【21.裏切りの代償】
窓ガラスは粉々に砕け散り、机や椅子はその原型を留めていない。更に床には点々と血痕が散らばっている。
既に意識を失っているラースだが、男は容赦なく拳を奮う。
信頼していた人間に裏切られた男は、沸き起こる怒りを抑えようともしない。
━━━━それは彼が一番嫌いなことだった。
何度電話を掛けても呼び出し音が鳴るだけで、ナーナが電話に出ることはない。
(何かナーナの身に起こっているのか?)
仁は胸騒ぎを覚えラースにも電話を掛けてみる。が、彼も電話に出ることはなかった。
ナーナだけではなく、ラースとも連絡がつかない。
ラースの戦闘能力は高い。彼を倒せる者などそうはいない。
(まさか!?)
仁の中に一つの考えが浮かんだその時、仁の携帯にラースの携帯から画像が送られてきた。
それはどこかのホテルの一室。
手錠で拘束され全裸でベッドに繋がれたナーナの、ラースとの情事の痕跡をまざまざと見せ付ける物だった。
そしてメールに添えられた言葉は、
“貴方の行動が俺を狂わせた”
とただ一言。
ナーナはラースにレイプされたのだと、その事実に愕然とする。
鈍器で頭を殴られたような衝撃が仁の身体に走った。
それと時を同じくして、ニーナの元にラースの腹心の部下である東郷から連絡が入る。
『ナーナさんがラースにさらわれました。申し訳ございません』
G社ではなく身内であるラースの犯行。彼はこの機会を待っていたのだ。
「ラース……貴様!!!」
沸き起こる激しい怒りに荒れ狂う感情を抑えることはできなかった。
予定を全てキャンセルし急ぎ戻って来た仁を迎えたのはラース。
彼の姿に、言葉に、仁の中で何かが弾けた。
「それ以上は駄目よ仁!!」
本当にラースを殺しかねない状況に、慌ててニーナが止めに入る。
「こいつはクズだ!!殺しても殺し足りないくらいのな!?」
仁の怒りを宿した苛烈な瞳に、ニーナは一瞬怯んでしまいそうになった。
だが仁にラースを殺させる訳にはいかない。
そんな事が起こってしまえばさらなる悲劇へと繋がってしまう。
もし仁がこのままラースを殺してしまい、それに至る経緯をナーナが知ってしまったら、恐らく二重の罪の意識に苛まれるだろう。
自分のせいでラースは殺されてしまい、仁がその手で人を殺めてしまったと。
それでなくとも信頼していたラースにレイプされ、心も身体も深く傷ついているのだ。
ナーナは、仁の前から永遠に姿を消すだろう……。
それは、分かりたくない程よく分かっていた。
激情により冷静さを失っている仁。このままではナーナを失ってしまう事に気づかない。
「仁、確かにラースは罪を犯した。あなたやナーナを深く傷つける罪を」
「ならば問題はないだろう?」
「だからと言って感情のままに殺してしまったら、あなたはナーナを永遠に失うことになるのよ!?」
「何……だと!?」
仁の手からラースの身体が離れ落ちる。
「信頼していた部下に裏切られあなたが傷ついているのは分かるの。でもナーナはもっと傷ついているのよ」
━━━━レイプ。
それは女性の身体だけではなく心を、尊厳をも傷つける。
「……」
「もしあなたが激情のままラースを殺してしまったら、自分のせいであなたが人殺しになったとナーナは悲しみ、また自分のせいでラースが殺されてしまったと自分を責めるでしょう」
ニーナは静かに言葉を続ける。
「そしてあなたは永遠にナーナを失うわ」
「……っ!!」
仁は唇をきつく噛み締めた。
口内に拡がる血の味。
「今あなたがすべき事は、早くナーナを捜しだして安心させる事。人殺しをする事ではないわ」
「俺は……」
「ようやく正気に戻ったみたいね」
ニーナは急いで救護班を呼ぶ。いくら鍛えてられていても、仁の拳を何発も喰らっているラース。早く処置しないと命にかかわるかもしれない。
ラースは血まみれで気を失い倒れ込んでいた。
自業自得とはいえ、ニーナにはラースがわざと仁の拳を受けているようにも見えていた。
(彼なりの贖罪なのかしら?でも今更よね……)
ラースに関しては今回の件以外にも、気になる案件があった。
その案件に関して仁はほっとけの一点張り。
まあ別に構わない。
仁なりに何か考えがあるのだろうから。
考えていても仕方のない事に区切りを付け、ニーナはパソコンを見つめた。
「……ナーナの居場所は分かったか?」
完全に落ち着きを取り戻した仁にニーナは安堵する。
「それがまずい事に一八の手に落ちたみたいなの」
「何!?」
慌ただしく救護班がラースを運んでゆく。
「これを見て」
ナーナには発信機がつけられている。それと見てわかるような物ではない。
ヴァイオレット社特注の発信機だ。ダミーの発信機も身につけているが。
その発信機が指し示したのは、G社近くの高級マンション。
そのマンションを調べてみると、最上階のワンフロアを一八個人が買い上げていた。
「一般人も入居しているマンションか……」
一般人も入居しているとなれば、鉄拳衆を使って戦闘を起こし救出する事は出来ない。
迂闊に手だしをすることは危険だ。
(ならばどうする。一八はナーナをどうするつもりだ!?)
一八にとってのナーナは、仁に壊滅的なダメージを与える為の駒に外ならない。
だから下手に危害を加えることはないだろう。ナーナは仁の大切にしている特別な女性。
(だが、ナーナにも、俺にも精神的に大ダメージを与えるには……)
仁は拳ぐっと握りしめた。
不知夜月