A’’ V
 誕生日当日、二人はリビングで肩を寄せ合いその時を待っていた。午前十時に結果が届くのを。
 命運を分ける日が近付くにつれ、一日を泣いて過ごすようになった名前は最近仕事を休んでいて、零も合わせて溜まっていた有給を使用した。
 逃げる準備は整えてある。机上の茶色い小瓶を濡れた瞳に映す名前の頬に零は口付けた。
「大丈夫。何があっても離れない。きっといつか、二人で幸せに生きることができる。それまで堪えよう」
「零、何でなのかな。何で、わたしたちは幸せになれないのかな、いつも、いつも...」
 はらはらと涙の流れる頬を両手で包んで額を合わせる。
 二人の脳内には蘇る哀しみの記憶があった。
 誕生日を迎えたこの夜、眠る二人は同じ記憶の夢を見た。
 今では見慣れない着物に身を包んだ二人が、身を寄せ合い刀で胸を貫き絶命したこの輪廻の始まり。二度目は銃弾に倒れた零と、命を共有していたために死へ引き摺られた名前。そして三度目となる今世でも、やはり二人が結ばれることはなく、その生命を共に終えようとしていた。
 死ぬ時の強すぎる痛み、苦しみ、悲しみの記憶が二人を飲み込もうとしている。死ねば楽になると記憶の闇に囁かれ、零は思わず目の前の小瓶に手を伸ばした。
 手首に巻かれたデバイスが音を立てて零は我に返った。不自然に宙に浮いていた手に自分が闇に飲まれそうになっていたことを知る。
「...零...」
 震える存在を優しく抱き、零はデバイスにゆっくりと指先を近付ける。通知を押すと恋人適性診断結果案内と見出しが浮かび上がり動きを止めた。
 結果を知ってしまえば全ては終わる。唯一欲した存在も己も死を迎え、物言わぬ骸から灰となり、やがてまた双子として生れ落ちるのだろう。決して結ばれない地獄のような生を繰り返す、終わらない輪廻の呪い。
「名前、いつか報われる日が来ると俺は信じているよ」
「......わたしも。きっといつかは来るよね」
 抱き寄せる手に名前のものが重ねられると、零は小さく息を吐き映し出される文書を指でなぞった。
 示されていた適性診断の結果に二人は息を呑み、やがて肩を震わせ嗚咽を漏らす。涙で滲む視界の中、名前は自身のデバイスを立ち上げ、相応しい結婚相手として記載された降谷零の名を確認するとその胸に顔を埋めた。
「れ、い...零...!」
「やっと、やっと結ばれた...!」
 名前の柔らかな髪を梳き降谷は頬に口付けを繰り返す。顎を掬うと同じ形の唇をぴったりと重ね、その息さえも奪った。
「名前、愛してる、愛してる」
「わたしも、零を愛してる。嬉しくて...死んでしまいそう」
「死ぬなんて許さない。やっと二人で生きて幸せになれるんだから」
 涙でぐずぐずになった妹の顔を正面から見つめ兄は愛を囁く。
「今まで幸せにしてやれなかった分、俺の全てをかけて、この先何度生まれ変わってもお前を愛し、幸せにする。だから俺と結婚してくれるか?」
 名前は嗚咽に言葉を奪われ出来ない返事の代わりに、誓いのキスを贈った。前世の自分たちの分もきっと幸せになると。

 零から赤井に連絡が届いたのは丁度仕事を終えた5時だった。自殺でもしてしまうのではないかと考えていたために、赤井は仕事が手につかず、あの日の零のようにミスを連発していたのだが、最悪の結果は免れたらしいと、ほっと息を吐く。それが示すのは二人の愛が許されたということなのだから。
 食事に来い、と自宅に誘う連絡に赤井は笑みを零し酒の調達に向かった。
 双子の家に着くと、瞳を赤くした名前が赤井を迎え入れた。一瞬どきりとしたが、左手の薬指にはめられた指輪に安堵する。
 通されたリビングのソファでは零が緩み切った表情で名前を呼んだ。名前もふわふわとした笑顔でその隣に腰を下ろし擦り寄る。何を見せられているんだろうか、そんなことを思いながらも、幸せそうな二人に赤井は自分の胸に広がる喜びを感じていた。
 初めて名前に出逢った日、一目惚れしたのだと思う。自分を好きになって欲しい気持ちは確かにあったが、二人に幸せになって欲しい気持ちの方が何倍も大きかった。愛し合う二人に兄妹だろうと戸惑いながらも、結ばれるべき二人だと、報われるべきだと強く願い、それは今現実となった。
「二人とも、おめでとう」
 赤井の祝福の言葉に二人は擽ったそうにして、よく似た笑顔を浮かべる。
「赤井、ありがとう。お前がいなければ俺達はこうして一緒になれていないんだ。だから、本当にありがとう」
 二度も名前を救った恋敵には感謝の気持ちしかない。不思議そうに首を傾げる赤井に前世の記憶が無いことを残念に思うが、記憶があれば再び名前を巡って険悪になるだろうから、それでよかったのかもしれないと思い直す。
「二人の愛が本物なら、きっと大丈夫だと言ってくれただろう。今回の結果はまさにその言葉の通りだった」
「君は知らなかったろうが、数年前に適性診断で姉弟が結婚した例があった。だから俺はそう言ったんだ」
 兄妹婚は未だ認められてはいない。しかし例外はあり、それが適性診断の結果によるもので、適性があれば兄妹婚が唯一認められる。血が濃くなる弊害として病気や障害が上げられるが、遺伝子工学の進んだ現代では、それを防ぐことが容易にできる。生への冒涜だと意を唱える者もいるが、政府が認めた何の法にも触れない正当な選択肢。だからこそ、この忌まわしい輪廻に弄ばれた兄妹はやっと救われた。
「幸せになれよ」
「名前が傍にいるのに幸せじゃないはずがない。煩い父もこれでは文句のつけようがないし、永劫続く可能性のあった呪縛は解けたんだ」
 突然物騒なことを口走る零に赤井は眉間に皺を刻むが、微笑み合う二人を見てしまえば、自分の心にまで幸福感が押し寄せてくる。
 やっと幸せになれたな。
 そんな言葉が口を衝きそうになったのを赤井は不思議に思う。
 名前の姿に重なるように、脳内で前髪の無い女と膨らんだ腹を撫でる女が柔らかに笑った。
 赤井はん。秀一さん。
「赤井さん、ありがとう」
 熱い涙が赤井の頬を滑る。歓喜に震える心で、愛し合う双子に多くの幸せが訪れることを強く願った。


あとがき



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