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魔法薬学を苦手だとは思わない。スリザリンとの合同である闇の魔術の防衛術や、よりによって週に三度もある薬草学に比べ、スラグホーン先生の作る魔法薬のせいでおかしな臭いが立ちこめるその教室にくすくす妖精はあまり姿を見せなかったから。しかし、今日はどうやら違うらしい。買ったばかりの羊皮紙にコーヒーとどろどろに溶けたタフィーをこぼしたような臭いの立ちこめる教室の彼方此方からくすくす妖精が私に向かって飛んできて、教室に一歩しか踏み入れていない私のローブの端から端までびっしりとしがみついて、右足を踏み出すことがなかなか出来なかった。
授業の度にころころと変わる教室の臭いに鼻をそっと隠して、二人ずつで大鍋を挟むように席に座る青と黄のネクタイを視線だけで見回す。ゆっくり食べると良いわと言ったミネルバに甘え、ヨークシャープディングをフォークで散々弄くり回していたのが悪かったのだろうか。教室の入り口に立つ私以外の生徒は殆どが二人組で座っていて、くすくす妖精を全て払い落としたとしても右足を踏み出せそうにない。


「おや、何をしている?」

「わっ、」


思わずローブの端を眺めていれば、どうやら思いの外始業時間が迫っていたらしい。地下牢のひんやりとした空気と共にまんまるく出たお腹が軽く背中に当たって、私は驚いて後ろを振り返る。するとそこにはまんまるいお腹を一撫でして私を不思議そうに見下ろすスラグホーン先生がいて、ローブの端を一度だけ払いながらスラグホーン先生が教室に入れるよう道をあける。彼のお腹には何か魔法がかかっているのではないかとミネルバに言えば、彼女は馬鹿らしいと笑うだろうか。


「ああすまん、あー、ミス……、さあ、授業を始めるから席につきなさい」

「……カザリ・ヴィッセルです、スラグホーン先生」

「おお、そうか。ではミス・ヴィッセル、二人一組で席について」


まんまるく出たお腹を見つめながら、こっくりと頷く。ゆっくりと教壇に向かって歩いていくスラグホーン先生の背中を見送って、もう一度だけ視線で教室を見回した。
大きな体を揺らして歩く彼に気付いた生徒達が私に残した席は、たったの二つだった。


「さあさあ、ミス・ヴィッセル、席につきなさい」

「……はい」


制服の袖で鼻を隠して、私は教室の一番隅にある二つの席に向かう。空いていた二つの席は、それぞれに青とカナリアイエローのネクタイが座っていて、私はそれから目をそらしてスラグホーン先生の少し汚れた深緑のローブを見る。ぐるぐると気持ちの悪い何かが喉の奥にいるのは、ストロベリーブロンドと赤毛に相槌を打つ藍色のせいだと、私は気付きたくなかった。





「さて、それでは手順は黒板に書いてある。各々二人組で火傷を治す薬を調合し、提出するように」


そう言ったスラグホーン先生のまるく大きなお腹を見つめていたのは、きっと私だけだったのだろう。一斉に大鍋に向き直った生徒達の頭に少しの間を置いて気付き慌てて大鍋の方を見れば、私とペアになった生徒、青いネクタイのレイブンクロー生は教科書を片手に材料を確かめているところだった。
二つしか空いていなかった席で、私がカナリアイエローのネクタイをした藍色の彼を避け、青いネクタイをしたくすんだ赤毛の目の前の彼の隣に座るのは、私にぴったりくっついて離れないくすくす妖精なら簡単に予想出来た事だろう。スラグホーン先生が薬の手順を説明している間、人数が合わないせいで三人で隣の大鍋を囲っていた彼らをちらりと横目で見る度に藍色の瞳がくすくす妖精のお腹をくすぐって、私は耳をふさぎたくて仕方がなかった。仕方がなかったのだが、私の右手はスラグホーン先生の口からすらすらと流れ出ていく手順を教科書にメモをすることに必死で、左手は彼の瞳に見られぬよう鼻を隠す仕事があり、耳をふさぐことはとうとう叶わなかったのだ。


「ヒュー、俺達で材料準備するから、お前手順確認しといてよ」

「んー」


大鍋に向き直ったことにより真後ろから聞こえたはっきりとしない返事に、私は顔を上げて目の前のくすんだ赤毛を見つめる。教科書に視線を落とすその瞳を縁取る睫毛がとても長くて、目に入ったらさぞかし痛いだろうといらぬ心配をしてしまう。
大鍋ににじりより、長い睫毛を見つめたまま彼の視線と教科書の間に手を差し入れる。突然現れたそれに驚いたのだろう。跳ねるように肩を揺らしてこちらを見た彼のグレーの瞳は、後ろからぽんと背中を叩けばその瞳がぽろりとこぼれ落ちてしまいそうなくらいに見開かれていた。


「あ、あの、」

「えっ、あ、な、なに……?」

「あの、材料、私、取ってこようか……?」


恐る恐る彼が訊ねてくるものだから、私もつられて声を小さくして彼に問いかける。まるで秘密の話をしているようだったが、会話の内容は魔法史程につまらない。


「え、でも、」

「あの、と、取ってくるよ、私、全然」


ミネルバ相手ならすらすらと言葉が出るのに、何故だか今は上手く言葉が声にならない。どうやらくすくす妖精が私の喉元までのぼってきて、ぐるりと首輪のようにしがみついているらしい。それを早く取ってしまいたくて、藍色から少しでも離れようと私は目の前で渋る彼の返事を待たずに席を立つ。材料を用意する間だけでも良い。この場から離れて、ゆっくりとローブの端を払いたかった。


「あ、待って、」

「えっ」

「あの、……材料、多いから、僕も行くよ」


しかし、そんな私を呼び止めてくすんだ赤毛の彼は言う。ぐっと唇を噛みしめて教科書を閉じた彼は、一体何を考えているのだろう。まるで意を決したようなその様子に今度は私が目を見開いたが、そんな私の視界を横切って彼はガラス瓶の中でアルコールに浸かった魔法生物達がずらりと並ぶ棚を通り過ぎ、薬草の棚へ真っ直ぐ向かっていった。
私も行かなくては、と気付いたころには、彼は細い腕で血のように真っ赤な薬草と紫色の液体の入った小瓶を抱えていて、私は慌てて彼にかけよる。先生の姿など目に見えていないかのように談笑しながら材料を集める生徒達と違い、彼は黙々と薬草の名前を確認していた。


「あ、ねえ、そこの小瓶僕にもくれる?」

「弱虫サミュエルのくせに、一番良い角ナメクジの粘液取ってるぜ」

「ちょっと、早くそれ私にも貸してよ。私も使いたいんだから」

「ねえ、山嵐の針と爪ってもう持って行った?」


右からも左からも入り込んでは流れ出ていく世話しない話声を聞きながら、山嵐の針を三本、それから小さな爪を四つ数えて手の平に乗せる。隣に立つくすんだ赤毛の彼は私では到底届かない高い場所にある薬草に手を伸ばしていて、彼が準備を手伝ってくれて良かった、と思った。きっと私だけなら、精一杯手を伸ばしたところでバランスを崩して笑われていたことだろう。
出来上がった薬を入れる為の綺麗な小瓶を取って、それから山嵐の爪と角ナメクジの粘液を混ぜるための器を取る。少しふちが欠けているが、混ぜることに支障はないだろう。それらを持って改めてくすんだ赤毛の彼を見れば、どうやら材料は全て揃ったらしい。私の手にあるものを確認して頷いた彼が大きくゆったりとした歩みで席に戻ろうとしたので、私もそれに続く。


「あまり喋っていないで、材料が揃ったらどんどん進めていきなさい。早く、丁寧に作るように」


スラグホーン先生の言葉は生徒達の耳にあまり入らなかったようだ。材料を大鍋から少し離れた場所に置きながら、相も変わらず騒がしい教室を見回す。初めての二人組での魔法薬学の作業だからか、皆どこか浮き足立っているようだった。


「ヒュー、おっまたせー」

「おせーよ」

「なかなか良い材料がなくてね」

「ふうん?まあいいや、さっさと終わらせようぜ」

「三人でやったら余裕だな!」

「どうかな?案外難しそうだし、この薬」


そして、隣の大鍋を囲む三人もそれは同じらしい。ちらりと視界に入った藍色からぱっと目をそらし、彼らに背を向けて私は角ナメクジの粘液の入った小瓶を手に取る。それを器にあけて山嵐の爪を入れ、少しの間待つ。紫色の粘液が深い赤と青に別れるまで、目の前のくすんだ赤毛の彼が大鍋に水と山嵐の針を入れる作業を見つめる他にすることは無かった。


「……っ、…………あ、あの、」


そんな私の視線に彼は針を入れきってからようやく気付き、困ったように目をそらす。しかし私は、長い前髪の下で泳ぐグレーのその瞳と器の中の紫色を交互に見つめる。
困ったようにそらされたその瞳に、ふと、何かが頭に引っかかる。くすんだ赤毛とグレーの瞳を、私は知っていた。


「……あの、ヴィッセル、そ、そんなに見ないで、欲しいんだけどっ……」

「えっ、あ、ご、ごめん、ごめんね」


頭に浮かびそうになった顔が、彼の言葉によってぶくぶくと沈んでいく。慌てて謝りながら器に視線を落とせば、ゆっくりと粘液が深い赤と青に別れようとしているところで、私はそれを見つめるふりをしてもう一度彼を盗み見た。
器の中を見つめる彼の瞳を囲む、とても長い睫毛。トムと違い、ほんの少し癖のあるくすんだ赤毛。ひやりと冷たい教室の空気に、すん、と綺麗に陰をつくった鼻をすする。制服の袖で自分の鼻をそっと隠しながら、長い睫毛のその向こうを見る。綺麗な、綺麗な、グレーの瞳が二つ。
頭の中で、ぶくぶくと泡が上がる。ひょっこりと顔を出しそうで出さないそれを再び沈めたのは、未だ騒がしい教室の何処かから聞こえた言葉だった。


「あーあ、弱虫サミュエルが一番良い角ナメクジの粘液を取ったせいで全然色が変わんねえー」


ざわざわと騒がしい教室の中、私がその言葉を拾ったのは、きっと目の前の彼が唇を噛みしめながら角ナメクジの粘液が入っていた小瓶を握りしめたからだろう。
顔を上げて振り返り、ぐるりと教室を見回す。まるで今の言葉なんて初めから無かったかのように、それぞれに談笑しながら作業を進めていて、誰とも視線が合わない。そのまま目の前の彼に視線を戻せば、彼はやはり唇を噛みしめて黙って俯いていた。


「おっ、ヒュー、見ろよ、なんかこの粘液、お前の髪みたいな色になったぜ」

「……待て、一色っておかしいだろ。二色に別れるはずだけど?」

「…………僕達、三人で作業しない方が良いみたい」


ぶくぶくと沈んでいった何かの代わりに、そういえば目の前の彼は妖精の魔法で誉められていた彼だ、なんて、今更どうだって良いことを思い出す。
噛みしめたせいで白くなった唇から、器に視線を落とす。深い赤と青に別れたそれが、後ろにいる藍色、ヒュー・ガーランドと、目の前で唇を噛みしめるくすんだ赤毛、サミュエル・メイフィールドに見えて、私は何も言わず器の中身を大鍋に放り込んだ。くすくす妖精が喉をぐっと押し付けてきて、苦しくて仕方なかった。

出来上がった火傷を治す薬は、今年の一年生の中で一番の出来だとスラグホーン先生が嬉しそうに言っていた。







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