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日々は、自分で思っているよりも足早に過ぎていくものらしい。それが例え、どんな日々であろうと。
ランチに、と大広間からとってきたサンドイッチにかぶりつきながら、私は隣に腰掛けてくるくると羊皮紙を巻くミネルバに目をやる。とても私と同い年とは思えないミネルバの綺麗な形をした白く女性らしい右手に、その先にまるでその美しさを際だたせる飾りのようについた薄いサーモンピンクの爪が、私が返したデイジーの髪飾りをかりかりとひっかく。てっきり髪をまとめる仕事を任されるものだと思っていたそれは、今や彼女の性格が嫌と言うほどに滲んだ文字の連なる羊皮紙を留めるという仕事を任されていて、きらりと光るデイジーはくるくると丸められたそれを広げまいとその場で踏ん張っていた。とても健気である。


「なあに、カザリ」

「頑張ってるなあって、思って」

「ええ、だって良い成績をとりたいもの」

「ううん、ううん。違うの、その子」

「その子?」


その子って、この子?私に合わせるような口調で問い返したミネルバの手が、今の今までそれを引っかいていた綺麗な爪で指さした。こっくりと頷けば彼女はまるで呆れたように長めに息を吐き出したが、それでも彼女が心から呆れてはいないことを知っている私は、小さく口角を上げて自分よりも背の高い彼女を見上げた。今日も綺麗にまとめ上げられた彼女の髪が、昼下がりの眩しすぎる光を浴びて控えめに輝く。


「貴方がそんなにこれを気に入っているのなら別にあげても良いのだけど、それより、私のことは褒めてもらえないのかしら?」

「え?私、ミネルバの手は綺麗だなあって思ったよ?」

「思っただけで褒めてはくれていないわよ。それに、私が褒めて欲しいのは、」

「褒めた、褒めた、今褒めた。綺麗。ミネルバの手、とっても綺麗」

「……もう良いわ。ありがとう」


ハムとチーズがお粗末に挟まれたそれを口に放り込んでどういたしましてと返せば、ミネルバは小さく笑ってその綺麗な手で私の口元にハンカチを押しつけた。どうやらパン屑がついていたらしい。何も言わずにとってくれるところは、トムとは違っていた。彼はいつも付いているよと言ってから、私の口に手を伸ばしたから。
本来の役割とは違うそれを全うするデイジーのついた羊皮紙を傍らに置かれていた鞄に仕舞い込み、未だサンドイッチを咀嚼する私を待つようにミネルバは空を仰いだ。彼女のそんな姿も綺麗だな、と思いながらも彼女のその向こうの景色に目をやれば、誰かがローブを翻しぱたぱたと此方へ歩いてくる。青いネクタイは、眩しい光を浴びても輝かなかった。


「今日は良い天気だわ」

「う、ん」


ごくり。咀嚼していたそれを飲み下し、こっくりと頷く。そして、それがゆっくりと喉元を通り過ぎていくのと、青いネクタイが目の前を横切るのは同時だった。
黒くてさわり心地の良い髪を持つトムに、きっとあの青はよく似合うのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、青いネクタイの持ち主である少年の後ろ姿を見つめる。どこかで見たことのあるそのくすんだ赤毛は、ひょこりと顔を覗かせるように跳ねる私の髪とは正反対のものだった。


「私、寝癖を直す魔法が知りたいな」

「……貴方は櫛を使えないのかしら?」


跳ねた私の髪をミネルバがつつき、くすんだ赤毛がちらりと此方を振り返る。一瞬だけ見えたグレーの瞳は私をしっかりととらえてから、それから直ぐに前に向き直ったのだった。ふわりとローブを翻して歩くその姿に、私は不意にローブのポケットに今朝突っ込んだベリー色のキャンディーの存在を思い出す。父が送ってくれた手紙に入っていたそれは、色の割に味は甘いだけなのだ。


「ねえミネルバ、ベリー色のキャンディー舐める?」

「今、髪の話をしていなかったかしら」

「うん、うん。してたね。はい、あげる」

「やっぱりしてたわよね。ありがとう」


ローブから取り出した小さな包みをミネルバの綺麗な白い手に並べるように三つ置いて、私は彼女に向けて頬をゆるめる。するとミネルバはほんの少しだけ口角を上げて、手のひらに並べられた内のひとつを開けてそのまま口へと運んだ。ぽいっと放り込まないあたり、彼女の礼儀正しさが垣間見える。
ああ、こんな素敵な彼女を友人にしたがらないだなんて、グリフィンドールの生徒の目はいつも何処か余所を向いていると言われる私以上に余所を向いているに違いない。きっと、すれ違った生徒の靴の裏だとかズボンの汚れだとか、そんなものを。


「……成る程、ベリー味じゃなくてベリー色だって言った意味が分かったわ」

「えへへ、うん、そうなの、ベリー色なの」


遠ざかっていった青を振り返れば、グレーの瞳も私を見ながら、それでも歩き続けていた。
ローブの中のベリー色が無くなるに、何日かかるだろうか。未だミネルバしか友人と呼べる者がいない私は、前に向き直り一人歩く後ろ姿から目をそらし、そんなことを考えていた。







薄暗い地下室で受ける魔法薬学の授業の眠たさと言ったら、トムが読み聞かせてくれた魔法史の教科書と張り合う程である。それを言うと彼はきっとせっかく僕が読んでいるのに、だとか、授業中に寝てはいけないだとか、反論の手紙を寄越すに決まっているので、私はいつもその言葉を心の中で繰り返すだけだった。多分、その内手紙に書いてしまうのだろうけれど。
しかし、そんな眠気は直ぐに吹き飛んでしまう。


「さて、次の授業ではペアになって薬を煎じてもらおう。どの薬を作るかは未定だが、よく教科書を読んで復習しておくように」


授業の終わりを告げる鐘と共にスラグホーン先生の口から飛び出したその言葉は、私の目を覚ますのには充分過ぎる威力を持っていた。


「ぺ、ペア、……ペア……?」


ばたばたと片付けをし出す周りの生徒の騒音に、私の小さな呟きはひゅるりと吸い込まれてぱちんと消えた。それから私はゆっくりと周りを見回して、膝に置いてある自分の手を見下ろした。
グリフィンドールは比較的、スリザリンとの合同授業が多いらしく、また、ハッフルパフはレイブンクローとの合同授業が多い。そして、唯一の友人と呼べるミネルバはグリフィンドールであり、私はハッフルパフである。
再度周りを見回してみる。教科書を乱暴に鞄に仕舞い込んで周りの生徒に手を振りながら颯爽と教室を飛び出して行った深い藍色の髪を持つ男の子のネクタイは、私と同じ色。それから、ゆっくり丁寧に羊皮紙を巻いてから席を立ったくすんだ赤毛の男の子のネクタイは、青色。そこでふと彼が昼に見た男の子であることに気付いたが、私は目の前の事実に少しばかり焦っていた。
魔法薬学は、カナリアイエローと青。つまり、ハッフルパフとレイブンクローの合同授業である。ミネルバのいるグリフィンドールとの合同授業は、残念なことに変身学しかない。


「……ど、どうしよう……」


きゃっきゃと笑い合いながら教室を出ていった二人のレイブンクロー生を最後に、私は一人ぽつんと教室に残される。ゆっくりと机の上の教科書を片付けながら、これからのことを考えた。
友人がたくさん欲しいわけではない。ローブのポケットに入れたベリー色をはやく無くしたいわけでもない。けれど、ほんの少しだけ胸が痛い。ミネルバという頭が良くて私の手をひいてくれる素敵な友人は、暇があれば私の隣にいてくれるが、それでも彼女も私と同じ一年生である。私のクラスはまだだがクラスによっては実技が始まりだした授業もあるし、宿題だってある。その上彼女は真面目だ。慣れない授業についていくだけではなく、ミネルバは更に先へと進むために予習だって怠らない。一言で言うならば、忙しいのだ。四六時中、私といるわけではない。
母さんが去年の誕生日にホグズミードで買って来てくれた薄いハシバミ色の鞄を両腕に抱えるように前で持って、私は席を立つ。それからぎゅっと鞄を抱き締めて、薄暗い地下室の教室を出ようと足を踏み出した。
色素の薄い唇が、頭に浮かぶ。熱いミルクをかけたきり姿を現さない彼の口元だけが、私の頭に姿を現した。


「……へんな、かお」


ぽつりと呟いて、私は周りの子よりも少しばかり低い自分の鼻を人差し指で撫でた。
純血と半純血。それからマグル生まれ。それに似たようなものだと、父さんと母さんが言っていたことを思い出す。父さんが純血で、母さんはマグル生まれ。確かにそれはそうなのだけど、それにはもうひとつの意味があるのだと言っていた。つまるところ、混血なのだ。ふたつの意味で、私は混血なのだ。


「……この学校には、アジアの人がいない」


いや、マグルの暮らす街中ですら、私は母に似た顔を見たことがなかった。
がたがたに置かれた椅子を避けて、教室の出入り口にたどり着く。我ながらゆっくりとした足取りに驚きつつも、今度は背中からひょこりと顔を覗かせる跳ねた髪に手を伸ばす。思わず立ち止まった歩みに、どうかしたのか、と問いかけてくるようだった。


「おっ、とっ!」

「わっ」


その時だった。視界が黒と白とカナリアイエローで埋め尽くされ、ホットチョコレートのような甘い匂いとともに、どん、と低い鼻に衝撃が走ったのは。
突然のことに素早く対処出来るほど、自分は頭の回転がはやい人間ではない。その衝撃を受けてよろめいた足がどうなるのかなんとなく予想は出来たが、それに対処出来た試しは一度だってない。そう、トムが咄嗟に手を伸ばしてくれない限り。


「おおっ、わりぃ!」

「え、え……?」


そして、衝撃の原因である三色の持ち主が私の背中を支えてくれない限り。
深い藍色の瞳が直ぐ目の前で私を見つめてきて、私はその瞳にかかる跳ねた前髪を見つめる。背中にある手はゆっくりと私をあるべき姿勢に戻すように背中を押して、それからぱっとふくろうが飛び立つより早く離れていった。跳ねた前髪は、瞳と同じ深い藍色だった。


「わりぃ、怪我は?」

「……う、ううん」

「そっか、良かった」


怪我は、と問われて思わず鼻を撫でながらも首を横に振ると、彼はにかりと笑って私の肩をぽんぽんと二度叩いた。それから私の横をそよ風のようにふわりと軽い足取りで通り過ぎて、教室の真ん中の机に置かれていた羽根ペンを手に取った。黒い模様の入ったそれを取りに来たらしく、彼はまた軽い足取りで戻ってくる。


「なんだ、ハッフルパフか」


私の隣までかけてきた所で、彼は自身の首元にある同じ色に漸く気付いたらしい。ぼんやりとそんな彼の前髪を見つめたまま私が鼻を撫でながらこっくりと頷くと、彼は何故だか私の顔をのぞき込んできた。ホットチョコレートのような甘い匂いが、再度鼻をくすぐる。


「あ?もしかしてさっき鼻ぶつけた?」

「あ、ちょっと、ちょっとだけ」

「げ。……ごめん」


痛かったか?その言葉と共に、彼は私の手をとって鼻を確認する。それは言葉通り、あ、という間の出来事だった。


「んん……?」


変な顔。
マルフォイの薄い唇が頭の中で囁いたので、私は慌てて鼻を制服の袖で隠す。そのままローブのフードをすっぽりとかぶりたかったが、慌てて手を上げたせいでばたばたと音を立てて鞄から教科書が落ちてしまった。なんてことだと内心焦りながら咄嗟にしゃがみ込んで教科書をかき集めるが、なんと一緒に飛び出した羽根ペンが目の前の彼の足の間に落ちていた。
恐る恐る手を伸ばす私に気付いたのか、彼は直ぐにその腰をおり羽根ペンを拾い上げる。深い藍色の髪が揺れて、また甘いホットチョコレートのような匂いがした。もしかすると彼は、チョコレートを溶かしてそれで髪を洗っているのかもしれない。


「ん」

「あ、ありがとう……」

「うん」


なぜだか大きく得意げに頷いた彼に少しばかり首を捻りながら再度鼻を隠せば、彼はそんな私をじっと見つめてきた。しゃがみ込んだままの私を腰をおったまま間近で見つめる彼の姿は、一体どう映るのだろうか。開け放されたドアの向こうの廊下を歩いていくスリザリンの生徒が、不思議そうに私たちを振り返っていた。


「あ、あの、」

「お前さあー」


お前、の言葉に続くものに嫌な予感がして、私は慌ててかき集めた教科書を鞄に詰め込み、勢いよく立ち上がる。瞬間、ごちん!と彼の顎と私の額がぶつかって、目の前にちかちかと妖精の羽の光が散ったが、私はそれでも何とか立ち上がった。その代わりに彼はへなへなとその場に顎と口元を押さえてうずくまってしまったが。
私達を見ていたスリザリンの生徒がふきだすのを横目に、私は慌てて頭を下げる。額がじんじんと痛んで、涙が出そうだった。


「ご、めんなさ、さようならっ」

「ご、ごめんなさようならっ?」


続けて出した言葉に彼が目を見開いた瞬間、私は逃げるように鞄を抱き締めて廊下に飛び出す。ことを見守っていたスリザリン生はどうやら上級生だったようで、私よりも随分と高いその身長を縮めるようにお腹を抱えて笑いをこらえていた。
ばたばたと廊下を走り、階段を一段とばしで上っていく。それから漸く見えた中庭に安堵しながら、私は中庭を駆け抜けた。駆け抜ける途中、昼間に私とミネルバが座っていたベンチに誰かがいたが、私はその誰かを確認する間もなく走り続けた。


「ど、どうしようっ、どうしようっ……!」


未だ額にへばりつくじんじんとした痛みに、私は先程のことを思い出す。それから、部屋についたらまず何をするか直ぐに考えた。トムが送ってくれたライラックの花を、思い切り抱き締めるのだ。
頭に浮かんだマルフォイの口元に、鞄を抱き締める力が強くなる。思わずローブの端をはらったのは、そこにくすくす妖精の姿が見えたからだった。


「み、ミネルバっ……」


初めて出来た友人の名を呼びながら、私は寮へとかけるしかなかった。あのサーモンピンクの装飾品のような爪がついた綺麗な白い手が私の鼻を隠してくれたらどれほど良いか。芝生の上に転がった羽根ペンに気付かぬまま、私はそんなことを考え駆けるのだった。







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