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「そこまで不機嫌そうな顔をしなくても良いと僕は思うわけだけど、さて、君たちはどう思う?」
「……いえ、あの、僕は……」
「えっと、あの、あの……」
「…………エインズワース先輩、二人に話しかけないで下さい。特に、カザリには」
このままではミネルバの眉間に三本の太いしわが一生どっしりと座り込んだままになってしまうのでは、と私が思い始めたのは、コンパートメントの窓の向こうの景色の片足がが夜に飲み込まれた頃だった。
早く早くと飛行訓練のバービリー先生に急かされて乗り込んだ汽車のコンパートメントの中で、私は窓にうつるミネルバと隣に座るミネルバを交互に見ながらスカートの裾を撫でる。どちらの彼女もとても美味しいとは言えない土味の百味ビーンズを食べてしまった時の顔をしていて、そしてその顔で向かいの席に座るアルヴィ先輩を見た。私の向かいに座るサミュエルがとても居心地が悪そうに窓の枠をじっと見つめていたので、もしかすると、睨んでいる、というのかもしれない。
「そんなこと言われても、汽車が出てからもうどれだけ経ったと思う?三時間、三時間だ。分かるかい?」
「………………」
「そうだ、三時間もそんなに不機嫌そうな目を向けられたら流石の僕も気が滅入ってくるよ」
何も答えないミネルバに向かってアルヴィ先輩はその通りだ、よく分かったね、とひとりで頷きながら、長くて真っ直ぐな足を組む。隣に座るサミュエルがびくりと肩を揺らして窓の方に詰めるが、彼はこのコンパートメントに入った時からぴったりと壁にくっついて座っていたので、もうこれ以上寄れそうにない。
スカートの裾を撫でて、私はその手をミネルバの膝に置く。分厚いニットのタイツをはいたミネルバは直ぐに私の手に気付き、土味を食べた顔のまま私を振り返った。
「ねえ、ねえミネルバ、ミネルバのお家はどんなクリスマスなの?」
「……私の家?」
「うん、そう、そう」
膝の上の私の手をとって、ミネルバが土味をごくりと飲み込む。ほんの少し和らいだその表情に頬をゆるめて彼女の手を握り返せば、ミネルバは一度窓の外を見て、それから何かを思い出すように視線を上にむけ、最後に私を見た。
「うちは、何て事はないわ。ただ、父親が牧師だからミサを開いたり、讃美歌を歌ったり、そんな感じね」
「牧師?牧師さんなの?」
「ええ。マグルで、牧師よ。母親は魔女だけど。それから、弟も、ロバートも魔力があるみたい」
弟の名を口にした瞬間、ミネルバの口元がゆるむ。少し視線を上げるともうそこに三本の皺はおらず、いつものつるりと綺麗なミネルバの白い肌がそこにあった。ミネルバにとって弟は、私にとってのトムのようなものなのだろう。
「はやく、はやくみんなに会いたいね」
「……カザリこそ、はやくトムに会いたいんでしょう?」
「うん、うん、もちろんっ」
ミネルバの手を揺らしながら答えれば、ミネルバは目を細めて優しく笑う。きっと、私の向こう側にロバートが見えているのだろう。甘い匂いがしそうなミネルバの笑みに、胸の下が溶けるような温もりを感じた。
「……女の子に除け者にされるのは、なかなか楽しくないな」
「…………そ、そう、ですか」
「ああ。楽しくない。……そうだ、女の子が喜ぶ魔法でも教えてやろう、役に立つぞ」
「え、いや、あの、僕はっ……」
「遠慮するな。ほら、杖を出せ。汽車をおりて家に帰れば魔法は使えないんだからな」
視界の端で、アルヴィ先輩がサミュエルの手を掴み、無理矢理コートのポケットから杖を取り出して握らせるのを見ながら、私はミネルバの白くて細い綺麗な手を確かめるように両手で包み、そっと目を閉じた。瞼の裏で、ホームに立つトムを描く。それだけで、薄紫の雲に乗っているような穏やかな気持ちになれた。
「良いか、杖はこう振って、呪文は……」
はたはたと、雪が窓に叩きつけられる音がする。目をあけると窓の外を真っ直ぐ見つめるミネルバがいて、私は黙って彼女の目にうつる窓を見つめていた。
窓の向こうは、もうすっかり夜に飲み込まれていた。
「まだか……まだなのか……」
大の大人が静かに地団駄を踏む姿を、僕は初めて見たかもしれない。
首に巻いたモスグレーのマフラーに顔を埋め、ホームの壁から突き出すように取り付けられた時計を確かめる。到着時間の五分前を指すそれにダンは気付いているのかいないのか、まだか、まだなのかと繰り返し呟き、その度に静かに地団駄を踏んでいた。カザリがぴょこぴょこと跳ねるようにその場で足を踏むのは何度となく見てきたが、あれは僕の隣で身を乗り出してレールの向こうを待ち遠しそうに見つめる彼ゆずりのものらしい。汽車が来ていないかを確かめるふりをして彼を盗み見れば、彼はまた地団駄を踏んでいた。カザリが帰ってきて直ぐに温かい食事をとれるようにと家に残ったハツがこの場にいたら、きっと彼女に背中を叩かれていることだろう。
「ねえ、ダン、少し落ち着いてよ」
「う、ぐ、お、落ち着いてる、落ち着いてるさ」
「……へえ」
「…………し、仕方ないじゃないか、自分だけ見送りが出来てないんだから……!」
夏にカザリが汽車に乗って運ばれて行ったあの日のことを、彼はどうやら引きずっているようだ。仕事仲間に捕まってカザリを見送ってやれなかった彼はいの一番にカザリを出迎えたいのか、汽車の到着一時間前にはホームに並び、汽車が来るのを待っていた。どうせ並んだところでどのドアから出て来るか分からないのだから意味はないのだが、それでも彼はそうしないと気がすまないらしい。今だって人にぶつかり一歩後ろに下がれば、まるでそこから動けば死んでしまうとばかりに慌ててホームの一番前へと戻った。汽車がくれば、間違いなく邪魔になるだろう位置だ。
「ああ、早く会いたい、早く会って抱き締めてやりたい……」
「……ダン、多分だけど、それ以上声に出すのは止めた方が良いと思うよ」
「ど、どうして……!トム、君だって早くカザリに会って抱き締めてやりたいだろう!?」
「ねえ、本当に黙った方が良いと思うんだ、僕」
大きく逞しい腕を勢いよく広げて僕を振り返ったダンに、あちらこちらから視線が向けられる。時折僕の背中や顔にもそれがちくちくと向けられるものだから、マフラーを顔に巻き付けて人混みにうずくまりたいとさえ思ってしまった。
こんなことならハツと一緒にオーブンに突っ込んだチキンを見守っておけば良かった。いや、それよりも、僕一人で迎えにくれば良かったんだ。ダンをハツに任せて、僕一人で。
「あ、」
そんなことを考えていれば、遠くの方から光の粒が見えて、僕は思わず声を上げる。僕の声に気付いた魔女や魔法使いが身を乗り出してレールの向こう側に目をこらし、来た!と誰かが声を上げた。小さな男の子の声だった。
真っ暗闇を突っ切って、光の粒が大きくなる。ホームの微かな明かりが汽車を迎える頃には隣に立つダンの目が真っ赤に染まっていて、今にも目頭を押さえて泣き出しそうな顔をしていた。
大きな汽笛を鳴らす紅の汽車が、ゆっくりとホームに滑り込んでくる。先頭車両一番前の窓からは赤毛とストロベリーブロンド、それから藍色の髪をした男子生徒がホームを見下ろしていて、僕の心臓はたちまち騒がしくなった。
帰ってきたのだ。カザリがこの紅に乗って、やっと、帰ってきたのだ。
「トム、カザリを見つけたら直ぐに教えてくれ……!」
「うん、分かってる」
ゆっくりとホームに停まった紅が、大きな息を吐きながらドアを開ける。そこからなだれ込むように出て来る生徒に目を凝らして、僕は喉をそっと撫でた。
遠く、一番後ろのドアから、ぴんと伸びた背中に続き、くすんだ赤毛の男子生徒、それから上級生であろうブロンドの男子生徒がおりてくる。彼は恭しく腰をおりながら誰かに向かって手を差し出すが、ぴんと伸びた背中の女子生徒に背中をたたかれ、ドアの前から遠ざけられた。
「……ダン、僕あっちを探してくる」
「あ、トム、ま、待ちなさい、」
ダンの声が聞こえないふりをして、僕はダンに手を振り足を進める。深紅のローブを身にまとった魔女がジンジャーの赤毛の女子生徒を抱き締めて頭を撫でるのを横目に、ぐんぐん前へと進んでいく。
一番後ろのドアから、小さなリースを持った手が顔を出す。その手は小さな男の子を見つけて走り出したぴんと伸びた背中に向かって振られ、それから黒いローブを身にまとった魔女に肩を抱かれて歩き出したくすんだ赤毛に向かって振られ、そして最後にブロンドの上級生に向かって振られ、ようやく動きを止めた。人の波に逆らいながら僕は必死に足を進め、手を伸ばす。
ようやく汽車からおりたその手は、宿り木のリースを手にした彼女は、僕の心臓を騒がせる原因そのものだ。
「カザリ!」
名前を呼べば、彼女が振り返る。あと数歩で届く距離にいる彼女は直ぐに僕に気付き、同じように手を伸ばした。やわらかなカザリの指先が僕の指先に触れ、僕はそれを逃がさないよう必死にたぐり寄せる。カザリの手は、何も変わってはいなかった。
「カザリ、ああ、カザリっ……、おかえり、おかえりなさい」
「うん、ただいま。ただいま、トム」
「……会いたかった。ずっと、会いたかったよ」
「うん、私も。とっても、とっても会いたかった」
向かい合わせで手を握り、カザリのダークブラウンの瞳を見つめる。足下で鈍い音をたててカザリのトランクが倒れたが、そんなことは気にもならなかった。カザリの手をとって彼女のことを見つめる以上に、今の僕にやるべきことは無い。
す、と細められた瞳が、心なしか前よりも大人びて見える。一瞬胸が妙にざわついたけれど、それは言葉通り一瞬で、すぐにへらりと力なく笑ったカザリに頬がゆるんだ。ああ、カザリだ。
「あ、」
思わずカザリの目を見つめていれば、カザリは思い出したかのように視線を上にずらし、それから手に握られていた宿り木のリースを見下ろす。よくよく見てみれば彼女のスカートのポケットからデイジーが飛び出しているし、倒れたトランクの持ち手にはバラが引っかけられている。それを不思議に思いカザリに訊ねようと視線を上げようとすると、鼻先にカザリの指がかすめて、僕はぴたりと動きを止めた。頭に、何かが乗っている。カザリの手には、もう何も無い。
「ちょっと、カザリ、何を乗せて、」
何を乗せてるの、と、言えなかった。
「……えへへ、これでトムにも、トムにも幸せがくるねっ」
へらりと笑ったカザリが、ゆっくりと離れていく。そのままカザリは右手でトランクを持ち、左手で僕の手を引き、何事も無かったかのように歩き出した。顔を上げればダンがようやくカザリを見つけたところで、大きな体をした大の大人の魔法使いが、涙をこぼしながらこちらに向かって大きく手を振っている。
カザリのトランクを、持たなくては。僕が代わりに、持たなくては。そうは思うのだけれど、僕はそれが出来なかった。
「ねえ、ねえトム、見て、父さんってば泣いてるわ」
「…………カザリの、馬鹿」
「え、え?どうして?どうして?」
僕を振り返って楽しそうに笑うカザリに、僕は視線を逸らして小さく呟く。途端に驚いた顔をして僕の顔をのぞき込もうとしてくるカザリだったが、もう何も言うことが出来なかった。ただ、カザリの唇が触れた頬を、赤くなっただろう頬を、隠すことしか出来なかった。
「カザリ、カザリ!ああ!会いたかったよ……!カザリー!」
ダンには絶対、気付かれないようにしよう。そう思いながら僕は頬を撫で、カザリの手をきつく握る。カザリは不思議そうな顔をしながらもそんな僕の手を握りかえし、嬉しそうに、ゆらゆらと揺らしたのだった。
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