【10.ふたりの関係】

ナーナはヴァイオレット社のメインホールのソファーに座っていた。もう就業時間は終了している。
昨夜仁から連絡があり、迎えに行くので仕事が終わったら会社で待っていて欲しいと言われたのだ。
「おやナーナくん、まだ残っていたのかい?」
「社長!?」
名前を呼ばれ振り向くと、黒い高級なタキシードをすっきりと着こなした眉目秀麗な銀髪の男性が立っていた。
「珍しいこともあるもんだ」
ヴァイオレット社社長━━李超狼。ナーナの上司でもある彼は、彼女がこの時間まで会社に残っていたことに興味を持っていた。
「待ち合わせかな?」
李は優雅にナーナの隣に座る。彼の登場になんとなく安堵感を覚えていた。
ここは人の出入りがある場所だった。けれど何者かに見張られているのを知ったナーナは、今も視線を感じ少なからず不安を感じていたのだ。
「はい。知人に迎えに行くからここで待っているように言われたんです」
「ほう。迎えか……」
迎えという単語に何か感じたのか続けて李は質問する。
「待ち合わせは男かな?」
「はい……っていうか、今日はお一人ですか?」
いつも容赦端麗な美人秘書と現れる李。秘書は彼の恋人という噂だ。
「たまには一人もいいものだよ」
「つまり振られたんですね?」
「ナーナくんそうはっきり言わなくても」
二人は声を上げて笑った。

ラースがヴァイオレット社の正面入口に姿を現した時、ナーナの元へと近づいて行く背広姿の男達の姿を見かけた。
仁は到着直前に掛かってきた電話に応対している為、今入口にいるのはラースだけだ。
彼はぐっと拳を握りしめると、気配を消しながら男達の背後に近づいて行った。

「お話し中のところ失礼します。七瀬ナーナさんですね?」
背広姿の若い男が二人李とナーナの前に姿を現した。
「あっ……」
背筋がぞくりとした。
自分を見張っていた人達に間違いない。
「見かけない顔だ。うちのお姫様に何の用かな?」
ナーナの異変を感じた李が立ち上がり男の間に入る。彼はナーナを見かけた時に、彼女に対する妙な気配を感じていたのだ。
ロボット工学の新興企業の社長であると同時に、李超狼は格闘家だった。

━━━━彼等は訓練されている。

李の格闘家としての直感がそれを感じとっていた。

男達は頷きあう。李はナーナを庇うように立ちはだかった。
「どけぇ━━━━!!」
次の瞬間、一人の男が刃物を取り出し李に襲い掛かる。間一髪で彼は避けた。
「くっ!!」
次々と繰り出される男の攻撃を李は軽やかなステップで回避する。男のその攻撃は、訓練されている傭兵そのものだった。
「あんたはこっちだ!!」
男の攻防に意識が向けられている李を横目に、もう一人の男が強引にナーナを抱き寄せ手で口を塞ごうとする。
「やっ!!」
ナーナは咄嗟に男の手を噛んだ。
「っ!!おとなしくしろ!!」
「いや━━━━っ!!」
男は苛立ち力づくでナーナを連れて行こうとした。
「ナーナくん!?」
李が男を床に捩じ伏せたのと同時に、ナーナの悲鳴が聞こえる。男に抱えられ強引に連れ去られようとしていた。
万事休す。
李がそう思った時だった。
「きゃぁっ!!」
一陣の風が李の前を吹き抜けて行った。次の瞬間ナーナは悲鳴を上げながらその場に尻もちを着いていた。
「大丈夫ですかナーナさん!?」
聞いた事のある声に顔を上げると青い瞳が見つめていた。彼はナーナを襲った男を羽交い締めにしている。
「ラースさん!!」
「そのまま動かないで下さい」
そう言った次の瞬間、羽交い締めにされていた男は短く呻き声を上げると床に崩れ落ちた。ピクリとも動かない。
「……」
それは一瞬の事で、ナーナには何が起こったのか分からなかった。
「ナーナさん立てますか?」
驚いた表情でラースを見上げているナーナに、手を差し延べるラースは息一つ乱していない。
「あ……ありがとうございます……」
ナーナは戸惑いながらもラースの手をとり立ち上がろうとするが、足が震えて立ち上がることが出来なかった。
「……少し失礼しますナーナさん」
「えっ!?」
そんなナーナを見かねたラースは、彼女を抱え上げる。それはいわゆるお姫様抱っこだった。
「どうかしましたか?」
「い、いいえ!!」
ラースの顔が近くて急に恥ずかしくなりナーナは俯いた。
「何か?」
「な、何でもありません」
自分の腕の中で落ち着かないナーナの様子が可愛くて、ラースは笑みを浮かべた。

「ナーナ!!?」
メインホール内の惨状に驚いた仁が、慌てて二人に駆け寄って来た。
「一体何が起きたんだ?」
ラースに抱き抱えられ俯いているナーナ。そして倒れ込んでいる男が二人。仁はラースに説明を求める。
「頭首のおっしゃる通り、ナーナさんが狙われました」
ナーナを襲った男達は訓練された者達で、襟元についた社章のピンバッチから、彼等はG社の人間だと推測されるとラースは簡潔に説明した。
一通りの説明を終えると、ラースはナーナを床に立たせる。すかさず仁はナーナを抱き寄せた。
「仁……怖かった……」
数分前の出来事を思い出したのか、ナーナはぎゅっと仁のコートを握る。その身体が震えていた。
「……お取込み中申し訳ないが説明願えるかな?三島財閥頭首風間仁」
乱れた銀髪を手ぐしで整えながら、李は仁とラースの間に入ってきた。
「ナーナくんが何故G社に狙われてるのか。そして君との関係をね」
仁に抱きしめられているナーナを李は見る。彼は正直驚いていた。
まさかナーナが三島財閥頭首風間仁と関係があり、しかも浅からぬ関係だと見てとれる。
「一先ず彼等はこちらで預かっておくよ」
李が指をパチリと鳴らすと、黒服の屈強な男達が現れ、床に倒れ込んでいるG社の男達を連れて行った。
その様子を見守りながら、仁はため息をついた。こうなってしまっては隠すことは出来ないだろう。
「ごめん……仁」
仁の心情を理解したナーナは消え入りそうな声で謝る。
待ち合わせ場所がここだということで、結果迷惑がかかることになってしまった。
だが仁はナーナに「大丈夫だ」と優しく答え、抱いている腕にぎゅっと力を込めた。
「場所を変えてお話しします」
仁はそれだけ言うとナーナを抱き寄せたまま歩き始めた。

結局李との話し合いは、ナーナが急な体調不良を訴えた為、途中でお開きになった。
仁はナーナの体調を考慮して、そのまま食事をしていたホテルに一泊することになった。
「だいだいの事情は理解した。ナーナくんに関する事には協力しよう」
だがその他の事は関係ない、と李ははっきりと仁に伝える。
G社に思うことはあるが、今は両社とも敵に回したくないと言うことだった。
「ご迷惑をおかけします」
それでもナーナの事には協力するという李の言葉に、仁は申し訳ないと謝罪した。
「あとはナーナくんだな。かなりのショックを受けているみたいだ」
「精神的なショック。どうにか残らなければ……」
仁は唇を噛み締める。そんな仁の様子に李は“風間仁の素顔”を垣間見たような気がした。

どこにでもいる21才の心優しい青年━━━━。

これが彼本来の姿だろうと。
「しばらくナーナくんは体調不良で休みという事にしておくから、ゆっくり休ませてあげてくれ」
帰り際李はそう言い残し迎えに来た車に乗りこもうとしたが、不意に振り向いた。
「?」
彼は仁を真っすぐ見つめ口を開く。
「いいか風間仁。ナーナくんを本当に守れるのは君だけだ。一八は手強い。絶対に手を離すなよ」
李は静かにそれだけ伝えると、今度こそ車に乗り込んだ。やがてそれは静かに発進していく。
去って行く車の後姿に、仁の頭は自然と下がっていた。



不知夜月