荒削りの"愛してる"



これの続き


「ああそうだな。束の間の家出は楽しかったか?」

不意打ちかのように名前とバッチリと目があってしまった。言葉を選んで声をかけようと思っていたはずなのに、そのせいで無意識に棘のある言葉が出た。
一方、名前はクラピカがここにいる事にまだ理解しきれておらず、目をぱちぱちとさせている。

「クラ、ピカ。…なんで」
「名前を迎えに来ただけだ」

二言目はしっかり言葉を選んだつもりだ。クラピカは防波堤に腰かけている名前の横にそっと片膝を立てて座った。

「別に、そんなの頼んでないわ」

弱々しくそう言った名前は、こちらには一切視線を向けず膝に顔を埋めた。まるで不貞腐れた子供だ。

「本当に夜風に当たりたかっただけか?」
「…センリツからどこまで聞いたの」
「名前が夜風に当たりたいと屋敷から出たこと、ちょうど海岸辺りまで来てること。それくらいだ」
「そう」

名前の表情は一切見えないが、肩が震えて微かに鼻をすする音が聞こえる。

「泣いて、いるのか?」
「泣いてない」
「嘘を吐くな」
「別にクラピカにはどうだっていいじゃない。放っておいて」

名前は手をヒラヒラと振って、あっちへ行けと仕草で示した。話も聞く気は無い様子だし、突然泣き始めたと思えば邪魔者扱いだ。痺れを切らしたクラピカはヒラヒラと振られた名前の左手首を掴んだ。

「放っておけないから迎えに来たんだろ。いい加減こちらを向いて話を…」

ぐいっと引き寄せると、膝に埋められていた顔がこちらを向く。ぼろぼろと涙を流し、頬は紅潮していて、唇はぐっと噛み締められていた。
先の夢に出てきた彼女と重なり胸がざわつく。違う、そんな顔をさせたい訳じゃない。

「クラピカ。手、いたい」
「ッ、すまない」

痛い、と切に言う名前に沸騰寸前までいっていた苛立ちは氷を入れたかのようにすっと収まっていく。そんな顔されたら何も言えなくなる。
掴んだ手首を離し、名前から視線を逸した。ゆらゆらと揺れる水面を見つめ自分は何がしたいのかと自問する。
ただ彼女を連れ戻そうと迎えに来た。何故。それはクラピカにとって彼女が必要、だから。

「私の、せいか?」
「…」

名前は何も答えない。クラピカは気にせず、話を始めた。

「夢を、見たんだ。その夢には君がいて今みたいに泣いていた。名前とは付き合いが長いと思っていたつもりだったが、私は名前の泣き顔はおろか涙すらみたことがなかった。」

何の脈絡もなく話し始める。いつもなら簡潔に言いたいことや結論から言うクラピカが、だ。
名前はそっとクラピカに視線を向けるも合うことはなかった。

「そして夢の中の君は、別れの言葉と共に私の前から消えた。正直センリツから名前が屋敷から出たと聞いたときは、正夢になったかと思ったよ。夜中に人気のない海に来て、死ぬ気だと…」
「流石にそこまでは考えてなかったよ」

今にも消えそうなくらい悲しい横顔に耐えられなくなって名前は口を開いた。

「私ね、何もできないの。だから逃げようとした」
「そんな事はない。名前は必要な人材だ」
「人材、ね。私の能力の事なら、言ってくれればいつだって提供するわ無償で。だから、もういいでしょ」
「良いわけ無いだろう」
「そんな我儘言わないでよ。一人で全部背負い込んで、勝手に疲弊して。見てるこっちの身にも…」

途中まで言いかけたところで体がぐいっとクラピカの方に引き寄せられた。

「もう!何も失いたくないと思うのは間違いか?」

クラピカは勢い良く名前をかき抱いた。ぎゅうぎゅうと腕の力が増していく。並の人なら折れているであろう力加減だ。

「私は、私には…。名前が必要なんだ。」

名前は優しく腕を背中へ回し、少し震えるクラピカを落ち着かせようと金髪を撫でた。これを寝ているクラピカにしてやると、眉間に皺を寄せて苦しそうな表情が少しだけ和らぐのだ。
幾分か腕の圧は緩んだものの、クラピカは名前を離す気はないらしく抜けられない程度の力はかかっていた。

「ねえ、クラピカ」
「断る。」
「まだ何も言ってないじゃない。」
「絶対に離さない。」

こうなってしまったら落ち着くまではクラピカは離してくれない。諦めた名前はそっとクラピカの胸に体を預けた。とくんとくんと一定のリズムを刻む心音が聞こえる。その心臓にはまだ彼自身の念でできた刃が刺さったままだ。
離してくれないのなら、いっそのこと私の心臓にも刺してくれれば逃亡すらできないのに。と、思う名前には逃亡の意思などもう残っていなかった。

「…好きだ。好きなんだ。愛しているんだ」

数秒、いや数分の沈黙を破ったのはクラピカだった。聞こえてきた言葉に名前は目を白黒させた。クラピカにそんな愛の言葉を言われたことがないからだ。
何となく、流れと成り行きで事実上の交際関係にはあったが、肝心のキッカケが欠落していた。だからこそ彼女にとってはクラピカとの関係はふとしたときに切れてしまう糸のようなものだった。

「え…?」
「だから!愛していると言ってるんだ!」

上手く言葉を飲み込めなくて、聞き返すと抱きしめる力が強くなった。

「クラピカからそんな言葉、初めて聞いた」
「…ああ。今までこの手の言葉は言ったことはない」

甘く胸に響くはずの愛の言葉が、クラピカの焦燥を含んだ言い方とは何ともちぐはぐで、おかしくて笑う。

「なぜ笑う!」
「ううん、何でもない。」

言葉ひとつ、されどひとつ。心にあったモヤモヤした何かがすうっと消えた。

「全部全部抱え込まなくっていいんだよ。クラピカが背負うもの、少し私にもくれたって問題ないでしょう?」
「名前には到底背負いきれるとは思わないが」
「なにそれ。そんなこと言うなら今度こそファミリーから抜けるわよ」

嫌味っぽく言うクラピカに文句のひとつでも、と顔を上げた。

「別に背負わなくていい。この先、私のそばにいてくれればそれでいい」
「当たり前じゃない」
「今しがたまで家出していたやつの言葉とは思えないな」

クラピカはふっと表情を緩めた。

「…私ね、クラピカのそうやって眉を下げて笑う顔が大好きなの」



タイトル︰「確かに恋だった」