対価は労働力



予想通りというべきか、ナマエちゃんは今日はジェイドくんを指名した。オレ以外指名したことのないナマエちゃんが。
それがすごく気に食わなくてイライラする。バイト中に私情をはさむなんてオレらしくない。
今はお客さんはナマエちゃんを含めて数人しかいないし、やる事も前倒しでやってしまったので手持ち無沙汰だ。
はあっとため息をついて、グラスでも磨こうとタオルを手に取った。
しかし、この間中庭で2人がキスをしていた姿が頭をよぎる。何度頭を横に振ってもその光景が離れなくて集中できない。

「仕事に集中できてないようですね。貴方らしくない」
「アズールくん。何しに来たんスか」

胡散臭い笑顔で厨房が見えるカウンターまでやってきたアズールくんはくいっと眼鏡のブリッジを上げた。

「ラギーさんがお悩みのようだったので。どうです?僕に相談してみては。学業から恋のお悩みまで何でも聞いてあげますよ」

カウンター越しにそう言うアズールくんは既にビジネスモードに入っている。オレは手に取ったグラスを拭きながら、少し考えてこう答えた。

「時給上げて欲しいとかでもいいんスか?」
「それはラギーさんの働き次第です」
「オレ結構頑張ってると思うんスけどねぇ」
「それはどうでしょう?今のラギーさんの頑張りは僕も評価しています。しかし、"太客"がいなくなってしまえばラギーさんの時給アップも夢のまた夢になってしまいますが」

太客、アズールくんはそう言った。オレの太客なんてナマエちゃんしかいない。
何となくだけど、最近ナマエちゃんがオレに興味を示さなくなったり、妙にジェイドくんと仲がいい理由をアズールくんは知ってそうだ。

「…アズールくん、ナマエちゃんのこと何か知ってるんスか」
「さあ?守秘義務がありますのでお答えできません。」

アズールくんが話してくれるなんて期待はしていなかったが、何か1枚噛んでそうなのは確信できた。

「ですが、僕は今のラギーさんのお悩みの相談相手にはぴったりだとは思いませんか?」

オレが何も言わないでいると、アズールくんはこう持ち掛けてきた。あんまり人の策にハマるのは好きじゃないけど今回だけは、とアズールくんに乗ることにした。

「…何が目的ッスか」
「いやあ、来週のシフトで欠員が出てしまいまして。ぜひラギーさんにお願いしたいんですよ」

やっぱりな返答が返ってきた。
まあ、オレの労働力くらいくれてやるッス。どうせ時給発生するし。
それにナマエちゃんの奇行の理由が分かって、あの胡散臭いウツボを彼女の周りから排除できるなら数日労働が増えるくらい別に問題は無かった。


*


「── それでラギーさんはどうしたいんです?厄介者の排除?それとも彼女、ナマエさんを自分の物にしたい?」

どうせ分かってるだろうと思いナマエちゃんの名前を出して今までの経緯を話した。アズールくんから返ってきた言葉は"オレがどうしたいか"だった。それにオレは言葉に詰まってしまう。

「それは…」
「1つ言うならば、彼女はラギーさんへの気持ちは変わっていませんよ。今はまだ、ね。」
「今は?今後はどうなるか分からないって事スか?」
「女性の気持ちの変化は海の天候よりも変わりやすいものです。何かのキッカケさえ起こってしまえば、ナマエさんはサバンナのハイエナよりも厄介者のウツボに鞍替えしてしまうやも知れませんね。」

鞍替えという言葉に耳がピクッと反応した。もしナマエちゃんがジェイドくんを選んだら、と脳内でシュミレーションしてみる。ナマエちゃんがジェイドくんの隣で嬉しそうに笑うその光景は受け入れがたいものだった。
オレの中にある名前をつけなかったこの感情はアズールくんの言葉によりすとんと入ってきた。同時に沸々と狩猟本能がぶり返してくる。
1回でもオレの懐に入って来ようとしたんだ、逃すワケがない。

「鞍替えなんて…、絶対にさせねえッス」
「おや、気付いたようですね。ご自身の気持ちに。それでは僕は戻りますね。おかげさまで最近色々と忙しいんです。ラギーさん、来週のシフトよろしくお願いしますね。」

それだけ言うとアズールくんは厨房から出ていってしまった。いくら今の時間が客足が無くても経理や今後の方針など、やる事は山積みなのだろう。
オレは乾いたグラスを再び拭き始めた。明日からナマエちゃんの首を狙いに行くその策を練りながら。せいぜい今はウツボと仲良くしてればいいッス。


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