【13.幸せの温もり】
『……と言う訳でしばらく休みにしておいたから、落ち着いたら連絡をくれれば構わない』
三島財閥本社ビルに向かう車の中でナーナは休みの連絡を李に入れた。
始業時間を過ぎてしまい何を言われるかと内心ドキドキしていたら、既に仁と相談の上しばらく休みにしたと告げられたのだ。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」
電話を切り隣に座っている仁を見ると、彼はすました顔でナーナを見ている。
「もう仁!どうして言ってくれないの!?」
「忘れていた」
その瞳は笑っており、わざと伝えなかったのだと見て分かった。ナーナは頬を膨らませて仁を睨む。
「わざとでしょう!」
「さあな」
ナーナのその仕種が可愛らしくて仁は頬に口づけた。途端にナーナの顔が真っ赤に染まる。
「仁!」
「そんな可愛い顔反則だな」
仁はニヤリと笑い顔を近付けた。唇が触れるか触れないかのギリギリの距離にナーナは息を呑む。
「あれしきの事で終わりとでも思うのか?」
つつっと仁の指がナーナの胸を洋服の上を動いて行く。
「やっ!駄目!!」
ナーナは咄嗟に仁の指を払い退けた。
「場所を弁えてよ仁」
目を丸くして仁を見つめるナーナ。ここは車の中でしかもラースが運転している。
本気で言っているのか、からかっているのか、仁が何を考えているか分からない。
そんなナーナをよそに仁は笑いながら言った。
「場所を弁えればいいんだな?」
ナーナが仁に連れて来られたのは三島財閥本社ビル。頭首の部屋に入った仁らをニーナが出迎えた。
「仁、早速で悪いけれど」
「戦況はどうなっている」
執務室に足を踏み入れた瞬間に、仁は三島財閥頭首の顔になる。ナーナは邪魔にならないようにソファーに座った。
(これから私どうなるのかな)
仁と再会してから変わってしまった日常。襲われたこと、会社を休まなければならないこと、仁は詳しく話してはくれない。
(仁を好きっていう気持ちだけで一緒にいる私。それでいいの……?)
互いを思いやり再び別れようとした二人。
ナーナが平穏に生活してくれるのを望んでいた仁。
言われなくても仁の状況から彼の気持ちを理解したナーナ。
もう会わないつもりでいた。だが再びナーナの前に現れた仁。
溢れ出した想いは止まらなかった。
「ナーナ?」
どのくらい考えていたのだろか。仁に肩を叩かれてようやくナーナは我に返った。
「どうした?具合でも悪いのか」
何度もナーナの名前を仁は呼んだが、全く反応がなかったという。
ナーナは仁の問いかけに気付かなかったことに謝ると、考え事をしていたのだと答えた。
「考え事?」
「うん……色々とね」
この短期間での目まぐるしい変化に、つい色々な事を考えてしまったのだ。
仁はそうかと短く答えただけでそれに関しては何も言わなかった。
「お仕事の話しは終わったの?」
「ああ、大丈夫だ」
仁はナーナの隣に座り改めて彼女を見つめる。
「仁?」
不安そうにナーナの瞳が仁を見つめ返した。
「ナーナが考えていた事にも関わっていると思う、今回の件についてきちんと話したい」
仁はナーナに今回の出来事について話し始めた。
「ナーナを襲ったのはG社の人間だ」
「G社って今三島財閥に対抗している新興企業の?」
「そうだ」
最近ニュースなどで世界中がG社を称賛している。
確か三島一八という人がG社を動かしていると聞いた。
「でも、何でG社が私を?」
全く自分には関わりのない企業。関わりがあるのは寧ろ仁の三島財閥なのではないか?
「あっ!」
ナーナの中で一つの答えが浮かんだ。
「気付かれたみたいだ」
仁は言う。
G社の実質的支配者である三島一八は父親であり、彼は三島財閥頭首の座と自分の命を狙っている。
しかも一八は冷酷無比な非道な男で、己の欲望の為ならば手段は選ばないと。
「つまりナーナさんは仁のアキレス腱。あなたが一八に捕まると、私たちにとってマイナスなのよ」
「ニーナさん!?」
突如現れたニーナにハッキリと伝えられたナーナは、どう答えれば良いのか分からないでいた。
ナーナが答えに詰まっているのに構わず、ニーナは更に話しを続ける。
「結論から言うと、しばらくナーナさんは仁の庇護の元生活してもらいます」
「え?」
「その為あなたが今まで住んでいたマンションもG社の監視下にあるので引き払いました」
「……」
「ニーナ後は俺が話す」
ニーナの矢継ぎ早の言葉に明らかに混乱しているナーナ。
それを見兼ねて仁がニーナを制した。
「ならば仁、きちんと伝えて頂戴」
「分かっている」
仁の説明を聞いていて歯痒くなったニーナは、つい口出ししてしまったようだ。
ニーナは手にしていた書類をデスクに置くと、再び部屋を出て行った。
「大丈夫かナーナ?」
「……」
ナーナには仁の声は届いていなかった。ニーナにハッキリと言われた言葉が頭の中を反芻していたのだ。
(私の存在が、仁を、ニーナさんを、三島財閥を脅かす!?)
「ナーナ!!」
仁はナーナを抱き寄せる。その身体が微かに震えていた。
「すまない……」
ナーナを傷つけるつもりはなかった。
ニーナの言葉は間違っていない。ラースを交えた3人で話し合い決めた事をそのまま言ったのだから……。
「仁……私があなたのアキレス腱というニーナさんの話しは本当なの?」
不安そうに、怯えた瞳が仁を見つめた。
「今ナーナがG社の手に落ちたら、俺は三島財閥頭首として正常な判断が出来るか分からない。だが、それが分かっていながら俺はナーナを求めた」
「……」
仁はソファーから立ち上がると執務机から何かを手に取り、またナーナの隣に座った。
「だからナーナがこの事を気にする必要はない。俺が必ずナーナを守る」
力強い仁の瞳に不安な気持ちが少しずつ溶かされてゆく。仁を信じようと思った。
「それからこれを」
「?」
仁から手渡されたIDカードには、緑色のネックストラップがついていた。
「これからナーナは俺の私設秘書として傍にいてもらうことになる。その為に必要なセキュリティカードだ」
手渡されたカードは財閥ビル内どの部屋にも出入り出来る特別なカード。
緑色のネックストラップは、頭首の側近のみ使用できる『特別』という意味があった。
「絶対に無くすなよ」
「うん……」
ナーナはそれを首から下げた。
「それと、今日から俺のマンションで生活してもらう」
「……私のマンションは引き払ったんだよね」
さっきの話しで、ニーナさんがマンションを引き払ったと言っていた。
「あそこは既にG社に見張られていて危険だからな」
すぐ手の届く所にナーナを置いておきたい━━━━。
耳元で囁くように言われた言葉に、真っ赤になりながらナーナは頷くしかなかった。
仁の住んでいるマンションは三島財閥本社ビルから車で5分の所にあった。
大通りに面した白壁の高級マンションの最上階。このマンションは三島財閥が買い上げている。
ワンフロアに部屋は一つのみ。エレベーターから直接部屋に入れるようになっており、その為自分の住んでいる階以外は出入り出来ないというほどセキュリティが徹底していた。
「ナーナの荷物はこっちの部屋にまとめてあるからな」
「うんありがとう」
広いマンションの部屋の一つ一つをナーナは見て回っていた。
「殆ど使われていないの、勿体ないな」
4LDK+Sの間取り。
使われていたのはひと部屋で仁の寝室。そこにはキングサイズのベッドが置かれているだけだった。
「えいっ!」
ナーナはベッドにダイブした。程よいスプリング。ふかふかした布団と枕が気持ち良い。
「何やってるんだ?」
部屋を見に行ったきり戻って来ないナーナを心配して探しにきた仁が見たのは、キングサイズのベッドの上をゴロゴロと転がっている姿だった。
「ベッドが気持ち良さそうだからつい」
「ならば」
「きゃあ」
ナーナの答えに仁も笑いながらベッドにダイブした。
二人で並んで寝てもまだベッドに余裕はあった。
「仁……」
ナーナが仁の胸の中に潜り込んで、ピッタリと身体をくっつけてくる。
「どうした?」
「しばらくこのままでいて」
見上げる瞳に仁は優しい笑みで返すと、ナーナの額にそっと口づけた。
ナーナは仁に愛されている幸せを全身で感じていた。
仁と再会した事により動き出した運命。
目まぐるしく変わってしまった穏やかな日常。これから何が起こるのか分からない。
━━━━でも彼の、風間仁の側にいたい。
仁の温もりに包まれて、ナーナはいつしか眠りに誘(いざな)われていった。
不知夜月