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「蛙チョコレートなんて、二人で開ければ逃げられないわよ」
まあ、私は食べたことなんてないんだけれど。
教科書の表紙を中指でなぞりながらそう言ったぴんと綺麗な背筋彼女、ミネルバは金のそれをなぞり終えるなり背筋と同じくらい真っ直ぐな瞳で私を見つめ、それからまるで小さな赤子を愛でるような笑みをこぼした。一瞬だけ見せたマフィンよりも甘いそれはとても綺麗で、私は彼女の綺麗に纏め上げられたダークブロンドの髪にとても似合う素敵なものだと思った。ミネルバの細い指先、真っ直ぐな脚、しわの一つもないシャツにスカート。それら全てがとても綺麗で、全てが彼女によく似合う装飾品のようにすら思えた。
「今日はゆっくり休みなさい。あなたと同じ授業の分は、私が今度板書を見せてあげる」
まあ、変身術は私もダンブルドア先生に頼まないといけないけれど。
その言葉を最後に、私は彼女の手によってベッドに横にさせられる。彼女の指が金の文字の代わりに私の瞼をなぞれば、そこから忽ちハーブのような香りが漂って、私の意識はゆっくりと沈んでいく。くすくす妖精も熱い痛みも、ミネルバの指先に恐れをなして逃げ出したのか。私のそばにあるものは、オレンジ色のリボンを巻いたクマのぬいぐるみにレモンキャンディー、それから、トムからの手紙だけだった。
「……またね」
その日私は、薄紫色の柔らかな泉に浮かぶ夢を見た。手に持つ手紙からはライラックの花がふわふわと浮かんで漂い、舌の上には甘く酸っぱいレモンキャンディー。そして、そんな私を手招きするクマのぬいぐるみ。
とても、優しい夢だった。
高くも低くもない鼻に、間抜けな下がり眉とそれを隠しもしない短すぎる前髪。ダークブラウンの瞳はいつも何処か違う場所を見ていて、唇は嫌悪を隠し切れずに少しだけ歪んでいた。それがたまらなく楽しくて、僕はいつものように戯れの言葉を吐き出す。変な顔。すると彼女はいつもローブの端を困ったように見下ろして、ちらりと僕の頭からつま先を見る。劣等生。続けてそう言えば、彼女は嫌いだとだけ言い返す。そうして、逃げるように背を向けて駆けだして、僕の取り巻きがくすくすと笑うたびにローブの端を手で払うのだ。
その、自信の無い瞳が良かったのに。不安げに何かを振り払うかのようにローブの端を気にする姿が、面白かったのに。驚いた顔で、熱いミルクを被った自分を見下ろすその様が、一番似合っているのに。
「アブラクサス、どうかした?」
なのに何故、今日はそんなにも穏やかな表情で朝食をとっているというのだろうか。
「……別になんでもないさ」
隣に座る同じ寮の女子の言葉に首を振りつつ、僕の視線は食堂の端で隣り合って座る二つの背中にあった。ぴんと伸びた姿勢の良い背中の隣に、腰ほどまで伸びたダークブラウンの髪が間抜けに跳ねている。それが誰なのか考えずとも分かっていたが、自分の頭に浮かんだ人物とその背中を同一人物だとはとても考えたくなかった。何故ならば、その間抜けな寝癖の持ち主は僕が見たこともない穏やかな表情をしているからだ。
安心しきった顔でホットミルクを飲む彼女なんて、見たくもない。そんなつまらないもの、魔法史よりも最悪だ。
「でもアブラクサス、あなた全然食べてないわよ」
「あー、ああ……」
つまらない、と彼女の背中を見つめていれば、途端に隣の女子に腕をつつかれ、僕は生返事をしながら皿の上のハムに視線を移した。カチャカチャとフォークを皿にぶつけて鳴らして見るも、どうにも食欲がわかない。胸のあたりにもやもやとした嫌悪感が広がって、とても食べる気になれなかった。
ちらり。間抜けな寝癖に視線を戻す。どこか物足りないその横顔は隣にあったきつく纏め上げられ濃い色の髪を見つめていて、その持ち主はすぐにそれに気付き、何かを口にする。ここからその言葉が聞き取れるはずもなかったが、それでも僕にとってはくだらなくつまらない内容だろう。変な顔をした彼女はますます顔を変にして、力の抜ける間抜けな笑みを浮かべていた。
そして、そんな彼女を見て、視界の隅で誰かが立ち上がった。
「カザリ!お前笑えるんじゃん!」
朝からどうしてそんなにも馬鹿でかい声が出るのだろうかと、僕は問いたい。ハッフルパフはやはり、頭のおかしい劣等生ばかりなのだろう。
今の今まで朝食をともにしていた友人をほっぽりだしてばたばたと彼女に駆け寄っていく昨日僕に何かと突っかかってきた上級生の彼は、不思議そうに視線を漂わせた彼女に手を振って、そしてそのまま彼女の真正面にその腰を落ち着けた。ここから嫌でも見える彼のグレーの瞳は嬉しそうに細められていて、くすんだ赤毛がそれに相まって、とても腹立たしく思える。
手に持っていただけのフォークを置いて、素知らぬ顔で紅茶を飲む。面白くない。その言葉だけが、頭にあった。
「アブラクサス、大丈夫?」
「……平気だ」
「でも、あなたとっても気分が悪そうよ」
気分が悪いんじゃない。機嫌が悪いんだ。
子供のようなことを考えながら、さして美味しくもないそれを飲み干す。そして、懲りずに僕は再度彼女の背中を見た。間抜けに跳ねた腰ほどまであるダークブラウンの髪を、真正面に座るくすんだ赤毛の男が身を乗り出して撫でつける。それに漸く自身の髪が跳ねていることに気付いたのか、彼女は後ろを振り返った。
瞬間、僕はティーカップに視線を落とす。飲み干したそれはテーブルに置くなりみるみる内に湧き水のようにティーカップの中にその姿を再び見せ、自らを主張するかのように湯気を立ち上らせていた。
視線を上げた先で、彼女の視線がからむことはなかった。それどころか、彼女はくすんだ赤毛に手を振られながら、姿勢の良い彼女とその場を後にしようとさえしていた。
「……面白くない、」
魔法史を三時間ぶっ続けで受けるよりもきっと、今、僕の機嫌は最悪だ。
「え、あ、ちょっとどこ行くの?」
「おいアブラクサス、もう行くのかよ」
ティーカップの中のものを勢いよく飲み干して、僕は同級生達の言葉も聞かずに足早に食堂を出た。そして、並んで歩く二人分の背中を同じ歩幅で追いかける。こつこつと規則正しく歩く隣で、ふわふわとどこか頼りない足取りで歩くその姿が、とても腹立たしくて、それでも目を逸らすことは出来ず、僕は人知れず奥歯を噛みしめた。
間抜けな横顔が口ずさむ歌は、いつか僕が母上に歌って、父上に耳障りだと叱られたそれだった。
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