15




「カザリ、ちょっと、ちょっと、」

「はーい……」

「……ちょっと、寝ないでったら、ねえ」


カザリ、ほら、もう。
女子にしては比較的低く落ち着いたよく通る声が自分の知っている名を呼んだので、スリザリン生ばかりが座る大広間の隅のテーブルから辺りに視線を巡らせる。スリザリン生以外は馬鹿みたいに馴れ合う生徒が多いせいか、どうにかどのテーブルがどの寮のものかは分かるものの、スリザリンのテーブル以外は三つの寮がちらほらと入り混じり、声の持ち主を探すことが難しい。更にはするりと耳にかけていた前髪が落ちてくるのだから、なおのこと。
視界を遮ろうとするプラチナブロンドを耳にかけ、何でもないふりをして紅茶に手を伸ばす。それを一口だけ口に含んだまま視線だけを動かせば、此方に背を向けて座る真っ直ぐ伸びた背中の持ち主と、その隣でテーブルにだらしなく突っ伏す背中が見えた。跳ねたダークブラウンの髪に、先日の薬草学の彼女を思いだし、思わず口元がゆるんだ。


「あら、なあに、アブラクサスってば今日は珍しくご機嫌ね」

「……そういう君は今日もご機嫌そうだな、ヴァルブルガ」


ゆるんだ口元を隠さずにカップをソーサーに置けば、朝から几帳面にネクタイをしめたヴァルブルガが前を通り過ぎていく。どうやらこれから朝食をとるらしい彼女は奥のテーブルに目当ての友人を見つけ、ふ、と笑ってそのまま其方へと向かう。お互い似たような家柄だからだろう、いつも何かと構ってくる彼女が今日は珍しく他の友人の元へ行ったので、思わず口元が更にゆるむ。朝から女子の相手を進んで出来るのは、きっと上級生の中でも女好きと噂のエインズワース家の先輩だけだろう。一度も彼と話したことは無いが、長いブロンドと端正な顔は良くも悪くも目立つので、視界に入れたことなら度々あった。ただ、彼の横にはいつも女子、もしくはあり得ないことにハッフルパフ生がいたので、決して好感は持てていないが。


「ああ、ちょっと、カザリってば」


ぴんと伸びた背中が、テーブルに突っ伏して動かない背中を揺らす。ゆさゆさと揺られて漸く起き上がった彼女のダークブラウンの豊かな髪はいつもよりみっともなくはねていて、喉の奥で笑いを押し殺す。
ぶるぶると震える緑の葉。怯えたような瞳に、情けなく下がった眉。それから、そんな顔がどうしようもなく好きで溜まらない自分。冷めてきたせいか渋味が強くなった紅茶をまた一口だけ口に含んで、今日もまたあの情けない変な顔をしているかと起き上がった彼女の横顔を盗み見る。ゆっくりと視線を上げて何故だか隣に座る友人の遙か頭上を見上げた彼女の顔は、ひどく、穏やかだった。


「なあに、カザリ、眠れなかったの?」

「ううん、ううん……天文学の、授業が……」

「ああ、そうだったわね。それで眠そうなのね」

「うん、……ふ、ふふっ、ミネルバ、あのね、あのね、聞いて、ミネルバ」

「……なあに。とっても嬉しそうな顔ね」

「ふふふ、ベリー色がね、一つ減ったのよ。私、一つ、あげられたのよ」


彼女のあんな顔を見たくて盗み見たわけではない。
へにゃりと気の抜ける笑みを浮かべて隣に座る女子の肩に触れ、それからふふふと口元を押さえた彼女に、僕は瞠目する。何故、彼女は笑っているのだろう。ヴァルブルガがあんなにもぎらつく針の刺さった言葉を投げつけたのに、どうして彼女はその針に見向きもせず笑っているのだろう。あの言葉は、確かに彼女がいつもローブの端を払い落とす呪文だったはずなのに。
口に含んでいた紅茶をぐっと飲み干して、一度視線を落とす。青白い自分の手を見つめて今のは気のせいだ、と自分に言い聞かせるが、僕を苛立たせる彼女のゆっくりとした滑らかな声が、嫌でも耳に入ってきた。


「とっても嬉しい、嬉しいの。ミネルバの隣には負けるけど、落ち着くのよ」

「あら、じゃあまだ私が一番かしら?」

「ミネルバは特別、ずっと特別。ミネルバは、私の一番の特別」

「……おかしなことを言うのね」


ふ、と隣の女子がはにかむように笑った声に、彼女の嬉しそうな笑い声が続く。僕の中にあった彼女の泣きそうな顔や怒ったような顔が見る見る萎んでいって、代わりに視界には青白い僕の手と、半分の量を残した紅茶だけ。
顔を上げれば、彼女らは連れ立って席を立ち、大広間を出ようと歩き出していた。ふわふわとした足取りにゆらゆら揺れるダークブラウンの髪が、とても憎たらしくて仕方なかった。








こつこつと靴の踵が廊下に触れる音を聞きながら、魔法史の教科書の入ったハシバミ色の鞄を抱えて廊下を歩く。午前中の授業は昨夜の天文学の授業が関係して、鞄に入っている羊皮紙は本日ひと巻き分も減っていない。早い話が、眠ってしまったのだ。それをミネルバに言うと叱られてしまうことが目に見えていたので、私はサンドイッチを食べながら聞いてもいない授業の話を誤魔化しながら話すしかなかった。朝食の席でも寝るなと注意されたのに、昼食でも引き続き注意されるなんて遠慮したかった。
チーズとハムが挟まっただけのサンドイッチの味を思い出しながら、ローブのポケットに手を突っ込む。中で小さな箱と杖、それからベリー色がぶつかって、私はその中から迷わずベリー色を取り出した。ダンブルドア先生がくれるレモンキャンディーより甘いそれを口に放り込めば、たちまち頬がゆるんだ。


「ヴィッセル、やけに幸せそうだね」


思わず頬をおさえたその時、不意に後ろから名前を呼ばれ、私は顔だけ振り返る。するとそこにはストロベリーブロンドの彼と赤毛の男の子、確か、ジャックと呼ばれていた彼、それからそんな二人から二歩ほど遅れて歩く藍色、ヒュー・ガーランドがいて、私は驚いて飲み込んでしまいそうになったベリー色に慌てて胸元を叩く。ひゅ、と口の中に戻ってきたそれに、ほ、と胸をなで下ろした。
藍色は、相変わらず私を見つめている。


「あ、ごめん、驚かせた?」

「う、ううん。……ちょっと、だけ」


ちょっと、なんて嘘だが。
人差し指と親指でこれくらい、と指先ほど驚いたことを示せば、ストロベリーブロンドの彼は優しく目を細めて笑う。隣にいたジャックも小さく吹き出したので、此方を見つめてくる藍色によって緊張していた体からほんの少し力が抜けた。


「もう教室に行くの?」

「う、うん。あと五分で授業だし……」

「まあ僕らも行くんだけどね。ね、ジャック、ヒュー」

「おう!そんで教室で寝る!」

「昨日の天文学のせいでまだ眠いからな」


勢い良く返事をしたジャックの後ろから、ヒュー・ガーランドがするりと会話に入る。彼を見れば彼は私なんて見ていなかったとでも言うように目を逸らし、すい、と中庭へと顔ごと逸らした。彼の一つ一つの言葉や動きに妙に緊張して、私は気付かぬうちに手で鼻を隠していた。
鼻にあたる指先が、かすかに汗ばんでいる。この汗が緊張した時に出る汗だと考えずとも分かって、余計に緊張してしまった。


「ん、お前なんか甘い匂いすんなー」


そんなことを考えていれば、視界いっぱいに赤毛が広がったので、私はまたベリー色を飲み込んでしまいそうになる。慌てて鼻をおさえたまませき込めば赤毛の持ち主であるジャックは甘い匂いの正体に気付いたらしく、あ、と声を上げる。


「それ、俺もこの間食ったやつだ。ベリー色の」

「ベリー色?」

「おう。なあ?ヴィッセル」

「う、うん。うん。ベリーの色をしてるのに、ベリーの味はしないの」


ストロベリーブロンドの彼とジャックが私を見つめてきて、私はその視線から早く逃れようといつもより早口でそう答える。ミネルバのようにすらすらと話せると良いのだけれど、私の口はどうやらそうもいかせてくれないらしい。ほんの少し上擦った声に、ストロベリーブロンドと赤毛の向こう側に見え隠れする藍色だけが気付いて、彼はく、と喉をならして笑いをこらえていた。
いやだな。はやく、どこかへ逃げてしまいたい。ちらりと中庭から此方に視線を動かした藍色に、私は眉を下げて唇をかむ。鼻から口にかけて手で隠しているからきっと唇を噛んだことは気付かれていないだろう。しかし、私の短すぎる前髪ではきっと眉は隠れていない。その証拠に、藍色の彼は私と目があうなり微かに瞠目し、じっと私を見つめていた。


「あ、」


動けない私の意識を引っ張ったのは、またもジャックだった。
あ、と声を上げて、彼は先程まで藍色が見つめていた中庭を見る。それにつられて視線を動かせばそこには記憶に新しいくすんだ赤毛がいて、私は唇を噛むのをやめ、ローブのポケットに手を突っ込んだ。
空いた手で鞄を抱き抱えなおし、ベリー色を頬の隅に寄せて唾を飲み込む。甘いそれにわずかに胸が躍って、私は彼の元へ駆けようとした。


「あれだっけ?弱虫サミュエルって」


くん。ローブの端を誰かが引っ張っているかのように、重くなる。知らぬ間にそこにいたくすくす妖精が耳元に飛んできて、一気に頭の奥が冷え切っていく。
まるでテーブルに並んだミートパイを取るように何でもない風にその呼び名を口にしたのは、ジャックだった。


「まーたジャックはそんなこと言う」

「だってよ、レイブンクローの奴がそう呼んでたからさあ。イアンはそう呼ばねえの?」

「ジャック……君って奴は……」


駆け出そうとした足を止め、此方に気付くことなく空を仰ぎながら中庭を横切っていく彼、メイフィールドに、どうやらイアンというらしいストロベリーブロンドの彼は苦笑する。本人が耳にすれば間違いなく良い気はしないであろうそれを、胸を抉るであろうそれを口にした友人をさして咎めることなく困ったように見る彼は、きっと優しいのだろう。
友人に優しく、他人には、きっと、冷たいのだ。


「……わ、私、先行くね」

「え、ヴィッセル、一緒に行かねえの?」

「う、ん。私、一番前に座りたいから、」

「一番前の席なら絶対空いてるよ、って、ヴィッセル?」


ジャックとイアンの言葉を振り切るように、私は教室へと急ぐ。その場所にいるとどんどん自分の存在を恥ずかしく思えて、息苦しくて、たまらなかった。
ローブの端にくっついて離れないくすくす妖精を見下ろして、不思議そうに後ろをゆっくりと歩く三人を振り返る。藍色の瞳は、相変わらず私をじっと見つめていた。








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