万年桜の約束
男塾名物『顎怨祭』の季節がやってきた。
年に一度行われるそれは、閉鎖的な男塾と一般市民との間に理解と親睦を深める為に開催される。
この日ばかりは入場料を払えば誰でも男塾敷地内に入れるのだ。
顎怨祭は大賑わいだった。大半が興味本位であろうが。
昨年は関東豪学連の乱入により水を差された感があった。
「今年は何事もなく終わりそうね」
屋台や出し物小屋を見回り異常がないか確認するのがナーナの仕事だ。
塾生らと二言三言会話をし次へ向かう。
この日ばかりは女性が男塾内を歩いていても目立たなかった。
特に何の問題もなく見回りを終えたナーナは、校舎裏にある小高い丘の広場へと向かった。
「ここは静かね。落ち着くわ」
塾生以外立入禁止のここ。
広場に自生している桜の樹々は、今は盛りと見事な花を咲かせている。
時折冷たい風が吹きさらし、薄桃色の花びらを散り急がせた。
万年桜と呼ばれる男塾の桜は、季節に関係なく花を咲かせている。
「櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者。
(桜花、今は盛りと、人は云えど、吾は寂しも、君としあらねば)」
今を盛りと花咲く桜を見て胸に去来する寂しさに、ふと思い出した和歌。
『必ず帰って来る』と言ったのに、あの人は帰って来なかった。
見事な最期だったと、たったそれだけ。
「フフッ万葉集、大伴池主の歌か」
感傷に浸っていると、後ろから声が聴こえた。振り向かなくても分かる声の主。
「桃聞いてたの?」
体力と根性の男塾において、知性も兼ね備えたパーフェクトな塾生だ。
「まあな」
二人が付き合い始めて半年。ようやく『剣くん』から『桃』に呼び方が変わり、名前を呼ばれる度に顔がにやけそうになる。
ただ二人は秘密の関係なので、二人きりの時以外は『剣くん』『ナーナさん』と呼び、互いに必要以上に関わらないでいた。
「ところで、総代さんは顎怨祭に参加しなくていいの?」
桃の役は確か……。
「息抜きだ。ったく人使いが荒いぜ塾長」
進級して二号生になった桃だが、相変わらず飄々としている。
二号生筆頭・男塾総大将と重い肩書を背負う桃。けれども彼は彼のまま自然体だった
「ところで、」
「きゃっ!」
不意に抱きしめられ、ナーナは桃を見上げる形になった。
「我佐不之毛 支美止之不在者って気になる」
少し拗ねたような桃の顔。
何と答えればいいのかは分かっていたけど、口にすれば泣いてしまいそうだった。
「邪鬼先輩か……」
桃がぽつりと呟く。
男塾の帝王と呼ばれた大豪院邪鬼が、天挑五輪大武會でその命を散らして早一年が経っていた。
ナーナは桃が入塾する前から男塾にいて、邪鬼ら三号生とは桃の知らない特別な絆があるのだろう。
もしかすると男女のそれもあったのではないかと疑ってしまう。
だがその事についてナーナは一言も話したことはなく、考えると桃の胸はもやもやした。
「桃は…桃は…居なくならないよね?」
ナーナは桃の制服をぎゅっと握る。
「ナーナ……」
ナーナの瞳からは涙が溢れていた。
何も出来ず、傍にいることも出来ず、結果だけを知らされる。残される者が、その事がどれ程辛いのか彼らは分かってくれない。
「大切な人が居なくなるのは、もう嫌なの……」
桃の知らない所で、ナーナはどれくらいの出会いと別れを経験したのか。
「大切な人か……」
もういない人に嫉妬しても敵わないのは分かっているのに。
桃はナーナの涙を指で拭った。そして、
「俺は置いてけぼりになんかしない。必ずナーナの所へ帰って来ると約束する」
「うん……」
互いの小指を絡めて約束する。
それから誓いの口づけを。
一陣の風が吹き抜け桜の花びらを舞い上げる。
それは清んだ青い秋の空に桜色の波を立たせ、まるで空に浮かぶ海のようだった。