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──初めまして マクゴナガル いつもカザリが君の話をしてくれるから 君のことはよく知っているけれど


朝、珈琲の香りのするマフィンを嬉しそうに右手に二つ乗せたカザリが私の待つ大広間に現れるなりテーブルに広げたのは、そんな事が書かれた赤い日記帳だった。


「え、」

「はい、ミネルバの分。とってもとっても美味しいのよ、私、コーヒーってそんなに得意じゃないけれど、トムが作ってくれたからとっても美味しいのよ」

「ええ、ねえ、ちょっと、カザリ?」

「ふふふっ、なあに?なあに、ミネルバ」


目を丸くして彼女を振り返る私に、カザリは暢気に笑いながらマフィンを一つ差し出してくる。戸惑いながらもそれを受け取ると彼女は満足げに歯を見せて笑い、それから自分の分のマフィンをテーブルに置き、空いたその手をローブのポケットへと突っ込んだ。まるでそこに心躍る何かが入っているかのようにいそいそとポケットの中を探る彼女は見ていて頬が緩むが、今はそれどころではない。この日記帳は、一体。
目当てのものが見付からないらしいカザリが、あれ、と呟きながらポケットの中をのぞき込む。決して大きくないそれなのにどうすれば目当てのものが迷子になるのか私には理解できないが、小さな子供が宝物を親に見せるようにテーブルにひとつひとつポケットの中身を並べだしたカザリに、なるほど、と目を細めてしまったのだった。


「あ、あった、あった!」


ベリー色のキャンディが三つ、レモンキャンディが二つ、それからハニーデュークスのミルクチョコレートが五つと、デイジーの花が一つ。そして最後にハンカチで包まれたクッキーをテーブルに並べたところで、カザリはようやく顔を上げる。カザリの短い前髪が、ふわりと跳ねた。


「……羽根ペンとインク?」

「うん。そう、そうよ。あのねミネルバ、ここに、お返事を書いてみて」

「書く、ええ、いいえ、ねえ、カザリ、あなた何を……」


そんな、まるでおとぎ話のようなことを。
いつかエインズワース先輩にもらった羽ペンを差し出してくるカザリの手を見つめながら、私はそんなことを思う。いつもそうだ。彼女は突拍子のないことを言って私を戸惑わせる。しかし、今日のこれはいつにもまして突拍子がなさすぎるのではないだろうか。現に私は早く早くと痺れを切らし羽ペンを押しつけてくるカザリに反応を返すことも出来ず、カザリの柔らかな手にされるがままに羽ペンを握らされている。私を見つめるカザリは、ここ数日で一番の笑みを浮かべていた。


「……書くわよ。書けばいいんでしょう?あなたがそう言うなら、私はそうするわよ」


半ばやけになりながら空いた手でインク瓶を奪い取り蓋をあけ、羽ペンの先を浸す。零れないインクとラベルに書かれているだけあってそれは乱暴に扱った今も波も立てずにそこにおり、じわじわと羽ペンに染み込んでいった。
瓶の縁で余計なインクを落とし、日記帳に向き直る。じ、と私を見つめながらテーブルの端にあったゴブレットを手に取るカザリを振り返ると、カザリはゴブレットを口につけながら目を細めて笑った。ゴブレットから立ち上る白い湯気から、蜂蜜の優しい匂いがする。きっと、ホットミルクだ。


──初めまして トム ホットミルクが好きな彼女からよく話を聞くから 私も初めてな気はしないけれど


悔しいことに、エインズワース先輩の羽ペンは馬鹿みたいに書きやすい。カリ、と良い音のするペン先にほんの少しだけ苛立ちながらこれで満足かと羽ペンを置けば、カザリはますます笑みを深めて私ににじり寄ってきた。
ぴたりと触れ合う肩から、甘い花の蜜の匂いがする。思わずカザリの肩に触れればカザリは私を見上げてきて、短い前髪が揺れた。彼女は今日も嵐にあったのだろう。とんでもない方向にはねた一房の前髪を撫でつければ、カザリはホットミルクで出来た白いひげを舐めとりながら私の肩に頭を寄せた。
ああ、何が何だかよく分からないが、こんな朝もたまには良いかもしれない。


「あっ、きたわ、ミネルバ、ミネルバ!ほら!」


ぼんやりと曇り空の天井を眺めながらそんなことを考え始めた時、カザリがいつもより弾んだ声で私の名を呼ぶ。ごとりとゴブレットをテーブルに置いた彼女はそのまま日記帳を鷲掴み、ぐっと私の目の前に押しつける。インクと紙の匂いが迫るとともに一気に視界が暗くなったが、カザリはそれに気付いていないらしい。


「カザリ、これじゃあ近すぎて何も見えないわ……」

「え、あ、あ、ごめん、ごめん」


すぐ隣にあったカザリの背中をつつけば、カザリは慌てたように日記帳を引き離し、ごめんねと繰り返しながらそれをテーブルに戻した。初めからそうしておいてくれれば良かったものを、と思いながらもそれを口に出来ない私は、随分とカザリに甘い。
自分に対してか、それともカザリに対してか、独りでに出たため息を隠さずにカザリの指さす日記帳に視線を落とす。えらく上等な紙には、先ほど見た筆跡と同じ文字だけが走っていた。
そう、私の書いた言葉はなく、それだけが。


──いつもカザリの世話をしてくれてありがとう 今日の前髪は大丈夫かな?


「……何、これ」


思わず日記帳に手を伸ばし、恐る恐る指先で頁をめくる。しかし、次の頁にもその次の頁にも、私の書いた言葉はどこにもいない。慌ててもとの頁に戻してみるが、やはりそこにあるのは私ではない誰か、トムの書いた言葉だけだ。
ぱちりと瞬きをして、日記帳から手を離しその手を自分の胸に当てる。ゆっくりと息を吸い込むと甘い花の蜜の匂いがして、それは頭に溶けていった。


「……すごい、魔法ってすごいのね、私、こんな魔法初めて見たわ」

「うん、凄いのよ、魔法って本当に凄いの。トムって、トムって本当に凄いのよ」


笑う彼女がいつも口にしていたその名前が、今更ながら耳から頭にしっかりと浸透して、私はこくりと唾を飲み込んだ。どんな魔法を使っているのだろう。まだ学校にも通っていないのに、彼は、トムはどうしてこんな魔法を思いついたのだろう。一体、どうして。
そこまで考えて、私は息を飲む。目の前で嬉しそうに目を細めるカザリに手を伸ばせば、カザリは何も言わずにその手をとった。あたたかく柔らかなその手の心地の良さに、全てが理解出来た気がした。


「……あなたの為だものね」


ダークブラウンの髪と瞳に、赤い日記帳はよく似合う。彼はきっと、彼女が目を細めてその赤い背表紙を指で撫でる姿を何度も頭に思い描いただろう。
短い前髪を撫でつけて、不思議そうに目を丸くしたカザリに何でもないわと声をかける。そっと手を離せばゆっくりと前髪が天井へとその身を起こし、少しだけ笑ってしまった。


「トムがね、私は私だって。純血じゃなくても、血が、混ざってても、私だって」

「……ええ、そうね。カザリはカザリよ。何も変わらないわ」

「……うん。うん。ありがとう、ミネルバ。そう、そうよ、私は、私だものね」


宙をさまよっていた私の手を掴み、カザリが言う。おかしなことに私にはカザリの言葉に小さな星屑が散りばめられているように思えて、カザリの声が耳元を駆ける度ぱちぱちと星屑が弾ける音まで聞こえてしまった。これも、魔法なのだろうか。だとすれば、なんて素敵な魔法なのだろう。
右手で私よりも小さな手を握りかえし、左手でローブのポケットを探る。カザリのようにキャンディの詰まっていないそこにはひやりと冷たい一本の銀だけがあって、私はそれを指先でつまんでポケットから取り出した。


「カザリ、目を閉じて。前髪が大変なことになってるわ」

「え、え、ほんと?」

「ええ、本当。だから目を閉じて」


瞼をおろしたカザリを確かめて、繋いでいた手を離す。ダークブラウンの前髪を撫でつけて片側に寄せれば、カザリがほんの少しだけくすぐったそうに笑ったので、私はカザリの白い額を指先で軽くつつき、それから銀を髪にさした。
カザリが目を開ける。大きな瞳が不思議そうに宙を泳いで、手は前髪を撫でた。そしてカザリはすぐに顔をくしゃくしゃの羊皮紙のようにして笑い、前髪をとめる銀に指先を乗せた。


「デイジーだ、デイジーの髪留めだっ」

「もう一つ寮に置いてあるの。だから、お揃いよ」

「ありがとう、ありがとうミネルバ!」


ぱっと跳ねるように立ち上がり、カザリはそのままくるりと一回転してみせる。ふわりと踊るスカートとローブから甘い匂いが辺りに漂って、カザリはその真ん中でふにゃりと眉を下げて笑う。彼女の中ではここは大広間ではなく、小高い丘の上なのかもしれない。そう思ってしまうほどに彼女は軽い足取りで、そして穏やかだった。


「おっ、何だ何だ、今日はやけにご機嫌だな!」

「可愛いの付けてんじゃん」


朝食をとりに大広間に入ってきたハッフルパフの先輩二人組に、カザリは嬉しそうに飛び跳ねる。その姿を横目に私は羽ペンを手にとり、日記帳にインクを走らせた。


──カザリの跳ねたダークブラウンの髪に 赤い日記帳とデイジーの髪留めは とてもよく似合うわ


ぱたりと日記帳を閉じて、デイジーの髪留めを誇らしげに先輩達に見せるカザリを見つめる。彼女は時折私を振り返り、身振り手振りをしながら何かを話していた。それが何についてなのかはいまいち動きが大きすぎて分からなかったが、それでも彼女が嬉しそうなので、もう何だって良かった。
日記帳の表紙を指でなぞり、大広間を見渡す。くすんだ赤毛と藍色の二人がカザリを見ていたことにその時初めて気付いたが、今はそれを忘れることにした。


「カザリ、もう良いでしょう?はやく朝食をとってしまいましょうよ」

「わ、わ、待って、待ってミネルバ!もう少しだから!」

「……このマフィン、二つとも食べちゃうわよ」

「ああ、待ってミネルバ、もう少し、もう少しなのに!」


テーブルの上に置かれたマフィンを手に取って、私は頬をゆるめる。きっと意地の悪い顔をしているだろうと思いながらも、私はそれを隠そうとはしなかった。


「ミネルバ、一つは私のよ、私のマフィンなんだからっ」

「分かってるわよ、ええ、でも早くしないと食べちゃうわよ?」

「もう、もう、ミネルバって優しいけど意地悪……!」


カザリの弾む声が、耳元でぱちぱちと星屑を弾かせる。たまらず奥歯をかみしめて歯をみせて笑えば、カザリは一瞬目を丸くして、それから私と同じように歯をみせて笑った。
デイジーの髪留めは、曇り空の天井の下でもきらきらと輝いていた。







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