目が合った瞬間、初めて"彼"と会った時のことを思い出した。
 あの時と同じ、真っ暗な目。自分を押し殺しているかのような目。…いや、もしかしたらあの時よりもっと酷いのかもしれない。
 もう、"死んだ彼"の面影はどこにもなかった。彼は私の知っている"シュヴァーン"に生まれ変わっている。名残も何も、残さないまま。


「……書類にはもう目を通した?」
「ああ」
「…もう、馴染めた?」
「何の話だ」


 目の前にいる男…橙色の衣に身を包んだ"シュヴァーン"は濁った空色の瞳を私に向けた。そのあまりに冷たい瞳に、私は苦笑いを漏らす。
 デュークがやっと優しくなったのに、今度は"彼"が冷たくなってしまった。私を見たまま微動だにしないシュヴァーンを見て、肩を竦める。


「ここだけの話、何度もあなたを呼んで慣れようとしたけど、無理だった。…きっとずっと馴染めない。…騎士団長には言わないでね」
「…お前が"呼び間違い"をしないならな」
「それは大丈夫。言ったでしょ? あなたに似た知り合いがいるって。呼び間違いをしないようにするのは特技になったから」
「そんな話をされた覚えはない」
「………。そうだったね、ごめん」


 目の前にいる彼はシュヴァーンだ。…"彼"じゃない。
 私は私の知っている彼より随分低くて冷たい声で話すシュヴァーンに向けて小さく謝罪した。
 こうなることは分かっていたけど、やっぱりキツいなぁ…。本当に、キャナリ小隊の中で生き残ったのが私だけみたいだ。…そう思わなくちゃいけないんだろうけど。


「"人魔戦争を生き抜いた英雄"として、私とあなたは同じ隊だったっていう"設定"だから、しばらくはなるべく一緒にいるように言われてる」
「それが団長閣下の命令なら、俺に断る理由はない」
「…そっか」


 必要最低限の言葉。一つ言えば十は返ってきたあの頃が嘘のよう。
 アレクセイには抜け殻のようなシュヴァーンをサポートしてやれって命令されたし、それが私の望みでもあるわけだけど…会話一つするだけでこんなに落ち込むとは思わなかったな。
 でもこれから先、私がどんなに落ち込もうと関係ない。私は彼を一人にはしない。


「シュヴァーン」
「なんだ」
「呼んでみただけ」


 からかうように呼んでみるものの、彼が表情を変えることはなかった。
 それでもいい。あなたが…あなたやキャナリたちが私にしてくれたことを、今度は私が返すのだから。
 あなたが笑わないのなら、私が笑う。あなたが心を閉ざすなら、私が開く。
 ダミュロン・アトマイスは死んだ。けれど"彼は生きている"――。
 私は再びそう自分自身に言い聞かせた。



***



 シュヴァーンと行動し始めて、数か月が経とうとしていた。
 相変わらずシュヴァーンの態度は変わらず、私はただ落ち込む日々が続いている。
 アレクセイの情報操作のおかげで、私とシュヴァーンはしっかりと騎士団内で"人魔戦争を生き抜いた英雄"として認識され、誰からも尊敬の眼差しで見つめられるようになった。
 こうも簡単に情報が浸透したのは、やっぱり昔の私たち…キャナリ小隊の頃を知る騎士たちがほとんど人魔戦争で命を落としたからに他ならない。
 シュヴァーンの雰囲気ががらりと変わったおかげで、彼だった男を知る騎士も中にはいるかもしれないがそれに気付く者もいない。私はといえば、元々噂が一人歩きしていただけで、キャナリたち以外の騎士とは話す機会がなかったから詳しく私を知る騎士はいない。"バンタレイ家の騎士"という噂に"人魔戦争の英雄"という肩書が上乗せされただけだ。


「おはようございますっアウラ殿!!」
「あ…おはようございます」
「おはようございます!!」


 騎士団本部の廊下をただ歩いてるだけでこれだ。ここにいる限り、他の騎士と顔を合わせるのは承知の上だけど、視線だけ集めていた昔と違ってよく声をかけられることが多くなった。
 私が通ることによって道を開けられることは変わらないけれど、有名人を見るような視線が今では尊敬の眼差しを向けられるようになっている。まるで今日私に会えたことが幸せだと言わんばかりにみんな嬉しそうに声をかけてきていた。挨拶を返せば光栄だと言わんばかりに笑顔は再び輝く。


「(みんな憧れの"英雄"か…)」


 英雄なんて理想上の存在で、まさか自分がそう呼ばれることになるなんて思いもしなかった。…情報操作の賜物だけど。
 大半の騎士たちは人魔戦争で命を落としてしまったため、現在の騎士団本部は前よりも閑散としている。アレクセイが必死になって人員補充をしてやっとまばらに騎士が増えてきているけど…。
 シュヴァーンがあんな性格になってしまってから、こういった寄ってくる騎士たちの対処は私の役目だった。だからこそ愛想笑いが板についてしまって、無愛想なシュヴァーンよりも私に集まってくる騎士が多くなった。


「やりたくてやってるわけじゃないんだけどな…」


 私も、シュヴァーンも、本当は英雄なんかじゃない。
 尊敬の眼差しを向けられる度、私はそう怒鳴りたくなる。人魔戦争という言葉を聞いただけで、心臓が抉られる感覚がする。
 ――キャナリたちが死んだあの時に開いた穴は、少しも塞がらない。
 でもそんな私の隣にはシュヴァーンがいた。黙って"英雄"になっている彼がいた。彼は他の騎士たちに言い寄られようと表情を一つも変えないし、言葉も返さない。でも私にはわかった。彼は表に出さないようにするだけで必死なんだと。自分はシュヴァーンだと言い聞かせているだけなのだと。
 だとしたら、私が盾になるべきだ。人間、そう言い聞かせてもすぐには出来ないもの。だからシュヴァーンがちゃんとシュヴァーンになれるまで、私が彼の盾になるべきだ。
 ――愛想笑いが癖になったのはその時からだった。


「(キャナリたちの為に、私が彼を守らなきゃ)」


 大切なものを一度に失った彼が、シュヴァーンとして立ち直るまでは。例えそれが仮初めのものだとしても、彼が生きることに必要なら。
 目的地である訓練場に辿り着いた私は、こんな朝早くから先客がいることにも驚かずにゆっくりと剣を交える二人の男に歩み寄った。
 アレクセイとシュヴァーン。この数か月間、彼らは剣に没頭していた。とはいってもアレクセイがシュヴァーンに技を教えているというだけなのだが。


「おはようございます、団長」
「アウラか…おはよう」


 私の姿を確認したアレクセイとシュヴァーンは剣を下ろした。
 戦争が終わってから忙しいアレクセイは早朝しか時間がとれず、いつもこの時間帯にシュヴァーンの相手をしている。
 シュヴァーンは、武器を変えた。…変えたっていう言葉は今の彼にとって間違っているのかもしれないけど、シュヴァーンは何かを忘れるように毎日毎日剣を振るい続けていた。朝は団長が、その他なら私が相手をしている。私が他の仕事をしているときは一人でも振るい続けているみたいだ。


「今日はここまでだな、シュヴァーン。とはいっても、私が教えられることはもうすべて教えたのだが」


 汗を垂れ流すシュヴァーンに対し、軽く息が上がっただけの団長がそう微笑めば、シュヴァーンただ軽く頭を下げた。
 無言の礼、アレクセイは苦い顔をした後、同じく良い顔していなかった私へと視線を向ける。


「アウラ、今度は君が彼に指導してもらえないか」
「え? いや…私の腕では彼に教えられることなんて…」
「剣ではない。魔術の方だ」


 アレクセイは私の肩に手を乗せ、頼むよと笑みを浮かべる。
 シュヴァーンとの訓練は私が見てもらっているようなもので、彼もアレクセイとやる時に比べて肩の力を抜いていた。彼がこんな調子だから喋るのはいつも私の方で、訓練はやっぱり居心地の良いものじゃなかったけれど。
 …だけど今度は、私が彼に魔術を教える。


「…魔術の実力も必要だと仰るなら」
「ああ。頼むぞシュヴァーン」
「団長、でも…」
「今の彼なら問題なくこなせる。協力してくれ、アウラ」


 今の彼になら。その言葉にまた心臓に針が刺さったような感覚がした。
 もしシュヴァーンじゃない彼だったら、私みたいな普通とは違う魔術を扱うことは出来なかっただろう。リタが私に教えることを難しそうにしていたように、私の魔術はみんなのとは違う。その真相に近づかなくても、アレクセイはそれを分かっているはずだった。私と一戦交えた彼なら。
 今の彼がそれをできるというのは、単純に彼が所持している魔導器(ブラスティア)の違いだ。今の彼が持っている魔導器は心臓魔導器(カディスブラスティア)という特別な物。上級の魔術も難なく扱えるだろう。


「…分かりました」
「ありがとう、アウラ」


 アレクセイがそう言うなら、私も断る理由がない。
 誰かに何かを教えるなんて事、この世界に来て一度もなかったから違和感がある。…ましてや相手がシュヴァーンだなんてうまくやれる気がしない。
 内心ため息をついた私に、アレクセイが再び難しい顔をして告げる。


「…それと、ヨーデル殿下のことだが」
「……」


 切り出された内容に、私も彼と同じく眉間に皺を寄せてしまった。
 ――戦争に出て以来、城に帰ってきてもヨーデルと顔を合わせることはなかった。キャナリ小隊が無くなっても、ヨーデルがいなくなったわけじゃない。どんな形であれ、私はこうして彼との約束通り帰ってきたわけだから、一度挨拶に行くべきだとは思っていたけど…それを拒んだのは評議会だった。


「デュークの一件以来、陛下が崩御したことも重なり、バンタレイの名に不審さを抱く人間が多くなった。…殿下はまだ君の復帰を願っているようだが評議会がそれを許さない」
「…あれだけ顔を売ったのが、逆効果になってしまいましたね」
「君のせいではない。だが、騎士団としても陛下が崩御したことによって再び評議会との溝が深くなってしまった。…あれだけ君が頑張ってくれたのに、全てが水の泡だ」
「いえ。皇帝家の秘宝を奪った男の妹を信用できないのは当然のことです。…あなたが私を騎士団に残してくれていることも、奇跡に近い…」
「君の力が必要だというのに、拒む理由がどこにある?」


 アレクセイがそう微笑み、私も苦笑を返した。
 せっかく良好になり始めていた評議会との仲は、皇帝が崩御したことによって再び険悪になってしまった。…もしかしたら、前よりももっと悪くなってしまったかもしれない。アレクセイが予想していた、次期皇帝候補の話がそのままになってしまった。
 それによってヨーデルの護衛であった私は勝手に外され、今はもうヨーデルと会うことすらできない。…せめて、無事であることを会って報せたかったんだけどな。


「…殿下も君に会いたがっている」
「でも、評議会は許しません」
「私がなんとかする。昔のように長くは稼げないが…」


 思ってもいないアレクセイの提案に、私は顔を上げた。
 昔のように、私とヨーデルがこっそり街に出ている間という長い時間はさすがにもう評議会の目を誤魔化すことは不可能。向こうもアレクセイと長く一緒にいたくないはずだ。
 それでも、少しでもヨーデルと話せる時間が作れるのなら。顔を上げた私に、アレクセイは強く頷く。


「では、今日の夜に」
「…分かりました」


 そう言い残し、アレクセイはマントを翻して訓練場を去って行った。残された私とシュヴァーンの間にはいつものような沈黙が流れる。
 顔を合わせて、無事を報せて、ヨーデルはどう反応するだろうか。"たった一人"だけ戦いから逃れ、生き残った私をどう思うだろう。…優しい彼のことだから、きっとアレクセイのように受け入れてくれるんだろうな。
 …でも、


「ごめんね、個人的な話で。このまま訓練続ける? ちょっと休憩してからにする?」
「続け…、……」
「シュヴァーン?」
「…いや、少し休憩する」
「そう…?」


 一瞬でも珍しく言葉を詰まらせ、休憩のため隅に移動する彼を見送り、私は訓練場の真ん中で一人立ち尽くしていた。
 常に腰から下げていることにもう慣れてしまった剣を抜き、眺める。
 あまり使用しないせいか、美しさを保っているその剣には、酷い顔をした自分の表情が写っていた。


(このまま訓練を続ければ彼女が怪我をする)
(心の奥底でそう意識したことに、彼は気付かない)


 
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