サロン
 その家を始めて訪れたとき、やたらと目つきの悪い男の子がいた。真っ黒な学生服に身を包んだ彼は蔑むような視線を私と同じように集まった大人達へ向け、その視線はやがて私を捉えた。
 一瞬、その目が見開かれたように思った。
 恐らく私くらいの歳の子がここへ来ることがなかったのだろう。だからきっとあれは驚いてのことだと思った。
 しかし、その視線はあっという間に先ほど大人達に向けられていたものに変わる。そこでようやく、彼が件の子供だと気が付いた。
 誰だか理解したもののなんと言って良いのか分からずに固まっている私に彼は歩み寄るとこう言った。
「あんな老いぼれに媚びてるようじゃ、あんた大成しないぜ」
 驚いた。初めて会う人間にそんなことを言えることにも、その内容にも。思わず「その老いぼれはあなたの父親では?」と言ってしまいそうだった。
 私の近く居た、やたらと綺麗な男の人が私の名前を呼んで手を引いて別のグループに入れてくれなかったら、もやもやした感情を隠すことなく言ってしまっていただろう。
 その後、彼と話すことはなかった。
 私が足を踏み入れたそこは俗に「千葉サロン」と呼ばれていて、あらゆる芸能人が挙って集う場所らしかった。
 そこへ私が呼ばれたのは全くの偶然で、たまたま近くに居合わせた、息子と歳の近そうな子を千葉志津雄氏が指名した、というだけだったらしい。
 個人的にはそれだけなのだが私の所属事務所においては大事件だったようで、千葉サロンを出た後は事務所に帰ってすぐに社長室呼び出しからの事情聴取と口止めをされた。
 そうなってから私はようやく事の重大さを理解し、あのとき私が件の彼に口答えするのを止めてくれたのがRe:valeの千さんであることを知った。
 そう、私は芸能界のことをよく知らないかった。よく知りもしないままあんなところへ放り込まれてしまったのだ。
 あそこで見聞きしたことは他言無用。更に私においてはあそこで知り合った人とも現場で会った際は初めてあったように振る舞うことを強いられた。
 唯一あそこでのことをなかったことにしなかったのは千さんだけで、彼と再会したときは「あのときは疲れたでしょ」と気を遣ってもらった。
 芸能界は不思議なところだ。
 テレビに映っていた人がある日突然映らなくなったり、素人だった人が突然毎日映るようになったり。そんなことに慣れてしまうと多少のことでは驚かなくなってしまい、多少のことでは驚かなくなっていた私だったが、彼がこの業界に乗り込んで来たときはさすがに驚きを隠せなかった。
 彼の芸能人を見るときの目。あれには尊敬も憧れも感じなかったからだ。心底恨んでいるような冷たいあの目。その彼が、今はファンに、テレビカメラに笑顔で手を振っている。不思議だった。
 彼は一体なにをしにここへ、この業界へ来たのか。
 決して明るい理由ではないだろうことは予想がついていた。あのときの彼の目が語っていた感情は本物だ。
 だが、それと同時に彼の血も本物だと思った。日本を代表する名優・千葉志津雄の息子。一粒種。彼の発するオーラはもちろん、彼の演技力。迫力。あれは本物だ。
「びっくりだよね」
 スタジオに設置されていたテレビをボーッと眺めながら、彼について考えていた私の横に人が立つ。ちょうど画面には彼が所属するアイドルグループIDLiSH7が映っていた。
「千さん、お疲れ様です」
「お疲れ様。ドラマ見たよ、面白かった」
「ありがとうございます。もう死んじゃったので出ませんけど。私も千さんのドラマ見てますよ。凄く良かったです」
「そう? ありがとう」
 社交辞令染みた会話を交わす。本心だが、定型文になってしまうのは、こういった会話を何人もの人と交わしているからだ。
「まさか、この業界に乗り込んでくるとは思いませんでした」
 先ほどの彼の言葉を拾う。千さんの言った「びっくり」は現在テレビに映っている、二階堂大和のことだ。
「僕も思いもしなかったよ。でも、やっぱり志津雄さんの息子だよね」
 千さんの言葉に私は慌てて辺りに視線を走らせる。
 二階堂大和が千葉志津雄の息子であるという事実は千葉サロンのトップシークレットである。誰も聞かれるわけにはいかないのだ。
「大丈夫。誰もいないよ」
「肝が冷えるのであんまり口にしないでください。あそこでのことは」
 私も千さんも、もうあの千葉サロンには参加していない。単に忙しくなってその機会がないというだけだが、少しホッとしている自分がいるのは確かだ。あの場は私には辛い場所だった。
 飛び交う噂の真相、芸能界の闇、疑問の答え。それらが全て聞き心地の良いものである筈はなく、ときには耳を塞ぎ、目を閉じてしまいたい真実も存在した。それでもそうすることが出来るわけもなく、それらは容赦なく、私の脳内に刻み付けられている。
 次にその渦中の人に会ったとき、私は素知らぬ顔で対応しなければならない。公にされている父親と実際の父親が違うことを知りながらさる女優の子供と接しなければならなかった。
 そういったものが今の私の演技力を底上げしていることには感謝しているが、出来れば知りたくなかった真実だ。
「洋子も行ってないの?」
「行ってませんよ」
「まあ、大和くんも早々に家を出ちゃったしね。洋子が行く理由もないか」
「というか、禄に会話した覚えもないですよ」
 私と二階堂大和の間に会話らしい会話は存在しない。「こんにちは」と挨拶をして、「また来たのか」と言われればまだマシ。基本的には無視だった。彼の声をあそこで聞いたのは数える程しかない。
「千さんは彼と交流あるんでしょう、今」
「そうね。志津雄さんにはお世話になったから恩返ししたいし、あの子自身は悪い子じゃないから」
「私にはそうは思えません」
 思わず眉根が寄る。それを見た千さんは少し笑って言う。
「洋子には少しキツかったからね」
「だいぶです」
 今度は千さんがはっきりと笑う。
 会話こそなかったが、蔑むような視線を受けたのは一度や二度ではない。二階堂大和からそんな視線を寄越されたのは毎度といっても過言ではなかった。
 初めこそその視線に恐れを抱いていたが、何度も何度もそれを受けていると段々と腹が立っていき、「どうして呼ばれただけの私がそこの息子にそんな視線を貰わねばならないのか」と思ったものだ。耐えに耐えかねて睨み返したこと数知れず。その度、送迎の為に同行していたマネージャーに止められたのは言うまでもない。私の代わりに頭を下げるのはマネージャーで、そんなやりとりを志津雄さんは遠くで笑って見ていたような気がするのは思い込みだろうか。
「千ー! そろそろ行くってー!」
 廊下の向こうから派手な人がこちらに手を振っている。千さんの相方・百さんだ。
「では、妻が呼んでいるのでこれで」
「またいらしてくださいね。くれぐれも奥様には内緒で」
 二人真顔でふざけた後、千さんは背を向けて歩き出した。彼の背中を見送っていると向こうの百さんと目が合う。すると彼はこちらにも大きく手を振ってくれた。
 彼とは千さんを通じて知り合った。そこまで親しいわけではないのに、彼はいつも親しげな雰囲気で話し掛けてくれる。それにいつも助けられていて、そのことを千さんに話すと「百はあれが普通だから」と柔らかな笑みを見せた。いかに百さんが千さんの支えになっているかが分かった気がした。
 芸能界は色々とある。良いことも悪いことも。それが良い方向に向いたり、悪い方向に向いたり色々だ。
 私はまだ掛けだしたばかりだからそれらが大きく作用したことはない。
 だが、千さんは違う。デビューして早五年。以前は違う人と組んでいたらしい、その方が事故に遭われて今の相方、百さんになったと聞く。元・相方さんの事故は紛う事なき不幸だ。千さんも随分落ち込んだだろう。だが、それがあったから百さんと組むことになったのだし、実際百さんと千さんの相性は良いように見える。
 私にも、そういったことはあるのだろうか。
 それが分かるのは比較的早かった。/swing/novel/4/?index=1