一度問う。あの男は何だ!?」
凍った青い瞳がギロリとナーナを睨みつける。
ナーナは一瞬その苛烈さに気圧されるが、負けじと黒い瞳でバージルを睨み返した。
「誰かさんが彼女をほったらかして他の女の人に鼻を伸ばしているから、一人ぼっちな彼女の話し相手になってくれた優しい彼。かわいそうに彼にお礼すら言えなかったわ」
「誰かさんって誰の事だ!?」
怒り心頭のバージル。
「誰かさんは誰かさんでしょう?」
ナーナはチクチクとバージルに嫌味を言う。

私だってあなたが綺麗な女の人たちに囲まれていてる姿を、遠目から見ていたのよ?

険悪なムードが二人の間に漂い始めた。

「バージルなんて知らない!!」

ナーナは椅子から立ち上がると踵を返し、一人でスタスタと歩いて行ってしまった。
「待てナーナ!!」
バージルはナーナの後を追おうとするが。

ナーナはこんなに足が早かったか?

人込みを擦り抜けて行くナーナの姿を見ながらバージルは呟く。
だが彼はパーティの列席者にぶつからない様に意識を一瞬そちらに向けた。

「しまった!見逃してしまったか……」

気が付いた時にはナーナの姿を見失っていた。


「ちょっと言い過ぎたかな?」
ナーナはテラスに出ていた。
あの後親切にしてくれた彼に謝まった。それから気持ちを整理しようとテラスに出たのだった。

夜風がほてった肌に心地よい。
夜空を埋めつくすのは、無数の星。まるで宝石箱をひっくり返した様だった。
パーティが行われている別荘は、風光明媚な山の別荘地にある。その為空気は澄み、世界でも有数な景勝地であった。

「でも……バージルだって悪いんだから……」
いきなり戻って来てあの態度はないんじゃない?
そんな事を考えていたら、またムカムカと腹が立ってくる。
ナーナは手にしていたシャンパンをグイッと飲み干した。


ナーナを見失いバージルは焦っていた。

場所が場所だけに、この建物から出て行く事は出来ないはず。まだこの会場にいるはずだ。

一通り広間を見て回ったバージルは、近くの椅子に腰を下ろし溜息をついた。
「少しカッとし過ぎたか……」
バージルは一人になり冷静さを取り戻した。
主宰者らの態度に苛々が募っていたのは間違いない。更にナーナが俺の知らない男と談笑していたのを見て、頭に血が上ってしまった。

反省するべきだな……。

バージルは優雅に立ち上がると、気分転換をしようとテラスに出た。
「綺麗な夜空だ……」
ピンと張り付めた晩秋の空気が、ほてった身体を冷ましてくれる。

「……バージル……?」
不意に彼を呼ぶ声が聞こえる。
バージルは声の方に顔を向けた。
「ナーナ……」
少し離れた場所には、淡いブルーのイブニングドレスに身を包んだナーナがいた。

見つめ合う二人。
沈黙がその場を支配する。

「バージルあの……」
沈黙を破るように、最初に口を開いたのはナーナだった。
ナーナゆっくりバージルに近付くと、彼の隣に立った。
「さっきは言い過ぎたみたい。ごめんなさいバージル」
ナーナの黒い瞳がバージルの青い瞳をじっと見つめている。
「いや……俺もカッとなり過ぎたな。すまなかった」
素直にナーナに悪いと思った。
バージルの言葉にナーナは『おあいこだね』と、そう言って笑った。
なんだか久しぶりに彼女の笑顔を見たような気がして、嬉しくなった。


―――ふと広間から音楽が聞こえてきた。

「ダンスが始まったみたいね」
中ではパーティの列席者たちが、楽しげにワルツを踊っているのが見える。
「Will you dance with me?」
「えっ……?」
一瞬何を言われたのか分からないナーナ。
バージルがそっとナーナの手を取る。
「Will you dance with me?」
今度ははっきりと聞こえたバージルの言葉。
優しさを帯びた青い瞳がナーナを見つめる。

トクン……トクン……。

バージルの初めて見せる優しい瞳に、胸の鼓動が早くなる。
普段は見せてくれない表情。

「Your answer?」
「……Yes, it is pleased.」
俯いたナーナは小さく答えた。
こんなにスマートな物腰のバージルは知らない。

彼はいつも無表情で、威圧的で、人を見下していて、いつでも冷静沈着で。

そんな事を考えていたら、バージルの右手が私の腰の辺りに添えられ、左手が私の右手を握る。そして私の左手を自分の右肩に乗せる。
「バ、バージル!ち、近いんだけど……!!」
身体が密着する。
恥ずかしくてまともにバージルの顔が見えない。
「顔を上げろナーナ。これではダンスにならない」
すこし笑いを含んだ声だった。
恐る恐る顔を上げると目の前にはバージルの整った顔があり、青い瞳が真剣にナーナを見つめている。
「俺の言う通りに動け」
そう言ってバージルはステップを踏み始めた。
初めは戸惑っていたナーナであったが、繰り返しステップを踏むうちに不慣れながらもダンスを踊れる様になった。

無数の星々に見守られながら踊るワルツ。
私をエスコートするのは大好きな人……バージル。
バージルはまるで王子様みたいで、私はお伽話のお姫様になったみたい。

二人だけの時間が過ぎていった。


「ねぇバージル?どうして今回はパーティに出席したの?」
ナーナはさっきから疑問に思っていたことを訊ねてみる。
「このパーティーの主宰者には俺とダンテは色々と世話になっている。だから断りにくかった」
バージルは淡々と答える。
「そうなんだ」
その答えにナーナは少し落胆した。
当たり前と言えば当たり前の答え。
自分は何を期待したのだろうか。
そんな事を思っていたら、バージルが言葉を続けた。
「だが本当の理由は」
バージルはステップを踏むのを止めた。
「わわっ!」
ナーナはバランスを崩しバージルに抱きついてしまった。

……っ!!

そのままフワリとバージルに抱きしめられる。
「パーティに出席した本当の理由は、」
バージルはナーナの顎に手を添え、自分の方を向かせる。
「理由は、ナーナとワルツを踊りたかった」
「う、そ……」
ナーナは信じられないといった表情をする。
「どうして嘘をつく必要がある?俺は嘘と世辞が嫌いだ」
バージルはスッと顔を近付けた。
「俺の言葉は信じられないか?」
ナーナは真っ赤な顔で首を横に振る。

今にも触れそうな唇。
ぎりぎりの所で触れ合う息。
ナーナはもどかしい気持ちに支配される。

バージルの唇に触れたい。

そう思った瞬間、ナーナの身体が動いていた。
バージルの瞳がほんの一瞬、大きく見開かれる。
初めてのナーナからの口付け。
それは優しく、甘くとろけるような口付けだった。

「初めてナーナからキスしてくれたな」
唇が離れるとバージルが嬉しそうに笑う。
「……恥ずかしいから言わないで!!」
茹で蛸の様に真っ赤な顔で俯くナーナ。
バージルは堪らなくなり、今度は自分からナーナの唇を塞いだ。


求め合う心、求め合う身体。
口付けは愛し合う恋人たちの魔法の媚薬。

それはバージル、ナーナも例外なく―――。

晩秋の風が二人を優しく包み込んだ。


---アトガキ---
元題は The kiss is a philter.です。サイト相互のお礼に書いたお話です。

不知夜月