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「トム、トム、見て!父さんが新しい箒を買ってきてくれた!私とトムで仲良く分けっこ!」
夕飯の支度の整ったダイニングの入り口でカザリが恥ずかしくなるような台詞を吐き出し妙なステップを踏みながら頭上に掲げるものを、僕はリビングのソファに座って目を丸くして見つめた。ダイニングとリビングを隔てていた壁にカザリがぶつかるといけないから、とカザリが三つの時にダンが壁を取っ払ったことは正解だったと思う。カザリが妙なステップを終えるとそのまま僕の隣にダイブするかのように突っ込んできたのだから。
慌ててカザリの手からダンが買ってきてくれたらしい箒を奪い去って、ソファとカザリに挟まれ折れてしまわぬように僕の膝に置く。嬉しそうに足をばたつかせて笑うカザリはよほどこの箒を気に入ったらしい。今頃寝室でローブを脱ぎながらハツに今日の仕事の出来を話しているであろうダンに、この喜びようを是非見せてあげたかった。カザリがここまで興奮するのは珍しいものだ。
「トム、トム、明日丘に行って乗ろうね!後ろに乗せてね!後ろに乗せてね!」
「どうして僕が、」
「え?私の後ろに乗りたいの?」
「……カザリの飛び方は危なっかしいからね、僕が乗せてあげる」
本当に乗りたい?と、きょとりと目を丸くして僕の顔を覗き込んできたカザリに、初めての飛行はせっかくだからカザリの後ろに乗せてもらいなさいとダンに言われたあの日のことを思い出し、僕は目を細めて首を横に振った。あの日僕はカザリの後ろで、生まれてこのかた馬にも乗ったことが無かったこの僕でも、暴れ馬に乗って振り落とされた方がまだ良いとさえ思った。少なくとも、とんでもなくスピードを出す上に地面すれすれまで急下降したり突然旋回したりするカザリの飛行よりはまだましだろうから。
僕の答えに満足げにカザリが笑って、僕はわざとらしく肩をすくめてみせる。ぐ、と鼻先まで近付いたカザリからは、甘い花の匂いがした。一週間も前にハツがダンに頼んだカザリの部屋の花の買い換えを、ダンは覚えていない。
「明日は朝から?」
「うーん、朝は眠いから、ランチの後から」
「じゃあハツのチョコレートタルトも」
「よおく冷えたミルクと一緒に持って行く」
顔を見合わてそう言って、カザリが歯を見せて笑う。だって、もう夏になるから冷たくなくちゃ。そう言いながらカザリは未だにカーディガンを着ているのだから、僕は可笑しくて笑いそうになった。
「明日で七月だよ、七月だよ」
「そうだね、もう夏だ」
「母さんに魔法をかけて貰って、ミルクが温まらないようにしなくちゃ」
ダンとハツが談笑しながら階段を下りてくる足音を聞きつつ、僕とカザリは並んで座って箒を撫でる。箒の柄にはクリーンスイープと書かれていて、僕はその文字に触れながらどうか明日カザリがやっぱり私が前が良いなどと言いませんようにと願った。
この時の僕達は、二人の大人が何を話していたのかなんて知りもしない。
「トム、トム、今日こそは私が前だからね、私がトムを乗せるんだからね!」
「駄目。カザリは僕の後ろ」
「駄目。トムが私の後ろ」
「澄ました顔をして真似たって駄目。それに似てないからもっと駄目」
僕の真似をするならまずその跳ねた髪を何とかしたら?とん、とトムの人差し指が私の背中を突き刺したので、私は背中まで伸びた自身の髪を見ようと振り返る。ゆらりと揺れたダークブラウンの髪の先は少し振り返れば直ぐに視界に入る程くるりと跳ねていて、それに思わず口元を押さえればトムが勝ち誇ったような顔をして私を見てくる。浅く被ったハンチング帽から覗くトムの髪は、一本たりとも跳ねていない。勿論帽子の中の髪も跳ねていないことを、私はちゃんと知っている。ジャムをたっぷり塗ったトーストをかじりながら、トムの髪は綺麗だなあ、と今朝も思ったのだから。
「どうしてトムの髪はそんなに綺麗なの?同じシャワーを使ってるのに」
「さあ?カザリの寝方のせいじゃない?まるで当たり前のように僕の部屋で寝るからカザリの部屋が拗ねたんだ」
「拗ねない、拗ねない。部屋は拗ねないよ。それに、トムの部屋の方がよく眠れるから仕方ないもの」
「僕の部屋の方が?なんでまた」
「だって、トムがいるもの」
「…………そう」
「うん、うん。そう」
たっぷりの間をあけて小さく頷いたトムは私の理由に納得していないのだろう。ふい、とそっぽを向いて、ハンチング帽を深く被った。いつもはトムを本当は私よりも年上なんじゃないだろうか、と内心訝しんでいたが、こういうところは年下らしい。トム、と名を呼んで顔を覗き込んでもまたふい、とそっぽを向くトムが可笑しくて、私は何度も彼の名を呼びながらその顔を覗き込んだ。
「トム、トムー」
「……もう、止めて、あまりしつこいと今日は丘に行かないよ?」
「え、でも、トムは優しいから行ってくれるんでしょう?」
「……君がこれ以上僕の顔を覗き込んでこないなら」
ハンチング帽のつばを触りながらトムがそう言ったので、私は分かった、と返してつばを触っていたトムの手をとる。早く行こう、と口にせずともトムには伝わったらしい。トムは驚くこともなく私の手を握り返して、キッチンの脇にある小さな丘へと繋がる裏口へと歩き出した。それに促されるように私が箒をひっつかめば、トムがその箒を受け取り私に裏口のドアを開けるようにと目で訴えてきた。我が家の裏口のドアは、父さんが決めた呪文を唱えながらドアノブに触れないと小さな丘に繋がらないのだ。よって、両手の塞がったトムが丘へ繋げることは出来ない。
「カザリ」
「分かってる、分かってる、今、」
開けるから、と言葉を繋げようとした、その瞬間だった。
ガン、ガタガタッ!
勢いよく裏口に何かがぶつかったような音に、続いてドアが揺れる音。ガタガタとドアノブまで揺れ、思わず目を見開いて驚いていれば、慌てたようにトムに後ろに引っ張られ、私はそのまま三歩後ろに後退り尻餅をついた。トムはと言うと未だ揺れるドアを黙って睨み付けながら、尻餅をつく私にゆっくりと歩み寄ってきた。
「カザリ、ごめん、怪我は?」
「だ、だい、大丈夫、大丈夫。……トム、あれ、なに?」
「この家のことで君が分からないのなら僕も分からないよ……」
本当に大丈夫?と言いながらトムが私に手を差し出してきたので、私はトムのその白い手につかまりながら恐る恐る立ち上がる。未だガタガタと揺れるドアに首を傾げれば、トムも眉間に皺を寄せながら肩をすくめてまたドアを睨み付ける。私には、何が起こっているのかさっぱり分からなかった。
「あら、なあに?えらく煩いわね」
「か、母さん!ドアが、ドアがね!凄いの!」
「ハツ、ドアが急に揺れだしたんだ。外から何かぶつかったみたいな音がして……」
ドアに気を取られていたせいだろう。あらあら、なんて言いながらいつの間にか後ろに立っていた母さんに漸く気付き、驚きながらもトムと二人して今起こったことを話す。すると母さんはまあ、と、直ぐに顔を綻ばせてドアノブに手を伸ばした。もしかするとドアが爆発するかもしれない。そんなことが頭を過ぎった私は、慌ててトムにしがみつく。トムはただただ驚いて、目を見開いて私を見ていた。
しかし、ドアは爆発するどころか、母さんの手がドアノブに触れたその瞬間、きい、と音を立てながら自ずと開いた。住宅街に建つせいで裏庭らしき裏庭ではないその景色が広がったと同時に、すい、と何かが風に吹かれるようにキッチンに入り込んでくる。
「ああ、玄関の郵便受けが壊れてたから裏口から来たのね」
「……母さん、それ、手紙?」
入り込んできた何か、手紙を受け取って、母さんは嬉しそうに笑い小さく頷いた。マグルからは勿論、めったに手紙なんて来ない我が家にそれが届いたからだろうか。母さんはいつもより綺麗に唇で弧を描いていた。
古びた色をした封筒を、トムにしがみついたまま見上げる。よく分からない絵の書かれたそれを母さんが慎重に開けて、中から手紙らしきものを出す。途端、母さんは私の前にしゃがみ込んで、私の肩を掴んだ。それに驚いてトムから手を離せば、母さんは私の両手を包み込んでくる。母さんと私の手に挟まれた手紙は、簡単にぐしゃぐしゃになってしまった。
「カザリ、ホグワーツから手紙が来たわ。貴方はホグワーツに通えるのよ」
「ホグワーツ?母さんと父さんが通ってた学校?」
「そうよ」
「私、魔法を沢山学べる?箒で沢山空を飛んでも良いの?」
「ええ、あなたがしたいことをすれば良い」
くしゃり。母さんが強く私の手を握ったので、手紙がまたぐしゃぐしゃになる。しかし母さんはそんなこと気にならないのか、ただ私の目を見て笑っていた。
「だけどねカザリ、母さんと約束してちょうだい」
「約束?」
「ええ、約束よ」
母さんの綺麗な唇がまた弧を描き、母さんの手は私の手をゆらゆらと揺らす。まるで優しく言い聞かせるようなそれに、私は何故だか胸がちくちくとして目を逸らした。トムは黙って、私達の話を聞いていた。
「トム以外にも話せる子を、友人を作って。母さん達に負けないくらい、素敵な学校生活を送って」
大丈夫よ。ホグワーツの生徒はあなたを化け物呼ばわりしないわ。
母さんの頭の中には今、父さんと過ごした煌めきのような日々が流れている。それを教えるようにきらきらと光る母さんの目を見て、私はまた目を逸らしながら小さく頷いた。それに満足したのか、初めから私なら大丈夫だと思っていたのか、母さんは私の手を離して立ち上がる。また今度ダイアゴン横丁に行かなくちゃね、と言いながら。
離された手をぼんやりと見下ろして、初めて外に出た日のことを思い返す。感情が高ぶって周りの石や落ち葉を浮かせてしまった私を見つけて化け物だと指差したあの男の子は、どんな顔をしていただろうか。
「カザリ……?」
あの男の子は、私に石を投げつけながら、どんな顔をしていただろうか。
「大丈夫、大丈夫。何にもないよ。私、大丈夫だよ」
だって、何も怖くないもの。
そう言って笑いながら、トムの手を掴む。白くて私よりもほんの少し大きなその手は、私の胸をとても穏やかな気持ちにさせてくれた。
「怖くない。何も怖くない。……でも、でもね、私、トムと同い年なら良かった」
そしたらこんなに、胸がちくちくとすることはないのに。そんなことを胸の内で考えながら、私はトムの手を手繰り寄せその肩に顔を埋める。ランチの時に紅茶を淹れてくれたからだろうか、トムからはダージリンの優しい匂いがして、私は目を閉じる。
怖くはない。何も。だけれど、不安だった。
私に石を投げつけてきたあのマグルの男の子の顔は真っ黒に塗りつぶされていて、泣きそうな顔をした母さんと、怒ったような顔をした父さんの顔がそこにあった。
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