目的地であるダミュロンの病室に辿り着く前に、病室から脱走していた彼と遭遇してしまった私は、暗い廊下で彼と睨み合う。
 ――目の前の男は本当にあのダミュロン・アトマイスなのかと疑ってしまうほど、彼は変わってしまっていた。
 全身包帯だらけの身体に、ふらついた足。そして何より、何も映っていない真っ黒な瞳が小隊にいた彼と何もかも違うことを示していた。顔は同じなのに、別人に見えてしまうのはそのためだろう。…纏う雰囲気が違いすぎる。


「…ダミュロン」
「アウラ?」


 生唾を飲み込んでもう一度名前を呼べば、彼は驚いた声色で私を呼び返した。
 驚いていたのは、声だけだった。瞳には私が映っているはずなのに、何か映しているようには見えない。顔に至っては、デュークよりも冷めきった無表情そのものだった。
 ――今のダミュロンが、こんな状態なことは分かっていた。分かっていた、はずなのに。


「生きて、たのか…本当に…」
「うん…っ」


 キャナリ小隊のムードメーカーだった彼の悲惨な変貌に、勝手に喉が震えた。
 千人以上いた遠征隊の中で、たった一人生き残ったダミュロン。目の前で一番大切だったキャナリを亡くしたダミュロン。
 私なんかより泣くべきなのは彼のはずだ。…だから泣くな。泣いちゃいけない。私に泣く資格なんてない。


「アウラ…!」


 目の前のダミュロンの声も震えていた。まるでずっと待っていたかのように。
 ゆらり、と包帯だらけの手が私へと伸ばされる。涙を堪えることに必死だった私は黙ってそれを見守っていた。
 幻なのか、現実なのか、確かめるように伸ばされたその手は私の頬に触れる直前で、ピタリと止まる。


「―――違う」
「…え?」
「お前は、違う」
「ダミュロン…?」
「違うっ!!」


 伸ばしていた手を戻し、ダミュロンは私の両肩を強く掴んで怒鳴った。
 真っ黒な瞳が目一杯に開かれ、肩には包帯の隙間から爪が喰いこみ、ギリギリと強く掴んで離さない。
 目と鼻の先まで迫ったダミュロンの表情は、何かを拒絶するように歪み、口端は微かに上がっていた。


「ダミュロン・アトマイスは死んだ」
「…っ!」
「砂漠の任務で生き残ったはアウラ・バンタレイただ一人…」
「っダミュロ」
「ダミュロンは死んだ! あの砂漠で! キャナリと共に!!」


 ――分かってた。分かってたんだ、本当に。
 アウラさんの力を分断して、正確なエアルの流れが読み取れない私にも分かる。それほどダミュロンの左胸に取り付けられた心臓魔導器(カディスブラスティア)は異様だった。
 アレクセイはどんな計画でレイヴンに心臓魔導器を取り付けたのかって思っていた私が馬鹿みたいだ。アレクセイは純粋に、ダミュロンを助けようとしてくれたのだろう。他の騎士たちに蘇生の見込みがあれば取り付けていたはずだ。
 でも、それでも騎士たちの被害は甚大すぎて、ダミュロンにしかこの方法が適用できないほど、みんな酷い死に方をしてしまっていたのだろう。だから彼だけが、こんな機械じみた身体を手に入れてしまった。


「死者は生者には触れられない」


 自分に言い聞かせるように小さくそう呟いて、ダミュロンは私から手を放した。
 そのまま私の方を見ずに、数歩後退してから踵を返す。


「…死人は何も望まない」


 私を置いたまま、ダミュロンはそのままフラフラと自分の病室へと戻って行った。
 硬く閉じられた扉の音と共に、私は膝から崩れ落ちてしまう。
 …分かっていたのに、彼が壊れてしまうのは、覚悟していたのに。
 だから会いに行けなかったし、会いたくなかった。それでも、このまま彼と向き合わないままでいるのはここへ送り出してくれたエルシフルにも、背中を押してくれたデュークにも失礼だ。
 私はもう逃げないって。そう決めたはずなのに。


「ダミュロン…ダミュロンっ…!」


 騒がしいけれど、かけがいのない存在だったキャナリ小隊のみんなも、楽しかった騎士団の日々も、もう決して戻ってこないのだと、改めて思い知らされた。



***



 翌朝。一睡もできなかった私がやっとのことでベッドから起き上がったその時に、少し荒めにドアがノックされた。
 砂漠から帰還した後はアレクセイくらいしか来客がなかった。…それも彼が配慮してくれてのことだろうけど、だからこそこんなに慌てたようなノックは初めてで。
 ダミュロンのこともあった私は未だに彼のことが頭から離れなくて、一睡もできなかったこともあるからか、そんなノックを聞いても急いで出る気にはなれなかった。
 簡単に着替えた後「開いてますよ」と小さな声で呟く。ノックの主にこの声が届いたのか、ノックはすぐに止んでドアが開かれた。


「…体調はあまりよくないようだな、アウラ」
「アレクセイ騎士団長…」
「早朝からすまない。…もっとも、君は休めていないようだが」
「…何か慌てているようでしたけど、私に何か?」


 荒々しいノックの間に着替えたはいいが、表情で眠っていないのが分かってしまったらしい。ちらりと見たアレクセイの顔はどこか辛そうだった。
 アレクセイがここまで乱暴にノックをするのはこれが初めてだった。私が女性だから気を使っているのかわからないけど、彼のノックはいつも控え目だからすぐに彼だと分かったのに。


「――デュークに…そして"彼"とも顔を合わせたようだな」


 デュークの名前にやっぱり来たかと肩が強張った。昨日のうちに言及されなかったこと自体がいかしい。本来ならすぐに尋問されるはずだ。
 思わず眉間に皺を寄せてしまったのは、アレクセイから"彼"の話題が出たからだ。…それによって何をされても私の覚悟は出来ている。


「デュークは君を連れ帰らなかったのか」
「いえ、あの人は私を連れ帰るつもりでした。でも、私は…」
「"彼"を置いてはいけない、か」


 私のセリフを引き継ぐように言ったアレクセイの顔を、思わず見上げる。
 彼はいつもより数倍疲れたような顔をしていた。眉間の皺の量はいつもより多い。私と目を合わせた途端、辛そうに瞼を閉じる。


「どんな形であれ、君はデュークよりもこの騎士団を選んでくれた。そう取って良いかね」
「…そうなります。デュークのところにはもう戻るつもりはありません」
「その言葉を聞いて安心したよ。再びデュークの元に行くようなことがあれば、私は君を拘束しなければならなかった」


 デュークのしたことは仕方がないことだと思うのは、私がエルシフルとのことを知っているからであって、帝国にとってはそんな事情は関係ない。デュークは皇帝から皇族の秘宝を盗んだ大罪人だ。"妹"と名乗っている私もタダでは済まないだろう。
 けれどこうして、のうのうと自分の部屋にいられるのは恐らくアレクセイが動いてくれているおかげだ。もし私がデュークと共にこの城を去っていたり、また手紙次第でデュークの元に戻るなんてことになれば、彼は騎士団長として私を捕まえるだろう。


「もう、君だけとなってしまったよ。キャナリ小隊の生き残りは」
「…ダミュロンは、」
「ついさっき、彼に会ってきたところだよ。…彼はもう死んだそうだ」


 昨夜の会話が、再び私の中で蘇る。
 ダミュロン・アトマイスはもう死んでしまった。あの砂漠で、キャナリと共に、小隊のみんなと共に死んでしまった。
 死人は何も望まない。死人は二度も死なない。その必要がない。


「昨日彼に会った君にも分かったはずだ。ダミュロン・アトマイスは死んだ」
「…でも、まだ彼は」
「そうだ。彼はまだ生きている。彼がいくらダミュロンは死んだと言おうと、"彼"は確かに生きているのだ。生きている限り、彼にもやれることがある。…私は彼をもう一度殺すために蘇生させたわけではない」


 昨日のことを思い出し、また泣き出しそうになって声が震えた。
 その声で察したのか、アレクセイも何かに耐えるように長い溜息を吐きだした。


「…キャナリ小隊は、私の夢だったのだよアウラ。千年の間に硬直し、ゆっくりとただ老いさらばえていく帝国に新たな息吹をもたらす、その最初の一歩となるはずだった」
「分かっています…あなたが誰よりもあの小隊を作りたかった事は…」
「彼がいくら否定しようと、彼はその小隊の生き残りだ。私の夢の欠片だ。このまま捨て置くつもりはない。…どんな方法を使っても、私に力を貸してもらうつもりだ」


 アレクセイの演説にも似た強い言葉に、私も顔を上げる。
 視線を合わせた彼の瞳は、悲しみの奥に確かな強い光を宿していた。多くのものを失い、多くの決断を迫られた彼の、強い瞳。
 今までのアレクセイは迷っていた。ダミュロンを生かしたことが本当に正しい判断だったのかと悩んでいるように見えた。…でも、今の彼にはそれがない。
 死にたくて死んだのではない多くの者たちの為に、生き残った者は何をするべきなのか。その答えを見つけたんだ。


「アウラ、君は言ったな。私が私の理想に背かない限り、私の理想にすべてを捧げてくれると」
「…はい」
「今の私は、私の理想に背いていると思うか? 帝国の繁栄と平穏をすべての人々にもたらす。この理想から遠ざかっていると思うか?」
「……っいいえ」


 アレクセイの瞳はあの時と同じ、ひどくまっすぐなものだった。
 多くの者を失ってもなお、生き残った彼にはその責任を果たす義務がある。彼の理想に賛同して力を貸してくれたキャナリたちのためにも。『本当の騎士』が増えることを願っていたみんなのためにも。
 ――生き残った者には、死んだ者たちの願いを果たす義務がある。彼らが成し遂げられなかったことを、やり遂げなければならない。


「ならば力を貸してくれ。私の理想を…死んだキャナリたちの願いを、ここで潰えさせない為に」


 彼の理想は、まだ曲がっていなかった。むしろ戦争前に比べて、再びその決意を硬いものにしたように見える。
 …アレクセイが変わってしまったのは人魔戦争のせいだとばかり思っていたのに。
 彼の差し出された手を見て思い出したのは、キャナリたちの姿だった。集まったばかりの小隊だったのに、他の隊からはないがしろに扱われていたのに、笑っていた。喜んでいた。自分たちが帝国の改革に前進していると分かっていたから。『本当の騎士』の仲間がこんなにたくさんいたことが嬉しかったから。
 特にキャナリは、いつだって強かった。恨みを持つ人だってたくさんいたのに、いつも正しく私たちを導いてくれた。すべては『理想』のために。


「…こんな私で、お役にたてるのなら」


 キャナリたちの夢をここで終わらせたくない。
 彼らの思いを、なかったことにしたくない。
 ――私は再びアレクセイの手を取った。私も迷っている場合じゃない。迷うべきじゃない。どんな形であれ、キャナリたちは死んでしまった。そして私はここにいる。生きて、ここにいるんだ。
 そして、"彼"も。

 覚悟ならとうの昔にすませたのだから。



***



 アレクセイの手をとった数日後。
 気持ちの整理がついた私に、新しい騎士の衣が届けられた。…いつまでも、キャナリ小隊の衣を着ているわけにはいかないから。
 新しい衣の色は、赤だった。アレクセイの衣と同じ色。彼直属の親衛隊にのみ許された紅の衣。
 私はしばらくそれを見つめた後、意を決して着替えを始めた。青い衣を脱ぐたびに、キャナリたちの思い出が遠のいてしまうような気がして、なかなか進まなかったけれど。


「…もう少し。あと少ししかいられない」


 赤い衣を着た自分の姿を鏡に映して見つめながら、私は自分に言い聞かせた。
 私がここにいられるのはきっとあと少し。あと少ししか"彼"の傍にいられない。あと少ししかキャナリたちのために動けない。
 残された時間を後悔したままで過ごすなんて、それこそ時間の無駄だ。


「見ててねエルシフル、キャナリ…みんな」


 腕にある金色のブレスレットを撫で、私は部屋を出た。
 キャナリ小隊にいた頃のものは、全て部屋に置いてきた。誰も目につかない、クローゼットの奥の奥にある鍵のついた箱の中にすべて詰め込んだ。あの青い衣も、羽根の徽章も、あれだけ練習してやっと上手く使いこなせるようになってきた改造弓も。
 "彼の過去に触れる恐れのある物"は全て、見えないところに隠した。


「…やはり君が赤を身に纏っているのには違和感があるな」
「すぐに慣れますよ」


 まっすぐやってきたアレクセイの執務室で、彼は苦笑い混じりそう感想を漏らした。私も苦笑いしか返せない。…似合ってないのは分かってるつもりだったし。
 アレクセイはそのまま、一枚の書類を私へと手渡した。『最重要機密』を書かれたそれの中身は、私が想像した通りのもの。


「読んで覚えたら、すぐにその書類は燃やしてくれ」
「…はい」
「そのあと、すぐに"彼"の元へ」


 そんなに多くのことが書かれていなかった書類から目を離す。目の前にいるアレクセイから笑みは消えていた。
 私も深呼吸をしてから彼と向き合う。


「唯一"彼"を知っている君が呼ぶことで、初めて"彼"は生まれる」
「分かっています」


 私はすぐに魔術で手に持っている書類を燃やした。火をつけた後は、豪華な執務室にしかない暖炉にそれを投げ込む。
 これで、あの書類は灰になった。――"彼"の過去は、完璧になかったことになった。
 灰になっていくその書類を見つめながら、私は書類の内容を復唱する。


 あの帝国を見舞った魔物との抗争を生き抜いた、数少ない騎士の一人。
 平民の出でありながら、卓越した技倆と見識の持ち主。


「シュヴァーン・オルトレイン」


 新しい"彼"。今までも、そしてこれからもそうなるはずの"彼"の名前。
 私は無心でその名前を繰り返した。私の中の"彼"がぼやけるまで、もう二度と呼んではならない"彼"の名前が上書きされるまで。


(私の知ってる"彼"との違和感が消えるまで)



 
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