【20.罪悪感】
夜明け前の薄暗い道。
外は叩き付けるように大粒の雨が降っている。その中をナーナは走っていた。
何かから逃げるように土砂降りの雨の中を、傘もささずに走っていた。
すれ違う人もなく、通り過ぎてゆく車も疎らなのが幸いだった。
あの後ラースがバスルームに消えたのを見計らい、急いで身支度を整えホテルを飛び出した。一刻も早く逃げ出したくて。
雨がナーナの身体を濡らしてゆく。
いっそこの雨が全てを洗い流してくれればいいのに。
私の犯した罪を━━━━。
行く宛てもなくさ迷い辿り着いたのは見知らぬ街の歩道橋だった。
歩道橋の上からぼんやりと下を見つめる。
「……どう、して……?」
ラースを信じていた。
昨日は確かにいつもと様子は違っていた。けれどもそれは私を守ってくれる為の演技だと思っていた。
だがそれはただの思い込みだった。
ラースはこの日の為に、用意周到に、準備をしていたのだから。
(そして私は彼に!!)
身体に残る鈍い痛みと倦怠感がその事実を物語っていた。
「……ごめんなさい……」
無理矢理に身体を開かれラースに犯された。
心は拒否しているのに、身体は与えられる快楽に溺れた。
裏切られて、辱しめられて。
仁に対する罪悪感で心は張り裂けそうだった。
「仁、……ごめんなさい」
どんな顔であなたに会えばいいの?全てを知ったあなたを苦しめてしまう。
私達は再会してはいけなかった。
あなたの苦しみの元凶である私の、いっそこの身が無くなってしまえば!!
(…………)
ナーナは歩道橋の手摺りから身を乗り出した。
疎らに通りゆく車。周囲に人影はない。
(あと一歩踏み出せば、私はラクになれるの?)
ナーナは大きく深呼吸をした。
「おい!お前!?」
「!!!」
まさにナーナが覚悟を決めたのとそれは同時だった。
いきなり声がしたかと思うと、腕が強く掴まれて引っ張られた。
「あっ!!」
そのままぐいとナーナは抱き寄せられる。
広く大きな胸板。力強い腕。
驚いて顔を上げたナーナは、自分を抱きとめている人物に息を呑んだ。
「馬鹿な真似を!!!」
そう言った彼の深紅の輝きを持つ左眼が、やけに鮮やかに色づいていた。
仕事が立て込んでいて帰宅は明け方だった。
帰りの車の中から、歩道橋の上に佇むずぶ濡れの女を見かけた。
どこかで見たことのある顔に一八は車を停車させる。
「あいつは確か仁の……」
記憶を辿りアンナに見せられた写真の女だと思い出した。
「馬鹿な真似を!!!」
掴んだ腕の袖から覗く手首の鬱血。
首もとに散らばる赤い痕。
顔の青あざ。
身投げをしようとしたナーナのその理由を、一八は静かに悟った。
「あ、あのっ!!」
ナーナは戸惑っていた。
だが一八はそんなことお構いなしに言う。
「いいから風呂に入れ!そのままだと風邪を引くだろう」
一八に連れられて足を踏み入れたのは高級マンションの一室。
そしてナーナはそのままバスルームに連れて行かれた。
「必要な物は用意しておく」
「……はい」
戸惑うナーナをよそに、一八は言いたい事だけ言うとバスルームを出て行った。
雨で濡れた冷えた身体に、熱いお湯が心地好かった。
身体中につけられたキスマーク。
手錠で拘束され出来た手首の鬱血。
そして内股にこびりつき残された白い体液。
「っ!!」
思い出し震える身体。それでも汚れた自分を洗い流したくて、ナーナは何度も何度も身体を洗った。
「まさか貴方から女性物の衣類の注文を頼まれるとは、驚いたわ」
悪戯な笑みを浮かべアンナは一八を見つめる。
「俺はガキには興味はない」
一八はアンナから紙袋を奪い取った。
「あれは仁のアキレス腱だ。使いようによっては仁に、三島財閥に、大ダメージを与えられる」
「ふーん?」
「お前が話を持って来たんだろうが」
「あら。そうだったかしら?」
真っ赤なルージュをひいた唇が、緩やかな孤を描いた。
「何だその言い草は」
一八はアンナの小馬鹿にしたような態度に不機嫌さを露にするが、アンナは気にしていないのか話題を変える。
「ところで、少し真面目な話をしたいのだけど?」
「言ってみろ」
アンナはさっきとは打って変わったように真面目な表情になった。
「ナーナの事だけど。さっきの貴方の話から推測すると、彼女はレイプされたのでしょう?」
「だろうな」
「だとすると精神面のケアを万全にしないと、厄介な事になるわよ?」
そう言ったアンナの言葉を、後に一八は憮然として思い出すことになるのであった。
用意されていた衣類を身につけたナーナは、リビングルームへと足を運ぶ。
広々としたリビングの一角にあるソファーに一八は座っていた。
「上がったのか」
気配を感じたのか一八は書類から顔を上げる。
「はい。ありがとうございました」
ナーナはぺこりと頭を下げた。
「この部屋を好きに使え」
「え?」
いきなり言われた言葉にナーナは驚き目をパチクリさせた。
「ここは俺の自宅だ。心配ない」
高級マンションの最上階。ワンフロアー丸々貸し切られたそこは、三島一八の自宅として使われている。
普段一八はG社に泊まり込んでいるため、自宅に帰ることは殆どなかった。
「寝室はここを使え」
案内されたのは広い寝室で、キングサイズのベッドの他は必要最低限の家具しか置かれていないシンプルな部屋。
これも一八の性格なのだろうかと思ったが、ナーナが口にすることはなかった。
「私は軟禁されるのですか?」
それよりもナーナが口にしたのは別の事。
「物分かりのいい奴だ。お前は仁のアキレス腱。こちらにとって利用価値は高いんでな」
「……」
訊くまでもなく分かってはいたが、一八の言葉に何故かほっとした。
もう仁に会う資格はないから━━━━。
それでも心がズキンと痛んだ。
「必要最低限の物は後で届けさせる。それ以外に必要な物があれば遠慮なく言え」
泣き腫らした瞳に覚束なげに立ちすくすナーナ。
今はそっとしておくのが正確だと一八理解していた。
「とりあえずお前に危害を加えるつもりはない。今はゆっくりと休め」
「……はい」
何があったのか、あえて聞いてこない一八の心遣いがありがたかった。
こうしてナーナの軟禁生活が始まった。
不知夜月