前は何度も出入りしたヨーデルの部屋に入り、彼と顔を合わせた瞬間、私は視線も合わせずに跪いて頭を下げた。
 ヨーデルからは何も言葉がない。ただ私に視線を向けていることだけは分かった。
 私はただ謝罪の言葉を述べた。評議会からの許しが出なかったとはいえ、主であるはずのヨーデルに何の言伝もなかったのは私の非だ。
 ヨーデルのおかげでデズエールに行くことが出来たのに。キャナリたちの最期を知ることができたのに。


「…約束、覚えていますか?」


 謝罪をしたその直後に、ヨーデルは小さくそう問いかけた。
 私は顔を上げないまま、戦争に行く前、彼と交わした約束を思い出す。必ずこの城に帰ってくること。そして、また一緒に街を散策すること。…忘れるわけがない。私はその約束を胸にデズエールまで行ったのだから。
 でも私は答えなかった。…そう答えてしまったら、その約束を果たすのが私の責務になってしまうから。
 帰ってくる約束は果たせた。…でも、前のように二人で出歩くことは叶わない。


「ヨーデル殿下、私はもう…」
「あなたはもう僕の騎士ではありません。…僕だけの騎士でもありません」


 ――だから顔を上げなさい、アウラ。
 ヨーデルがそう言うのなら従わないわけにはいかなかった。私は眉間に皺を寄せたまま、ゆっくりと顔を上げる。
 視線を上げた先には案の定ヨーデルが立ってこちらを見つめていた。


「あなたの無事が分かった瞬間から覚悟はしていました。…戦争前のあなたなら、僕に直接言いに来てくれると分かっていましたから」
「……」
「戦争のこともアレクセイから聞きました。…あなただけが難を逃れたと。あなたがどれだけのものを失ったのかも」
「…軽蔑してくださって構いません、殿下。私は難を逃れたのではなく、戦場にすら立っていなかったのです」


 自分でもよく分かるほど声は震えてしまっていた。それでも必死に言葉を紡いだ。
 私は"たった一人"生き残った。彼らと同じ戦場に立つためにヨーデルの元を離れたのに。彼らと共に戦う為にあなたを置いてきたのに。
 上げた顔を、再び下げた。あの時のように気持ちが爆発しそうになってしまったからだ。瞼に集まるこの熱を流すことは、私には許されない。


「――僕が軽蔑したら、あなたはちゃんと泣くことが出来ますか?」


 小さくて温かな両手が壊れ物を扱うかのように私の両頬を包み込み、顔を上げさせる。
 私と同じく膝をついたヨーデルの顔が、目の前にあった。
 宝石のようにきらきらと輝いた青色の瞳が、呆れるでもなく、憐れむでもなく、ただ私をまっすぐ見つめている。


「ずっとそうやって我慢してきたのですね、アウラ。泣くことは許されないと…そう自分を責めているのですね」
「…許されません。私はただ、死にゆく彼らを見殺しにしただけ…」


 戦争の真実を知るアレクセイは私を責めない。"彼"だったシュヴァーンは当然のごとく私を受け入れる。私を罰する人はいかった。だからこそ、私は私を許さない。
 キャナリたちの死が必然だったとしても、私はその上でデズエールまで赴き、彼らと最後まで戦う為に戦争に参加した。…なのに、それすらも出来なかった。私はただ仲間を見殺しにしただけ。
 ヨーデルの手をそっと離し、私はその熱に耐え続けた。


「本当なら、こうして城にいる権利もありません。評議会のごたごたがなくても、私は殿下のお傍にいる資格などもうないのです」
「それでもあなたは、自分から城に残ることを選んだ。権利がないというあなたが。…それも自分が許せないからですか?」


 耐え続ける私の顔を覗き込むように、ヨーデルは問い続ける。
 まっすぐな瞳と強い声に、私は戦争後ずっと耐え続けていたものが溢れそうになった。


「…違うよ。全部、私の自己満足」


 ヨーデルと視線を合わせないまま、私は自分を嘲笑った。


「私が私を責めることなんて誰も望んでない。…そんなこと分かってる。みんな優しい人たちだから、私がこうしていつまでもうじうじしてるのを望んでるわけない」
「……なら、どうしてあなたは自分を責めるのですか?」
「そうじゃなきゃ、彼を守れない」


 跪いたままだった私は腰を上げた。それに続いてヨーデルも立ち上がる。
 私の知ってるヨーデルよりも少し身長が伸びたみたいだ。私より小さかった彼はいつの間にか私を追い越そうというところまできている。
 私は今、とても情けない顔をしているはずなのに、ヨーデルはなぜか嬉しそうだった。


「ごめんなさい、ヨーデル。もうあなたの傍にいられない。死んでいった仲間の為にも、一人にしちゃいけない人がいるの」
「…良かった。あなたはちっとも変っていない。強いアウラのままだ」


 顔を綻ばせたヨーデルは、そのまま私を柔らかく抱きしめた。
 街に足を運び、自由になったとき。こんな風にヨーデルは時々私に甘えるように抱きついてきた。私も子供あやすそれのようにそれを受け入れていた。
 でも今はいつの間にか成長した彼が、私を受け止めてくれている。身長はまだ私の方が上のはずなのに、それを感じさせないほど優しく包み込んでくれた。


「私は強いんじゃなくて卑怯なだけだよ、ヨーデル」
「どんな言葉でも僕の大好きなあなたに変わりはありません」
「…ありがとう。私もヨーデルが大好き」


 ヨーデルの好意を素直に受け取り、私も彼を優しく抱きしめ返した。
 …彼がここまで成長するほど、年月は経ってしまった。変わっていくもの、変わらないものを見つけて当然だ。


「…もう行かなくちゃ。長く評議員の相手を団長にさせるわけにはいかないし」
「今の僕に力があれば、評議会を言いくるめることも可能なのですが…」
「ヨーデルは悪くないよ。…約束が破っちゃう私が悪い」


 そもそもデュークのことがあったから事がややこしくなったのだ。ヨーデルは何も悪くない。
 身体を離してそう微笑めば、ヨーデルは私の両手を握った。


「約束は破ってもらいたくありません。結構、楽しみにしていたのですから」
「え……でも…」
「だから、約束の期限を引き延ばしてもらえませんか?」
「引き延ばすって…」
「僕が皇帝になれば、誰も僕たちの邪魔はできませんよ」
「は…」


 にっこりと微笑みながら、それでも目は真剣にヨーデルはそう言いきった。
 さすがに予想外だった私は、呆けて口が開きっぱなしになってしまう。
 ヨーデルは野心家だっただろうか。…確かに、皇帝になることに否定的になっている描写はなかったけど…。


「だから僕が……私が皇帝になったそのときは、また二人で帝都を回ってくださいね、アウラ」


 約束です。そう微笑むヨーデルに、私は開いた口を閉じる。
 …心配なんかしなくても、ヨーデルは立派に皇族としての義務を果たそうとしていた。評議会でどんな扱いを受けているのか彼には分かっているはずなのに。それでも彼は断言してくれた。


「…うん。約束ね」


 私は一旦ヨーデルの手を離し、金のブレスレッドを外すとそのままヨーデルの手首にそれを取り付けた。
 元々高価そうだったそのブレスレッドは品位のあるヨーデルによく似合う。私は無意識にそう頷いていた。


「…これは?」
「私の恩人の形見」
「えっ? そ、そんな大事なもの…!」
「お守りみたいなものだと思って。約束の証だからね」


 私とヨーデルがまた二人で会えた時に、返してくれればいいから。
 恩人の形見だと大慌てになっていたヨーデルは私のその一言で落ち着きを取り戻し、やがて仕方がないと言わんばかりに微笑んだ。


「だから大切にしてよ?」
「はいっ勿論です! 宝物にします!」
「いや、そこまでしなくても…ていうか、毎日磨くとかしなくていいからね?」


 喜んでくれるヨーデルとブレスレットを見て、私はふとエステルの話を思い出す。ヨーデルはブレスレッドを大事にしていたと。
 金のブレスレッドは年月が経っているはずなのに、未来のそれと見た目はまったく変わらなかった。つまりそれはヨーデルがやっぱり大事にしてくれていたということで、そこまで大事にしなくてもブレスレッドは壊れないだろうと私は思わずヨーデルに告げる。


「(…私には、ヨーデルにこれしか残せない)」


 エルシフルとアウラさんの形見。本当なら私がずっと持ってなければいけないもの。
 だからこそ私はそれをヨーデルに"託す"のだ。未来で、彼は確かに私にこれを返す。アウラではないはずの私に、二人きりで話せた約束を果たせたと。そしてブレスレッドは確かに私の手に戻ってくるのだ。
 ――これから死んで未来に帰るのに、酷い約束だ。
 私はヨーデルも、一人にしたくないというシュヴァーンも置いて行ってしまうのに。
 今は笑ってくれているヨーデルも、きっと…。


「アウラ、あなたがたくさんの仲間を失ったのは分かっています。でも…」


 今のようには笑ってくれない。
 私は本当に自己中な人間だ。未来で再会できるとはいえ、優しい彼に破られる約束を取り付けてしまうのだから。


「あなたが生きていてくれて、本当に良かった」


 私の無事を心から喜んでくれる彼を、置いて行ってしまうのだから。



***



 あの後、多勢の評議員の人間を相手によく耐えてくれていたアレクセイと合流し、ヨーデルと話が出来たことを報告して自室に戻った。
 アレクセイには本当にお礼をしてもしきれない。予定よりも長くヨーデルと話すことが出来たのだから。アレクセイ自身はお安い御用だと笑っていたけど。
 こうして自室に帰るのも夜遅くになってしまった。まだ明日の準備とかあるし、明日の朝も早い。少しでも寝る時間があればいいんだけど…。
 どちらにせよヨーデルと話せたことは良かった。そう自然と顔がニヤつきながらも自室に向かっていたその時、部屋の前に人影があることに気が付く。


「…シュヴァーン」
「明日の予定だ」
「うん…」


 私の部屋の前でずっと待っていたのだろうか。シュヴァーンは私の姿を見つけると寄りかかっていた壁から身体を離し、私に書類を渡してきた。
 基本的に行動を共にしているシュヴァーンの予定は私が管理にすることになっている。まだちゃんとした役職のない私たちは大っぴらに何かをするようなことはない。
 いつものように私に書類を手渡し、そのまま帰ろうとするシュヴァーンを私は深呼吸をしてから呼び止める。


「これから言う事、全部独り言だから聞き流してね」
「…?」
「――私は罪滅ぼしの為に騎士団を選んだわけじゃない」


 帰ろうとしていた目の前の彼が微かに目を見開く。
 微かな表情の変化とはいえ、彼が無表情を崩したのはいつ以来だろう。…いや、その気になればいつだって無表情じゃない彼を見ることが出来た。
 それをしないのは、彼が無表情を崩すとき…それが彼のトラウマを抉るときだから。


「確かに私は私を許さない。だからもう、泣くなんてことは出来ない」
「……」
「でもそれは私が勝手にやってること。私が勝手に、そうしてるだけ」


 シュヴァーンは黙ったままだ。勿論独り言だから、返すようなことはしない。
 でも、これが聞くに堪えないものだったら…本当に、彼の傷を抉るだけのものだったら…彼は私を殴ってでもこの口を止めてくれるだろう。
 それをしないのは、まだ私の声が彼に届くということだ。


「私は彼を忘れない。彼を守るのは私の意思。ただ幸せになってもらいたいっていう私の我儘」


 彼が過去を忘れても、私は覚えてる。…絶対に忘れてなんてやるもんか。
 戦争前、"彼"と和解をしたときに言った自分のセリフも覚えてる。あれは何の責任もなく言った言葉じゃない。


「――空っぽだなんて言わせない。あなたには私がついてる」


 たとえ私の我が儘だったとしても。私の独りよがりだったとしても。
 あなたがその道を自分で選んだように、私も自分で選んだ道を貫くよ。
 誰になんと言われようが、あなたを守ってみせる。あなた自身に拒絶されても、私は傍にいる。…命が尽きるその日まで。


「だから…簡単に命を投げ出しちゃ駄目だからね」


 私の言葉がちゃんと届いていたのかは分からない。だけど、最期までシュヴァーンは私を止めようとはしなかった。深い傷を抉るような行為をしたのに。
 顔だけを私に向けていたシュヴァーンは長い沈黙のあと、結局何も言わずに私の前から歩き去ってしまった。
 答えがあるだなんて期待していない。…ただ、頭の隅にでも私の言葉が残ってくれていたらいいと、そう願った。


(これはキャナリたちへの償いになるのかもしれない)
(でも私は、私の意思で彼の幸せを守る)



 
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