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す、とまるでそこに見えない空気の泡があるかのように、ダンは滑らかな優しい手付きで杖を振る。魔法省へ続く煙突飛行が一部駄目になってしまったせいで様々な仕事にしわ寄せがきて、いつもより帰りが遅くなったにもかかわらず、彼は疲れた素振りを一切見せなかった。
テーブルに並んだ僕の走り書きのメモと、ハツの淹れたコーヒーに視線をやりながら、ダンは一度杖の先にあった二冊のノートを手にとる。黒い表紙のそれと赤い表紙のそれを重ね吐き出されたのは、大きなため息だった。先ほどまでぴしりと伸びていた背筋が、それを皮切りにソファーに沈む。やはり、彼は疲れていたらしい。


「はあー……よくもまあこんな魔法を思いつくもんだ。君の頭の中を見てみたいものだよ」

「記憶なら見れる魔法があるんでしょう?それでいつか見てみたら」

「あれは滅多にお目にかかれない代物だ。現に、ホグワーツの校長室にあるものしか知らないね」


シャツの襟をしめていたタイを緩め、ダンはローブを脱ぐ。それに気付いたハツが直ぐにそのローブを受け取って、二階の寝室へとそれを持って行く為にリビングから出て行った。
疲れた、と口にはしないが、それでも分かりやすくダンは魔法で撫でつけるように纏めていた髪を手でぐしゃぐしゃにし、テーブルに置かれたままだったコーヒーを口にする。一口飲み下して再度吐かれたため息はとても苦い匂いがして、僕はぼんやりとカザリが焼いてくれたマフィンを思い出す。彼女は、ホグワーツでも変わらずお菓子を焼いたりしているのだろうか。


「それよりダン、いつになったら出来そう?」

「……こんな魔法は管轄外だ。少なくとも一週間は掛かるだろう、少なくとも」

「多く見積もるとどれくらい?」

「……ひと月、いや、多く見積もると、永遠」

「…………僕が杖を買ったら、永遠じゃなくなる」


暗に、ダンに出来なければ自分でやる、と言ったつもりなのだが、ダンはそんな僕の言葉に怒りもせず、してやられた、とばかりに額を叩いた。大らかなこの性格に頭に浮かぶのはやはり、彼の娘であり僕の姉になった彼女の姿であったが、僕は頭の中で此方にへにゃりと笑いかけてくる彼女をどうにか追い出して、目の前の二冊のノートを手に取った。
血の繋がりがないからという引け目も無く、決して甘やかしてはくれないハツに買って貰った、僕と同じ年の子供が持つには少し大人びたそれ。これから先何年も持つことを見越したそれはまだ大きくない僕の手にはずっしりと重く、似つかわしくないような気さえする。それでも、僕はどうしてもこれを手放すわけにはいかなかった。


「……ダン、ハロウィンには間に合わせて」

「…………ハロウィン前は仕事が、」

「忙しいんだよね。分かってる。でもダン、お願いだよ、カザリと僕の為なんだ」


僕とカザリの名を出せば、ハツよりかは甘い彼がノーと言えないことを分かっていて、僕はあえてその名を口にする。するとやはり彼はほんの少し困ったように眉を寄せ、ローブを寝室に置いてリビングに戻ってきたハツに目配せをして、それから天井を見上げて息を吐いた。このあと彼がする行動を、僕はきちんと知っていた。


「……仕方ない、やろう。二人の為だ」

「ありがとう、ダン」


ゆっくりと広げられたダンの腕に、いつかカザリがダンに強請ってヌガーの詰め合わせを買って貰った時の事を思い出しながら、僕はその腕の中に身を寄せる。娘がいなくなって寂しい彼にとってそれはとても効果のあるもので、ダンは彼女をホグワーツに見送った時のように目を潤ませていた。
此処にきてすっかり慣れてしまった抱擁を味わいながら、テーブルの上の走り書きを見る。まだまだ終わりの見えないそれをカザリに届けるのはいつになるのかと考えると、とても胸が苦しくなった。






「あ、見て、今星が流れたわ!」

「これ、静かに」


真夜中の天文台に、何処からか興奮したような甲高い声が上がる。それにすぐさま注意をしたのは天文学のプレスリー先生で、私は真っ暗闇の中ゆらゆらと揺れるように歩く杖のように細いプレスリー先生の姿を眺めていた。
占いなんて私は信じていない。ミネルバがそう言ったのは、彼女が昼休みに天文学のレポートを仕上げようと羊皮紙を広げた時だったように思う。てっきりミネルバは授業という類のものは分け隔て無く好きなものなのだと勘違いしていた私は彼女の言葉に驚いて、そして彼女は驚く私に驚いていた。私にだって好き嫌いはあるわよ、と目を細めたミネルバに、確かに彼女はスリザリンを毛嫌いしていたな、と、目を丸くしたまま頷いたものだ。
私も、スリザリンは、好きじゃない。
頭に浮かんでいたミネルバの顔がぱちんと消えて、途端にくすくす妖精が耳元に飛んでくる。真っ黒な髪を持つ女子とプラチナブロンドの男子が顔を覗かせたので、私は一人頭を振ってぎゅっと手を握りしめ、目を閉じる。そう、と目を開けると、プレスリー先生がゆらゆらと揺れながら天文台の真ん中に立って、私達を見回していた。


「さて、今日はこれから先週レポートに書いてもらったように星の動きから未来を予測してもらいましょうかね」

「先生、未来を予測だなんて難しすぎますよ」

「ええ、そうですね。ですが大丈夫です、今日一日でしろだなんて言いません。自分の星座の星の動きをようく観察して、ひと月かけてやっていきます」


ゆらゆらと揺れながらそう語るプレスリー先生に、私の意識はするするとスリザリンから手元の何も書かれていない羊皮紙に向かう。それから星空を見上げて、自分の星座はどこだろうか、と望遠鏡を持たずに目を細めた。


「さて、一人では難しいですからね。皆さん好きに友人と組んで下さって結構です。どうぞ、お互い確かめながら星を観察して下さい」


ぱ。細めていた目が、一瞬にして見開かれる。
今、プレスリー先生は何と言ったのだろう。弾かれるように杖のように細い背中を見れば、プレスリー先生は膝歩きで友人同士集まる生徒を見守るように揺れていて、私は咄嗟に羊皮紙を鼻の辺りまで持ち上げて、周りに気付かれぬようこっそりと天文台を見渡す。くすくすと談笑しながら望遠鏡を覗き込む女の子達や、ぐうすかと鼾をかく友人の頭を叩く男の子。それから、ランプに顔を近付け寝そべる藍色。ヒュー・ガーランドだ。
彼が此方を見るより先に羊皮紙に顔を隠し、一度唾を飲み込む。それからローブの中に手を突っ込んで、どうにもからからに渇いてしまった喉を誤魔化そうと、いっこうに減らないベリー色のキャンディーを取り出した。


「あ、」


その時、ことりと何かがローブのポケットから転がり落ちて、私は慌てて振り返る。それは、いつからかポケットに突っ込んだままにしていた星の流れる小さな箱だった。
それを拾い上げようと手を伸ばした瞬間、ぽろりと手の中からベリー色がこぼれ落ちる。それを受け止めようとすれば次に羊皮紙がひらひらと落ちて、私は一人、誰にも見られていませんように、と熱くなる顔に気付かぬふりをして転がっていったベリー色に手を伸ばした。
私のランプの灯りに照らされてオレンジ色に揺れる手が、ベリー色を拾い上げる。その手は勿論、私のものではなかった。


「え、あ、」

「……はい」

「……あ、ありが、とう」


驚く私をよそに、ベリー色を拾い上げたその手が此方に伸びてきて、私はそれを受け取り顔を上げる。するとそこにはくすんだ赤毛の下から私を気まずそうに見下ろしてくるグレーの瞳があって、私は思わず声を震わせた。
横目に辺りをみまわすと、他の生徒は皆友人同士で集まっている。やはり残されたのは私と、魔法薬学の時に私と組んだレイブンクローの彼、サミュエル・メイフィールドで、私は彼に気付かれぬよう顔を下げたままそっと視線を上げた。
しかし、彼も私を見ていたらしい。ランプに照らされたグレーの瞳が直ぐに私の視線と絡み、彼は一瞬たじろいだ後、私から一歩後ずさる。後ずさったが、そこにちょうど私が落とした星の流れる箱と羊皮紙があって、彼はまたたじろぎ、とうとう諦めたようにその場に腰を下ろした。


「……あの、こ、これ」

「ありがとう……」


星の流れる藍色の小さな箱を、彼は目を細めて見下ろす。そして何も無かったかのようにそれと羊皮紙を私に差し出してきたので、私はそれらを受け取りながら今日初めて望遠鏡を握りしめた。
隣に座っていると言って良いのか分からない曖昧な距離に、彼は座っている。望遠鏡をのぞき込み星を眺めたいが、先程のプレスリー先生の言葉がくるりと耳元で一周して、ほんの少しだけ胸のあたりがぎゅっと苦しくなった。


「……あ、の、メイフィールド」

「っ、な、なに!?」

「えっ、ご、ごめんなさいっ……」


これは、彼と組むべきなのだろう。そう思い、彼に組んでくれないかと声をかけよう彼の名を呼べば、彼はびくりと肩を揺らして目を見開く。その慌てぶりに此方まで驚いてしまって、私は意味も分からぬまま彼に謝ってしまった。
手のひらの中のベリー色が、じんわりと温かくなっていく。妙に汗ばんだ手のせいで溶けやしないかと不安になったが、今はそれを口に放り込む時ではないと、私でも分かる。


「あ、いや、此方こそご、ごめん。まさか、名前を呼ばれるなんて、思わなくて、その……」

「……う、ううん。ううん。私もごめんなさい。急に呼んだりして」

「いや、いいんだ、本当に……ただ、」


ただ、普通に名前を呼ばれるのなんて、先生以外初めてで。
ぽつり、星空に吸い込まれてしまいそうなくらい小さな声で彼はそう言って、それからほんの少しの間をあけて、彼はばっと口元を手で覆い隠す。私は彼の言葉の意味も彼の行動の意味もよく分からず、座り込んだ彼の膝に置かれた羊皮紙を見る。丁寧で線の細い字が、羊皮紙の片隅に並んでいる。惑星の名前だろうか。聞いたことはあるが覚えられそうにないそれを見た途端頭を抱えたくなって、私は口元を覆い隠す彼の手を見た。細くて長い指をもつその手は、名前の思い出せないあの植物のようにぶるぶる震えていた。
弱虫サミュエル、と、誰かの声が目の前を駆け抜けていく。いつかの魔法薬学の授業での出来事を、私は漸く思い出した。


「……あの、あの、ね、」

「………………」

「え、と……、あの、これ、あげる」


こんな時、私は何を言えば良いのか分からない。私は今までずっと彼と同じ立場で、これからだってそうなのだから。だから、私はそんな私に、彼に、何と声をかければ良いのか分からない。私はミネルバやアンドリュー先輩達に、助けられてばかりだったから。
ミネルバなら、もっと優しく正しい言葉を知っているのだろう。アンドリュー先輩なら、ニコラス先輩やスリザリンのアルヴィ先輩と一緒になって、素敵な魔法を見せてくれるのだろう。トムなら、トムなら、どうするだろう。
そんな事を考えながら、私はそうっと右手を彼に差し出す。ランプに照らされた彼の顔は真っ赤で、スクイブと呼ばれた時の私はこんな顔なのだろうか、と思った。


「…………これ、」

「あのね、これ、ベリー色のキャンディー。父さんが手紙と一緒に沢山贈ってくれたけど、全然減らないの」

「……ベリー色?」

「うん、そう、そう。ベリー色。ベリー色なのよ」


私の言葉に漸く彼はそろりと手を口元からおろし、力無く膝に手を落とす。その手にベリー色のそれを握らせると、彼は少し長い前髪を耳にかけ、ベリー色を見下ろした。
ローブのポケットから私も同じベリー色を出し、代わりに星の流れる箱をしまい込む。それからベリー色の包みを外し、プレスリー先生が星を見上げているのを確かめてからそれを口に放り込んだ。
たっぷりの間をあけて、彼の細い指先がキャンディーの包みをあける。確かめるようゆっくりと口に入れられたそれから、甘い匂いがした。


「……甘いね」

「うん、うん。ベリーの味はしないでしょう?」

「そっか、だからベリー色か……」


ふふ、と小さく嬉しそうに笑った彼に、私も笑い返す。すると彼がますます嬉しそうに笑みを深めたので、私は笑みを浮かべたまま望遠鏡を指さした。彼はにっこり笑って、それから隣と言って良いのか分からなかった距離を隣に変えた。

ランプと星のあかりの下、時折グレーの瞳が恥ずかしげに私を見る。友人とも言えないまだ曖昧な関係が照れ臭かったが、それでも私の背中を見つめてくる藍色に気付く暇がないほどには、彼の隣は心地が良かった。








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