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「あれ、カザリ、もう魔法史のレポート終わってるの?」


赤ワインでじっくり煮込んだグレイビーソースを薄く切られたパンに塗り込んで、潰したローストポテトをその上にのせる。それからマクゴナガルが取り分けてくれていたローストビーフをのせて、もう一枚のパンでそれをぎゅっと挟んだカザリは、珍しく得意気に笑ってみせた。
カザリの前にあるテーブルには、いつもよりひと巻き分も長い魔法史のレポートがあった。


「うん、うんっ、終わった!」

「あら、珍しいじゃない。ちょっと見せてくれるかしら?」

「うん、分かった、どうぞ」


チキンスープを飲んでいたマクゴナガルがそう言えば、カザリはまたも珍しく渋ることなくレポートを差し出した。余程自信があるのだろう。いつもならマクゴナガルが何かを言うまで食事の手を止めるカザリが、今日は大きな口をあけて今作り終えたばかりのサンドウィッチをほうばっていた。
マクゴナガルを見れば、彼女は時折文字を指でなぞりながら眉を寄せたけれど、それはほんの一瞬きりのことだった。きっと、スペルミスか、寝ぼけながら書いたカザリの字が読みづらかったのだ。


「……珍しいこともあるのね。気を付けなさいメイフィールド、明日は杖が降るわよ」

「え、そ、そう……気を付けるよ、うん」

「ええっ、杖が?杖が降るの?」


サンドウィッチからローストビーフをはみ出させながら、カザリは不思議そうに天井を見上げた。そこにあるのは分厚い雲と蝋燭だけだが、カザリは不思議そうに天井を見つめ続ける。マクゴナガルの言葉の意味なんて、彼女には分からないのだろう。
まあ呆れた、とでも言うようにマクゴナガルは肩を竦めて、それでも顔はどことなく満足そうなので、内心とても嬉しいのだろう。彼女はいつもカザリのレポートを見る度に、眉間の皺を深く濃いものにしていたから。


「あっ、そうだ、そうだ、あのね、私、これを食べたら図書室へ行くわ」

「えっ?」

「……メイフィールド、明日は本当に杖が降るかもしれないわ」


カザリにレポートを返そうと羊皮紙をくるくると巻いていたマクゴナガルの指先がぴたりと動きを止めて、ぎこちなく僕を見てくる。かく言う僕はただただ驚くことしか出来なくて、目を見開くばかりだった。
僕やマクゴナガルの付き添いだって、行く先が図書室だというだけであまりついてきたがらないカザリが、自ら図書室へ行きたがるなんて。


「ねえカザリ、あなた、頭でもぶつけたの?」

「うん?ううん、ぶつけてない、ぶつけてないよ」

「……カザリ、僕もついていこうか?」

「平気よ。私ね、探したい本があるのっ」


いつのまにか残り一口になっていたサンドウィッチの端をつまんで、カザリは嬉しそうに笑う。最後の一口を口にほうばったカザリに、僕もマクゴナガルも、最早何も言えなかった。
口の中でサンドウィッチをやっつけながら、カザリはいそいそとテーブルの下からハシバミ色の大きな鞄を取り出し、結局途中までしか巻かれていないレポートをしまいこむ。レポート分の隙間を開けるために取り出された羽根ペンはスリザリンの先輩からもらったもので、夏がくればふらりと家に訪れる彼によく似合う小ぶりで上質なものだった。僕だったら気が引けて使えないそれを、カザリがどう思っているのかはしらないけれど。


「じゃあ、私行くわ。また授業で、授業でねっ」

「え、ええ、あの、気を付けてね!」

「……ま、またね」


たかが図書室だと言うのに、マクゴナガルはわざわざ立ち上がり、カザリに手を振る。彼女の中では余程の衝撃なのだろう。
羽根ペンを掴みながらこちらに手を振ったカザリを見送って、マクゴナガルは気が抜けたように席につく。がちゃんとスプーンが皿のふちからテーブルに転がり落ちても、彼女は黙りこくっていた。


「…………私、やっぱり後で図書室まで見に行くわ」


漸く彼女がそう口を開いたのは、僕がすっかり冷めてしまったコーニッシュパイにナイフを刺した時のことだった。
たっぷりと間をあけて、僕は切り分けたコーニッシュパイを口に運ぶ。マクゴナガルが心底真面目な顔をしてそう言う理由を、僕は分からなくもなかった。


「……僕も、少し、覗きに行こうかな」


それに、僕は僕で、気になることはあったのだ。
カザリがレポートをしまいこんだあの時、鞄から出てきた羽根ペンがハシバミではないことに安堵していた僕はひとり気が重くなるのを感じながら、前髪を撫で付ける。マクゴナガルはもしかして熱じゃないか、風邪じゃないか、とぶつぶつと呟いていたけれど、僕はそれに答えることは出来なかった。
もう直にバレンタインがくるというのに、僕はカードも書けずにずっと怯えて過ごしていた。






『ゴブリンを探して まだ見ぬマグル界』をぺらりと捲りながら、私はこっそり大広間のテーブルから持ってきたスコーンを二つに割る。ぽろぽろとスコーンのくずがスカートに落ちたので慌ててそれをつまんで、大広間のテーブルよりも背の高い机に隠れるように肩を縮め、辺りをそっと見回す。ずらりと並ぶ本棚に囲まれた、図書室の中でも一層静かなこの場所でスコーンのくずを咎める目は、ひとつとして見当たらなかった。
どんな細かな本の汚れだって見逃してくれないマダムの目にも見つかっていないことにほっと息を吐いて、そろそろと静かに頁を捲る。背の高い魔法使いが、今漸くマグルだらけの汽車から降りたところだった。


「…………この駅って、私も行ったことあるのかな、」


駅の名前をなぞり、机の端に重ねるように置いてあった本の山から一冊引っこ抜く。ホグワーツ生には人気のないらしい埃っぽいマグル界の地図を広げれば、私の住む家から真っ直ぐ右、指先一本分のそこに、その駅はあった。けれど、駅の綴りがどうにも違うので、私はひとり首を傾げた。


「……ミネルバかサミュエルがいればなあ」


ぽつりと呟いた言葉は誰にも受け取ってもらえずに、地図の中へとずぶずぶ沈んでいく。くすくす妖精が、そろりと机の下から顔を覗かせた。
図書室の入り口近くの本棚で本を探していた昨日、窓際の陽当たりの良い席でマグル界の童話を広げていた一昨日。私はひとりで図書室に来た筈だったのに、何故だかミネルバとサミュエルが本棚の向こう側で素知らぬ顔をしてそこにいたのだ。もしかすると今日もいるかもしれない、と辺りを見回すが、ぴんと伸びた背中も、すっと細くて高い背中も見つからない。こっそり持ってきたスコーンを食べようと、誰もいない場所を選んだからだろうか。それとも、今日は二人とも来ていないのだろうか。


「……んん、ジャム、ジャム持ってくればよかった……」


少しぱさついたスコーンを口に運びながら、私は諦めて爪の先から薬の出るゴブリンを探し汽車を降りた魔法使いを追いかける。彼は駅を出るなり馬車に乗って、大きな大きな川を渡った。きっと、テムズ川だ。
ひとりそんなことを考えながら頷いていた、その時だ。魔法使いがゆらゆらと馬車に揺られ川を眺める様子を思い浮かべスコーンをかじっていれば、ふ、と視界が薄暗くなる。真っ直ぐ並んだ文字の向こう側から顔を上げると、前には誰もいない。それなのに、何故だか影がある。あ、と思い振り返れば、くすくすと小さくて綺麗な笑い声が後ろから聞こえてきた。


「あっ、タイラー先輩」

「ふふふっ、こんにちは、スコーンを食べながらお勉強中かしら?」


口の端に指を当てながら笑うレイブンクローの彼女、アビゲイル・タイラー先輩に、私は慌てて残りのスコーンを口に詰め込み口を拭う。それにタイラー先輩はますます笑って、口元とお腹をおさえていた。
器用に声を圧し殺して一頻り笑ったタイラー先輩は、はあ、と目元の涙を拭い、改めて私が読んでいた本を覗きこんでくる。そこで、ふいに視界に監督生のバッジが入り込んでくる。じっと私を見つめてくるそれに、私はまた口元を拭った。もう、スコーンはついていないはずだ。


「あ、あの、タイラー先輩……」

「あら、アビゲイルって呼んでくれて構わないわよ?私ってそんなに拘らないの」

「あの、あの、じゃあ、アビゲイル先輩」

「はい。なあに?」

「…………その、減点、減点は、しませんか?」


まわりに誰もいないと分かっていながら、私はそうっと声を潜める。そうしなければ何処からか意地悪な監督生がやってきて、両手じゃ足りないくらいの減点をされそうな気がした。頭に浮かんだのは、スリザリンのローブを着た誰かだった。
しかし、タイラー先輩、アビゲイル先輩は一度目を見開いて、それから困ったように笑って私の頭を撫でる。母さんよりもほんの少し小さな手は、とても優しかった。


「スコーンを食べて減点なら、私だって沢山減点されなくちゃならないわ」

「……アビゲイル先輩、スコーン、沢山食べたんですか?」

「ええっ!?ちっ、違うわよ、違う違う!」

「ええっ?じゃ、じゃあどうして、何でですか?」


私が訊ねるなり彼女はぴたりと動きを止めて、頬をオペラ色に染める。それから彼女は人差し指を唇に当てて、私を手まねいた。
手まねかれるまま彼女に顔を寄せると、秘密だからね、とアビゲイル先輩は囁く。それから彼女は唇に当てていた指を後ろの本棚に向けて、ほら、と言った。そこには、アビゲイル先輩と同じ色のネクタイをした上級生がいた。


「彼と、あそこで会う約束をしてたの」

「……はい」

「…………あなた、分かってないわね」

「…………ま、待ち合わせは、待ち合わせは駄目、なんですか?」


私が言えば、ぐっ、と、アビゲイル先輩と待ち合わせをしていたらしい彼が、妙な声をもらす。は、と見れば彼は顔を真っ赤にして先程のアビゲイル先輩のようにお腹をおさえているところで、机の下からくすくす妖精が飛び出してきた。
知らない、分からない、ということが、途端に恥ずかしくて仕方なく思えた。


「……まあ、一年生の頃はそういうものだわ。それで良いのよ。分からなくて良いの、当たり前よね」

「…………あの、いつかは、分かりますか?」

「うーん、そうねえ……」


アビゲイル先輩は言いながら考えるように腕を組み、漸く波が去ったらしい彼を見る。すると彼はごほん、と控えめに咳払いをして、私に小さく笑いかけた。ブルネットの髪をした、ダンブルドア先生がほんの少し意地悪な問題を出してもすらすらと答えられそうな魔法使いだった。


「もうすぐバレンタインだ。もしかすると、早ければ分かるんじゃないか?」

「ああ、それもそうねっ」

「……バレンタイン、バレンタインですか?」


青いネクタイがよく似合う彼はそう言って、そうさ、と口元を緩める。シャツのボタンを一番上までぴっちりと止めて、ほんの少しも曲がっていないネクタイをした彼の笑いかたは、口元の半月ですら綺麗に整っていた。
ふふ、とアビゲイル先輩が笑って私の頭をもう一度撫でてくる。顔を上げるとオペラ色の頬から甘い匂いがした気がして、私はほう、と彼女の顔を見上げた。


「まあ、いつか分かることよ。あなたくらいの年頃って知識だけで分かってるつもりになった子もいるけれど、あなたはまあ、ゆっくり知ると良いわ」


でも、もしかしたら、バレンタインに分かるかも。
そっと私に耳打ちして、アビゲイル先輩は顔にくしゃりと皺を寄せて笑う。監督生のバッジが、きらきらして見えた。彼女が監督生だなんて、レイブンクローはなんて素敵なのだろう。
そこまで考えて、そういえば自分はハッフルパフの監督生を知らないことに今更気付く。アビゲイル先輩に訊いてみようか、と口を開いたが、それよりも先にアビゲイル先輩がまた私に耳打ちをしてきた。


「それよりね、あなた、気を付けた方が良いかもしれないわ」

「え、?」

「何て言うか、さっき見たのよ、私」


オペラ色をさっと引っ込めて、監督生のバッジを付けるに相応しい真面目な顔をしたアビゲイル先輩に、私は首を傾げる。アビゲイル先輩の大きな瞳の中にいる私は、とても小さかった。


「スリザリン生よ。一人だったけれど、あなたのことじっと見てたから」


他の寮なら何も言わないけれど、スリザリンだし。
そろ、と、飛び出したきりどこかへ行っていたはずのくすくす妖精が、私の目の前に現れる。小さな妖精はくすくす笑いながらゆっくりと飛んでいって、それから二つ向こうの本棚へと消えていった。
こつん、と、足音が聞こえる。本棚の向こうから、大きな本を二冊抱えた男の子が現れた。図書室の柔らかな陽射しの下で、プラチナブロンドが輝いている。
アブラクサス・マルフォイだった。


「スリザリンがみんなそうってわけじゃないけど、あの子、マルフォイでしょう?彼、うちの寮でも有名だから、気を付けなさいね」


何かあったら、直ぐに言うのよ。
そう言って、アビゲイル先輩は私の背中を撫で、同じ色のネクタイの彼のもとへ戻っていく。
スカートの上にスコーンのくずが残っていたことに気付いて、私はそれを指でつまみながら、プラチナブロンドを盗み見る。彼はじっと私を見て、それから、目を細めて笑ったのだった。


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