丁度良い
 再会は思っていたより早かった。
「おはようございます! この度はお世話になります!」
 楽屋に入るなり、元気にそう挨拶をしてくれたのは今話題の男性アイドルグループ・IDOLiSH7のセンターである七瀬陸だ。その横にいる黒髪の男の子は和泉一織で、ここからはよく見えないが後ろにズラリと並んでいるのだろう。その中にはあの男も。
「こちらこそお世話になります。洋子」
 マネージャーに促されて、楽屋に用意されていた仕切りの向こうで着替えをしていた私はサッと衣装を整えると、そこから彼らの眼前に出でる。
「初めまして、山口洋子です。今日はよろしくお願いします」
 丁寧に見えるように身体の端まで気を配って動きを運ぶと頭を下げた。
 今回は私が司会を務める深夜番組にゲストとして来てくれたのだ。呼んだのはもちろん私ではなく、スポンサー企業の担当者である。
 私個人としてはまだ会いたくなかった。嫌でもあの目を思い出す。今も彼らの後ろに控えているであろうあの目を。
「山口さんの番組呼んでいただけるなんて光栄です」
 まだ少ししか話していないのに、私はこの七瀬陸の魅力を理解してしまった。なるほど、これは後押ししたくなるわけだ。
 何か特別があるわけでもない。恐らくは血筋的なものもない。だが、不思議と彼のことを応援したくなる。禄に知りもしないのに「いつも応援しているよ」と言いたくなってしまう。平たく言えば一生懸命で人懐っこいのだ。
「こちらこそ光栄です。みなさんのご活躍はテレビで拝見しておりました」
 営業用の微笑みを浮かべてしまったのは私の癖のようなもので、初対面の人にはどうしてもこういった対応をしてしまう。あの千葉サロンで学んだことの一つでもあった。
 知らない相手にも笑顔で。
 ふと視線を感じてそちらに目をやる。入り口の向こうに立っている男の子のその向こう。そこからあの目が覗いている。
 二階堂大和。
 彼と目が合った途端、胃の奥から黒い塊が迫り上がってきた。気が付いたときにはそれを吐いてしまっていた。
「……個人的にはお会いしたくなかったんですけどね」
「え」
 七瀬陸の戸惑った声が鼓膜を震わせる。それと同時に自分が放った言葉をお思い返してフォローする。
「まだ、ですよ。ま・だ。心の準備が出来てなくて。でもモタモタしてたらあっという間に忙しくなって来てもらえなさそうだったので急ぎました」
 きちんとフォロー出来たことに安心して心からの笑みが出た。七瀬陸はそれを自分達が来てくれたことへの安心感から来る笑みだと思ったらしい。
「そんな、都合が付けばいつでも来ますよ! 山口さんのこの番組はもう三年も続いてる看板みたいなもんじゃないですか」
 それは深夜帯から抜け出せない私への皮肉か。そう思っていたのが顔に出たということはないだろうが、七瀬陸の隣にいた和泉一織が「七瀬さん! 失礼ですよ!」と慌てて咎めた。
「申し訳ありません。大変失礼なことを――」
「いいえ、大丈夫ですよ。私、この番組大好きなんで」
 それは別に嘘ではなかった。三年、ほとんど変わらないスタッフとこの番組を続けてきた安心感があるのはもちろんだがそれ以外にもこの番組の内容が好きだ。
 ゲストを呼んで話を聞いて、彼らを少し掘り下げる。放送時間はそれほど長くない。それでも私はこの番組が好きだった。沢山の人の少しだけ深いところを知る。千葉サロンのように無闇に見たくないところまで知らされることはない。これくらいが丁度良い。
「すみません」
 和泉一織の謝罪を受けて七瀬陸が頭を下げる。まるで子犬のようだ。そうしようと思わなくても優しく微笑んでしまった。
「いえ、今日はよろしくお願いしますね。あ、もし私が詰まったら、三月さん。フォローお願います」
「えっ、あ、はいっ!」
 突然話を振られたことに驚いたのか、私が名前で呼んだからか、和泉一織の兄・和泉三月は戸惑った声を上げて返事を寄越す。
 そちらに目を向けていると嫌でも見える男。その視線をなるべく捉えないように、気にしないようにしながら言葉を続ける。
「MCがとてもお上手だと伺っています。途中でお話を振るので、少しの間そちらで回してもらってもいいですか? その方がファンの子も喜ぶと思いますし、みなさんの空気が伝わるんじゃないかと思うんですが」
「いいんですか?」
 そう訊いてきたの和泉一織だった。
「ええ。私の番組と仰いますが、私からすればゲストの方がメインです。今回はみなさんが主役ですよ」
 そうでなけば意味がない。この番組はゲストを紹介するのが目的だ。
「ぜひ、やらせてください!」
 答えたのは和泉三月の方だった。後ろで「やったじゃん、みっきー」と声を掛けている子がいる。本当はそちらを見るべきなのだろうが、私は微笑みを浮かべて目を細めることによってどこを見ているか分からないようにした。
 そちらにあの男が立っているからだ。
「それでは、そろそろ失礼します。良い番組になるよう、頑張りますので宜しくお願い致します」
 そう言って場を締めたのはやはり和泉一織だった。歳は確か十七だった筈だが偉く大人びて見える。しっかりしている。
「こちらこそよろしくお願いします」
 頭を下げた彼らと同様、私も頭を下げる。一瞬、私に頭を下げている二階堂大和を見た。あの男でも頭を下げるのかと驚いたのは言うまでもない。
 扉が閉まる音がする。そこでようやく私は頭を上げた。楽屋の大きな鏡の前に置かれている椅子を引き、腰掛ける。
「良い子達だったね」
「そうね」
 番組の収録が始まるのは二十分後だ。大体その十分前にはスタジオへ向かうのであと十分は自由。スマホでも見ておこうか、それとも目を休めておこうかと悩み、結局五分ずつ行うことにして鞄を漁る。しかし、見当たらない。
「ねぇ、私のスマホ知らない?」
「さっき持ってたでしょ? こっちじゃない?」
 そう言ってマネージャーは私が着替えていた仕切りの向こうへ消える。そのときだった。
 コン、コン、と乾いた音。
 それは楽屋の扉をノックした音で、何かトラブルがあってスタッフが来たのだと思った私は出ようとするマネージャーに声を掛けて止め、自らその扉のノブを捻り向こうの誰かを招き入れた。
「はー――」
 返事をしながら開けて、見て、閉口した。
 そこにいたのは紛れもなく二階堂大和。あの、蔑むような目をした、していた彼だった。
「どうも・・・・・・」
「どうも・・・・・・」
 不穏な空気を感じ取ったマネージャーが仕切りの向こうから身を乗り出している。
「や、大和くん」
 慌ててこちらへやってきたマネージャーの手には私のスマホが握られている。だが、今はそれどころではない。
「今日は、よろしくお願いします」
「・・・・・・さっきも聞きましたけど」
 わざと冷たい声を出す。マネージャーが慌てて「洋子ちゃんっ!」と止める。
「やっぱり、怒ってます、よね」
「怒っている、とは少し違います」
 会う度に睨み付けていたことを彼の悪かったと思っているようだ。不思議と、それだけで充分だった。それに、もう怒っているわけではない。十七歳だった彼が二十二歳になる間、私も同じだけ歳を取っている。もう五年も前のことを未だに怒れるなんて、私はそんなに執念深くない。
「そっちこそ、もう睨まないんですか」
「睨みません。その節は申し訳ありませんでした」
 言い終わった彼は、私に深々と頭を下げる。その姿に「ああそうか」と納得した。
 彼が頭を下げる理由に納得した。彼は本気でアイドルをやっているのだ。自身の過去の行いから今日の収録が上手くいかないのではないかと怯えているのだ。そう思うと、なんだか心が暖かくなった。彼は今、仲間の為に頭を下げている。もちろん、私へも真摯に申し訳ないと思いながら。
「いいですよ、二階堂さん。頭上げてください。……確かにあのときは私も苛立ってましたが、もう過去のことです」
 あの頃の彼の気持ちが分からないわけではない。ほとんど素人同然だった私が放り込まれた千葉サロン。そこに集う人達の中で私は異質だったと思う。見たくもない芸能界の闇を見せられた。知りたくもない業界の暗黙の了解や真実を知らされた。勉強になったこともあるし、感謝している面もある。だけれど、やはり知らずに済むなら知りたくなかった。私の感覚は一般人のそれとほぼ同等だった。だから下げていた頭を上げてこちらを見ている二階堂大和の、あの頃の彼の気持ちが分かる。
 芸能人ってなんて汚いんだろう。虚構や見栄や、嘘で塗り固められた大人達。なんて、なんて――。
「出来れば、綺麗なままで居たいものですね」
 私の発言の真意を彼は分かってくれただろうか。私も同じだと言いたかった。あなたと同じ気持ちを抱きながらあの場に居た、十六歳の女の子。何も知らないあの頃にはどうしても戻れないけれど、あの頃の女の子を誤解させたままではいたくなかった。だって、彼と私は近い筈なのだから。
「そうですね。アイドルですから、全くそのままというわけにはいきませんが――」
 そのとき、私は彼が笑うのを初めて生で見た。その笑みが、忘れられない。
「ファンに、嘘は吐きたくないですね」
 きっとこれが二階堂大和の本当の姿なのだろう。あの頃の、私や周りに集まる大人達を睨み付けていた彼もある意味本当の姿だっただろうけれど、これが本音を話しているときの彼の、本当の表情なのだろう。
「そういえば、ドラマ、見ました」
 唐突に彼がその話題を口にした。『ドラマ』とは少し前に出演した、千さんとの会話にも上った死ぬ役で出ていたあれだろう。
「見事な死にっぷりでしたね」
「馬鹿にしてんの?」
「いえ、一度倒れたことがあるのかと思うくらいリアルでしたよ」
 本音を打ち明けたお陰か、過去の相手を許したお陰か、私達は急速に距離を詰めた。まるで昔からこういったやり取りをしていたかのようにスムーズに言葉が踊る。
「倒れたことありますから。暑さと、寝不足と脱水症状で」
 あの演技はそのときの感じに感情を足しただけだ。「このまま死んでしまうのか。短い人生だった。思い残すことばかりだ。死にたくない」そういったことが頭を巡った。ドラマの時はそれにある場面で感じた『悲しみ』を強めに出した。こういったやり方は千葉サロンで教わったことである。
「その節はごめんよ〜」
 背後から申し訳なさそうな声でマネージャーが言う。自己管理はしているつもりだったが、足りていなかった。そういったことも管理するのはマネージャーの仕事でもあるが、彼を責めるつもりは毛頭ない。彼だって丁度その頃は忙しかったのだ。
「別に責めてませんよ。結果、良い演技に繋がったので儲けものです」
 実際あの演技は監督からも喜ばれた。主演の俳優にも褒められたのでこちらとしては儲けものだった。
 あの時の演技で役立ったもう一つの感情、悲しみの感情を私に与えたのは他ならぬ、二階堂大和だ。
 初対面で嫌われていることに腹を立つつ、私は悲しかった。理由も教えてもらえない。尋ねることさえ出来ない。
 それがあのときのシーンの役と被った。殺される理由も何も教えてもらえない。自分が死ぬことだけが分かる。
「いつか、ドラマで共演出来るといいですね」
「はい。そのときはよろしくお願いします。二階堂さんの演技、私好きですよ。誰の血筋とか関係なく」
 共演出来ることはあるのだろうか。彼の言葉が社交辞令だったとしても私の言葉は社交辞令ではない。私は彼の演技が好きだった。
「ありがとうございます」
 一瞬面食らった彼が礼の言葉を述べる。柔らかな笑み。父親の面影が差す。だが、『面影』だ。
 時計はいつの間にか収録十分前を過ぎている。結局スマホを触ることも、目を休めることもなかったが満足していた。心に詰まっていたものが取れた感じだ。
「もうこんな時間なので一緒に行きましょうか、スタジオ」
「そうですね」
 時計に目をやって言った私の言葉に彼は同意を示し、マネージャーに「いってきます」と声を掛けてそこを後にする。
「スタジオ行くまでの間、IDOLiSH7のこと教えてください」
「はい。あいつらの魅力、引き出してやってください」
 その言葉から彼がグループに愛情を持っていることを知る。しかし、彼は一つ勘違いをしている。
「教えて欲しいのは、あなたのことも含めて、ですよ。二階堂さん」
 あなたを含めてのIDOLiSH7でしょう。
 そう言うと、彼はまた柔らかく笑う。胸に感じた痛みは古傷か、それとも――・・・・・・。/swing/novel/4/?index=1