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「へえ?そんな魔法、よく思い付いたね!まるで立派な大人の魔法使いだ!」
ダンにいつか教えてもらったロンドンの漏れ鍋にあるテーブルは、いつもうっすらと埃がかぶったようにくすんでいる。拭いても拭いてもこうなのだ、と店主らしい男の人が眉を寄せ言っていたが、僕にとってそれはさした問題ではない。僕にとっての問題は、このテーブルを新しくてくすみのない物に変えることより、目の前に座るランスロット・ニーデルが僕の望みを叶えられるかどうかだった。
「それで、出来、ますか」
出来るの?と焦りからつい口調が雑になりかけて、慌てて口をもごもごと動かす。こんな姿、カザリに見られたらきっと一日は部屋に籠ってしまう。僕は彼女の前で、どうにも何でもそつなくこなせる男の子を作りたがっているらしい。それは何度か失敗しているが、クリスマスにはどうにか挽回したいと思っていたりする。
頬に大きな一本筋の傷がある彼は、その傷を思い切り伸ばすように歯を見せて笑う。それは、漏れ鍋の店主に頼んで飛ばしたこの店一番の梟に呼び寄せられた彼が、姿現しで現れたせいで驚いて椅子から落ちそうになった僕を見たときの笑みに似ていた。
ほんの少し、気にくわない。多分、彼が意気揚々と自慢げにグリフィンドール出身だと言っていたことも関係がある。何せ、カザリがくれたホグワーツの歴史書を読む限り、僕は間違いなくグリフィンドールではないからだ。きっと、グリフィンドールとは気が合わないだろう。
「ううん、そうだね、出来る、出来るとも。任せてくれ!」
どん、と胸を叩いた彼に、僕は内心頼りないな、と思ったのだが、なにも言わずに彼をじっと見つめる。彼は僕の視線をどう受け取ったのか、にっと笑って鞄を漁った。
小さな鍵穴のついた、両の手いっぱいの木箱をひとつ取り出して、彼はその鍵穴に小さな鍵を差し込んだ。きい、と小さな音を立てて開いたその中にはベルベットの生地の上に幾つもの小さな石が並んでいて、僕はそれを黙ったまま眺める。一番隅の、月も出ないとっぷりとした夜のような石が、僕を見ている気がした。
「でもまあまずは、ピアスを作らないといけないね」
さあ、どうぞ!
大きな口から大きな声が飛び出して、店の奥で紅茶を蒸す店主が目を見開いた。僕はそれを横目に、そろりと夜のような石に手を伸ばす。
角度によって赤く見えるそれはカザリにはあまり似合わない気がしたが、それでも僕は、その石から目をそらせなかった。
「私、痛いのには強いのよ、強いの。だから、平気だわ」
「………………本当に?」
「本当、うん、勿論本当よ」
月も出ないとっぷりとした夜のようなその石は、エルダーフラワーの蕾より小さなピアスになって、裁縫針と一緒に僕の掌を転がっている。
ダークブラウンの髪をよけて、カザリがいつでも大丈夫だと言うように口を引き締め僕を見る。僕のベッドの上に座る彼女の隣に腰を下ろせば天井に浮かぶ小さな宇宙がよく見えて、何処か落ち着きのなかった僕の胸はほんの少しだけ息をついた。
「……でも、きっと痛いよ」
「平気、平気よ。だって、転んで血が出るよりはきっと痛くない筈だもの」
「これだって血が出る」
「転ぶよりは出ないと思うの、多分、きっと、分からないけど……」
自分で選んでおいて、僕は今になって後悔し始めている。カザリにはいつも身に付けられるものを贈りたかったのだが、それならもっと他にもあっただろう。首からかけられるものや、本に挟んで持ち歩けるものや、何だって。それでも僕はあの日迷わずこのピアスを選んで、魔法をかけた。あの日、僕は思ったのだ。ほんの少しの痛みがある方が、きっとカザリは僕を忘れやしないのだと。
今になってみれば、なんとどす黒くて粘着質な感情だろう。べったりとしたそれがカザリを前にすると酷く醜いことに気付いて、僕は今更ピアスを転がしながら渋っている。カザリがホグワーツに行っている間に、このやわらかな家に来る前の自分が顔を出していたらしい。あの日の僕は、我が儘な子供だった。
「ほら、ねえ、はやくっ」
それなのに、カザリは僕の気持ちなんか知らずにはやくと急かす。
掌の上を転がるそれを見下ろして、僕はカザリと向かい合う。控えめなレースの飾りがついたワンピースは寝るとき専用のものだとハツが言っていたが、それはとてもカザリに似合っていたので、昼間も着てくれないだろうかと思っているのは秘密だ。
ワンピースの裾を撫でたカザリが、長いダークブラウンの髪を揺らして僕に耳を向ける。仕方なく、僕は裁縫針を手に取った。
「……ねえ、やっぱり、」
「トム、トム、はやくっ」
「…………分かった。分かったよ」
冷やした方が良いんじゃないか。やっぱりやめた方が良いんじゃないか。そう思う僕には気付かず、カザリは何故だか嬉しそうに僕を急かす。それにとうとう僕は折れてしまって、はあ、とため息を吐きながら裁縫針をカザリの耳朶に当てた。
「…………じゃあ、あけるよ」
勢いよく突き刺してしまって、裁縫針がカザリの首筋に傷をつけてはいけない。そう思った僕は自分の着ているカーディガンの裾を引っ張って、カザリの耳の裏側に当てた。不安で何度も熱湯に泳がせた裁縫針は、思いの外勢いをつけずに耳を突き抜ける。それを直ぐに引き抜いて代わりにピアスをはめれば、カザリのやわらかなそこに僕の醜いものが詰まったそれは得意気に光っていた。
ほんの少しだけ、胸の奥からじわじわと満足感が溢れだしてくる。いけない、とは思うが、僕の手でカザリにピアスをつけられたことは僕にとってはとても素敵なことだった。
「出来た?ねえ、ねえ、出来たっ?」
「うん。じゃあ、もう片方も」
「うんっ、はい、どうぞっ」
カザリは自分で言っていた通り、痛みには強いらしい。嬉しそうに笑いながら反対側の耳を差し出してきたカザリに、僕は驚きながらも裁縫針をつまむ。
ぷつりと音をたてて、穴があく。先程のようにその穴にピアスをはめて、僕はそろそろとカザリの顔を覗きこんだ。カザリは何故だかやはり、嬉しそうに笑っていた。
「出来たっ?」
「う、うん。……見たい?」
「うん、うんっ!見たい!待って、そこにね、鏡を持ってきたの、鏡っ」
「あ、僕が取るよ。……はい」
ベッドの上に座ったまま器用に跳ねたカザリが僕の部屋のテーブルを指差したので、僕は慌ててベッドから立ち上がりそこに置かれていた手鏡をとる。カザリは意外にも準備を済ませていて、その隣にあったハンカチもついでに手渡した。それは血を拭うためのものだったらしく、カザリは受け取った手鏡を膝に置き、鼻唄をうたいながらハンカチで耳朶を拭いた。
「ねえ、見ても良い?もう見ても良い?」
「……うん、良いよ」
別に誰も止めてはいないのに、カザリは見ても良いかと僕に尋ねる。それに良いよとこたえればカザリはゆるむ口許を隠さずにそろりそろりと手鏡を持ち上げて、それから天井に浮かぶ星が二度瞬いて、漸く手鏡にピアスをうつした。
カザリの瞳が、星の光を集めてきらきらと光る。長い睫毛を揺らしながら何度も瞬きをして、カザリは手鏡の中で薄暗く光るピアスを見つめていた。
微かに赤く光ってみえたそれに、カザリは気付いているだろうか。
「……どう?」
カザリが何にも言わないので、僕は何でもないふりをしながら問いかける。可愛いだとか素敵だとか、カザリの口からそんな言葉がぽろぽろ零れてくることを、僕は少なからず期待していた。
僕がベッドに腰を下ろせば、カザリは漸く手鏡から視線を外し、僕を見る。ゆるんだ頬は、薄いオペラ色の膜をはっていた。
「トムが、トムがそばにいるみたい」
可愛いだとか素敵だとか、そんな言葉は初めから無かったらしい。カザリはまるでその言葉をずっと抱えていたのだというようにするすると零して、ピアスに触れる。オペラ色が、濃くなる。
「……え?」
「これ、このピアス、トムの瞳みたいっ。ふふふ、とっても好き、私、このピアスがとっても好き」
「…………え?」
また赤く光ってみえたそれを指先で撫でて、カザリは目を細めて笑う。それがあんまり嬉しそうだったから僕は何も言えず、情けなく目を丸くすることしか出来ない。
僕のようだというそれを、カザリはとても好きだと言った。僕がそばにいるようだと、カザリは言った。どす黒くて粘着質なそれが、カザリの耳朶からぼとりぼとりと落ちていく。執着心にも似たそれが落ちていくにも関わらず、僕は胸より少し下のあたりがたっぷりと満たされていくのを感じていた。
「ふふっ、これで一緒ね、毎日一緒ねっ」
ああ、だから嬉しそうに笑っていたのか。
すとん、と何かが僕の中でぴったりはまる。その途端に胸より少し下のあたりを満たしていたものが熱を持ち出して、じわりじわりと音を立ててのぼってくる。カザリの膝に置かれた手鏡を見なくたって、分かってしまう。僕の顔は今頃きっと、大変なことになっている。顔が、逆上せたように熱い。
「ほら見て、トム、トム、」
「も、もう寝る、僕はもう寝るからっ……」
「え?ええ?寝るの?私も一緒に寝ても良い?」
「やっ、やめて!入ってこな、ちょっと、カザリっ……!」
こんな顔を見られてしまえば、僕は一日どころか一週間は部屋に籠る羽目になる。
慌ててベッドに潜り込めば、驚いたカザリの膝からごとりと手鏡が床に落ちた音がして、ついでカザリがもそもそと僕の隣に潜り込んでくる。それを必死に押し返したけれどカザリは華奢なわりには力が強くて、僕はあっさりと負けてしまった。
ふふ、と、カザリの笑い声がすぐそばで聞こえてくる。それが酷く恥ずかしくて、僕は目を閉じてカザリに背を向けた。灯りを消していないが、もうこのまま眠ってしまおう。
「……トム、大好きよ、とっても好き」
「…………………………」
「ふふふっ、おやすみ、おやすみトム」
「……うん、おやすみ、カザリ」
カザリの方は見ないで、僕は小さく呟くようにこたえる。背中にあたるカザリの腕はあたたかくて、暫くは恥ずかしさのせいで眠れそうにないと思っていた僕はすっかりその腕に引っ張られるように眠気の波に飲まれてしまった。
瞼の向こうは、少しだけ明るい。天井に浮かぶ小さな宇宙が、静かに揺れている。僕は目を閉じたまま部屋のテーブルの引き出しにしまったガラス玉を思い出して、そのまま眠気の波の底へと沈んでいった。
ピアスと共に渡されたガラス玉の正体を、僕はきっとカザリには伝えないだろう。そして、すっかりどす黒くて粘着質なそれが落ちてしまった僕は、それを使うこともないだろう。
グリフィンドール出身の魔法使いがかけた魔法は、そうしてテーブルの引き出しの奥にしまい込まれたのだった。
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