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長いダークブラウンの髪がいつもより長く見えるのは、珍しく櫛を通されたせいだろうか。スリザリンからは遠いそのテーブルに座る背中を眺めながら右手のフォークを握りなおして、視界にプラチナブロンドが入り込まないようにと髪を耳にかける。それから一度フォークを目の前のマディラケーキに突き刺すだけ突き刺して手を離せば、ふいに視界が遮られた。上級呪文集と書かれたそれは、今朝女好きと噂の上級生が談話室で読んでいたものだった。
「そんなに涼しい顔をしてマディラケーキを食べるなんてお前くらいだな、マルフォイ」
「……なら、エインズワース先輩はどんな顔をして食べるんですか」
ああ、度々視界に入る彼はこんな涼やかな声で棘を吐き出すのか。
目の前に現れたやけに整った顔に思わず口元を歪めると、彼、アルヴィ・エインズワースは彼の自慢であろうブロンドの髪を指に巻き付けながら態とらしい仕草で僕の横に腰を下ろした。隣、ではなく一人分の間を空けて座るのは、僕が彼の好きな女ではないからだろう。スリザリン一の変わり者の彼は、そういう魔法使いだった。たったの一度も話したことのなかった彼であるが、そのくらい、僕にだって分かる。それ程彼は良い意味でも悪い意味でも目立つ、良家の魔法使いだったのだから。
「どんな顔をしてか、だって?見たいか?」
「……止めておきます、」
気持ち悪い、という言葉を飲み込んで、放っておけば僕の使っていたフォークにその長い手を伸ばしてきそうだった彼を軽く睨みつける。すると彼は形の良い薄い唇で笑みを作り、僕の睨みなどほんのひとつまみほども気にしていないとばかりに僕を見てきた。まるで昔から僕の面倒でも見てきたかのような慣れた振る舞いに、眉間の皺が深くなる。
彼は、好きではない。彼は純血だが、純血に相応しくない態度をとる。まるで血など何の関係もないとでも言うように穢れた血と話し、歩き、笑いあう。そして何より、あの変な顔のダークブラウンともなれ合う。だから僕は、彼を好きではない。
「それにしても、お前は嫌いだと駄々をこねる癖にやけに熱い視線を送るね」
そして、頭がいい癖に見当外れも甚だしいことを言い出すのだから、余計に。
フォークに刺さったマディラケーキを口に入れて、僕は横に座る彼から目を逸らす。逸らす前に見た彼の視線は僕なんてとうに見ておらず、遠くにあるダークブラウンの背中を見ていたのだから、口の中に広がるレモンの風味が苦く感じて仕方がない。思わず口をすぼめたくなるが、彼にそれを悟られからかわれるのが目に見えているのでどうにか堪えた。こんな男、トロールにでも踏みつぶされてしまえばいいのに。
「カザリ・ヴィッセルは良い子だ。きっと僕に相応しい魔女になる」
頭の中で彼の自慢の顔がトロールの足に踏みつぶされそうになったその瞬間、何とも聞くに堪えない名前が彼の口から飛び出した。苦くて仕方ないマディラケーキを飲み下してティーカップに手を伸ばせば、彼は当たり前のように砂糖をポットから摘まみ上げそれを僕の持つティーカップへと投げ入れた。そのせいでアールグレイが跳ね僕の制服のシャツを汚したが、彼は謝る素振りも見せない。薄らと笑う彼は、きっと知っているのだろう。僕が紅茶に砂糖を入れたりしないことを。
「……急に話しかけてきたかと思えば、何の話ですか、先輩」
「何のって、君があまりに熱心に彼女を見つめていたから僕の感想を述べただけだ」
「見つめてなんかいない!」
「……おお、怖い怖い。これだから、」
これだから、何だと言うのか。肝心なところで彼は言葉を区切り、ブロンドの髪を揺らしながら立ち上がる。まるで何も無かったかのように涼しい顔をして僕から目を逸らした彼にふつふつと胸の下が熱くなったが、言い返すことはしなかった。
ローブをふわりと踊らせて、彼は姿勢を正す。それからまた薄らと笑った彼はそのまま僕を通り過ぎ歩いていった。
「これだから、純血主義は見る目が無いんだ」
そんな、胸の下をさらに熱くさせる言葉を吐き捨てて。
口を付けることなくティーカップをソーサーに乱暴に戻し、ローブを踊らせながら歩く彼の背中を睨みつける。たまたま彼がおかしいだけで、エインズワース家も他と変わらずスリザリンらしい家柄だったはずだというのに何を言うのだろうか。ティーカップに目を向ければ、カップの底で形を崩した砂糖が居座っていた。ふつりふつりと、胸の下が熱くなる。
「あーら、怖い顔してどうしたの?」
そんな熱を、態とらしい猫なで声で逆撫でしてくる女がいるのだから、余計に熱くなる。
遠慮無しに声の持ち主、ヴァルブルガを睨みあげると、彼女は端正な顔を気味が悪いくらいに嬉しそうに歪め、僕の隣に座り込む。そっと肩に触れてくる手付きは少なくとも同い年のそれとは思えず身を引きかけたが、彼女が僕の耳を掴んだせいでそれは叶わなかった。
ぐ、と耳を引っ張られ、僕はまた彼女を睨みつける。それでも彼女は顔を歪めたまま、ゆっくりと僕に顔を近付けた。
「ねえ、そろそろ良い頃だと思うのよ、私」
「……何が」
「あらあら、まあ!忘れちゃったの?酷いわね」
くすくすと女子特有の笑い声が、べとりと耳に貼り付いてくる。それが不快でたまらず早く彼女から逃れようと彼女の手を振り払うも、即座に腕を捕まれやはり逃れられない。
くすくす。彼女が笑う。真っ黒い瞳が僕を見つめて、それからえらくゆっくりとした動きで僕から目を逸らした。
「私、そろそろ見たいのよねえ。彼女が顔を真っ赤にして、ぽろぽろ泣くところ」
真っ黒い瞳がダークブラウンの背中を見ていることに気付くのは、彼女がそれを言い捨てて僕の腕を放し、大広間から立ち去ってからのことだった。
くるりと跳ねたダークブラウンの髪が、ゆらゆら揺れる。隣に座るぴんと伸びた背中は、その日大きな本を数冊持って、一人足早に大広間を出て行っていた。彼女は、間抜けなスクイブカザリ・ヴィッセルは、一人だった。
「あら、カザリ、何処に行くの?」
「どこ、どこ……にも、どこにも、歩いてるだけです」
「ああ、ふふっ、お散歩ね。今日は天気が良いから、中庭を歩くと良いかもしれないわよ」
レイブンクローの監督生、アビゲイル・タイラー先輩に手を振られたので、私はこっくりと頷いてから手を振り返す。目を細めて笑ってくれたタイラー先輩はとても綺麗で、私は胸の奥が甘い匂いで満たされたような気がした。
タイラー先輩が言ったように中庭に行こうか。それともやけに沢山の本を図書室に返しに行くついでにレポートを仕上げてくると言ったミネルバの様子を見に行こうか。コッ、コッ、とミネルバの真似をして足音を響かせてみるがどうにも綺麗に響かず、首を捻りながらそんなことを考えて前に進めば、廊下の角からレイブンクローの生徒の塊が現れた。考えるより先に目がくすんだ赤毛を探すが、彼は見当たらない。
「……どう、しよう、かな、っと」
コッ、コッ、コッ。踵がすり減って足の裏が剥き出しになったらどうしようか、と一瞬不安になって、靴の裏を見る。ほんの少し削れただけで暫く剥き出しになりそうにもないそれにほっとして再度踵を鳴らし始めれば、レイブンクローの塊が私とすれ違った。どうやら勤勉なレイブンクローの彼らは勉強を教え合っていたらしい。萎み薬と縮み薬の違いを語り合う彼らの手には魔法薬学の教科書がしっかりと抱えられていて、微かにインクの匂いがした。レイブンクローの談話室も、あんな匂いがするのだろうか。
「わっ、」
すん、と鼻をならしながら通り過ぎていった彼らを振り返っていれば、何かが勢いよく足に絡まった。ぐらりと倒れ込みながら思わず声を上げて足元を見るが、その何かを見るよりも廊下に叩きつけられる方が早くて、私はとっさに手をつく。じん、と熱い痛みが上手に体を支えられなかった腕に走って、ぐ、と体が重くなる。息をするようにするすると近寄ってきたのはくすくす妖精で、私はその場から動けなくなった。
萎み薬と縮み薬の違いを話し合っていた沢山の足音が、聞こえなくなる。それは彼らが遠のいたからではなく立ち止まったからなのだと分かっていたから、頬が熱くなってしまった。
「ふふっ、あは、あはは!間抜け!本当に間抜け!」
ぱちん!くすくす妖精が耳元で手を叩き、大きな甲高い笑い声を連れてくる。それに気付いて慌てて体を起こし、私は漸く足に絡まるものが縄だったのだと気付いた。緩く絡むそれを手で外し、もつれる足で立ち上がる。甲高い笑い声は、段々近くなっていた。
「あら、外れちゃったの?おかしいわね、呪文が上手く言えてなかったのかしら」
「ちゃんとしてよヴァルブルガ、今度は逃がさないように」
「分かってるわよ、分かってる。今度は平気よ、大丈夫」
逃げなくては、と思うが、足を前に出そうとする度にくすくす妖精が邪魔をして、上手く歩くことが出来ない。そうしている間に甲高いその笑い声が近付いてくるのは分かっていたが、それでもくすくす妖精は退いてくれない。いつもそうだ。くすくす妖精達は、決まって私のローブや足に引っ付いて離れない。
ぱたぱたとローブを払い、く、と息を飲み込んで顔を上げる。視界の端にある階段を駆け上って逃げてしまおうと思ったが、くすくす妖精がローブを掴んで離さない。
「ねえ、スクイブヴィッセル、あなたどうしてまだホグワーツにいるの?」
「…………す、スクイブなんかじゃ、ないもの」
「あら、それならどうして魔法でやり返さないの?ねえ、やり返してみなさいよ、ほら、杖を出して」
いつかかぶった熱いミルクと蜂蜜が、瞬きをする度に頭に浮かぶ。ゆっくり近付いてくるその声は、まるで早く逃げられない私を面白がっているようだ。
恐る恐る振り返ると、彼女、ヴァルブルガ・ブラックの真っ黒な瞳がしっかりと私を見つめていて、私はローブを払っていた手を止める。真っ黒い彼女の周りに取り巻く女子生徒と、その後ろに立って静かに此方を見るプラチナブロンドに、声も出せなくなった。
「ほら、杖を出して」
「………………」
「出して、杖を出すのよ。簡単よ、貴方が魔女なら、杖で反撃すれば良いだけだもの」
意地悪ゴブリンは何処にいるのだろう。彼女の白い頬の向こうにも、マルフォイの足元にも、黙って此方を見ているレイブンクローの中にも見つからず、私は震える足で階段へと一歩一歩後ずさる。杖を出して、反撃すればいい。彼女の言う通りだ。言う通りだが、私にはそれが出来ない。
「ねえ、どうして杖を出さないの?スクイブヴィッセル」
だって、私はまだ一度も、此処へ来てからろくに魔法を使えていない。
もしかすると意地悪ゴブリンは彼女とマルフォイそのものなのかもしれないと思ったのは、彼女の姿を表すかのように真っ黒い杖が振り上げられた瞬間だった。くすくす妖精がぱちん!とまた耳元で手を叩き、レイブンクローの誰かが逃げるように走り出すのを視界の端にとらえ、ブラックの取り巻きが唇を歪めて笑うのを見て、その後ろでマルフォイが眉を寄せながら私を見ているのが見えた。不思議なことに何の音も私の耳には入ってこず、私は階段に向かって走る。
手摺りに掴まり、階段を駆け上る。振り返ると赤い閃光がゆっくりと音もなく私に向かって走ってきたところで、私は思わず目を閉じた。
その時、ぱちん!とまた手が叩かれた。次の瞬間に感じたのは、ジャムを沢山溶かしたアールグレイの優しい匂いがする細い腕の温もりだった。
「カザリ!」
彼が、サミュエル・メイフィールドが私をカザリと呼んだのは、初めてのことかもしれない。真ん中あたりで姿を一段消えてしまう階段はこの階段だった、と今更そんなことを頭の半分で思い出しながら、もう半分ではそんなことを思う。
ブラックと取り巻きの笑い声を、誰かが先生の名を叫ぶ声を聞きながらぐんぐん暗闇に落ちていく中、私はメイフィールドの背中に、サミュエルの背中にしっかり腕を回していたのだった。
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