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「元気爆発薬を飲めば一発なんでしょうけど、それでは根本的な治療にはなりませんね」


アンドリュー先輩の背中に乗せられて箒で飛ぶよりも早く辿りついた医務室で吐き出されたマダムぺぺの言葉は、ずっしりと重いため息が混ざったものだった。
一体何がどうしてそんなになるまで気に病むような悩み事があるんですか。とマダムぺぺが言いながら、彼女は私が言葉を口にする間も与えず私をベッドに座らせローブを奪い取るように脱がし、そしてそのまま布団を押しつけるようにして寝かされ、私は何が何だか分からないといった顔をしていたアンドリュー先輩の宙を泳ぐ手を見つめるしかなかった。うろうろと宛も無くさまようその手は何故だか私のくしゃくしゃの心をほんの少しだけ優しく広げてくれて、熱い瞼がゆるゆると下がっていく。意識が深い場所へと潜るのを感じながら、私が最後に耳にしたのは聞き慣れたミネルバの声だった。


「全く、まさかこんなに医務室にいる羽目になるなんて思いもしなかったわ」

「うん、うん。私も思った」

「でしょうね」


そして、次に目を開けた瞬間に聞いた声がミネルバの焦ったような声だとは、眠りに落ちる前の私ですら予想だにしていない事だった。


「まさか熱を出すなんて……。一日で良くなったから安心したけれど」

「……ごめんね、ミネルバ」

「別にいいわ。疲れてたみたいだし、仕方ないわよ」

「うん、うん、ありがとう、ミネルバ」

「ええ。……それにしても、目が覚めたと思ったら急に熱を出すんだもの、驚いたわ」


そう言ったミネルバの表情の崩れなさと言ったら、私は自分が熱を出したという事実よりも言葉と表情の合っていない彼女に驚かされてしまう。
しかし、実際のところ昨夜の彼女は驚いたことだろう。夕食の席を外し医務室に向かった友人を夕食もとらずに見舞いにきてみれば、その二時間後目を覚ました友人が突然顔を真っ赤にして唸りだしたのだ。今朝になって熱は下がったが、ミネルバの昨夜の驚きを想像すると頭が下がってしまう。彼女には、とても心配をかけてしまった。その証拠に彼女は、朝食も昼食も、そして夕食までも私と共に医務室でとっていたのだから。消毒薬のにおいがそこらかしこに染み着いたこの部屋で食べるサンドイッチはさぞかし不味かったのだろう。ミネルバが朝食をとるのをトムへの手紙を書きながら横目で見た彼女の眉間に寄せられた皺は、スリザリン生であるアルヴィ先輩がアンドリュー先輩達と共に花を持って現れた時と同じくらい深く寄せられたままだった。彼が持ってきた白いバラの小さな花束は、彼にとてもよく似合っていると思った。


「ねえ、カザリ?」

「うん、なあに?」


水挿しの隣に置かれたそれから視線を外し、ミネルバの眉間の皺を見る。サンドイッチを食べていた時よりも深い深いそれに、今ならそれで妖精すら捕まえてしまえるんじゃないかと不安になって、私は思わずそんな彼女の額に手を伸ばした。ミネルバは一瞬瞠目したが、すぐに私の手を受け入れながらじっと膝を見つめる。するりと撫でた眉間は、もう妖精を捕まえられない。


「……そんなに難しい顔をしてたかしら」

「とっても。妖精の羽を挟めちゃいそうなくらい。でももう捕まえられないよ」

「そう。……あの、あのね、カザリ」


ミネルバの額から手を離し、私はミネルバの声に耳を傾けながら彼女の指先を見る。綺麗な形をした爪が落ち着き無く膝の上で弄ばれていて、不思議に思い顔を上げる。いつも凛々しい彼女の眉が、ほんの少しだけ下がっていた。


「ミネルバ……?」

「…………やっぱり、何でもない」

「ミネルバ、どうかしたの?」

「いいえ、ただ、私はずっと貴方といる。それだけ」

「……あはっ、変なミネルバ」


まるでそっと大切なものを隠すようにゆっくりゆっくり言葉を口にしたミネルバがとても綺麗に思えて、私はそんなミネルバにたまらず口元がゆるむ。そんな私を見て、ミネルバは何を思ったのだろう。またほんの少しだけ眉を下げて、水挿しの横に置かれていたバラの花弁を一枚だけ引きちぎった。それはアルヴィ先輩への当てつけだろうか。
はらりと床に落ちた白いそれに満足したのか何なのか、ミネルバはいつもの真っ直ぐな瞳を私に向ける。きゅっと真一文字に結ばれた唇が、私が瞬きをしたその瞬間ゆるくなる。


「トムへの手紙、ちゃんと出しておいたから。ロンドンの外れなら、もうきっと届いてるわ」

「うん、うん。ありがとう、ミネルバ」

「どういたしまして。じゃあ、もうそろそろ寮に戻るわね」


消灯時間も近いだろうし。
そう言って、ミネルバはマグル式の腕時計を確かめて立ち上がる。その瞬間白いバラの花弁を踏みつけていたのは、わざとなのだろうか。


「じゃあ、明日朝迎えにくるわね」

「うん。待ってる。おやすみなさい、ミネルバ」

「……おやすみ、カザリ」


暫し何かを逡巡して、ミネルバは私に笑みを向けてベッドを隠すように覆っていたカーテンを潜る。カツカツと一定のリズムで靴底を鳴らしながら遠ざかっていくミネルバに、私は瞼を下ろしながらトムへ宛てた手紙を思い出す。
最後に書いたあの言葉は、余計だっただろう。


「……トムに、会いたいな」


ぽつりと呟いて、瞼を上げる。消灯時間が近いからか、医務室の前の廊下を慌ただしく駆け抜けていく足音がいくつか聞こえた。それを注意するマダムぺぺの刺々しい声は、そんな足音の持ち主に刺さったかのように足音を静かなものにさせていた。
その時、不意にカーテンの直ぐ向こうに気配を感じ、私はそちらを見やる。ぼんやりとうつる影は不確かなもので、その正体が誰なのか分かるはずもなく、しかしそれでもミネルバやアンドリュー先輩達ではないことは確かだった。ミネルバのカツカツと鳴らす一定の足音も、アンドリュー先輩達のような長身も、そこにはない。


「あら、貴方、もうすぐ消灯時間なのに見舞いですか?」


瞬間、マダムぺぺがその影に声をかけ、カーテンの向こうで影の持ち主が驚いて一歩後ずさるのが分かった。カーテンに肩がぶつかって、足元が見える。綺麗に磨かれた革靴を履いたその足は、男子生徒のものだった。
それと同時に何かが床に落ちて、マダムぺぺがあらあらと此方へ歩み寄ってくる足音がした。カーテンの向こうの影は一度此方へ向き直ったが、直ぐに足音と共に消えてしまった。つまるところ、逃げ出したのだ。


「あ!こら!医務室も廊下も走らない!」


マダムぺぺの刺々しい怒声がカーテンの向こう側にいたはずの影を追いかけるが、それは刺さることなく足音はどんどん遠ざかっていく。その代わりにマダムぺぺの小さな足音がこちらに近付き、開けますよ、の一言と共に彼女は私のベッドを隠していたカーテンを開いた。
不満げに寄せられた眉と呆れたような視線の先に、小さな箱がある。きらきらと控えめに光っては流れていく星の模様のそれは、影の持ち主が落とした物らしかった。


「……見舞いにくるならもっと早く来るよう伝えておいてくださいね」

「えっ、あ、は、はい……?」


床に落ちたそれを拾い上げ、マダムぺぺは私に言う。意味も分からず頷いた私の手に渡されたそれは、きらきらと光り続けていた。









「それで、ずっとその箱を持っているのね」

「う、うん。開けても良いのかな……」

「……男子生徒でしょう?駄目。開けちゃ駄目」

「わ、分かった。開けない、開けない」


まさかそこまで強く否定されてしまうとは。約束通り私を迎えにきてくれたミネルバと共に大広間に向かいながら、私は手の中にある小さな箱を見る。銀のリボンのついた藍色のそれは、昨夜と同じようにきらきらと光る流れ星の模様がとても綺麗で、ここにミネルバがいなければ私はそろりとその銀のリボンを解いてしまっていただろう。しかし、私はそれをそっとローブのポケットにしまい、ミネルバの隣を歩く。私に合わせてゆっくりと歩いてくれるミネルバの足音は、箱の中身よりも大切なことに思えた。
ミネルバがいない場所で、思い出した時にでも開けよう。手の平に収まるほどの小さなそれをのぞき込むと、その下から私をにらみ上げる杖と目が合った気がして、私はぱっと視線を前にやりミネルバと肩がくっつきそうなくらい彼女に身を寄せた。


「なあに、カザリ。そんなに近いと歩き辛いわ」

「え、えへへ。ねえミネルバ、これ、誰からだろう」

「その箱?……さあ、分からない。心当たりはないの?」

「……足元しか見えなかったから」


ミネルバのローブを指先で掴みながら、いつの間にかたどり着いていた大広間の扉を抜ける。少し焦げたポテトとベーコンの匂いをかぎながらミネルバの足元を見れば、彼女の靴はとても綺麗に磨かれぴかぴかと光っていた。もしかするとミネルバは、清めの呪文を知っているのかもしれない。


「……でも、開けないで。カザリ、それは、開けないで」

「……ミネルバ、誰からか知ってるの?」

「…………いいえ。でも、開けないで。分かった?」


ミネルバの視線が一度だけハッフルパフのテーブルを泳いで、私も彼女の視線を追いかける。アンドリュー先輩とニコラス先輩が座っていたことに直ぐに気付いたが、ミネルバがいつものように一番端の席に座ったので私もその隣に腰を下ろした。
こんな時トムなら、ミネルバが何を考えているのか分かるのだろうか。もしかするとトムもミネルバと同じように開けるなというのかもしれない。ローブのポケットの中で黙って大人しくしている流れ星の輝くそれをローブの上から撫でて、ぱっとテーブルに現れたホットミルクの入ったゴブレットに手を伸ばす。隣に座るミネルバの背中は、今日も真っ直ぐ伸びている。


「あっ、郵便だ」


ティーカップに手を伸ばしたミネルバの後ろからグリフィンドールの誰かがそう言って、ぱたぱたと天井を行き交う数羽の梟を見上げる。トムから返事はくるだろうか、と考えている間に梟は私の頭上をすうっと通り越し、ミネルバの元へ手紙を落として去っていった。黒と白の羽が混ざった小さな梟がとても可愛くて、私はぼんやりと遠ざかっていくその梟を見つめていた。梟は、一体どれだけの種類が存在するのだろう。


「あ、ヴィッセルだ」

「もう良くなったんだな」


ひらひらと落ちてきた梟の羽を横目にゴブレットを傾け口をつけると、右から左へと声が流れていく。思わず振り返ると大広間の奥の席へと向かうストロベリーブロンドと赤毛が見えて、私は大きく瞬きを繰り返した。彼らは確か、妖精の魔法の授業で前に座っていた生徒だ。
ぐるり。お腹の少し上で気持ちの悪い何かが渦を巻いて、私は咄嗟にゴブレットをテーブルに置き鼻と口元を押さえる。ぱちぱちと瞬きをすれば、藍色の瞳を思い出し、また気持ち悪くなってしまった。


「カザリ、どうしたの。気分悪い?」

「……ううん。ううん、大丈夫」


ちょっと、くしゃみが出そうになっちゃった。
そう言いながら、私はミネルバを振り返る。そう?と私の背中を撫でた彼女の向こう側に見えた藍色の髪と瞳に私はまた鼻と口元を押さえたが、ミネルバは届いた手紙を読むこともなくローブのポケットにしまいこんでいて、そんな私に気付かない。
意地悪ゴブリンは、まだこのホグワーツにいるのだろう。大広間の扉を抜けて此方へと歩いてくる彼の目は、確かに私を見て笑っていた。


「あら、カザリ、今日は蜂蜜を入れないの?」

「あ、い、入れる」

「はい、どうぞ」


ぱっと彼から目をそらし、いつの間にかローブの端にくっついていたくすくす妖精を払い、慌ててミネルバから蜂蜜を受け取る。きらきらと朝日を浴びて光るそれを見つめるふりをして、私は黙って彼が後ろ通り過ぎるのを待った。
ゆっくりとした足音が、右から左へ流れていく。視界の端で赤毛の男の子が手を上げて、チョコレートの甘い匂いが鼻をくすぐって直ぐに消えた。


「カザリ、ベーコンは?」

「……ポテト。マッシュポテトが良い……」

「そう。じゃあこれも食べなさい」

「うん、ありがとう」


ストロベリーブロンドと赤毛の向かいに座った藍色に気付かないふりをして、私はテーブルの下でまたローブの端を払った。ミネルバがよそってくれたマッシュポテトの隣には、ヨークシャープディングとスクランブルエッグが乗せられていた。
ぐるぐると気持ちの悪い何かを飲み下しながら食べた朝食は、医務室で食べるサンドイッチよりも美味しくなかった。そして、次は二人一組でとスラグホーン先生が言っていた魔法薬学を思うと、もっと、美味しくなかった。







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